第318話
【物語は10年前、ダンジョンが現れる当日に戻る】
【ダンジョン出現後、5ヶ月経過後】
その、あまりにも絶望的な空気が、掲示板を、そしてこの戦いを見守る全ての人間を支配していた。
ギルドの公式ドローンが映し出すライブ映像。その画面の中央には、錆びつき、肉塊に侵食された無骨な装甲を持つ、高さ10メートルの巨大な戦争機械が、その不気味な赤い単眼のレンズを、ゆっくりと挑戦者たちへと向けていた。
対する、鬼塚宗一率いるD-SLAYERS。
彼らは、満身創痍だった。
だが、その瞳には、一切の恐怖の色はなかった。
ただ、自らの運命と、そしてこの国の未来を賭けて、この理不尽なテーブルに、最後まで食らいついてやるという、鋼鉄の意志だけが宿っていた。
戦いは、もはやただの戦闘ではなかった。
それは、死と隣り合わせの、壮絶な「舞踏」だった。
ボスが放つ、即死級のレーザー砲。
大地を砕く、巨大な鉄のハンマー。
その、あまりにも暴力的なまでの攻撃の嵐の中を、D-SLAYERSの隊員たちは、まるで暴風を避けるように、紙一重で踊り続ける。
一歩でもステップを間違えれば、即、死。
その、あまりにも極限の緊張感。
彼らの精神力は、とっくに限界を超えていた。だが、彼らは必死に踊り続けた。
鬼塚の、その神がかった指揮の下で。
「――右翼、散開!ハンマーの衝撃波が来るぞ!左翼は、レーザーのチャージ時間を読め!0.5秒の隙がある!そこを、叩け!」
彼の、その絶叫。
それが、この地獄のオーケストラにおける、唯一のタクトだった。
彼らは、そのタクトに導かれるように、傷つき、倒れ、そしてそれでも立ち上がり、その小さな、しかし確かなダメージを、巨大なボスへと刻み込んでいく。
そして、その長い、長い死闘の果てに。
ついに、その時は来た。
鬼塚の、渾身の一撃。
それが、ボスの装甲の、わずかな亀裂を捉えた、その瞬間。
ボスの、巨大なHPバーが、ついに5割を切ったのだ。
「――やったぞ!」
その光景を、霞が関の対策本部で見ていた、一人の若いアナリストが、歓喜の声を上げた。
その一言を皮切りに、それまで息を殺して戦況を見守っていた政府関係者たちの間から、大きな、大きな歓声が上がった。
「うおおおおお!半分削ったぞ!」
「いける!これなら、いけるぞ!」
掲示板もまた、同じだった。
『半分!半分だ!』『神は、いた!』『行け、D-SLAYERS!』
だが、そのあまりにも楽観的な歓喜の渦の中で。
ただ一人、鬼塚だけが、その本当の地獄が、これから始まるのだということを、察していた。
「グルオオオオオオオオオオッ!!!!!」
ボスの、その赤い単眼のレンズが、これまでにないほどの憎悪の光を放った。
そして、その巨体から、おびただしい量の黒い蒸気が、噴き出し始める。
発狂モードへの、突入だった。
ボスの動きが、変わった。
これまで、ゆっくりと、しかし確実に放たれていたレーザー砲が、まるで機関銃のような速度で、乱射され始めたのだ。
そして、そのレーザーの雨の合間を縫うように、巨大なハンマーが、高速で、そして予測不能な軌道で、乱舞する。
それは、もはや舞踏ではなかった。
ただの、死の嵐。
「――くそっ!」
鬼塚の、その唇から、初めて焦りの色が混じった悪態が漏れた。
彼の完璧だったはずの指揮が、そのあまりにも理不尽な暴力の前に、完全に破綻していく。
一人、また一人と、仲間がその嵐に飲み込まれていく。
だが、彼らは決して、その戦線を崩さなかった。
彼らは、自らの体を盾として、仲間を守り、そしてその命と引き換えに、わずかな、しかし確かなダメージを、ボスへと刻み込んでいく。
それは、死への最後の飛翔に似た、あまりにも悲しく、そしてどこまでも美しい舞踏だった。
そして、ついにその時が来る。
鬼塚の、最後の一撃。
それが、ボスのHPを、残り2割にまで削り落とした。
その瞬間。
ボスの、その狂乱の動きが、ぴたりと止まった。
そして、その巨体は、全ての触手をその装甲の内側へと格納し始めたのだ。
静寂。
そして、その静寂を破るかのように。
ボスの、その赤い単眼のレンズが、これまでにないほどの、まばゆい光を放ち始めた。
そして、その無機質な合成音声が、洞窟全体に響き渡った。
『――自爆シークエンス、起動。全ての生命体を、この場所から、排除します』
彼の、その最後の宣告と共に。
その単眼のレンズの上に、赤いデジタル数字で、カウントダウンが始まった。
【5】
「――逃げろー!」
掲示板が、絶叫で埋め尽くされた。
霞が関の対策本部でも、坂本大臣が「退避だ!鬼塚君!退避しろ!」と、その冷静さを失い、マイクに向かって叫んでいた。
【4】
鬼塚の、生き残った部下たちが、その命令に応えようとする。
だが、彼らの体は、もはや限界だった。
動けない。
