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第289話

【日米合同冒険者高等学校 - 大講義室】


月曜日の午後。

西新宿の空から差し込む柔らかな光が、巨大な階段教室の窓を白く染めていた。

数百人の若者たちの視線が、教壇に立つ一人の初老の男性へと注がれている。

歴史学者であり、元A級探索者でもある石川講師。彼の静かな、しかしどこまでもよく通る声が、生徒たちの知的好奇心を刺激していた。


「――さて、前回の続きだ」

石川は、ARパネルを操作し、巨大なホログラムモニターに一枚の年表を映し出した。

「F級ダンジョンが発見され、それを攻略し、E級ダンジョンが攻略され、D級ダンジョンが攻略されました。ここまで、ダンジョンが出現してから、わずか3ヶ月。人類は、驚異的な速度で、この新たな世界のルールに適応していった」

「特に、D級ダンジョンでポータルスクロールが大量にドロップし始めたことで、長らく続いていたポータルスクロールの不足問題は、完全に解決されました。これにより、探索者たちの活動範囲は飛躍的に広がり、誰もが、このまま人類は順調にダンジョンの深淵を解き明かしていくのだと、そう信じて疑わなかった」

「この時点で、ダンジョン攻略を国家戦略の柱としていたのは、アメリカと日本だけ。他国は、依然としてゲートを封鎖している状態でした。そして、魔石(ませき)の万能性が知れ渡り、世界のエネルギー問題の解決の糸口が見えてきたという、希望に満ちた状況。軍事用のトランシーバーのバッテリーを魔石(ませき)で瞬時に充電するという裏技は、やがて民生品にも応用され、魔石(ませき)ブースターの試作品が登場して、スマートフォンの消費電力を大幅に抑える仕組みも、この時期に開発された。まさに、バラ色の未来が約束されているかのような、黄金の時代だった」


彼の語る、黎明期の熱狂。

それに、生徒たちの間から、感嘆のため息が漏れる。

静と美咲もまた、その希望に満ちた時代の空気を、まるで自らが体験しているかのように、その肌で感じていた。


「そう。誰もが、浮かれていた」

石川の声のトーンが、変わった。

それは、歴史を語る学者のそれから、一つの悲劇を語る吟遊詩人のそれへと。

「さて、皆さん。今回の話が、見えてきましたね?」

「そうです。B級の呪いです」

「F、E、Dと、三つのランクを立て続けに制覇したアメリカと日本の政府は、正直に言って、完全に調子に乗っていました。『ダンジョンなど、もはや我々の敵ではない』と。そんな、傲慢な空気が、世界を支配していた」

「そして、その傲慢さへの罰であったのか、あるいは神々の気まぐれな試練であったのか。ダンジョン出現からちょうど3ヶ月が経過した、ある日。東京と、アメリカのネバダ砂漠に、新たなゲートが出現したのです。**B級のダンジョンゲート。ちなみに、下位ですら、これまでのどのゲートとも比較にならないほどの、禍々しいオーラを放っていました」


彼は、そこで一度言葉を切ると、どこか皮肉な笑みを浮かべた。

「当時の宗教団体は、これを『神が与えたもうた、次なる試練の門』だと、声高に叫びました。『ダンジョンを設置したのは、聖書の神や、自国の神話の主神である』というのが、今の宗教団体の定説ですが、この時にはもう、その思想は根付いていたのです。まあ、そのせいで**後々、大波乱がありますが、今回は置いておきますね。**全く、神々というのは、親切なことですね」


その、あまりにもブラックなジョーク。

それに、教室からくすくすと笑いが漏れた。


「そして、その『試練の門』を、日米の合同鑑定チームが、意気揚々と鑑定した。だが、そのモニターに映し出されたテキストを読んだ瞬間、彼らの自信は、絶望へと変わりました」

石川は、モニターに、その運命の一文を映し出した。

それは、あまりにもシンプルで、そしてどこまでも残酷な、世界の新たなルールだった。


「B級ダンジョンに入ると、全耐性-30%の世界の呪いを受ける」


静寂。

講義室が、水を打ったように静まり返った。

生徒たちは、息をすることも忘れ、ただその絶望的な一文を、見つめていた。


「これに、衝撃を受けました。-30%の耐性低下。今の君たちには、ピンと来ないかもしれない。だが、当時の探索者たちが、どれほどの絶望に叩き落とされたか。それを、理解してもらう必要がある」

