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ギャンブル中毒者が挑む現代ダンジョン配信物  作者: パラレル・ゲーマー
過去・ダンジョンパレード編

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第348話

物語(ものがたり)は10(ねん)(まえ)、ダンジョンが(あらわ)れる当日(とうじつ)(もど)る】

【ダンジョン出現(しゅつげん)()、12ヶ(げつ)経過後】


 スイス、ジュネーブ。レマン湖のほとりにそびえ立つ、ガラス張りの近代的なビル。その最上階、国際公式ギルドが誇るグローバル・モニタリング・センターは、その日も変わらず、世界の全てを見渡す神の視点として機能していた。

 壁一面に設置された巨大なホログラムの世界地図。その上を、無数の光の点がリアルタイムで動き続けている。B級探索者の動向、B級ダンジョンの魔素濃度の推移、そして、世界の主要都市を結ぶ物流ネットワークの状況。その情報の洪水の中で、世界中から集められた最高のエリートアナリストたちが、青白いモニターの光に顔を照らされながら、黙々とその「ノイズ」を処理していた。

 彼らの仕事は、世界の「日常」を守ること。その日常とは、予測可能で、制御可能で、そして何よりも退屈なものであるべきだった。


 その、あまりにも平和な午後の空気が、唐突に断ち切られた。

 けたたましいアラート音が、静まり返ったセンターの空気を切り裂いたのだ。

 部屋の照明が、通常の色から赤色の警戒色へと切り替わる。

 ホログラムの世界地図の上に、一つの赤いランプが、まるで心臓のように激しく点滅を始めた。

 その場所は、フランス、アルプス山脈。


「どうした!?」

 フロアの責任者である、白髪混じりの初老の男、クロードが叫んだ。

「アルプス監視所からの、定時連絡か?」

「いえ、違います!」

 若い女性アナリストが、その顔を蒼白にさせながら答えた。

「監視所との通信が、完全に途絶しました!最後の通信は、これです!」

 彼女が手元のパネルを操作すると、センターのメインスピーカーから、ノイズ混じりの音声が再生された。


『――こちら、アルプス監視所!ゲートより、原因不明の霧状物質の流出を確認!魔素濃度、急上昇中!繰り返す!これは、訓練ではない!』


 その切羽詰まった声。そして、その後に続く、数秒間の沈黙。

 やがて、スピーカーから聞こえてきたのは、言葉にならない絶叫と、そしてアサルトライフルの甲高い発砲音だった。

 その音は、ブツリと、あまりにも唐突に途切れた。

 後に残されたのは、絶対的な静寂と、そしてモニターの前で呆然と立ち尽くすアナリストたちの、絶望に染まった顔だけだった。


「…緊急事態だ」

 クロードが、震える声で呟いた。

「直ちに、フランス軍に連絡を!最高レベルの警戒態勢を要請しろ!」

 だが、その彼の命令は、あまりにも遅すぎた。

 彼がそう叫んだ、まさにその瞬間。

 ホログラムの世界地図の上に、新たな赤いランプが、次々と灯り始めたのだ。

 日本、北海道。

 南米、アマゾン。

 アフリカ、サバンナ。

 これまで、ただの「ノイズ」として処理されてきた、世界各地の忘れ去られたF級ダンジョン。

 その全てが、まるで示し合わせたかのように、同時に、その牙を剥き出しにした。

 それは、もはやただの異常事態ではない。

 世界の、同時多発的な「決壊」。

 神々の気まぐれなゲーム盤が、ついにその本性を現した瞬間だった。



 フランス、アルプス山脈の麓に広がる、小さな村、サン・マルタン。

 そこは、時間が止まったかのような、穏やかな場所だった。石造りの家々の赤い屋根が、深い緑の渓谷に美しく映え、教会の鐘の音が、羊たちの首につけられたカウベルの音と、優しく混じり合う。村人たちは、何世代にもわたって、この雄大な自然と共に生きてきた。彼らの日常は、チーズを作り、ワインを醸し、そして時折訪れる観光客を、温かくもてなすことで成り立っていた。

 ダンジョンという、世界の混沌。

 それは、彼らにとってテレビの向こう側の、遠い世界の出来事でしかなかった。


 その、あまりにも平和な日常が、一つの異変によって、その最初の亀裂を見せた。

 村の広場に設置された、古びた噴水。その水面に、白い「何か」が、はらりはらりと舞い落ちてきたのだ。

 広場で井戸端会議に興じていた、村の女たちが、不思議そうに空を見上げる。

「あら、雪かしら?」

「まさか。こんな、真夏に」

 彼女たちが、その白い結晶を指先でつまみ上げると、それはふわりと溶けて、消えた。

 それは、雪ではなかった。

 霜だ。

 異常なまでの、冷気を帯びた、霜。


 その、小さな、しかし確かな違和感。

 それが、全ての始まりだった。

 数分後。

 村の東側、山へと続く渓谷の入り口から、それは現れた。

 乳白色の、濃密な「霧」。

 それは、まるで生き物のように、ゆっくりと、しかし確実に、その領域を広げながら、村へと這い寄ってくる。

 霧は、冷気を纏っていた。

 その霧に触れた、色とりどりの花々は、その生命力を急速に失い、白く変色し、そしてぱりぱりと音を立てて砕け散っていく。

 その、あまりにも静かで、そしてどこまでも確実な「死」の光景。

 それに、村人たちは初めて、本能的な恐怖を覚えた。


「…なんだ、あれは…」

 村の広場で、パンを焼いていたパン屋の主人が、その手を止めた。

 子供たちの、甲高い笑い声が、ぴたりと止む。

 村全体が、水を打ったように静まり返った。

 そして、その静寂を破るかのように。

 霧の、その最も濃い中心から。

 一体、また一体と、おぞましい影が、その姿を現し始めた。


 それは、軍勢だった。

 先頭を歩くのは、緑色の醜い皮膚を持つ、無数のゴブリンたち。その手には、錆びついた剣や、粗末な木の棍棒が握られている。

 その中衛を固めるのは、豚のような顔を持つ、屈強なオークたち。その巨大な体躯は、分厚い筋肉の鎧で覆われ、その肩には、人間を容易く叩き潰すであろう、巨大な戦斧が担がれている。

 そして、その後方。

 ひときわ巨大な、三体の影。

 身長は、5メートルを超えているだろうか。

 その全身は、岩石のような硬い皮膚で覆われ、その一本しかない巨大な瞳は、ただ純粋な破壊の衝動だけで、赤く燃え盛っていた。

 トロール。

 その、あまりにも絶望的な物量と、暴力の化身たち。

 彼らは、統率の取れた軍勢として、一つの明確な目的を持って、この平和な村へと、その進軍を開始したのだ。


「…逃げろ」


 誰かが、そう叫んだ。

 その一言が、引き金となった。

 村は、パニックに陥った。

 人々は、悲鳴を上げながら、我先にと自らの家へと駆け込み、その分厚い木の扉に、内側から鍵をかけた。

 窓という窓が、閉ざされていく。

 ほんの数分前まで、あれほど穏やかだった村が、一瞬にしてゴーストタウンへとその姿を変えた。

 後に残されたのは、絶対的な静寂と、そしてその静寂を蹂躙するために、ゆっくりと、しかし確実に近づいてくる、死の軍勢の足音だけだった。



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