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ギャンブル中毒者が挑む現代ダンジョン配信物  作者: パラレル・ゲーマー
来訪者編

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342/491

第330話

 その日の午後の空気は、どこか穏やかで、そして退屈だった。

 神崎隼人――“JOKER”は、B級中位ダンジョン【機械仕掛けの心臓】の、もはや見慣れた無機質な回廊を、まるで自らの庭を散歩するかのように、ゆっくりと歩いていた。

 彼の二つ目の人生…ネクロマンサーとしての物語は、絶対的な安定期へと突入していた。レベルは34に達し、その魂に刻まれたパッシブスキルツリーは、彼の軍団を不死の怪物へと変貌させていた。

 B級中位というテーブルですら、もはや彼の心を揺さぶるほどのスリルを提供してはくれなかった。


 彼の配信チャンネルには、今日もまた数十万という彼の信奉者たちが集い、そのあまりにも安定しきった、しかしどこまでも美しい蹂躙劇を、固唾を飲んで見守っている。


【配信タイトル:【ネクロマンサーLv.34】B級中位で雑談レベリング Part. 5】

【現在の視聴者数:241,556人】


「…だから、ジョン・コルトレーンの『至上の愛』は、ただのジャズアルバムじゃねえんだよ。あれは、祈りだ。混沌の中から、一つの絶対的な調和を見つけ出そうとする、人間の魂の叫びそのものだ。…まあ、お前らにはただの騒々しいサックスにしか聞こえねえかもしれんがな」


 彼のそのあまりにも高尚で、そしてどこまでも難解な音楽談義に、コメント欄がいつものように和やかなツッコミと笑いに包まれる。


『出たwwwww JOKERさんのジャズ講座wwwww』

『もう何言ってるか全然分かんねえけど、とりあえずJOKERさんが退屈してるのだけは伝わってくる』

『この無敵の王者が、退屈そうに高尚な雑談しながら敵を蹂躙していくスタイル、最高にクールで好きだわ』


 彼がそう語りながら、ひょいと巨大な蒸気パイプの下をくぐり抜けた、その瞬間。

 彼の目の前に、カシャカシャカシャッという鋭い駆動音と共に、十数体の機械人形が現れた。

 だが、隼人はその雑談を止めることはない。

 彼の右手は、もはや彼の意識とは別の生き物のように滑らかに動き、その腰に差された古びた骨のワンドを、軽く振るうだけ。

 そして、彼はその背後に控える、一体の新たな、そして最も巨大なしもべへと、その視線を向けた。


 それは、まるで悪夢そのものを具現化したかのような、冒涜的なまでのキメラだった。

 複数の生物の骨と、腐肉と、そして禍々しい魔力を無理やり一つに繋ぎ合わせたかのような、巨大な肉の塊。その背中からは、鋭利な骨の棘が何本も突き出し、その巨大な鉤爪は、鋼鉄すらも容易く引き裂くほどの殺意を放っている。

 キャリオンゴーレム。

 レベル34で、ようやくその召喚を許された、彼の新たな切り札。


「――行け」


 彼の、その短い命令。

 それに、キャリオンゴーレムが呼応した。

「グルオオオオオオオオオオッ!!!!!」

 これまで彼が率いてきたどのミニオンとも比較にならない、力強い雄叫び。

 ゴーレムは、その巨体で大地を蹴り、機械人形の軍勢の中へと、一直線に突撃していった。

 そしてそこから始まったのは、もはや戦闘ではなかった。

 ただ、一方的な「破壊」のショーだった。


 キャリオンゴーレムが、その巨大な鉤爪を振るう。

 連続斬りつけ攻撃。

 その一閃が、三体の機械人形を、同時に捉えた。

 ガリガリガリガリガリガリッ!

