第343話
土曜日の午後10時。
東京、湾岸エリアにそびえ立つ、民放最大手テレビ局の巨大なスタジオ。その一角は、日本中の、いや世界中の探索者たちが、今この瞬間、最も注目する熱狂の中心と化していた。
『ライブ!ダンジョン24』。
週に一度、ゴールデンタイムに放送されるこのワイドショー番組は、ダンジョンという新たな日常と、そこに生きる英雄たちの光と影を、どこよりも早く、そして深く伝えることで、驚異的な視聴率を誇っていた。
スタジオは、本番特有の華やかで、しかしどこか張り詰めた空気に包まれている。無人のカメラが、油を流すように滑らかにスタジオ内を移動し、天井に設置された何百というLEDライトが、演者の顔に完璧な光を当てていた。
メインキャスターを務める高島玲奈は、その美しい顔にプロフェッショナルな笑みを浮かべ、手元のタブレットに表示された台本に、最終的な目を通している。今日の特集は、「ターゲットファーミング時代、到来!あなたの資産を10倍にする、次世代の金策術」。ゲストには、いつものように元ギルド幹部であり、ダンジョン経済評論家の第一人者である田中健介氏と、主婦層から絶大な人気を誇るタレントのミカが招かれていた。
「…それにしても、ターゲットファーミング、ですか。なんだか、難しい話になってきましたわねぇ」
CM中、ミカが少し困ったような、しかし興味津々の表情で呟いた。
「昔は、ただダンジョンに潜って、ゴブリンを倒して、魔石を売るだけだったのに。今じゃ、どのダンジョンでどのカードが落ちるか、なんて情報が、お金で取引される時代ですものね。なんだか、ついていけないわ」
「ははは。ですがミカさん、それこそが、この世界の面白いところなのですよ」
田中氏が、人の良い笑みを浮かべて応える。
「世界は、常に変化し続けている。その変化の波に、いかに早く乗り、そしてその本質を見抜くか。そこにこそ、新たな富と、そして何よりも冒険のロマンがある。私は、そう思いますね」
そんな、いつものような和やかな会話。
それが、唐突に断ち切られた。
玲奈の耳に装着されたインカムから、ディレクターの、これまで聞いたことのないほど切羽詰まった声が、直接脳内に響き渡ったのだ。
『――高島さん!緊急速報です!ギルド最高幹部会から、レベル7の超極秘情報が、たった今、解禁されました!第一報、入ります!』
その声に、玲奈の背筋が凍る。
彼女のプロフェッショナルとしての経験が、これがただ事ではないことを告げていた。
CM明けまで、あと10秒。
彼女は、深く息を吸い込み、その表情を完璧なキャスターのそれに切り替えた。
スタジオの照明が、通常の色から、赤色の警戒色へと変わる。
メインモニターに、ギルドの公式紋章と共に『緊急速報』という物々しいテロップが、躍った。
「――おかえりなさいませ、『ライブ!ダンジョン24』です」
CM明け、玲奈の声は、一切の動揺を感じさせなかった。
「番組の途中ですが、たった今、国際公式ギルドから、極めて重要度の高い情報が入りました。予定を変更して、こちらを最優先でお伝えします」
彼女は、手元のタブレットにリアルタイムで表示された速報の第一報を、一字一句確かめるように、そして世界中の視聴者に届けるように、はっきりと読み上げた。
その声は、歴史の転換点を告げる、預言者のそれだった。
「国際公式ギルドが、これまでその存在を公にしていなかった、新たな神話級アーティファクトの情報を、本日付けで全世界に向けて公開しました!早速、その詳細をご覧ください!」
スタジオが、一瞬静まり返る。
そして次の瞬間、これまでのどのニュースよりも大きなどよめきが、波のように広がった。
玲奈の背後の巨大なモニターに、一つの、あまりにも素朴で、そしてどこまでも懐かしい、一組の糸電話のホログラムが、荘厳なBGMと共に映し出された。
二つの紙コップが、一本の、まるで夕焼けの光をそのまま編み込んだかのような、美しい赤い糸で結ばれている。
名前:
運命の赤い糸電話
(うんめいのあかいとでんわ)
(The Red String Telephone)
レアリティ:
神話級 (Mythic-tier)
種別:
アーティファクト / 因果律観測具 (Artifact / Causality Observation Tool)
効果:
対になった二つの簡素な糸電話。片方の紙コップを耳に当て、自らの魂の本質(性格、価値観、夢など)を強く念じることで、もう片方の糸電話が世界のどこかに存在する「自らの魂と最も共鳴する、まだ見ぬ運命の相手」の元へと自動的に転移する。
転移した先の相手が、その糸電話を手に取り耳に当てれば、二人の間には物理的な距離を完全に無視した対話が可能となる。二人の間で交わされる言葉は、たとえ異なる言語であったとしても、この糸電話を通じて互いの母国語へと自動的に、そして完璧に翻訳される。
このアーティファクトはあくまで「縁」を結ぶだけであり、相手の居場所を特定する機能は持たない。声と、魂の響きだけが、二人を繋ぐ唯一の道標となる。
