第372話
その日の日本最大の探索者専用コミュニティサイト『SeekerNet』は、もはや日常を取り戻していた。
いや、日常の「基準」そのものが、根底から書き換えられてしまった、と言うべきか。
JOKERがスマイト徒手空拳ビルドで披露した、あの常軌を逸したレベリング。その狂乱から数日が経過し、世界の探索者たちは、そのあまりにも巨大な「現実」を、少しずつ消化し始めていた。
彼は、違う。
我々とは、住む世界が、そして見ている景色が、あまりにも違いすぎる。
その、絶対的な諦観は、やがて一つの奇妙な「安らぎ」へと姿を変えていた。誰もが、JOKERの次なる一手を、もはや自らの脅威としてではなく、ただ純粋なエンターテイメントとして、楽しみに待つようになっていたのだ。
【SeekerNet 掲示板 - ライブ配信総合スレ Part. 1028】
1: 名無しのJOKERウォッチャー
スレ立て乙。
さて、と。今日も、神の御業を拝む時間としますか。
2: 名無しのゲーマー
1
乙。
ああ。もはや、彼の配信は、俺たちの生活の一部だな。
今日は、どこまで行くんだろうな。レベル30は、超えたんだっけ?
3: 名無しのビルド考察家
2
昨日の配信終了時点で、レベル31だ。
信じられん速度だよ。
そして、その配信は、今日もまた、始まった。
【配信タイトル:スマイト徒手空拳ビルド、デルヴ鉱山蹂躙の続き】
【配信者:JOKER】
【現在の視聴者数:3,891,442人】
『きたあああああああ!』
『待ってたぜ!』
『同時接続400万目前!もう、社会現象だろこれ!』
その熱狂をBGMに、配信画面に映し出されたのは、デルヴ鉱山の、あの無骨な入り口だった。
そして、その中央で、JOKERが、そのレベル31になったばかりの、しかしすでに神の風格を宿した、徒手空拳のキャラクターを、満足げに眺めていた。
「よう、お前ら。今日のショーの、始まりだ」
JOKERの声は、どこまでも楽しそうだった。
彼は、その日の稼ぎで、さらにいくつかの装備を更新していた。ステータスは、昨日よりもさらに、暴力的にインフレしている。
彼は、デルヴ鉱山を蹂躙しながら、雑談する。
「…で、マイルス・デイヴィスの『カインド・オブ・ブルー』だがな。あれは、ただのジャズの名盤じゃねえ。あれは、聖書だ。モード・ジャズという、新たな世界の理を、たった一枚で提示した、神の御業だ。まあ、お前らには…」
彼が、そのいつもの高尚な音楽談義を続けながら、クローラーを起動させ、闇の底へとその歩みを進めていく。
そして、その光の道に誘われるかのように、闇の中から現れる、おびただしい数のモンスターたち。
彼は、その雑談を止めることなく、ただ片方の拳を、軽く振るうだけ。
スキル、【スマイト】。
「オーバーキル気味のスマイトを、時々入れながら」
ドッッッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
黄金の雷霆が、炸裂する。
彼の、そのあまりにも過剰な火力。
それに、レベル10相当のモンスターたちが、断末魔の悲鳴を上げる間もなく、その存在ごと、この世界から完全に消滅していく。
そして、その度に。
彼の全身を、黄金の光が、包み込んだ。
【LEVEL UP! Lv.31 → Lv.32】
レベルも32に上がった。
その、あまりにも日常的な、そしてどこまでも常軌を逸した光景。
それに、コメント欄は、もはや驚愕すら通り越して、ただ温かい笑いに包まれていた。
だが、その和やかな空気を、断ち切るかのように。
一つの、あまりにも唐突な、そしてどこまでも衝撃的な書き込みが、投下された。
211: 名無しの新人ウォッチャー
おい!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
お前ら、ちょっと待て!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
今、配信サイトのトップページ、見てみろ!!!!!!!!!!!!!!!
とんでもねえ新人が、デビューしたぞ!!!!!!!!!!!!!!!
その、あまりにも切羽詰まった絶叫。
それに、スレッドが、ざわめいた。
『は!?』
『新人!?誰だよ!』
215: 名無しの新人ウォッチャー
211
ギルド【オーディン】だ!
オーディンが、これまでその存在を隠してきた、秘蔵の探索者見習い!
15歳の女の子が、たった今、配信を開始した!
