第328話
【物語は10年前、ダンジョンが現れる当日に戻る】
【ダンジョン出現後、6ヶ月経過後】
アメリカ合衆国、ワシントンD.C.、ホワイトハウス。
その西棟の地下深く、世界で最も安全で、そして最も多くの秘密が眠る場所…シチュエーションルーム。
その空気は、大統領執務室の華やかさとは無縁の、どこまでも張り詰めた、そして機能的な沈黙に支配されていた。壁一面に設置された巨大なモニターには、世界各地の米軍基地の状況や、リアルタイムの国際情勢が、無機質な数字と記号の羅列となって表示され続けている。
その、情報の洪水の中で。
円卓の最も奥に座る男…アメリカ合衆国大統領、バラク・オバマは、その冷静な、しかしどこまでも鋭い瞳で、中央のホログラムモニターに映し出された一枚の文書を、ただ静かに見つめていた。
それは、数時間前に、日本の首相官邸から、最高レベルの機密回線を通じて送られてきた、一つの「回答」だった。
「…面白い」
オバマは、誰に言うでもなく呟いた。
その口元には、困惑ではない、純粋な感嘆と、そしてわずかな愉悦の色が浮かんでいた。
彼の周りを固めるのは、この国の安全保障をその両肩に背負う、トップエリートたち。
国防長官、CIA長官、そして国家安全保障問題担当大統領補佐官。
そして、その末席には、今回の「事件」の引き金を引いた張本人である、「ダンジョン経済戦略局(DESA)」のトップ、デヴィッド・ヘイワード長官が、硬い表情で座っていた。
オバマは、その視線を、ヘイワードへと向けた。
その瞳には、どこか悪戯っぽい光が宿っていた。
「ヘイワード長官。君が日本の友人に送った、あのチャーミングなメッセージの返答が、これだ。『ルール作り』、ね」
彼のその、どこか皮肉な、しかし絶対的な王者の余裕に満ちた一言。
それに、ヘイワードはぐっと言葉に詰まった。
オバマは、その動揺を意にも介さず、続けた。
「僕は、少し日本を見くびっていたようだ」
彼は、そう言って、心底楽しそうに笑った。
「てっきり、彼らは我々の『お願い』を、泣きながら飲むか、あるいは完全に拒絶して、我々が次の手を打つのを待つだけだと思っていた。まさか、こちらのカードを利用して、全く新しいゲームを提案してくるとはね。未来のための、投資か。なかなか、名プレイヤーのようだ」
その、あまりにも意外な、そしてどこまでも的確な分析。
それに、ヘイワードは、そのプライドを傷つけられたかのように、反論した。
「ですが、大統領!これは、事実上の拒絶です!彼らは、我々の技術共有の要求を、議題のすり替えによって、はぐらかそうとしているに過ぎません!」
「そうかな?」
オバマは、その熱くなった部下を、静かに、しかし有無を言わさぬ力で、制した。
「僕は、そうは思わない。彼らは、本気だ。そして、我々もまた、本気でこの提案に向き合うべきだ」
彼は、その場の全ての人間へと、問いかけた。
「――どう思う、みんな?」
その、あまりにもシンプルで、そしてどこまでも重い問いかけ。
それに、会議室は再び、重い沈黙に包まれた。
最初に口を開いたのは、やはりヘイワードだった。彼の声には、タカ派としての、揺るぎない信念が宿っていた。
「…甘い顔を見せるべきではありません。これは、彼らが仕掛けてきた、ブラフです。経済制裁をちらつかせれば、彼らは必ず折れる。あのオーパーツは、何としてでも我々が手に入れるべきです」
だが、その意見に、国防長官が、静かに首を横に振った。
「…ヘイワード君。君は、まだあの映像の、本当の恐ろしさを理解していないらしいな」
彼は、モニターに映し出された、D-SLAYERSの戦闘記録を指し示した。
「あれは、もはや我々の知る『兵士』ではない。全く新しい、生態系だ。彼らが、本気で牙を剥けば、我が国の在日米軍基地ですら、一夜にして壊滅する可能性がある。そして、その『鍵』を握っているのは、日本政府だ。彼らを、敵に回すのは、あまりにも危険すぎる」
その、あまりにも現実的な、軍人としての分析。
それに、ヘイワードもまた、言葉を失った。
会議室の空気は、完全に膠着していた。
その、息が詰まるような沈黙。
それを、破ったのは、これまで黙って議論の行方を見守っていた、国家安全保障問題担当大統領補佐官だった。
彼の声は、静かだった。
だが、その奥には、この膠着した盤面を、一気にひっくり返すための、一つの、あまりにも大胆な「解」が、秘められていた。
「…大統領。あるいは、これは好機なのかもしれません」
彼は、そう切り出した。
「日本の提案を、ただ飲むのではない。さらに、その一歩先を行くのです」
「アメリカ公式探索者ギルドと、日本公式探索者ギルド。その、さらに上位の組織として、【国際公式探索者ギルド】を、新たに設立するのです。そして、その『初代議長国』として、我々アメリカと日本が、この世界の新たなデフォルトスタンダードを作るべきです」
その、あまりにも壮大で、そしてどこまでも野心的な提案。
それに、会議室がどよめいた。
「確かに、国連は、あまりにも動きが遅すぎる。この、日進月歩のダンジョン時代において、旧世界の官僚主義は、もはや足枷でしかない。だが、我々が主導する、より少数精鋭で、そしてより強力な権限を持つ国際組織であれば、話は別です」
「もちろん、その運営には、アメリカ政府と日本政府の人間を深く関与させ、多少は制御できるようにする必要があるでしょうが。これが、今の我々が取りうる、最善の一手かと思われます」
その、あまりにもクレバーな、そしてどこまでも力強い進言。
それに、オバマは、その目を閉じたまま、数秒間、沈黙した。
そして、彼はゆっくりと、その瞼を開いた。
その口元には、絶対的な王者の、そしてどこまでも楽しそうな笑みが浮かんでいた。
「――名案だ。では、それでいこうか」
その、あまりにもあっさりとした、しかしどこまでも重い、決断。
それに、会議室の全ての人間が、息を呑んだ。
オバマは、ゆっくりと立ち上がった。
そして彼は、その部屋にいる全ての人間へと、そしてこの国の全ての未来へと、宣言した。
その声は、一つの時代の終わりと、そして新たな時代の幕開けを告げる、龍の咆哮だった。
「10年後の覇権を握る国家は、アメリカと日本で充分だ。他の国は、一気に置き去りにするぞ」
彼は、そこで一度言葉を切った。
そして彼は、その全ての覚悟を、その最後の一言に乗せた。
「――そして、これが、僕のレガシーとなるだろう」
その日、ホワイトハウスの、その密室で。
世界の、新たな秩序が、確かに産声を上げた。
それは、あまりにも静かで、そしてどこまでも壮絶な、革命の始まりだった。