「まず、-30%耐性の脅威。それが、何を意味するのか。C級のゴブリンシャーマンが放つ、小さな火の玉。これまでの君たちであれば、少し火傷する程度で済んだだろう。だが、耐性が-30%された状態でそれを食らえばどうなるか。君たちの腕は、肘まで焼け爛れ、二度と剣を握れなくなるかもしれない。D級の骸骨兵が振るう、錆びついた剣。これまでなら、鎧が弾き返してくれた一撃が、君たちの心臓を、容易く貫くことになる」

「つまり、これまで築き上げてきた全ての『常識』が、通用しなくなる。それこそが、この呪いの、本当の恐ろしさだったのです」


「だが」と彼は続けた。

「今の君たちには、その対策がある。いくつもの、選択肢がね」

彼は、モニターに、現在のB級探索者の、標準的な装備とパッシブツリーのデータを表示させた。

「今では、武器にソケットを開けてルーンを差し込むことで、耐性を稼ぐことができる。だが、これはB級ダンジョンからドロップするので、この時点ではまだ出来ません。」

「あるいは、全装備で耐性10%まで引き上げるという手もある。だが、これも、クラフト技術が未熟だった当時は、神話級のレア装備にしか付与されない、夢のようなMODだった」

「そして、最後の手段。**パッシブツリーで、小ノード5%、そしてキーストーン【ダイヤモンドスキン】で15%取る。**だが、これも、当時は広まっていませんでした」


彼は、当時のSeekerNetの掲示板のログを、モニターに映し出した。

そこには、黎明期のトップランカーたちの、あまりにも攻撃的で、そしてどこまでも傲慢な議論が、繰り広げられていた。


『は?耐性?そんなもんに、ポイント振る奴いるの?www』

『避けろよwww避けられない奴が、悪いんだろwww』

『**むしろ、貴重なパッシブポイントを、耐性如きに割くのは無駄という風潮でした。**火力こそが正義。やられる前に、やれ。それが、俺たちの時代の常識だったのさ』


「これもまた、時代の変化ですね」

石川は、しみじみとそう言った。

「だが、このB級の呪いの出現が、その常識を、一夜にして完全に破壊した」

「**さて、この事実が広まると、どうなったか。耐性装備の値段が、跳ね上がりました。**市場は、パニックに陥ったのです」

彼は、一枚のオークションハウスの取引履歴を、表示させた。

それは、何の変哲もない、マジック等級のローブだった。

付与されているMODは、たった二つ。『最大MP+15』と、『火耐性+10%』。


「これを見なさい。この、今の君たちなら見向きもしないようなガラクタ。これが、当時いくらで取引されたか、分かるかね?」

生徒たちが、固唾を飲んで見守る中。

彼は、その衝撃の数字を告げた。

「――100万円だ」

講義室が、どよめいた。

「**魔術師向けの耐性10%装備が、100万円まで高騰したと、記録されています。**一夜にして、耐性装備は、金よりも価値のある、戦略物資へと姿を変えたのです」


「そして、もう一つ。評価が、爆上がりしたものがある」

彼は、最後に、あのパッシブツリーのキーストーンを、再び表示させた。

【ダイヤモンドスキン】。

「それまで、誰もが見向きもしなかった、この地味な星。これが、突如として、救世主となったのです」

彼は、再び当時の掲示板のログを映し出す。

その空気は、先ほどとは一変していた。


『【神キーストーン】ダイヤモンドスキンさん、今まで馬鹿にしててすみませんでした』

『マジかよ…2Pで20%も耐性稼げるのは、神!』

『俺、今すぐリスペックしてくる!』


その、あまりにも手のひらを返したかのような熱狂。

それに、教室から笑いが漏れた。


「そうだ」

石川は、静かに、しかし力強く言った。

「B級の呪い。それは、我々人類に、最初の、そして最大の『敗北』を、与えた」

「だが、我々はそこから学んだ。力だけでは、この世界では生き残れないのだと。知恵と、勇気と、そして時には、自らの過ちを認める謙虚さ。それこそが、本当の強さなのだと」

「今日の授業は、ここまでだ。午後は、好きにしろ」

彼の、その静かな言葉。

それが、この日の授業の終わりを告げた。

生徒たちは、そのあまりにも重い歴史の真実を、その胸に刻み込み、そして自らの未来へと、その一歩を踏み出していく。

彼女たちの、本当の冒険は、まだ始まったばかりだった。

その輝かしい未来の始まりを、彼女たち自身だけがまだ知らない。


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