第296話
F級、E級といった低ランクダンジョンには、未だに一攫千金を夢見る高ランク探索者たちが殺到し、前代未聞の人口密度を記録し続けている。だが、その一方で。
よりクレバーな、あるいはより臆病な探索者たちは、その熱狂から一歩距離を置き、この新たな現象の「本質」を見極めようとしていた。
彼らの戦場は、ダンジョンではない。
情報の海、日本最大の探索者専用コミュニティサイト『SeekerNet』、そのクラフト専門の掲示板だった。
◇
【SeekerNet 掲示板 - クラフト総合スレ Part. 215】
311: 名無しのD級(在庫整理中)
おい!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
お前ら、ちょっと待て!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
俺、今とんでもないことを発見しちまったかもしれん!!!!!!!!!!!!!!!
インベントリで、アイテムが勝手に変化したんだが!誰か、助けてくれ!!!!!!!!!!!!!!!
312: 名無しのC級ヒーラー
311 落ち着け。どうしたんだ?
また、変なMODが付いたゴミレアでも作ったのか?
313: 名無しのD級(在庫整理中)
312 違う!違うんだよ!
俺、さっきまでD級の墓地でエッセンス狩りしてたんだ。
で、インベントリがゴチャゴチャしてきたから、ちょっと整理しようと思ってな。
同じ種類の【悲嘆のエッセンス(恐怖)】が3個あったから、それを一つにまとめようとしたんだよ。
そしたらな…。
彼は、そこで一度言葉を切った。
スレッドの全ての住人が、固唾を飲んで彼の次の言葉を待っていた。
314: 名無しのD級(在庫整理中)
3個のエッセンスが、いきなりまばゆい光を放って消えちまったんだよ!
そして、その場所に、見たこともねえ新しいエッセンスが1個だけ、ポツンと残されてやがった!
これだ!
[画像:インベントリ内でTier2を示す、より豪華な装飾が施された【絶叫のエッセンス(恐怖)】が一つだけ輝いているスクリーンショット]
315: 名無しのビルド考察家
……………は?
316: 名無しのクラフトマニア
…おい、待て。
まさかとは思うが…。
3個を、1個に…?
それって、つまり…。
317: 名無しのD級(在庫整理中)
ああ!
ARレンズで見たら、Tierが1から2に上がってやがった!
俺のアイテムが、勝手にアップグレードされたんだよ!
なんだよこれ!怖い!でも、すげえ!
そのあまりにも唐突な、そしてどこまでも偶然に満ちた発見、それが引き金となった。
スレッドは、爆発した。
『は!?』
『合成!?マジかよ!』
『おい、俺もやってみる!』
その書き込みを皮切りに、スレッドには、「俺もできた!」「マジだ!Tier2になったぞ!」という興奮に満ちた成功報告が、次々と投下され始めた。
混乱は、一瞬で熱狂へと変わった。
誰もが、この新たな「おもちゃ」に夢中になった。
F級の探索者たちは、なけなしのTier1エッセンスを3つ集めては、初めて見るTier2の輝きに歓声を上げる。
C級のクラフターたちは、その法則性を即座に理解し、Tier3、Tier4の生成に次々と成功させていく。
スレッドは、もはやただの掲示板ではない。
世界の叡智がリアルタイムで結集し、一つの巨大な謎を解き明かしていく、最高の共同研究の場と化していた。
『Tier4できたぞ!Tier1が、27個必要だった!』
『ってことは、Tier5には81個かよ!遠いな!』
『Tier6は、243個…?気が遠くなるな…』
『でも、夢がある!これなら、俺たちでもいつかは最高位のエッセンスを、この手で作り出せるかもしれねえ!』
そのあまりにも健全で、そしてどこまでも希望に満ちた熱狂。
誰もが、この新たな「合成を楽しむ」という祭りに酔いしれていた。
誰もが、この世界の新たな可能性の扉が、自分たちの手によって開かれたのだと信じていた。
そのあまりにも平和で、そしてどこまでも楽観的な空気。
それが、唐突に、そしてあまりにも無慈悲に断ち切られることになる。
その書き込みが投下されたのは、合成の祭りが最高潮に達した、まさにその時だった。
一つの新たなスレッドが、全ての探索者の目に、その存在を焼き付けた。
そのタイトルは、シンプルだった。
だが、その奥には、世界の理そのものを嘲笑うかのような、絶対的な「格」の違いが滲み出ていた。
【スレッドタイトル:…おい。これ、見てくれ。】
投稿主は、匿名のA級探索者。
そして、そのスレッドに貼り付けられていたのは、たった一枚のスクリーンショットだけだった。
そこに表示されていたのは、もはや人間の理解を超えた、神々の領域のテキストだった。
【慟哭のエッセンス(憎悪)】
スタック数: 1 / 9
Essence Tier: 7
ノーマルアイテムをレアアイテムにアップグレード、またはレアアイテムをリフォージし、保証されたモッドを1個含むレアアイテムにする。
矢筒, 兜, 鎧, 靴, 手袋, ベルト, 盾: 冷気耐性 +(46–48)%
弓, スタッフ, 両手剣, 両手斧, 両手メイス: (134–184)から(270–313)の冷気ダメージを追加する
ワンド, 鉤爪, 短剣, 片手剣, 刺突剣, 片手斧, 片手メイス, セプター: (73–100)から(147–170)の冷気ダメージを追加する
アミュレット, 指輪: 冷気ダメージが(31–34)%増加する
静寂。
数秒間の、絶対的な沈黙。
それまでTier4の生成に成功したと、子供のようにはしゃいでいたC級クラフターたちのコメントが、ぴたりと止んだ。
誰もが、そのテキストの意味を、そしてその隣に添えられた「Tier: 7」という数字の本当の重みを、必死に理解しようとしていた。
そして、その沈黙を破ったのは、いつものあの百戦錬磨のベテランたちの、戦慄に満ちた声だった。
815: ハクスラ廃人
…はっ、笑わせる。
俺たちが729個のTier1エッセンスを集めるという途方もない作業計画を立てている、まさにその裏側で。
A級の誰かは、これをただの一度のドロップで拾って、一瞬で神になるってか。
くだらねえ。
だが、これが現実だ。世界の理不尽さが、また一つ証明されただけだ。
821: 元ギルドマン@戦士一筋
…本物だ。間違いない。
T1の追加冷気ダメージ確定…。冗談ではないな。これ一つで、武器の価値が数千万は変わる。
市場が、壊れるぞ。
828: ベテランシーカ―
皆さん、落ち着いてください。
ですが、これは看過できない事態です。
このアイテムの存在は、ビルド構築の前提条件を根底から覆します。
これからは、「このエッセンスを持っているかいないか」で、探索者の『格』が明確に分かれることになるでしょう。
そのあまりにも圧倒的な、そしてどこまでも残酷な事実に、SeekerNet全体が、静かな、しかし深い衝撃に包まれた。合成の祭りを楽しんでいた者たちの無邪気な熱狂は、この一枚のスクリーンショットを前にして、完全に沈黙した。後に残されたのは、絶対的な力の存在を前にした純粋な畏怖と、そして自らの現在地を思い知らされたことによる、静かな戦慄だけだった。世界の天井は、自分たちが思っていたよりも遥かに高く、そしてあまりにも残酷な場所に存在したのだ。