第322話
東京の空は、いつものように無数の星々(ネオン)をその身に宿し、静かに、そしてどこまでも深く広がっていた。
だが、その静寂とは裏腹に。
日本最大の探索者専用コミュニティサイト『SeekerNet』の内部は、この数週間、絶え間ない熱狂と、そしてそれ以上に多くの、微かな諦観に支配されていた。
【宿星のカード】。
その、あまりにも唐突に世界に出現した、神々の気ままぐれなサイコロ。
F級ダンジョンの、ただのゴブリン一体から、36億円の夢が生まれる。
その、あまりにも甘美なシンデレラストーリーは、瞬く間に世界中を駆け巡り、空前絶後の「カード・ラッシュ」を引き起こした。
誰もが、夢を見た。
自分もまた、あの【七億の同志】のようになれるかもしれないと。
だが、現実は非情だった。
【SeekerNet 掲示板 - F級ダンジョン総合スレ Part. 1024】
811: 名無しのゴブリン耳コレクター
スレ立て乙。
…はぁ。
今日も一日、ゴブリンの洞窟に籠もってたけど、ドロップはこれだぜ。
[画像:インベントリ画面のスクリーンショット。大量の「ゴブリンの耳」と、数枚の【|ゴブリン《》の親族】(ゴブリンの耳10個と交換できる、通称クソカード)だけが、虚しく並んでいる]
もう、嫌になるぜ…。
俺のインベントリ、緑色と茶色しかねえよ…。
812: 名無しのスライムハンター
811
分かる。めちゃくちゃ分かるぞ。
俺もだ。スライムの洞窟で、一日中スライム叩いてるけど、出るのは【ぷるぷるの感触】(スライムの核10個交換)ばっかり。
もう、画面が青すぎて、目がチカチカするわ。
813: 名無しの週末冒険者
812
だよな。
【神への挑戦権】なんて、本当に出るのかよ…。
もう、都市伝説なんじゃないかって、思えてきたぜ。
あれ以来、ドロップ報告、一件も聞かねえし。
814: 名無しの現実主義者
813
当たり前だろ。
確率、計算してみろよ。
F級ダンジョンのモンスターが、一日に狩られる総数、数百万体。
その中で、あんな神話級のカードがドロップする確率なんて、天文学的な数字だぞ。
宝くじで1等を当てるより、難しい。
俺たちは、ただギルドの手のひらの上で、踊らされてるだけなんだよ。
その、あまりにも的を射た、そしてどこまでも冷徹な現実。
スレッドには、祭りの後のような、静かな、そしてどこまでも深い諦観の空気が漂い始めていた。
カード・ラッシュの熱狂は、わずか数週間で、その輝きを失いかけていた。
誰もが、気づき始めていたのだ。
奇跡は、そう何度も起こるものではないと。
その、停滞した空気を、断ち切るかのように。
一つの、あまりにも無邪気な、そしてどこまでも場違いな書き込みが、投下された。
901: 名無しの蜘蛛ハンター
あのー、すみません!
F級ダンジョン【蜘蛛の巣穴】で、こんなカードが出たんですけど、これって当たりですか?
なんか、黒くて綺麗なんですけど…。
その、あまりにも初々しい、そしてどこまでも空気を読んでいない新人からの質問。
それに、スレッドの住人たちは、呆れたような、しかしどこか優しいツッコミを入れた。
902: 名無しのゴブリン耳コレクター
901
新人ちゃん、乙。
どうせまた、蜘蛛の糸10個と交換とか、そういうやつだろ。
まあ、F級なんてそんなもんさ。
気にすんな。
903: 名無しのスライムハンター
901
だな。
まあ、F級で変なカード拾ったら、大抵ハズレだと思って間違いない。
でも、一応画像上げてみろよ。
俺たちが、その価値を鑑定してやるからさ。
その、あまりにも先輩風を吹かせた、そしてどこまでも親切な言葉。
それに、新人は素直に従った。
彼が、アップロードしたのは、一枚の、あまりにも異質で、そしてどこまでも美しいカードのスクリーンショットだった。
[画像:闇夜をそのまま切り取ったかのような、漆黒のベルベット地のカード。その中央には、銀色の糸で、獲物を待ち構える巨大で美しい蜘蛛の巣が、緻密に刺繍されている。カード全体が、内側から淡い、しかし確かな神々しい光を放っている]
その、あまりにも荘厳で、そしてどこまでも芸術的なデザイン。
それに、スレッドの空気が、わずかに変わった。
910: 名無しのビルド考察家
…おい、待て。
なんだ、このカードは…。
見たことないぞ…。
912: 名無しのクラフトマニア
910
ああ。
デザインの、解像度が違う。
これは、ただのクソカードじゃねえ。
…新人!早く、効果テキストを上げろ!
