第342話
その日の日本最大の探索者専用コミュニティサイト『SeekerNet』は、もはやただの情報交換の場ではなかった。それは、一つの巨大な研究機関であり、そして新たな黄金郷への地図を、世界の誰よりも早く描き出そうとする、無数の知性が火花を散らす、熱狂的な戦場と化していた。
全ての探索者の視線は、もはや一つの現象に、その一点だけに注がれていたと言っても過言ではなかった。
デリリウム。
そして、その悪夢の先にあるという、魂の設計図そのものを書き換える禁断の果実、【クラスタージュエル】。
【SeekerNet 掲示板 - デリリウム総合考察スレ Part. 5】
1: 名無しの霧ウォッチャー
スレ立て乙。
さて、諸君。今日も始めようか。我々人類が、神々の気まぐれな悪戯に、どう立ち向かうべきかの議論を。
2: 名無しのB級タンク
1
乙。
はぁ…。今日も一日、古竜の寝床を10周したが、鏡には一度も出会えなかったぞ…。
マジで、出現率どうなってんだよ、これ。
3: 名無しのA級(お忍び)
2
まあ、そんなもんだろ。
ギルドのアナリストチームが非公式に発表したデータによれば、B級下位ダンジョンにおけるデリリウム・ミラーの出現確率は、約5%。つまり、20周して、一回出会えれば御の字って計算だ。
4: 名無しのC級(背伸び中)
3
5%か…。厳しいな…。
でも、その分、当たった時のリターンはデカいんですよね!?
5: 名無しのB級タンク
4
ああ、デカい。デカすぎる。
俺も、3日前に一度だけ鏡を引けたんだが、その時の報酬だけで、一週間分の稼ぎを、余裕で上回ったからな。
クラスタージュエル手に入れれば、数千万円だから、美味しい。
やめられねえよ、こんなの。
スレッドには、そんな希望と、そしてそれ以上に多くの、確率の壁に阻まれた者たちの悲痛な叫びが溢れていた。
だが、その混沌の中から、一つの最適化された「解」が、生まれつつあった。
それは、この理不尽なテーブルで、少しでも勝率を上げるための、血と汗と、そして無数の試行回数の上に築き上げられた、プレイヤーたちの知恵の結晶だった。
121: ハクスラ廃人
おいおい、お前ら。まだ、だらだらダンジョン一周してんのかよ。
だから、てめえらはいつまで経っても三流なんだ。
いいか、よく聞け。
**デリリウム狙いは、入口に生成されるから、**決まってる。
**ダンジョンに入ってみて、出なかったら、**その場でポータル開いて帰還だ。
そして、ダンジョンをリセットして、また入り直す。
ただ、それだけ。
その繰り返しだ。
ボスなんて、倒す必要はねえ。道中の雑魚も、無視だ。
ただ、ひたすらに、入り口の鏡だけを探し続ける。
名付けて、「リセットマラソン」、略して「リセマラ」だ。
その、あまりにもゲーム的で、そしてどこまでも合理的な戦術。
それに、スレッドがどよめいた。
『は!?』
『マジかよ!そんなやり方があったのか!』
『でも、それじゃあ、ボス倒せないから、経験値も魔石も手に入らないじゃないですか!』
その、あまりにも素朴な反論。
それに、ハクスラ廃人は、鼻で笑った。
125: ハクスラ廃人
馬鹿野郎。
1日頑張って1回でるかどうか。これは根気がいるな。
だが、その一回の当たりが、お前の一ヶ月分の稼ぎを、遥かに上回るんだぞ。
どっちが、美味いか。小学生でも分かる計算だろ。
まあ、このやり方は、ポータルスクロールを大量に消費するから、金のない奴には真似できねえだろうがな。
その、あまりにも的確な、そしてどこまでも残酷な真理。
スレッドは、その日を境に、二つに分かれた。
これまで通り、地道にダンジョンを周回し、日々の糧を稼ぎながら、偶然の奇跡を待つ「堅実派」。
そして、全てを投げ打って、ただ入り口の鏡だけを求め続ける、「ギャンブル狂」たち。
世界の探索者たちは、自らの魂の形に応じて、その生き方を、選択し始めたのだ。
そして、その熱狂が、新たな「発見」を生み出す。
それは、ビルド構築の、常識そのものを覆す、革命的な発見だった。
521: 名無しのビルド考察家
…諸君。
とんでもないことが、判明したかもしれん。
クラスタージュエル。
あれは、ただのジュエルではなかった。
その、出自によって、その魂の色を、完全に変えるらしい。
522: 名無しのゲーマー
521
考察家ニキ!
