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第269話

【物語は一時3ヶ月後に移る】


【ワイドショー番組『ライブ!ダンジョン24』スタジオ】


 土曜日の午後10時。

 東京、湾岸エリアにそびえ立つ、民放最大手テレビ局の巨大なスタジオ。その一角は、三ヶ月前、あの世紀のオークションの熱狂を世界に伝えた時と同じように、静かな、しかしどこまでも深い感動の空気に包まれていました。

 メインキャスターを務める高島玲奈は、その美しい顔に、これまでにないほど穏やかで、そして心からの祝福の笑みを浮かべてカメラに向かって語りかけています。


「――こんばんは。『ライブ!ダンジョン24』です」

 彼女の声は、いつものようなプロフェッショナルな張りを潜め、どこまでも優しく、そして温かい響きを持っていました。

「今から、三ヶ月前。世界は、たった一つの神話級アーティファクトを巡る、歴史的なオークションに熱狂しました。【(とき)残響(ざんきょう)()懐中時計(かいちゅうどけい)】。その最終落札価格は、20兆円。我々の想像を遥かに超える、天文学的な数字でした」

 彼女の背後の巨大なメインモニターに、あの日の狂乱のオークションのハイライト映像が映し出される。兆単位のチップが飛び交う、神々の戦争。

「そして、その戦いを制したのは、EUのメディア王、アルフレッド・フォン・シュタインベルク氏。彼は、その全資産を投げ打ってでも、この懐中時計を手に入れたいと語っていました。その目的は、ただ一つ。『30年前に謎の失踪を遂げた、最愛の妻にもう一度会いたい』と…」

 スタジオの空気が、しんみりと、そしてどこか懐かしい感動に包まれる。

 ゲスト席に座る、元ギルド幹部の経済評論家、田中健介氏も、タレントのミカも、ただ黙ってその映像を見つめていた。


「当時、世界中の誰もが思いました。それは、あまりにも無謀で、そしてあまりにも儚い夢なのではないかと。ですが」と、玲奈は続けた。

 その声は、震えていた。

 だが、それは悲しみからではない。

 抑えきれない、歓喜からだった。

「――今夜、我々はその奇跡の結末を、皆様にお届けできることになりました」

「三ヶ月に及んだ我々の独占密着取材。その全てを、今夜、初めて公開いたします。これは、ただの探索者の物語ではありません。一つの、愛の物語です」


 そのあまりにも感動的なオープニングと共に、番組はVTRへと切り替わった。

 画面は、ヨーロッパのどこか、アルプスの山々に抱かれた美しい湖畔の風景を映し出す。


 ナレーター(落ち着いた、深みのある声):

「オークションを終えたアルフレッド・フォン・シュタインベルク氏(92)が、最初に向かった場所。それは、彼が一代で築き上げた巨大なメディア帝国の本社ビルではなかった。彼が向かったのは、スイスの片田舎にある、一軒の古びた山荘だった」


 画面には、蔦の絡まる美しい石造りの山荘と、その前に立つ一人の老人の後ろ姿が映し出される。彼の背中は、深く、そしてどこまでも孤独に見えた。


 ナレーター:

「ここは、彼が30年前に失踪した妻、エレナと最も多くの時間を過ごした、思い出の場所。彼の長い、長い旅は、ここから始まったのだ」


【VTR:山荘の内部。暖炉の火が、静かに揺らめいている】


 アルフレッドは、その暖炉の前に置かれた揺り椅子に深く腰掛け、その手に、あの銀細工の懐中時計を握りしめていた。

 彼は、震える指で、その蓋を開ける。

 そして、彼は目を閉じ、精神を集中させた。

【時の残響を聴く懐中時計】を使う。

 次の瞬間。

 彼の目の前の、何もない空間が、陽炎のように歪み始めた。

 そして、そこに青白い、半透明の光景が浮かび上がる。

 若き日の、アルフレッドとエレナの姿だった。

 彼らは、この暖炉の前で、ワイングラスを片手に、楽しそうに笑い合っている。

『アルフレッド、あなたったら。また仕事の話ばかり』

『すまない、エレナ。だが、このプロジェクトが成功すれば、我々は…』

『いいえ。今は、仕事の話はなし。ただ、この暖炉の火と、あなたの温もりだけを感じていたいわ』

 その、あまりにも幸せで、そしてどこまでも愛おしい過去の残響。

 それに、老いたアルフレッドの瞳から、一筋、涙がこぼれ落ちた。


 ナレーター:

