第341話
その日の日本最大の探索者専用コミュニティサイト『SeekerNet』は、奇妙な静けさと、水面下で沸騰するような熱気に包まれていた。
事件は、いつも通り、最もありふれた、そして最も見過ごされがちな場所で、その産声を上げた。
【SeekerNet 掲示板 - B級ダンジョン総合スレ Part. 423】
111: 名無しの竜狩り
スレ立て乙。
はぁ…。今日も一日、【古竜の寝床】で来訪者待ちだったぜ。
結局、一度も会えなかった。マジで、確率どうなってんだよ…。
112: 名無しのA級(お忍び)
111
分かる。
俺もだ。こっちはA級下位の【古代遺跡アルテミス】を5周したが、影も形も見えなかった。
フラクチャーオーブの欠片集めは、もはやただの苦行だな。
113: 名無しのC級(見学中)
112
A級様が、こんなところに…。
お疲れ様です…。
114: 名無しの竜狩り
113
まあ、愚痴っててもしょうがねえか。
今日の周回、始めるわ。
…ん?
その、あまりにも唐突な、そしてどこまでも不穏な一言。
それに、スレッドの空気が、わずかに変わった。
115: 名無しのゲーマー
114
どうしたんだよ、竜狩りニキ。
また、変なトカゲでも見つけたか?
116: 名無しの竜狩り
115
いや、違う。
なんか、入り口に、変なのができてる。
鏡…?いや、違うな。水面みたいに、揺らめいてる。
ちょっと、動画撮ってくるわ。
その書き込みから、数分後。
彼は、再びスレッドに舞い戻ってきた。
その手には、この世界の理を、再び根底から揺るがすことになる、一つの爆弾を抱えて。
121: 名無しの竜狩り
…おい、誰かこれ知ってるか?
B級【古竜の寝床】の入り口に、なんか変な鏡ができてたんだが…
[動画リンク:薄暗い洞窟の入り口。その中央に、周囲の風景を歪ませながら、まるで水面のように銀色に揺らめく、人一人が通れるほどの大きさの楕円形の鏡が、不気味に、しかしどこか美しく浮遊している]
その、あまりにも異様で、そしてどこまでも幻想的な光景。
それに、スレッドは爆発した。
『は!?』
『なんだ、これ!?』
『新種のギミックか!?』
『やべえ!絶対、触るなよ!呪われるぞ!』
その、あまりにも当然な、そしてどこまでも正しい忠告。
だが、その声は、一人のギャンブル狂の耳には、届いていなかった。
135: 名無しの竜狩り
…はっ。面白い。
俺が、人柱になってやるよ。
見てろ、お前ら。
その、あまりにも無謀な、そしてどこまでもヒーロー的な宣言。
それに、スレッドは、固唾を飲んだ。
動画の中で、竜狩りのアバターが、その揺らめく鏡…**【デリリウム・ミラー】**へと、ゆっくりと、その手を伸ばしていく。
そして、その指先が、鏡の表面に触れた、その瞬間だった。
パリンッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
甲高い、ガラスが砕け散るような音。
鏡は、その美しい姿を維持できず、無数の光の破片となって、砕け散った。
そして、その破片の中心から、おびただしい量の**【暗黒の霧】**が、まるでダムが決壊したかのように、凄まじい勢いで噴出した。
乳白色と、漆黒と、そして深い紫色が混じり合った、禍々しい霧。
それは、一瞬にして、ダンジョンの入り口全体を飲み込み、そしてその勢いを止めることなく、洞窟の奥深くへと、なだれ込むように侵食を始めた。
竜狩りの、そのライブ映像は、一瞬にしてモノクロームの、悪夢のような風景へと変貌した。
「うわああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!」
彼の、素直な絶叫。
それが、この歴史的な祭りの、始まりの合図だった。
スレッドは、パニックに陥った。
『おい!大丈夫か、竜狩り!』
『なんだよ、これ!ダンジョンが、変形したぞ!』
『逃げろ!早く、ポータルで!』
その、悲鳴に近い声援。
だが、その声は、もはや彼には届いていなかった。
数分間の、ノイズと静寂。
誰もが、その勇敢な人柱の、あまりにもあっけない最期を覚悟した。
だが、彼は、生きていた。
211: 名無しの竜狩り
…はぁ…はぁ…生きてる…。
なんだよ、これ…。マジで、地獄だ…。
彼の、その震える声での報告。
それに、スレッドは安堵と、そして新たな好奇心で、沸き立った。
彼は、その悪夢の中で、命からがら走りながら、その世界の新たな「ルール」を、断片的に報告し続けた。
225: 名無しの竜狩り
おかしい!敵が、おかしい!
いつもの竜人族じゃねえ!
霧の中から、見たこともねえ、ぐにゃぐにゃした化け物が、無限に湧いてきやがる!
しかも、動きが、速ええ!
238: 名無しの竜狩り
クソッ!アイテムが、ドロップしねえ!