どういうことだ!?
525: 名無しのビルド考察家
522
ああ。
ギルドに所属する、俺の友人のクラフターが、この数週間、世界中のマーケットから数百個のクラスタージュエルを買い集め、そのデータを徹底的に分析した。
そして、彼は気づいてしまった。
どうも、ラージ、ミディアム、スモールで、出る小ノードが違うらしい。
それだけではない。
あと、小ノードの効果によって、それぞれ出る中ノードの効果も違うと判明した。
例えばだ。
『小ノードが炎ダメージ上昇を付与する』というエンチャントが付いたラージクラスタージュエル。
こいつを、混沌のオーブで何百回とリロールしても、付与される中ノードは、決まって『燃え盛る残虐性』や『広範囲爆発』といった、炎関連の中ノードしかつかないというのだ。
静寂。
そして、爆発。
『は!?』
『マジかよ!』
『つまり、ベースとなるジュエルのエンチャントで、その後のクラフトの結果が、ある程度決まるってことか!?』
538: 名無しのビルド考察家
533
ああ。
つまり、専門性を持った、特化したパッシブツリーが作れるということだ。
これまでは、ただ闇雲に、良いMODが付くことを祈るだけの、ギャンブルだった。
だが、これからは違う。
最初に、自らのビルドに合った、最高の「土台」となるジュエルを探し出し、そしてその上で、自らの望む「城」を築き上げていく。
ビルド構築は、新たな時代へと突入した。
何より、ビルドの構成が、劇的に変わるぞ、これ。
その、あまりにも革命的な発見。
それに、スレッドは熱狂した。
トップギルドの連中も、今、このクラスタージュエルをじっくり研究中らしいという噂も、まことしやかに流れ始めた。
誰もが、この新たな、そしてどこまでも奥深いパズルの、その解を求めて、情報の海を彷徨い始めた。
その、熱狂の、まさにその頂点で。
一つの、あまりにも唐突な、そしてどこまでも異質な「成功報告」が、投下された。
【スレッドタイトル:【世界初?】デリリウム中に、ボス倒したぞ】
投稿主は、匿名のB級盗賊。
スレッドは、お祭り騒ぎとなった。
『マジかよ!』『どうやったんだ!?』『報酬は!?』
その声援に応えるかのように、彼は一枚のスクリーンショットをアップロードした。
そこに映し出されていたのは、彼がその命と引き換えに手に入れた、あまりにも奇妙な、そしてどこまでも魅力的な、一つのジュエルだった。
[画像:手のひらに乗せられた、小さな、しかし確かな存在感を放つスモールクラスタージュエル。その中央には、何も持たない、開かれた掌の紋様が刻まれている]
持たざる者
スモールクラスタージュエル
ジュエル
ホロウパームテクニックを追加する
フレーバーテキスト:
武器に頼り始めれば、
確実にそれなしでは生きていけなくなる。
ホロウパームテクニック
徒手空拳時は二刀流とみなされる
徒手空拳時に近接スキルのアタックスピードが40%上昇する
徒手空拳時に器用さ10ごとに近接スキルに14から20のアタック物理ダメージが追加される
(徒手空拳: 手袋、メインハンドアイテム、オフハンドアイテムを装備していない状態を徒手空拳と呼ぶ)
静寂。
数秒間の、絶対的な沈黙。
スレッドの、全ての時間が止まったかのような錯覚。
そして、その静寂を破ったのは、一人の、あまりにも素直な、魂の叫びだった。
『なんだこれ。徒手空拳ビルドしろってことか?wwww』
その、あまりにも的確な、そしてどこまでも楽しそうなツッコミ。
それが、引き金となった。
スレッドは、爆発した。
『うおおおおお!マジかよ!』
『素手で戦えってか!熱すぎるだろ!』
『でも、待てよ…。器用さ10ごとに、ダメージ追加…?これ、敏捷を極限まで高めた盗賊が使ったら、とんでもねえことになるんじゃねえか…?』
『二刀流とみなされるってことは、二刀流のパッシブも全部乗るのか!?』
『やべえ…。やべえよ…。新しい、メタが生まれるぞ…!』
その、あまりにも鮮やかで、そしてどこまでもロマンに満ちた、新たなビルドの可能性。
それに、スレッドは、もはや制御不能の熱狂の坩堝と化した。
デリリウムがもたらした、世界の変革。
それは、まだ始まったばかりだった。
その、あまりにも巨大な、そしてどこまでも面白い、世界のうねりの中心で。
探索者たちの、本当の「冒険」が、今、始まろうとしていた。