 陶磁器の美しい顔が、ゼンマイ仕掛けの体が、まるで紙細工のように無残に引き裂かれていく。

 それだけでは、終わらない。

 ゴーレムが、その巨体で大地を叩きつける。

 ボーンスパイクカスケード。

 地面から、おびただしい数の鋭い骨の棘が、まるで間欠泉のように噴き出し、後方に控えていた機械人形たちを、串刺しにした。

 あまりにも、暴力的。

 あまりにも、美しい蹂躙。

 その光景に、コメント欄が熱狂した。


『うおおおおお!ゴーレム、強ええええええ!』

『なんだ、あの火力!B級中位の雑魚が、一瞬で溶けていくぞ!』

『これが…これが、JOKERの新しい『神の軍勢』か…!』


 その賞賛の嵐の中で、全ての敵を殲滅し終えたキャリオンゴーレムが、その巨体を揺らしながら、主の元へと戻ってきた。

 そして、その禍々しい顔を、まるで褒めてほしそうに、隼人へとすり寄せる。

 その、あまりにもギャップのある光景。

 それに、隼人はふっと息を吐き出した。

 そして彼は、その巨大な、腐肉と骨でできた怪物の、その頭を、不器用な手つきで、しかしどこまでも優しく撫でた。


「――よしよし。いい子だな」


 その、あまりにも場違いな、そしてどこまでも温かい一言。

 それに、コメント欄が、この日一番の、そしてどこまでも平和な笑いの渦に、完全に飲み込まれた。


『wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww』

『犬扱いで草』

『ペット枠かよwwwあの怪物がwww』

『JOKERさん、意外と動物好き…?(※ゴーレムです)』


 その、温かい、しかしどこかからかっているようなコメントの嵐。

 それに、JOKERは少しだけ照れくさそうに、鼻を鳴らした。

 そして彼は、その魂の奥底から漏れ出た、あまりにも素直な、そしてどこまでも人間的な疑問を、口にした。


「……犬、飼ったことないけど、こんな感じか?」


 その一言。

 それが、この日の配信の、最高のハイライトとなるはずだった。

 もし、あの「来訪者」が、現れなければ。



 彼が、その日の最後の獲物となる一体の巨大な機械ゴーレムを、その神の軍勢で蹂躙し尽くした、その瞬間だった。

 ぐにゃり。

 彼の目の前の空間が、まるで熱せられたアスファルトのように、陽炎を立てて歪み始めた。

 真鍮の回廊が、回転する歯車が、その完璧な幾何学模様を崩し、どろりとした有機的な何かへと変貌していく。

 カチ、カチ、カチ…という、機械の駆動音は消え去り、代わりに彼の耳に届くのは、絶対的な静寂と、そして自らの心臓の、不安な鼓動だけだった。


「…なんだ、これ…?」


 彼は、思わず足を止めた。

 彼の耳に流れ込んでいたフリージャズが、急に場違いなノイズのように感じられる。

 彼は、無意識のうちに耳からイヤホンを引き抜いた。

 コメント欄もまた、そのあまりにも唐突な、そしてどこまでも不気味な世界の変貌に、困惑と、そしてわずかな恐怖の声を上げ始めていた。


『!?』

『なんだあれ!?ダンジョンが、変形したぞ!』

『いや、違う…。この感じ、どこかで…』


 その、ざわめき。

 その、混沌。

 その、全てのノイズの中心へと。

 一つの、静かな、しかしどこまでも異質な存在が、その姿を現した。

 空間の、歪みの、その中心。

 そこから、すうっと、音もなく、一つの人型の影が、染み出してくるように現れたのだ。

 それは、浮いていた。

 重力の法則を、完全に無視して。

 その全身は、まるで深海の水をそのまま固めて人の形にしたかのような、半透明の、そして内側から淡い光を放つ、美しい青色でできていた。

 顔には、目も、鼻も、口もない。

 ただ、滑らかな、のっぺりとした球体があるだけ。

 だが、その存在そのものから放たれるプレッシャーは、これまでのどのモンスターとも、どの探索者とも、比較にならないほど、濃密で、そして底知れなかった。

 それは、もはや「敵」というよりは、一つの「現象」だった。

 世界初の来訪者だった。


『なんだ、あれは…』

『新種の、ボスか…?』

『いや、違う…。あんなボス、ギルドのデータベースのどこにも載ってないぞ…!』

『逃げろ、JOKER!』


 コメント欄が、悲鳴で埋め尽くされる。

 だが、その絶望的な光景を前にして。

 JOKERは、ただ一人、静かに笑っていた。

 彼の口元には、獰猛な、そして歓喜に満ちた三日月の笑みを浮かべて。


「…面白い。面白いじゃねえか」

 彼は、ARカメラの向こうの絶望する観客たちに、聞こえるように呟いた。

「最高のテーブルだ。最高の、獲物だ」

「――ここで降りるギャンブラーが、いるかよ」


 その力強い宣言。

 それを合図にしたかのように、それまで沈黙を保っていた青い人型が、動き出した。