魔石も、装備も、何も出ねえぞ!
なんだよ、これ!ただの、地獄かよ!
…いや、待て。
なんだ、このカウンターは…?
画面の隅に、なんか数字が増えていく…。
245: 名無しの竜狩り
分かったぞ!
霧が!霧が、後ろから晴れていきやがる!
立ち止まったら、飲まれる!
急いで、どんどん敵を倒して、ダンジョンを進む必要があるんだ、これ!
クソッ!やるしか、ねえ!
その、あまりにもリアルタイムな、そしてどこまでもスリリングな実況。
それに、スレッドの住人たちは、もはやただの観客ではなかった。
彼らは、その場にいるかのように、竜狩りと共に、その悪夢の中を、走り続けていた。
そして、数十分後。
その、長い、長い死闘の果てに。
彼は、ついに、ダンジョンの最深部、ボスの間を駆け抜け、そして入り口へと、生還した。
彼が、その霧の領域から、最後の一歩を踏み出した、その瞬間だった。
ザアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!!!!
彼の、その足元。
まるで、壊れたスロットマシンのジャックポットのように、おびただしい数のアイテムが、光の洪水となって、噴き出したのだ。
数十個のB級魔石。
十数個の、高価なレア装備。
そして…。
その光の山の、その中心で。
これまで誰も見たことのない、一つの奇妙な宝石が、ひときわ強い輝きを放っていた。
木の枝のように有機的な装飾が施された、巨大な、ラージサイズのジュエル。
彼は、そのあまりにも莫大な報酬に、ただ呆然と立ち尽くしていた。
そして、彼はその戦利品の山と、そしてその奇妙な宝石のスクリーンショットを、震える指で、スレッドへと投下した。
その一枚の画像が、この世界の常識を、再び、そして完全に、破壊することになる。
その、あまりにも衝撃的なレポート。
それは、SeekerNetを、爆発させた。
有識者たちが、その戦闘ログと、ドロップ品を、徹底的に分析し、そして戦慄と共に、その結論を導き出した。
「デリリウム」。
それは、ハイリスク・ハイリターンを極限まで突き詰めた、神々の気まぐれな、新たな「ゲーム」なのだと。
そして、本当の衝撃は、あの無名のB級探索者が手に入れた【ラージクラスタージュエル】が、ギルドの公式オークションに出品された時に、起こった。
【SeekerNet 掲示板 - クラフト総合スレ Part. 217】
1: 名無しのクラフトマニア
おい、お前ら!
見たか!?
あの、竜狩りニキが拾った、クラスタージュエル!
今、オークションに出てるぞ!
そして、その効果テキストが、公開された!
震えろ!
その書き込みと共に、一枚の画像が貼り付けられた。
そのテキストを読んだ、全てのクラフター、全てのビルド研究家が、その場で崩れ落ちた。
効果:
パッシブスキルツリーの外縁部にあるソケットにのみ装着可能。装着すると、ツリーを拡張し、ランダムで8~12の新たなパッシブスキルを生成する。
追加されたスキル群には、2つのジュエルソケットが含まれる。
このジュエルには、『このジュエル内の小ノードは、ミニオンのダメージが10%上昇する』というエンチャントが付与されている。
静寂。
そして、爆発。
『は!?』
『パッシブツリーを、拡張する!?』
『自分で、ツリーを、作れるのかよ!?』
『なんだよ、これ!なんだよ、これ!』
その熱狂の、まさにその頂点で。
あの、竜狩りのジュエルを、一人のA級クラフターが、数千万円という、破格の値段で落札した。
そして彼は、歴史的なクラフト配信を、始めた。
彼は、そのクラスタージュエルに【混沌のオーブ】を、何度も、何度も、使用した。
そして、ついに、一つの「神の組み合わせ」を、全世界に見せつけたのだ。
そのジュエルに、付与された、新たなMOD。
それは、『このジュエル内の中ノードに、【憤怒の指揮官】を追加する』。
そして、もう一つ。
『このジュエル内の中ノードに、【新たなる脅威】を追加する』。
一つのジュエルの中に、二つの、本来であれば決して両立することのなかった、強力な中ノードが、同時に存在している。
その、あまりにも冒涜的で、そしてどこまでも美しい光景。
掲示板は、爆発した。
「好きな強い中ノードを、重複して取る事が出来る!」
「まさに、パッシブツリーの革命だ!」
ビルド構築の、常識が、完全に覆された瞬間だった。
その日を境に、世界のメタゲームは、完全に変わった。
探索者たちの目的は、もはやただ強いユニーク装備を拾うことではない。
自らの、魂の設計図そのものを、自らの手で、無限に拡張していくこと。
その、あまりにも深く、そしてどこまでも面白い、新たな「沼」へと、世界の全ての人間が、その身を投じていくことになる。
その、あまりにも壮大で、そしてどこまでも混沌とした、新時代の幕開けを。




