第38話
その日の夜、神崎隼人の配信チャンネルに、いつもの物々しいダンジョンの入り口の映像はなかった。
代わりにARカメラが映し出していたのは、彼のありのままの「現実」。
西新宿の安アパートの一室。壁にはシミが浮き、床にはコンビニ弁当の容器や、脱ぎ散らかした服が、無造作に散らばっている。そのあまりにも生活感に満ち溢れた(あるいは、荒れ果てた)光景。
そしてその中央。
万年床の布団の上にあぐらをかき、古びたデスクトップパソコンのモニターを睨みつけている、一人の青年の姿。
戦闘装備は、身に着けていない。よれたTシャツにスウェットという、あまりにもラフな格好。
そのあまりのギャップに、配信が始まった瞬間、彼のチャンネルに殺到した数万人の視聴者たちは、困惑のコメントで画面を埋め尽くした。
視聴者A: え?ここどこ?
視聴者B: JOKERさんの家!?マジか!
視聴者C: もっとこう、タワーマンションの最上階みたいなとこに住んでるのかと…
視聴者D: この生活感…。急に、親近感が湧いてきたんだがw
隼人は、そんな視聴者たちの反応を気にするでもなく、気だるそうに口を開いた。
配信のタイトルは、『【雑談クラフト】ガラクタで軍資金を稼ぐ夜』。
「よう、お前ら。見ての通り、今日はダンジョンは休みだ」
彼は、傍らに積み上げられたガラクタの山を指し示す。そこには、彼がこの数日間のダンジョン周回で拾い集めてきたノーマル等級(白)のアイテム…鉄の指輪や、革のベルト、粗末なアミュレットなどが、山のように積まれていた。
「この間の戦いで拾ってきた、ガラクタ。こいつらを今夜、少しだけマシなアイテムに変えて、軍資金の足しにしようと思う」
彼はそこで一度言葉を切ると、悪戯っぽく笑った。
「お前らは、ビールでも飲みながら、気楽に見ててくれ。俺のプライベートなギャンブルをな」
その言葉に、コメント欄が一気に沸き立つ。
クラフト配信。
それは、JOKERの配信において、最も人気のあるコンテンツの一つ。
彼のユニークスキル【運命の天秤】が、世界の理を捻じ曲げ、常識を破壊する、その奇跡の瞬間を、誰もが待ち望んでいた。
「まあ、今日の本当の目的は、こいつだけどな」
隼人は、ガラクタの山の中から、一つの何の変哲もない、ただの**【革のベルト】**を取り出し、カメラの前にかざした。
「今の俺のベルトは、ただのフラスコホルダーだ。何の能力もない。これじゃ、ちっと心許ないんでな。今夜、こいつを俺だけの最強の相棒に仕上げてやる」
その宣言に、視聴者たちの期待は最高潮に達した。
これから始まるのは、ただのクラフトではない。
一人の天才ギャンブラーによる、奇跡の創造の儀式なのだ。
「さてと。まずは、小手調べだ」
隼人はそう言うと、手始めにガラクタの山から、一つの**【鉄の指輪】を手に取った。
そして、彼がダンジョン周回でいくつかストックしていた、水色に輝く小さな宝石…【変質のオーブ】**を、その指輪へと近づける。
「いくぜ」
彼がオーブを指輪に触れさせた、瞬間。
指輪は、淡い青色の光を放ち、その性質を変化させた。
ノーマルから、マジックへ。
ARシステムが、その新たな性能を表示する。
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アイテム名: 頑強な鉄の指輪
等級: マジック(青)
効果:
最大HP +32 ====================================
「ほう、HP+32か。悪くないな」
隼人は、その結果に満足げに頷いた。
「これなら、初心者がちょっと背伸びして買うくらいの値段はつくだろ。5000円って、ところか」
その彼の、何気ない一言。
だがその瞬間、コメント欄がざわついた。
ハクスラ廃人: いやいやいや、JOKERさん、それが『普通』みてえに言うなw 一発で、Tier 2(ティアー2)クラスのHPロールじゃねえか!それ、普通に当たりだぞ!