「彼は、ただ思い出に浸るために、このアーティファクトを使ったのではない。彼は、その失われた過去の中に、彼女の行方へと繋がる、わずかな『手がかり』を探していたのだ」


 彼は、その山荘を皮切りに、ヨーロッパ中の思い出の地を巡り始めた。

 二人が初めて出会った、パリの小さなカフェ。

 彼が初めてプロポーズをした、ベネチアのゴンドラの上。

 その一つ一つの場所で、彼は懐中時計を使い、失われた時間の欠片を拾い集めていく。

 そして、彼はついに一つの重要な「記憶」へとたどり着いた。

 それは、彼女が失踪する、その数日前の出来事。

 彼女が、アルプス山脈の麓にある小さな村の教会で、一つの美しいサファイアのペンダントを、嬉しそうに眺めていた、その光景。

『素敵ね、これ。まるで、故郷の空の色のようだわ』

 その、彼女の何気ない一言。

 それこそが、全ての謎を解く鍵だった。


 ナレーター:

「彼のグローバルな情報網が、そのペンダントの行方を追った。そして、数週間の調査の末、ついに一つの信じられない事実が判明する。そのペンダントは、30年前、イタリアの小さな村の教会から、一人の身元不明の女性によって購入されていた。そして、その女性は、交通事故で記憶を失い、その村で保護され、今もなお、静かに暮らしているというのだ」