フレーバーテキスト:
世界は、あまりにも広く、
人生は、あまりにも短い。
無数の魂がすれ違う、この雑踏の中で、
たった一つの、同じ歌を口ずさむ相手と出会う。
その確率を、賢者は天文学的だと笑った。
だが、愚者は信じた。
声さえ届けば、奇跡は起きると。
さあ、耳を澄ませ。
世界のどこかで、君の歌を待っている、もう一人の君がいる。
その、あまりにも詩的で、そしてどこまでも根源的な力。
それに、スタジオの誰もが、言葉を失っていた。
最初に、その沈黙を破ったのは、ゲストのミカだった。
彼女は、その大きな瞳を潤ませ、まるで夢見る少女のような、うっとりとした表情で、そのモニターを見つめていた。
「…え…?これって…。これは、運命の相手を探すアイテムですか…?」
彼女の、その震える声。
それに、スタジオの空気が、一気に熱を帯び始めた。
「嘘…。すご…。これは、ロマンチックですね!」
彼女の、そのあまりにも純粋な、そしてどこまでも正直な感嘆の声。
それが、引き金となった。
スタジオの、特に女性のスタッフたちの間から、「すごい…」「素敵…」といった、ため息のような声が、次々と漏れ始めた。
この、あまりにも殺伐とし、そしてどこまでも合理的なダンジョン社会。
その中で、誰もが忘れかけていた、あまりにも甘美で、そしてどこまでも非生産的な「奇跡」。
その存在に、世界は、心を奪われていた。
「ふふっ、ええ、ミカさん。そういうことですわね」
メインキャスターの高島玲奈も、その興奮を隠しきれない様子で頷いた。
「ですが、田中さん。この、あまりにもロマンチックな奇跡。一体、おいくらになるんでしょうか?」
彼女は、専門家である田中健介氏へと、その視線を向けた。
田中氏は、その冷静な表情を崩し、これまでにないほどの、柔らかな笑みを浮かべていた。彼は、まるで愛おしい我が子を見るかのように、その糸電話のホログラムを見つめていた。
「…夢、ですね」
彼は、しみじみとそう言った。
「これは、値段など付けられる代物ではないのかもしれません。ですが、あえてこの俗世の価値に換算するのであれば…」
彼は、少しだけ考え込むと、その驚愕の鑑定結果を口にした。
「**そうですね、5兆円かな。**いや、あるいはそれ以上かもしれません」
「ご、5兆円!?」
玲奈が、悲鳴に近い声を上げる。
「ええ」
田中氏は、深く頷いた。
「考えてもみてください。このアーティファクトは、【フラクチャーオーブ】のように、直接的な富を生み出すわけではない。ですが、その需要は、あるいはそれをも上回るかもしれない」
「**目的が、運命の相手を探すという機能に特化しているので、孤独な人ほど、ほしいんじゃないかな。**この世界の、頂点に立つ者たちを、想像してみてください。全てを手に入れた、S級の探索者。世界の経済を牛耳る、巨大ギルドのマスター。彼らが、最後に求めるものは、何でしょう?さらなる富か?名声?力?いや、違う」
彼の声に、熱がこもる。
「彼らが、本当に求めるのは、その全てを分かち合える、たった一人の、理解者です。その孤独を癒すためならば、彼らは、その資産の半分すら、投げ出すことを厭わないでしょう。これは、そういう類の、究極の贅沢品なのです」
その、あまりにも壮大で、そしてどこまでも人間的な、分析。
それに、スタジオ全体が、深い、深い納得のため息に包まれた。
その、あまりにも感動的な空気の中で。
ミカが、ふと、その天真爛漫な笑顔で、一つの、あまりにも素朴な、そしてどこまでも現実的な疑問を、口にした。
「でも、これ、使ってみて、誰にも繋がらなかったら、すっごく悲しいですね(笑)」
その、あまりにも無邪気な、そしてどこまでも残酷な一言。
それに、それまで感動に包まれていたスタジオの空気が、一瞬にして、温かい笑いの渦に、完全に飲み込まれた。
田中氏も、腹を抱えて笑い出している。
「はっはっは!ミカさん、あなたは、本当に…!ですが、その通りだ!まさに、その通りだ!」
彼は、涙を拭いながら言った。
「それこそが、このアーティファクトの、本当の価値なのかもしれませんな。運命の相手がいるという『希望』と、いないかもしれないという『絶望』。その、究極のギャンブル。…いやはや、神々というのは、どこまでも、意地の悪い演出家ですな」
その、あまりにも人間的な、そしてどこまでも温かい結論。
それに、スタジオは、この日最高の、そしてどこまでも優しい拍手に包まれた。
高島玲奈が我に返ると、その興奮冷めやらぬ声で番組を締めくくった。
「…田中さん、ミカさん、本日も本当にありがとうございました!人類の、新たな『縁』の物語が、今、始まろうとしています!この歴史的瞬間から、我々は一瞬たりとも目が離せません!」
その日、日本中が、いや世界中が、たった一つの素朴な糸電話の出現に、ただ熱狂していた。
JOKERの知らないところで、世界の歯車はまた一つ、大きく、そして確かな音を立てて回り始めていた。