その、ベテランたちの、ただならぬ気配。
それに、スレッドの全ての視線が集中した。
そして、その新人は、言われるがままに、その神のテキストを、スレッドへと投下した。
915: 名無しの蜘蛛ハンター
え、えっと…。
こう、書いてあります…。
カード名:
女王の抱擁 (The Queen's Embrace)
効果:
このカードを2枚集め、「交換!」と宣言することで、ユニークなフィーンドダガー**【アラカーリの牙】**を1つ入手できる。
フレーバーテキスト:
彼女の巣に、自ら飛び込む愚かな獲物がいる。
その抱擁が、甘美な死の口づけであるとも知らずに。
さあ、おいでなさい。
我が愛し子たちの、新たな苗床よ。
お前の亡骸から、無限の命が生まれるのだから。
静寂。
数秒間の、絶対的な沈黙。
スレッドの、全ての時間が止まったかのような錯覚。
誰もが、そのあまりにも詩的で、そしてどこまでも禍々しいテキストを、ただ呆然と見つめていた。
そして、その静寂を破ったのは、一人の、あまりにも素直な、そしてこのスレッドの全ての住人の心を代弁するかのような、一言だった。
921: 名無しのゲーマー
…【アラカーリの牙】って、何?
そうだ。
誰も、知らなかった。
その、あまりにも異質で、そしてどこまでも伝説の匂いを纏った、その武器の名を。
スレッドは、困惑の渦に飲み込まれた。
『なんだ、それ?』『聞いたことねえぞ』
その、混沌の中心へと。
一つの、静かな、しかしどこまでも確信に満ちた声が、響き渡った。
投稿主は、このスレッドの誰もが、その名を知る、伝説のコテハンたちだった。
955: 元ギルドマン@戦士一筋
…馬鹿な。
ありえん。
なぜ、こんなものが、F級から…?
いや、それ以前に、なぜこのタイミングで、市場に…?
958: ハクスラ廃人
おいおい、ギルドの旦那。
知ってんのかよ、このダガーのこと!
961: 元ギルドマン@戦士一筋
958
知っているも何も…。
これは、我々A級、S級の世界ですら、ほとんどお目にかかることのできない、幻の逸品だ。
あまりにも、そのビルドがピーキーで、そしてあまりにも、その要求値が高すぎるが故に、これまでほとんどの者が、その存在を無視してきた。
だが、その力は、本物だ。
965: ベテランシーカ―
ええ、元ギルドマン様のおっしゃる通りです。
皆さん、落ち着いて聞いてください。
【アラカーリの牙】。それは、数多あるユニークダガーの中でも、最も異質で、そして最も凶悪な性能を秘めた、禁断のアーティファクトの一つです。
その最大の能力は、『敵を倒した時に100%の確率でレベル1の「レイズスパイダー」を発動する』。
つまり、持ち主が敵を一体殺すたびに、その死体から、一匹の毒蜘蛛のミニオンが、自動で召喚されるのです。
そして、その蜘蛛たちは、主が殺戮を繰り返す限り、無限に増殖していく。
一人で、軍隊を作り出す力。
それこそが、このダガーの本当の恐ろしさなのです。
その、あまりにも圧倒的な解説。
それに、スレッドは戦慄した。
そして、一人のユーザーが、震える声で、その最も気になっていた質問を投げかけた。
978: 名無しのC級戦士
…で、でも、要求レベル53って…。
それに、知性123も必要って、戦士や盗賊じゃ、装備できないじゃないですか!
完全に、魔術師向けの武器ですよね!?