 ◇


【VTR:イタリアの、太陽が降り注ぐ、小さな村】


 石畳の路地。

 色とりどりの花が咲き誇る、窓辺。

 その、あまりにも平和な光景の中を、一人の老婦人が、買い物かごを手に、ゆっくりと歩いていた。

 その顔には、深い皺が刻まれている。

 だが、その穏やかな微笑みは、かつてのエレナの面影を、確かに残していた。

 彼女の胸元には、あのサファイアのペンダントが、静かに輝いている。

 彼女は、自らの過去を、何も覚えていない。

 ただ、この村で、親切な人々に囲まれ、穏やかな日々を送っているだけ。


 その彼女の前に、一台の黒塗りの車が、静かに止まった。

 中から現れたのは、アルフレッドだった。

 彼は、杖を突きながら、ゆっくりと彼女へと歩み寄る。

 そして、彼は震える声で、その名を呼んだ。

「…エレナ…」

 その声に、老婦人はきょとんとした顔で、振り返った。

「…どちら様でしょうか?」

 その、あまりにも無邪気な、そしてどこまでも残酷な一言。

 それに、アルフレッドの顔が、絶望に歪んだ。

 彼は、必死に訴えかける。

「私だ、アルフレッドだ!君の夫の!」

 だが、彼女はただ困ったように首を横に振るだけだった。

「…人違いではございませんか?私には、夫などおりません…」


 その、あまりにも悲しい、すれ違い。

 アルフレッドは、その場で膝から崩れ落ちそうになった。

 だが、彼はまだ諦めてはいなかった。

 彼には、最後の切り札が残されていた。

 彼は、その老婦人に深々と頭を下げた。

「…お願いです。ほんの少しだけ、お時間をいただけませんか」

「あなたに、お見せしたいものが、あるのです」


 ◇


 村の、小さな教会のベンチ。

 二人は、並んで座っていた。

 アルフレッドは、その震える手で、懐中時計を取り出した。

 そして彼は、残された全ての精神力を、その一点に集中させた。

 彼は、祈った。

 神にではない。

 自らの、愛の記憶に。

 そして、二人が最も幸せだった、若き日の思い出の光景を、その場に幻として映し出した。

 教会の、ステンドグラスから差し込む七色の光の中。

 青白い、半透明の光景が浮かび上がる。

 それは、数十年前の、この同じ教会。

 タキシード姿の、若き日のアルフレッド。

 純白のウェディングドレスに身を包んだ、若き日のエレナ。

 二人は、手を取り合い、誓いの言葉を交わしている。

 その、あまりにも美しく、そしてどこまでも幸せな、過去の残響。


「…これは…?」

 老婦人が、その光景に息を呑んだ。

 そして彼女の、その閉ざされていた記憶の奥深くで。

 何かが、音を立てて砕け散った。

 その「過去からのメッセージ」が、彼女の閉ざされた記憶の扉を、こじ開ける鍵となったのだ。

 彼女の、その穏やかだった瞳から、大粒の涙が、堰を切ったように溢れ出した。

 失われた、30年の時。

 その全ての記憶が、奔流となって彼女の魂を駆け巡る。

 そして彼女は、隣に座る老人の、その深く刻まれた皺だらけの顔を、見つめた。

 そして、彼女は言った。

 その声は、30年の時を超えて、彼の元へと届いた。


「――アルフレッド…」

「…あなたなのね…」


 その一言。

 それに、アルフレッドはもう何も言えなかった。

 ただ、その小さな体を、不器用な手つきで、しかしどこまでも優しく抱きしめるだけだった。

 二人の失われた時間が、今、再び動き始めた。


 ◇


【再び、『ライブ!ダンジョン24』スタジオ】


 VTRが、終わる。

 スタジオは、絶対的な静寂に包まれていた。

 高島玲奈も、ミカも、その目に大粒の涙を浮かべている。

 田中氏もまた、その眼鏡の奥で、静かに目頭を押さえていた。

 やがて、玲奈が震える声で、言った。


「…VTR、ご覧いただきました。アルフレッド・フォン・シュタインベルク氏と、その妻、エレナさん。二人の愛の物語は、こうして最高の形で、結ばれました」

 彼女は、そこで一度言葉を切ると、最高の笑顔で続けた。

「そして、今夜は、そのお二人が、この日本の、このスタジオに、特別に来てくださっています!」


 その言葉と共に、スタジオの巨大なセットの扉が、ゆっくりと開かれた。

 そして、そこから現れたのは、手を取り合って微笑み合う、一組の老夫婦の姿だった。

 アルフレッドと、エレナ。

 そのあまりにも幸せそうな二人の姿に、スタジオは、この日一番の、温かい拍手に包まれた。

 番組を通して、二人で仲良くインタビューに応じる。


「アルフレッドさん、エレナさん。この度は、誠におめでとうございます」

 玲奈が、尋ねる。

「エレナさん。30年ぶりに、記憶を取り戻された今のお気持ちは、いかがですか?」

「…はい」

 エレナは、その穏やかな声で答えた。

「まだ、夢を見ているようです。ですが、一つだけ確かなことがあります。私は、世界で一番の幸せ者です」

 彼女はそう言うと、隣に座る夫の手を、そっと握りしめた。

 その、あまりにも尊い光景。

 それに、スタジオの誰もが、涙した。


 そして、玲奈は最後に、アルフレッドへと尋ねた。

「アルフレッドさん。この奇跡の物語を、最後まで見届けてくれた日本の、そして世界の探索者たちに、何かメッセージはありますか?」

 その問いかけに、アルフレッドは深く、そして力強く頷いた。

 彼は、カメラの向こう側の、全ての人間へと語りかけるように言った。

 その言葉こそが、この長い、長い物語の、本当の結末だった。


「――ああ。この奇跡をもたらしてくれた、日本の探索者たちと、そしてあの夜、私の無謀な賭けを、静かに見守り、そして応援してくれた名もなき配信者とその視聴者たちに、心からの感謝を」

「君たちのその温かい声援がなければ、私は、この最後の賭けに勝つことはできなかっただろう。本当に、ありがとう」


 その、あまりにも真っ直ぐな、そしてどこまでも温かい感謝の言葉。

 その瞬間、JOKERの配信チャンネルのコメント欄が、爆発した。

『うおおおおお!俺たちのことだ!』

『JOKERさん、見てるか!あんたへの、メッセージだぞ!』

 その熱狂の渦の中心で。

 JOKERは、ただ一人、自室のタワーマンションで、その光景を静かに見つめていた。

 彼の口元には、いつもの不敵な笑みではなく、どこまでも穏やかで、そして優しい笑みが浮かんでいた。

 彼は、ただ一言だけ、呟いた。

 その声は、誰にも聞こえなかったかもしれない。

 だが、それは確かに、この世界のどこかにいる、あの老夫婦へと届いていたはずだ。


「――ああ。最高の、ショーだったぜ」



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