 彼は、その滑らかな腕を、ゆっくりと、天へと掲げる。

 そして、その指先から、無数の、小さな空間の亀裂が、生まれ始めた。

 その亀裂の奥から、おびただしい数の、これまで見たこともない、異形のモンスターたちが、なだれ込むように出現してくる。

 それは、もはやただの召喚ではなかった。

 別の世界そのものを、この場所へと、強引に引きずり込んでいるかのようだった。


 そこから始まったのは、もはやただの戦闘ではなかった。

 一つの、壮絶なまでの、消耗戦だった。

 JOKERは、その神がかった指揮能力で、その無限に湧き出る異形の軍勢を、捌き続けた。

 彼の軍団は、傷つき、倒れ、そしてその死体から、彼は新たなゾンビを召喚し、その戦線を、決して崩壊させることはなかった。

 一時間、二時間…。

 時間の感覚が、麻痺していく。

 彼の、そして彼のミニオンたちのHPも、MPも、そしてフラスコのチャージも、もはや限界に近かった。

 だが、彼の瞳の光だけは、決して消えることはなかった。


 そして、ついにその時は来た。

 彼が、最後の、そして最も巨大な異形の怪物を、その軍団の総力で討ち果たした、その瞬間。

 青い人型は、その全ての召喚を、ぴたりと止めた。

 そして、そののっぺりとした顔を、ゆっくりと、JOKERの方へと向けた。

 そこに、声はなかった。

 だが、彼の魂に、直接、一つの「言葉」が、響き渡った。

『――合格』

 ただ、それだけ。

 そして、その青い人型は、現れた時と同じように、すうっと、音もなく、空間の歪みの中へと、その姿を消していった。

 後に残されたのは、絶対的な静寂と、そしてその中心で、おびただしい数の、これまで見たこともない、キラキラと輝くアイテムの欠片の山だけだった。



「…はぁ…、はぁ…」


 JOKERは、その場に膝をつき、荒い息を繰り返していた。

 彼の、その完璧だったはずの軍団は、満身創痍だった。

 だが、彼は勝ったのだ。

 この、あまりにも理不尽な、そしてどこまでも不可解な、試練に。


 コメント欄は、そのあまりにも衝撃的な結末に、言葉を失っていた。

 ただ、賞賛と、そして祝福の言葉だけが、滝のように流れ続けていた。

 彼は、その声援に、静かに頷くと、その戦利品の山へと、ゆっくりと歩み寄っていった。

 そこに落ちていたのは、彼が見慣れた魔石でも、装備でもなかった。

 全てが、小さな、そしてどこまでも美しい「欠片」だった。

【混沌のオーブの欠片】。

【変化のオーブの欠片】。

高貴(こうき)のオーブの欠片】。

 この世界の、理そのものを構成する、カレンシーアイテムの、その原石。


「…なるほどな。こいつは、美味い」

 彼は、その価値を瞬時に判断し、満足げに頷いた。

 だが、彼の視線が、その光の山の、その一角で、ぴたりと止まった。

 そこに、二つだけ、これまで見たこともない、異質な輝きを放つ欠片があった。

 それは、まるで砕け散った鏡の破片のように、その表面に、無数の亀裂が走っていた。


 彼は、それを拾い上げた。

 ひんやりとした、滑らかな感触。

 彼がそれを視界に入れたその瞬間、彼のARレンズが、その情報を自動的に表示した。

 だが、そのテキストは、あまりにも、不可解だった。


【フラクチャーオーブの欠片】×2


 ただ、それだけ。

 効果も、フレーバーテキストも、何も表示されない。

 彼は、そのアイテムを、あらゆる角度から、鑑定し直した。

 だが、結果は、同じだった。


「…なんだこれ。鑑定にも、フラクチャーオーブの欠片2/20としか出ないな…?」


 彼の、そのあまりにも素直な、そしてどこまでも困惑に満ちた呟き。

 それが、この世界の、新たな時代の幕開けを告げる、ファンファーレとなった。

 コメント欄が、爆発した。


『は!?』

『なんだ、それ!?聞いたことねえぞ!』

『新しい、オーブか!?』

『JOKERさん!また、世界の誰も知らないお宝、引き当てちまったのかよ!』


 その熱狂の中心で、JOKERは、ただ静かに、その二つの謎めいた欠片を、見つめていた。

 彼の、ギャンブラーとしての魂が、けたたましく警鐘を鳴らしていた。

 これは、ただのアイテムではない。

 この世界の、新たな「ルール」。

 あるいは、新たな「地獄」への、招待状だ。

 新たな謎が撒かれた瞬間だった。

 彼の、退屈な日常は、終わりを告げた。

 その心に灯った、新たな、そしてどこまでも危険な好奇心の炎。

 それが、彼を、そしてこの世界そのものを、さらなる混沌の渦へと、導いていくことになる。

 そのことを、まだ、誰も知らなかった。



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