元ギルドマン@戦士一筋: うむ。私が現役の頃なぞ、HP+30を一つ付けるために、変質のオーブを何十個と溶かしたものだ。
ベテランシーカ―: やはり、JOKERさんの幸運(LUCK)ステータスは、計り知れない数値になっているとしか思えませんね…。
隼人は、そんなベテランたちの驚愕の声をBGMに、次のクラフトへと移る。
今度は、【サンゴのアミュレット】。
彼は再び、【変質のオーブ】を使う。
アミュレットが青く輝き、新たな能力を得る。
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アイテム名: 炎避けのサンゴのアミュレット
等級: マジック(青)
効果:
火属性耐性 +15% ====================================
またしても、シンプルながら十分に売り物になる、優良なアイテムが完成した。
その結果に、コメント欄はもはや、笑うしかないという空気に包まれる。
視聴者A: JOKERさん、運良すぎだろ…。
視聴者B: 俺たちがやると、大抵、「敵から受ける気絶時間が短縮」とか、「アイテムの装備条件が2%減少」とか、クソみたいなMODしか付かねえのに…。
視聴者C: JOKERのクラフト配信は、俺たちの精神をゴリゴリに削ってくる…(褒め言葉)
そして一人の視聴者が、この配信の本質を突く、一つのコメントを投稿した。
『上振れしすぎだろ、この人…。普通は、売り物になるような物すらできねえってのに(笑)』
そのコメントに、『それなw』『俺たちのオーブは、ドブに捨てるためにある』『これが、才能の差か…』と、無数の同意と諦観の声が続いた。
隼人の「普通の成功」が、他の探索者にとっては「ありえない幸運」であることが、視聴者たちの共通認識として確立された瞬間だった。
だが、そんな視聴者たちの心をさらに折るかのように、隼人は三度目のクラフトで、今度は意図的に失敗作を作り出した。
「チッ、ゴミができたな」
彼が放り投げたベルトには、『敵から受ける反射ダメージ-5%』という、全く意味のない効果が付与されていた。
そのあまりにもわざとらしい演出に、視聴者たちは逆に笑い出す。
『やっと、俺たちと同じ目線に立ったなw』
『今の、絶対わざとだろwww』
『JOKERさん、俺たちの心を弄ぶのが、うますぎる』
この、緩やかな空気。
この、視聴者との一体感。
これこそが、彼のクラフト配信のもう一つの魅力だった。
いくつかの「小遣い稼ぎ」という名のデモンストレーションを終えた、隼人。
彼の瞳の色が、変わった。
遊びの時間は、終わりだ。
「さてと。前座は、ここまでだ」
彼の声のトーンが、一段低くなる。
「こっからが、本番」
彼はそう宣言すると、あの何の変哲もないノーマル等級の【革のベルト】を、厳かに手に取った。
そしてインベントリから、彼が持てる全てのクラフト用オーブを、テーブルの上に並べていく。
【変質のオーブ】が、数個。
マジックアイテムの特性を書き換える【変化のオーブ】が、十数個。
そして、マジックアイテムに新たな特性を一つ追加する【増強のオーブ】が、数個。
最後に、ホブゴブリンがドロップしたあのひときわ強い輝きを放つ、希少なオーブ…【富豪のオーブ】。
コメント欄の空気が、再び張り詰める。
いよいよ、始まるのだ。
JOKERの、本気のクラフトギャンブルが。
「まずは、こいつを青く染める」
隼人は【変質のオーブ】を使い、ベルトをマジック等級へと変化させる。
『最大HP +12』
「…悪くないが、低いな」
彼は次に、【変化のオーブ】を手に取る。
「狙うは、高ティアのHPか、耐性だ」
彼は、オーブを使った。
リロールされた能力は、『電撃耐性 +5%』、『スタミナ回復速度 +8%』。