982: ベテランシーカ―
978
ええ。そして、そのあまりにも極端な要求値こそが、この武器が「幻」と呼ばれる、所以です。
ですが、もし、万が一、この条件を満たし、そしてこのダガーを使いこなすことのできる者が現れたなら。
その者は、S級の頂点すらも、狙えるほどの力を、その手にすることになるでしょう。
その、あまりにも壮大な、そしてどこまでもロマンに満ちた物語。
それに、スレッドは熱狂した。
だが、その熱狂の、まさにその頂点で。
あの、最初の発見者である新人が、恐る恐る、その最後の、そして最も重要な質問を投げかけた。
998: 名無しの蜘蛛ハンター
あ、あの…。
じゃあ、これ、いくらくらいで、売れるんですか…?
その、あまりにも素朴な問いかけ。
それに答えたのは、このスレの、もう一人の主。
ハクスラ廃人だった。
彼の言葉は、どこまでも重かった。
1001: ハクスラ廃人
998
…いいか、新人。よく聞けよ。
そのカードは、二枚で完成だ。
そして、そのダガーの、現在の国際市場における最低落札価格は、5億円だ。
静寂。
そして、爆発。
1005: 名無しの蜘蛛ハンター
って事は、最低2億5000万円かよ!!!!
その、発見者自身の、魂の絶叫。
それに、スレッドは、もはや言葉を失っていた。
ただ、そのあまりにも巨大な、そしてどこまでも理不尽な幸運の前に、ひれ伏すしかなかった。
1011: 名無しのゴブリン耳コレクター
いや、驚くほどビビるのはこっちだよ…。
最低からって事は、3億、4億はおかしくないぞ…。
なんだよ、それ…。俺が、ゴブリンの耳集めてる間に、そんな奇跡が起きてたのかよ…。
その、あまりにも切実な、そしてどこまでも人間的な、敗北宣言。
それに、スレッドは、温かい、しかしどこか物悲しい笑いに包まれた。
だが、その和やかな空気を、断ち切るかのように。
一つの、冷静な、しかし世界の理そのものを揺るがすほどの、鋭い分析が、投下された。
1055: 名無しのビルド考察家
…おい、お前ら。
少し、落ち着け。
騒ぐのは、まだ早い。
もっと、重要なことがある。
その、あまりにも意味深な書き出し。
それに、スレッドの全ての視線が、再び集中した。
そして、彼はその、世界の新たな「法則」を、スレッドへと投下した。
1056: 名無しのビルド考察家
思い出せ。
ゴブリンの巣では、【ゴブリンの親族】(ゴブリンの耳交換カード)が、山ほど出る。
E級【女王蟻の巣穴】でも、【神への挑戦権】のドロップ報告があった。
そして、F級【蜘蛛の巣穴】では、この蜘蛛のカード【女王の抱擁】が出る。
だが、【神への挑戦権】は、ゴブリンの洞窟からも出ている。
…もう、分かるな?
この、あまりにも的確な、そしてどこまでも論理的な、情報の整理。
それに、スレッドの住人たちが、はっとしたように、次々と同意の声を上げ始めた。
『まさか…』
『そういう、ことか…?』
そして、そのビルド考察家は、その最後の、そして究極の「結論」を、告げた。
1068: 名無しのビルド考察家
ああ。
つまり、**神への挑戦権は、名前の通り、どこからでも出る。**神は、気まぐれだからな。
しかし、ゴブリンの耳交換のクソカードは、ゴブリンの巣からしか出ない…。
そして、この蜘蛛のカードも、そうだ。
――ターゲットを決めて、ダンジョンを周回する必要があるって事だ
俺たちの、これまでの「ただ待つだけの」ギャンブルは、終わったんだよ。
ここから始まるのは、知恵と、情報と、そして確率を支配するための、本当の「戦い」だ
その、あまりにも鮮やかで、そしてどこまでも美しい、逆転の発想。
それに、スレッドは、本当の意味での「爆発」を起こした。
もはや、それは賞賛ではない。
一つの、世界の新たな真実が、そのベールを脱いだ瞬間への、畏敬の念だった。
エッセンスに続き、カード。
世界のルールは、今、この瞬間も、目まぐるしく、そしてどこまでも面白く、変わり続けていた。
その、巨大な奔流の中心で。
探索者たちの、本当の「冒険」が、今、始まろうとしていた。