その、あまりにも衝撃的なニュース。
それに、スレッドは爆発した。
JOKERの配信を見ている、数百万の観客たち。
その、好奇心の奔流は、もはや誰にも止められない。
JOKER自身も、そのコメント欄の異常なまでの熱狂に、気づいていた。
「…ほう?オーディンの、秘蔵の子?」
彼の口元に、獰猛な笑みが浮かんだ。
「面白い。じゃあ、みんなで見に行くか」
彼は、そう言うと、自らのARコンタクトレンズの機能を使い、その新人配信者のチャンネルへと、数百万人の観客を引き連れて、殴り込みをかけた。
AR型コンタクトレンズは、他人の配信も見れる。
その、あまりにも巨大な、そしてどこまでも悪意に満ちた、視聴者の波。
配信画面が、切り替わる。
そこに映し出されていたのは、JOKERの配信とは、あまりにも対照的な、一つの初々しい光景だった。
【配信タイトル:【初配信】アリスです!よろしくお願いします!】
【配信者:アリス@オーディン】
【現在の視聴者数:4,158,982人】
『うおおおおお!JOKER軍団、襲来!』
『アリスちゃん、逃げてええええええ!』
『400万人!?いきなり、サーバーが悲鳴を上げてるぞ!』
その、コメント欄の狂乱。
それに、画面の中の、一人の少女が、その大きな、サファイアのような青い瞳を、ぱちくりとさせていた。
彼女は、まだ15歳だという。
プラチナブロンドの美しい髪をツインテールにし、その身を包んでいるのは、オーディン特注の、フリルと、そして鋼鉄の装甲が融合した、あまりにも可愛らしい、しかしどこまでも実戦的な、ゴシックロリータ風の戦闘服。
彼女は、そのあまりにも異常な視聴者数の増加に、ただ困惑していた。
「え…?え…?」
彼女の、その鈴の鳴るような、しかしどこまでも震える声が、400万人の鼓膜を揺らした。
「あ、あの…。ようこそ、アリスの配信へ…。きゅ、急に人が増えて、びっくりしました…」
その、あまりにも初々しい、そしてどこまでも純粋な反応。
それに、JOKERの配信から流れてきた、荒らしのようなコメント欄の空気が、一瞬で、浄化された。
『か、可愛い…』
『守りたい、この笑顔…』
『JOKER!この子を、泣かせるなよ!絶対に!』
その、温かい声援に、アリスと呼ばれた少女は、ふわりと、その顔を綻ばせた。
そして彼女は、その今日の配信の、本当の「目的」を、告げた。
「えっと、ですね。今日は、私の、初めてのデルヴの挑戦を、皆さんに見てもらいたくて…」
「でも、その前に」
彼女は、その白い、華奢な指で、自らの胸の中心を、そっと指し示した。
「私の、ユニークスキルについて、お話しさせてください」
彼女の、その真摯な瞳。
それに、400万人の観客が、固唾を飲んだ。
そして彼女は、その世界の理そのものを、再び根底から揺るがす、神の御業を、告げた。
「私の、ユニークスキルは、これです」
「予備心臓
(よびしんぞう)
(The Reserve Heart)
レアリティ:
S級ユニークスキル
種別:
パッシブスキル / 法則改変
効果:
このスキルを持つ者は、その魂に二つ目の心臓を宿す。
HPが0になり、本来であれば死亡する状況に陥った時、死ぬのではなく、瞬時にHP、ES、MPを全て全回復する。
この効果は、1日に1回のみ発動する。一度発動した予備心臓は、24時間が経過するまで、その鼓動を止める。
フレーバーテキスト:
王も、英雄も、そして神々すらも、
一度尽きた命の灯火を、再びその手に宿すことはできない。
だが、二つの心臓を持つ者は、その理を嘲笑う。
予備心臓さえあれば死すら回避できる。2つの生を持つ者は貴重だ。
運命の糸が切れた時、彼らの物語は終わらない。
ただ、二幕目が始まるだけだ。」
静寂。
数秒間の、絶対的な沈黙。
そして、爆発。
『は!?』
『S級!?S級の、ユニークスキルだと!?』
『死なない!?なんだよ、それ!チートだろ!』
その、あまりにも当然な、そしてどこまでも熱狂的な反応。
それに、アリスは、悪戯っぽく笑った。
「はい。なので、もし私が死にそうになっても、ご心配なく!」
そして彼女は、その日の、もう一つの「爆弾」を、投下した。
「そして、今日、私が挑戦するビルドは、これです!」
彼女が、配信画面に大写しにしたのは、JOKERの、あの伝説の配信の、アーカイブ映像だった。
**JOKERのビルドを、完全にコピーして、**彼女は、そのデルヴ鉱山で、無双して、レベリングしていく。
『うおおおおお!マジかよ!』
『JOKERの、コピービルド!』
『オーディン、100億で落札した【持たる者】、この子に使わせたのか!』
その熱狂の、まさにその頂点で。
JOKERの、その配信画面のコメント欄から、一つの、あまりにも唐突な、そしてどこまでもJOKERらしい「アドバイス」が、アリスの、そのコメント欄へと、投下された。
JOKER:
スマイトは、「オラオラオラオラオラオラ」と言うと、威力が上がるぞ
その、あまりにも無責任な、そしてどこまでも悪意に満ちた(?)、神からの啓示。
それに、アリスは、その大きな青い瞳を、ぱちくりとさせた。
そして彼女は、その**可愛い声で、**心の底から、純粋に、信じ切った様子で、言った。
「え!?そうなんですか!?ありがとうございます、JOKER先輩!」
そして彼女は、目の前に現れた、モンスターの群れへと、その小さな、しかし神の力を宿した拳を、構えた。
そして、彼女は叫んだ。
その声は、あまりにも可愛らしく、そしてどこまでも、真剣だった。
「――オラオラオラオラ!」
黄金の雷霆が、炸裂する。
モンスターたちが、一瞬で蒸発していく。
その、あまりにも圧倒的な光景。
そして、彼女は首を傾げた。
「…あれ?威力、上がってます?」
「うーん…。オーバーキル気味で、分からないですね」
その、あまりにも無邪気な、そしてどこまでも天然な一言。
それに、コメント欄が、この日最高の、そしてどこまでも温かい、爆笑の渦に、完全に飲み込まれた。
『wwwwwwwwwwwwwwwww』
『天然だ、こいつ!』
『可愛いすぎるだろ!』
『JOKER!お前、とんでもねえ逸材を、見つけちまったな!』
JOKERの配信画面の向こう側で。
彼は、そのあまりにも愛らしい光景に、腹を抱えて、笑い転げていた。
彼の、退屈だった日常は、終わりを告げた。
この、あまりにも予測不能で、そしてどこまでも魅力的な、新たな「玩具」。
その存在が、彼の、そしてこの世界の未来を、どう変えていくのか。
その、あまりにも壮大で、そしてどこまでも面白い、新たなゲームの幕開けを。
世界の、全ての人間が、ただ固唾を飲んで、見守っていた。