「…ゴミだな」
彼は、次々と【変化のオーブ】を消費していく。
だが、何度繰り返しても、彼の理想とする組み合わせは現れない。
『筋力+8』
『気絶確率+3%』
『敵が落とすゴールドの量+5%』
あまりにも地味で、使い道のない特性のオンパレード。
視聴者A: うわ、沼ってる、沼ってるw
視聴者B: さっきまでの豪運は、どこ行ったんだよw
視聴者C: これが、リアルなクラフトだよな…
やがて、彼の手元にあった【変化のオーブ】が尽きようとしていた。
彼は最後の一つを手に取り、そして大きく息を吐いた。
「…ラストチャンスか」
彼のその呟きに、視聴者たちが固唾を飲む。
「だが、ただ運に任せるだけじゃ三流だ」
彼の瞳が、妖しい光を宿した。
「見せてやるよ。俺だけの、イカサマをな」
彼は、叫んだ。
「賭け金は、俺の魂そのものだ!――【運命の天秤】、発動ッ!!」
彼の精神世界で、巨大な天秤がギシリと音を立てて、大きく、そして確実に成功の方向へと傾いていく。
彼が最後の一つの【変化のオーブ】をベルトに叩きつけた、その瞬間。
ありえない奇跡が、起こった。
ベルトが放つ青色の光が、一瞬で、その色を変えたのだ。
青から、黄金へ。
【変化のオーブ】は本来、マジックアイテムの特性を書き換えるだけのオーブ。
等級そのものを、変化させる力はない。
だが彼の【運命の天秤】は、その世界の絶対的な「ルール」すらも捻じ曲げ、ただのリロールを、奇跡の「昇格」へと変質させたのだ。
ベルトはもはや、マジック等級(青)ではない。
強い魔力を秘めた、レア等級(黄)のアイテムへと生まれ変わっていた。
ARシステムが、その新たに生まれ変わったベルトの詳細な性能を表示する。
そして、その性能を目にした全ての人間が、言葉を失った。
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アイテム名: 宿命の腰帯
等級: レア(黄)
効果:
最大HP +100
全属性耐性 +15%
混沌耐性 +25% ====================================
静寂。
数秒間の、絶対的な沈黙。
そして、その静寂を破ったのは、ベテラン視聴者たちの絶叫だった。
ハクスラ廃人: は?…は?…はああああああああ!?変化のオーブで、レアになっただと…?そんな法則は、この世界に存在しねえぞ!
元ギルドマン@戦士一筋: しかも、なんだそのMODは…。HP、全耐性、そして何より、あのクソ高い混沌耐性…。三つとも、最高の組み合わせじゃねえか…。これ、普通にクラフトしようと思ったら、国家予算レベルのオーブが必要だぞ…。
ベテランシーカ―: これが…これこそが、S級レアスキル【運命の天秤】の本当の恐ろしさ…。彼はただ、確率を操作しているんじゃない。世界のルールそのものを、創造しているんだ…。
その価値。
隼人が、直感で計算する。
「…1000万くらいには、なるか」
彼のその呟きに、コメント欄が再び熱狂の渦に包まれた。
『いっせんまん!?』
『やっす!安すぎる!最低でも、2000万は下らないだろ!』
『売るな!絶対に売るなよ、JOKER!それは、お前の最終装備だ!』
隼人はその熱狂を背中に感じながら、完成したばかりの神のベルトを、静かに腰に装着した。
フラスコホルダーしかなかった彼の最後の弱点が、今、埋められた。
彼のステータスが、劇的に跳ね上がる。
彼は満足げに、そして獰猛に笑った。
その顔はもはや、ただのギャンブラーではない。
自らの手で運命を創造する、創造主の顔だった。
「さて…」
彼は、カメラの向こうの観客たちに告げた。
「この新しい『相棒』を試す、新しいテーブルを探しに行くか」




