第263話
土曜日の午後10時。
東京、湾岸エリアにそびえ立つ、民放最大手テレビ局の巨大なスタジオ。その一角は、日本中の、いや世界中の探索者たちが、今この瞬間、最も注目する熱狂の中心と化していた。
『ライブ!ダンジョン24』。
週に一度、ゴールデンタイムに放送されるこのワイドショー番組は、ダンジョンという新たな日常と、そこに生きる英雄たちの光と影を、どこよりも早く、そして深く伝えることで、驚異的な視聴率を誇っていた。
スタジオは、本番特有の華やかで、しかしどこか張り詰めた空気に包まれている。無人のカメラが、油を流すように滑らかにスタジオ内を移動し、天井に設置された何百というLEDライトが、演者の顔に完璧な光を当てていた。
メインキャスターを務める高島玲奈は、その美しい顔にプロフェッショナルな笑みを浮かべ、手元のタブレットに表示された台本に、最終的な目を通している。今日の特集は、「新世代の台頭――冒険者学校、その光と影」。ゲストには、いつものように元ギルド幹部であり、ダンジョン経済評論家の第一人者である田中健介氏と、主婦層から絶大な人気を誇るタレントのミカが招かれていた。
「…それにしても、今の若い子たちは本当に大変ですよねぇ」
CM中、ミカが心配そうに呟いた。
「私、この前JOKERさんの配信を見ていたんですけど、彼ほどの天才ですら、A級の壁の前であれだけ苦戦するなんて…。うちの息子も最近、冒険者になりたいなんて言い出してるんですけど、正直、心配で…」
「ははは。ミカさん、それは少し過保護というものですよ」
田中氏が、人の良い笑みを浮かべて応える。
「確かに、A級の壁は高い。ですが、それを乗り越えた先には、我々旧世界の人間には想像もつかないほどの、富と名声が待っている。夢のある世界じゃありませんか」
「ですが、その夢を掴めるのは、ほんの一握りでしょう?」
「ええ、その通りです。だからこそ、面白い。だからこそ、我々は彼らの戦いに熱狂するのです」
そんな、いつものような和やかな会話。
それが、唐突に断ち切られた。
玲奈の耳に装着されたインカムから、ディレクターの、これまで聞いたことのないほど切羽詰まった声が、直接脳内に響き渡ったのだ。
『――高島さん!緊急速報です!ギルド最高幹部会から、レベル7の超極秘情報が、たった今、解禁されました!第一報、入ります!』
その声に、玲奈の背筋が凍る。
彼女のプロフェッショナルとしての経験が、これがただ事ではないことを告げていた。
CM明けまで、あと10秒。
彼女は、深く息を吸い込み、その表情を完璧なキャスターのそれに切り替えた。
スタジオの照明が、通常の色から、赤色の警戒色へと変わる。
メインモニターに、ギルドの公式紋章と共に『緊急速報』という物々しいテロップが、躍った。
「――おかえりなさいませ、『ライブ!ダンジョン24』です」
CM明け、玲奈の声は、一切の動揺を感じさせなかった。
「番組の途中ですが、たった今、国際公式ギルドから、極めて重要度の高い情報が入りました。予定を変更して、こちらを最優先でお伝えします」
彼女は、手元のタブレットにリアルタイムで表示された速報の第一報を、一字一句確かめるように、そして世界中の視聴者に届けるように、はっきりと読み上げた。
その声は、歴史の転換点を告げる、預言者のそれだった。
「国際公式ギルドが、これまでその存在を公にしていなかった、複数の神話級アーティファクトに関する情報の開示を、本日付けで決定したとのことです!」
「そして、その中には、近日中に公式オークションハウスへ出品される予定のものも含まれているという、衝撃的な情報も入ってきております!」
スタジオが、一瞬静まり返る。
そして次の瞬間、これまでのどのニュースよりも大きなどよめきが、波のように広がった。