間に合わない。
【3】
誰もが、全滅という、最悪の結末を覚悟した。
だが、その絶望の、まさにその中心で。
鬼塚だけは、前を向いていた。
彼は、退避する仲間たちに、背を向けた。
そして、彼は、その最後の力を振り絞り、その巨大な悪魔へと、向かっていく。
【2】
「――隊長!?」
部下たちの、その悲痛な叫び。
それを、背中で聞きながら。
鬼塚は、笑っていた。
その顔には、最高の、そしてどこまでも穏やかな笑みが浮かんでいた。
(…すまん、お前ら。どうやら、俺はここまでらしい)
(だが、この国の未来は、お前らに託したぞ)
【1】
彼は、その手に持つ長剣に、残された全ての魂を込めた。
そして彼は、その最後の言葉を、叫んだ。
「――日本の、夜明けだあああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!」
彼の一撃が、ボスの、その赤い単眼のレンズを、完全に貫いた。
【0】
世界が、白に染まった。
◇
数秒後。
ギルドのドローンの映像が、復旧する。
そこに映し出されていたのは、信じられない光景だった。
あの巨大なボスは、跡形もなく消え去っていた。
そして、その中心。
おびただしい数のドロップアイテムの、その光の海の中で。
鬼塚宗一は、その鎧をボロボロに砕かれながらも、確かに、その場に立っていた。
彼の、その手には、四つの、ひときわ強い輝きを放つ、神々の遺産が握りしめられていた。
英雄には、高い報酬が必要だ。
その光景に、霞が関の対策本部は、歓喜の渦に包まれた。
坂本大臣は、その場で崩れ落ちるように、椅子に深く身を沈め、そしてその手で顔を覆った。
その肩は、小さく震えていた。
抱き合い、そして涙を流しながら、喜びを分かち合う、官僚たち。
掲示板もまた、同じだった。
『うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!!!!』
『勝った!勝ったんだ!』
『英雄だ!彼らは、この国の、本物の英雄だ!』
その熱狂と興奮の中で、ドロップした四つのアイテムの詳細な情報が、共有された。
「名前: 腐敗のオーブ
種別: カレンシー(通貨) / クラフトアイテム
効果: このオーブをアイテムに使用すると、不可逆的な腐敗を起こす。または、このオーブをマップデバイスに使用することで、任意のダンジョンエリアを「腐敗の領域」へと変化させることができる。腐敗したエリアは、プレイヤーに強力なデバフを与えるが、その見返りとして、アイテムのドロップ率と経験値が大幅に上昇する。ハイリスク・ハイリターンを求める、熟練の探索者たちがこぞって求める禁断の果実。」
「それは、石板の一部を砕いたかのような、無骨な欠片だった。
その表面には、古代の文字とも紋様ともつかない、不可解な模様が刻まれている。
名前: 腐敗のフラグメント【1】
種別: マップフラグメント
効果:
腐敗の女王が支配する、領域への道筋を示す四つの欠片の一つ。
これをマップデバイスに使用することで、何かが起こるかもしれない…。
【フレーバーテキスト】
第一の封印は、鉄の悪魔の骸の下に。」
「名前: 神域の元素心核
種別: 首輪
レアリティ:ユニーク
要求レベル:40
効果:
・HP+220
・MP+50
・全耐性+18%
・スキル【元素の盾 Lv.20】付与
・HPが30%以下になった時、一度だけ全てのデバフを解除し、10秒間ダメージを60%軽減するバリアを張る。(戦闘ごとに1回リセット)
フレーバーテキスト:
清純なる力は神域へと至り、持ち主の生命そのものと一体化した。もはやそれは単なる守護の道具ではなく、魂を守る最後の砦、不滅の心核である。」
「名前: 原初の調和
種別:指輪
レアリティ:ユニーク
装備条件:レベル40
性能:
・HP+200
・MP+50
・【元素の盾】のMP予約コストを100%減少させる
・【元素の盾】を使用している間、あなたのダメージが10%増加する
フレーバーテキスト:
万物が生まれる以前、元素はただ一つの調和の中にあった。攻めるとは守ること。守るとは攻めること。その理を識る者のみが、この指輪を操る資格を得る」
その、あまりにも破格の報酬。
それに、掲示板は再び、熱狂の渦に飲み込まれていった。
そして、その熱狂の中心で。
ドローンの映像が、最後の光景を映し出した。
ボスが消滅したことで、礼拝堂を覆っていた禍々しい紫色の瘴気が、ゆっくりと、しかし確実に晴れていく。
腐敗の領域は閉じて、正常なダンジョンに戻っていく。
そして、その浄化された光の中を、鬼塚率いるD-SLAYERSが、その傷だらけの体を支え合いながら、ゆっくりと、しかし確かな足取りで、帰還していく。
英雄たちの、帰還である。