玲奈は、そのスタジオの動揺を、プロの技術で制しながら、さらに続報を読み上げていく。
「まず、一点目!こちらは、トップランカーの間ではその存在が広く知られていましたが、公式な情報開示はこれが初めてとなります!」
モニターに、一つのあまりにも美しい指輪のホログラムが、荘厳なBGMと共に映し出された。一本の白金の線と、一本の黒金の線が、完璧な二重螺旋を描く、あの指輪。
【アニマとアニムスの円環】
「田中さん、これは…!」
「ええ、**広く知られているアーティファクトです。**ですが、こうして公式のテキストが公開されるのは、私も初めて見ます。これは、事件ですよ…」
田中氏の声が、わずかに上ずる。
玲奈は、そのテキストを読み上げた。
【アニマとアニムスの円環】
[画像:一本の白金の線と、一本の黒金の線。その二つが、互いを求め、そして補い合うかのように、完璧な二重螺旋を描きながら一つの輪を形成している指輪のイメージ。その表面には、継ぎ目が一切存在しない。]
名前:
アニマとアニムスの円環
(The Circlet of Anima and Animus)
レアリティ:
神話級 (Mythic-tier)
種別:
アーティファクト / 変容の指輪 (Artifact / Ring of Transfiguration)
効果:
この指輪を身に着けた者は、自らの魂が持つ二つの側面…すなわち『男性性』と『女性性』を、完全に、そして自在に、その肉体へと顕現させることができる。
術者の意志に応じて、その肉体は、遺伝子レベルから完全に再構築される。
身長、骨格、声、そして全ての生殖機能に至るまで、その変化は、神々の創造の御業と何ら変わるところのない、完璧なものとなる。
この変容は、術者が望む限り維持され、そしてまた、術者が望めばいつでも、もう一つの性の姿へと、瞬時に回帰することができる。
ただし、この変化は術者の魂の本質を変えるものではなく、あくまでその「器」としての肉体を、もう一つの可能性の姿へと変えるものに過ぎない。
フレーバーテキスト:
英雄は、男の目で世界を断罪し、
聖女は、女の心で世界を憂いた。
だが、彼らは、その半分の真実しか、知ることはない。
この円環を指にはめた者だけが、知る。
愛することの本当の意味を。
そして、愛されることの、本当の痛みを。
その、あまりにも詩的で、そしてどこまでも根源的な力。
それに、ミカが素っ頓狂な声を上げた。
「ええっ!?これってつまり、男の子が女の子に、女の子が男の子になれちゃうってことですか!?すごーい!」
「ええ、ミカさん。そういうことです」
田中氏は、深く頷いた。
「ですが、これはただの変身アイテムではありません。自らの魂の、もう一つの可能性を探求するための、究極の哲学的ツールなのです。世界の富豪や芸術家たちが、喉から手が出るほど欲しがっているというのも、頷けますね」
「ですが、高島さん!」
田中氏の声に、熱がこもる。
「本当の衝撃は、ここからです!今回、初のアーティファクトが2個同時に公開されるという、史上初の事態が起こっているんです!」
「なんと、ギルドは、これまで完全にその存在を秘匿してきた、二つの未知なる神話級アーティファクトの情報を、同時に解禁したのです!」
その言葉に、スタジオ中が、そして日本中が、息を呑んだ。
モニターの映像が、切り替わる。
次に映し出されたのは、一本の、あまりにも素朴な白樺の木の枝のような絵筆だった。
【幻創の絵筆】
「…絵筆、ですか?」
玲奈が、困惑の声を漏らす。
だが、その効果テキストが読み上げられた瞬間、その困惑は、絶対的な驚愕へと変わった。
【幻創の絵筆】
[画像:穂先が存在しない、ただの白樺の木の枝のような絵筆。だが、所有者がそれを握り、創造の意志を込めた時、その先端から七色の光の粒子が溢れ出す。]
名前:
幻創の絵筆
(PhantasmalBrush)
レアリティ:
神話級(Mythic-tier)
種別:
アーティファクト/空間投影具(Artifact/SpatialProjectionTool)
効果テキスト:
術者は、この絵筆を手に持ち、自らの精神力を少量消費することで、心に思い描いたイメージを空間へと投影する。投影された幻は、物理的な実体を持たず、あらゆる物体や生物を透過する。
幻は、術者の想像力の限りにおいて、完璧な視覚情報を再現する。また、術者の意志に応じて、幻に対応した音響や香り、そして温度や湿度といった環境情報すらも、限定された範囲内で再現することが可能である。
幻に触れた者は、その表面に触覚を感じることができるが、その感触は常に実体を伴わず、対象をすり抜ける。
幻の持続時間は、その規模と複雑さに応じて変動するが、術者が精神を集中させ続ける限り、最大で12時間維持される。
このアーティファクトは、直接的な物理・魔法ダメージを与えることや、物理法則を恒久的に書き換えることは、一切できない。その用途は、完全に平和的なものに限られる。
スタジオが、騒然となる。
「な、なんだこれは…!」
「夢を、現実に描く力…?」
その、あまりにもロマンに溢れた力。
それに、ゲストのミカが、誰よりも早くその価値を見出し、興奮したように叫んだ。
「いやー!凄い物が出てきましたね!」
「これ、やばくないですか!?例えば、ライブ会場でこれを使ったらどうなるんですか!?アーティストが、歌いながら自分の心象風景を、ステージに描き出すんですよ!?お客さんは、その歌の世界に、五感でダイブできるってことじゃないですか!」
「これは、芸術に大きな影響がある一品ですよ!はい!」
彼女のその、あまりにも的確で、そして熱狂的な指摘。
それに、田中氏も深く、そして興奮を隠しきれない様子で頷いた。
「ええ!ミカさんの言う通りだ!これは、世界のエンターテイメントの歴史を、根底から覆す!建築家は、完成前のビルの中をクライアントに歩かせることができる!歴史家は、失われた古代都市を、その場に再現できる!その可能性は、無限大だ!」
そのあまりにも壮大な、そしてどこまでも平和的な力の出現。
それに、スタジオは温かい、そしてどこまでも希望に満ちた熱狂に包まれた。
だが、その熱狂は、次に映し出された最後のアーティファクトによって、全く質の違う、畏敬と、そしてわずかな恐怖の念へと、その姿を変えることになる。
モニターに、最後に映し出されたのは、一つの美しい、しかしどこか物悲しい銀細工の懐中時計だった。
【時の残響を聴く懐中時計】
[画像:銀細工が施された、美しいアンティークの懐中時計。だが、その文字盤には針が存在しない。蓋を開けると、ただ静かに、その場所の過去の光景を映し出す。]
名前:
時の残響を聴く懐中時計
レアリティ:
神話級(Mythic-tier)
種別:
アーティファクト/過去観測具(Artifact/PastObservationTool)
効果テキスト:
術者は、特定の場所でこの懐中時計の蓋を開け、精神を集中させることで「時の残響」を観測することができる。
観測される過去の出来事は、物理的な実体を持たない幽霊のような映像として再生される。この映像には、当時の音や香りといった情報も、希薄ながら付随する。
術者は、この過去の残響に対して一切の干渉を行うことができず、ただ一方的に観測することしか許されない。
観測可能な過去の範囲(時代や、特定の出来事の指定)は、術者の精神力と集中力に、大きく依存する。精神力が低い、あるいは集中力が散漫な状態では、術者の意図とは無関係な、断片的な映像しか観測できない場合がある。
このアーティファクトは、過去を「改変」する力ではなく、ただ「知る」ための力をもたらす。
フレーバーテキスト:
歴史は、勝者によって書かれ、敗者と共に沈黙する。
書物に記された言葉は、あまりにも脆く、そしてあまりにも多くの嘘に満ちている。
だが、真実は、決して消えはしない。
全ての壁は、記憶している。全ての床は、覚えている。
王が流した涙の跡を。
英雄が吐いた最後の息を。
名もなき民草の、ささやかな笑い声を。
歴史とは、読み解くものではない。
ただ、その場所に満ちる沈黙の残響に、耳を澄ます者だけが聴くことのできる、声なき歌なのだ。
さあ、蓋を開けろ。
そして、聴け。
忘れ去られた、時の歌を。
静寂。
数秒間の、絶対的な沈黙。
その、あまりにも詩的で、そしてどこまでも人の心の琴線に触れる力。
それに、スタジオの誰もが、言葉を失っていた。
最初に、その沈黙を破ったのは、田中氏だった。
その声は、震えていた。
「…これは、大変興味深い品ですね」
彼は、ゴクリと喉を鳴らすと、続けた。
「**過去映像を幻影として体験出来るなどと…。**高島さん、ミカさん。我々探索者の間で、まことしやかに囁かれている一つの噂があります」
「それは、巷では公然と、公式ギルドが若返りの薬や女神の涙なんてS級ダンジョンではハズレなどと言われていましたが、まんざら嘘ではなかったみたいですね」
「S級、SSS級という神々の領域。そこでは、我々が血眼になって追い求めるような戦闘用のユニーク装備など、もはや何の価値も持たない。彼らが本当に求めているのは、こういう、世界の理そのものに触れるような、哲学的なアーティファクトなのだと…」
その、あまりにも衝撃的な、世界の裏側の真実。
それに、玲奈もミカも、ただ息を呑むことしかできなかった。
「ええ。まさに、夢のようなアーティファクトです」
田中氏は、そう言って深くため息をついた。
「ですが、問題はそこではありません」
玲奈が、我に返って尋ねる。
「しかし、これ、いくらになりますかね?」
その、最も下世話で、しかし最も重要な質問。
それに、田中氏は、評論家としての冷静な顔に戻り、その驚愕の鑑定結果を告げた。
「いやー、アニマとアニムスの円環に関しては、その特殊な需要を考えれば、1兆~5兆のレンジが妥当かなという感じですが…。」
「幻創の絵筆は、あくまで芸術面での貢献ですからね。戦闘には使えない。となると、価値は少し下がるでしょう。1兆ぐらいでしょうか…?」
「そして、【時の残響を聴く懐中時計】。これは…」
彼は、そこで一度言葉を切った。
そして彼は、そのとんでもない数字を口にした。
「これはもう、10兆円は硬いのでは?」
「じゅ、10兆!?」
玲奈が、悲鳴に近い声を上げる。
「ええ。考えてもみてください」
田中氏の声は、どこまでも真剣だった。
「例えばですよ。亡くなった家族の幻影に会えるとなれば、10兆円くらい簡単に払う人もいるのでは…?」
「あるいは、失われた古代文明の超兵器の設計図。伝説級アーティファクトの隠し場所。それを、この懐中時計で見つけ出すことができるとしたら?その情報がもたらす戦略的価値は、10兆円ですら安すぎるかもしれない」
「そして歴史を探索するツールとしても使える。これは、大変な物ですね」
そのあまりにも壮大で、そしてどこまでも説得力のある解説。
スタジオは、この日最高の、そしてどこまでも深い衝撃と、畏敬の念に包まれた。
高島玲奈が我に返ると、その興奮冷めやらぬ声で番組を締めくくった。
「…ということで、本日の『ライブ!ダンジョン24』、エンディングのお時間となってしまいました!ギルドが、新たな時代の扉を開いた!この歴史的な転換点から、我々は一瞬たりとも目が離せません!」
その日、日本中が、いや世界中が、三つの新たな「奇跡」の出現に、ただ熱狂していた。
JOKERの知らないところで、世界の歯車はまた一つ、大きく、そして確かな音を立てて回り始めていた。