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第261話

 翌日の午後。

 西新宿の空から差し込む柔らかな光が、日米合同冒険者高等学校の巨大な階段教室を、白く、そしてどこか神聖な雰囲気で満たしていた。

 数百人の若者たちの視線が、教壇に立つ一人の小柄な老人の姿へと注がれている。

 その男は、これまでの講師たちとは明らかに異質だった。

 着ているのは、講師らしいツイードのジャケットではない。油と煤で汚れた、年季の入った革の作業エプロン。その顔には深い皺が刻まれ、片方の目には、鑑定作業で目を酷使した者だけが着けることを許される、モノクル型の特殊なARレンズが輝いている。そして何よりも、その両の手。指は太く、爪の間は黒く汚れ、無数の火傷の痕と切り傷が、彼が歩んできた人生の過酷さを物語っていた。

 だが、その手は、まるで生き物のようにしなやかに、そして力強く、教壇の上に置かれた一つの古びた鉄のインゴットを、優しく撫でていた。


「――諸君、こんにちは」


 その声は、しゃがれていた。だが、その奥には、長年鉄と向き合い、炎と対話してきた者だけが持つことのできる、揺るぎない自信と、そしてどこか温かい響きがあった。

「ワシは、金定かねさだという。しがない、クラフト職人だ。君たちのような若者が剣を振るい、魔法を唱えている間、ワシのようなジジイは、薄暗い工房の中でひたすらに金床を叩き、オーブを眺めてきた。今日は、そんなワシの、ちっぽけな経験の中から、君たちがこの世界で生き抜くための、ほんの少しの『知恵』を授けようと思う」


 講義室の空気が、引き締まる。

 石川講師の歴史の授業とは、また質の違う、より実践的で、そしてどこか職人気質な空気が、その場を支配していた。


「今日のテーマは、これだ」

 金定は、ARパネルを操作し、巨大なホログラムモニターに、一つの禍々しい、しかしどこまでも美しいユニーク等級の両手斧の画像を映し出した。


「アイテムの『(かく)』を見抜け。――ただ、それだけだ」

「君たちは、ダンジョンに潜り、モンスターを倒し、アイテムを拾う。そして、それを換金所へ持ち込み、ギルドが提示した値段で売る。それが、君たちの『仕事』だと思っているだろう。…違うな」

 彼は、きっぱりと言い切った。

「それは、ただの労働だ。君たちは、自らが手にした『宝』の、本当の価値を知らないまま、ただそれを右から左へと流しているだけ。それでは、いつまで経っても三流のままだ。一流の探索者とは、戦闘能力だけではない。自らが手にしたアイテムの『格』を正確に見抜き、そして時には、自らの手でその価値を、何倍、何十倍にも引き上げることができる者。それこそが、この世界の本当の『勝者』なのだ」


 そのあまりにも本質的な、そしてどこまでも厳しい言葉。

 それに、生徒たちはゴクリと喉を鳴らした。

 静と美咲もまた、その言葉の重みを、その肌で感じていた。


「まず、基本の基本からだ」

 金定は、モニターの画像を切り替える。

 そこに表示されたのは、四つの異なる輝きを放つ、剣の画像だった。

 白く輝く、ノーマル等級。

 青く輝く、マジック等級。

 黄色く輝く、レア等級。

 そして、オレンジ色に輝く、ユニーク等級。


「レアリティ。これが、アイテムの価値を測る、最初の指標だ。ノーマルは、ただの素材。マジックは、少しだけ力が宿った石ころ。レアは、磨けば光る可能性を秘めた原石。そして、ユニークは、それ一つで世界の理を変えうる、神々の気まぐれな贈り物。ここまでは、いいな?」

 生徒たちが、こくりと頷く。

「だが、本当の価値は、そこにはない」

 金定の声のトーンが、変わる。

「アイテムの真価。それは、その魂に刻まれた**『MOD(特性)』**によって決まる」


 彼は、モニターに一つのレア等級の指輪の詳細な情報を、表示させた。

 そこには、六つの異なる能力値が、箇条書きで記されている。


「いいか、よく聞け。全てのマジック、及びレア等級の装備には、プレフィックスとサフィックスと呼ばれる、二種類のMODが付与される可能性がある」

「プレフィックスとは、主にお前らの『直接的な強さ』に関わる能力だ。この指輪で言えば、『最大HP+85』。あるいは、武器に付く『物理ダメージ+〇%』といったものが、これに当たる」

「対してサフィックスとは、主にお前らの『補助的な能力』に関わる。この指輪の『火耐性+42%』や、『筋力+52』といったものが、そうだ。攻撃速度や、クリティカル率も、これに含まれる」


「そして、このMODの数こそが、レアリティの『格』を決定づける」

 彼は、そう言うと、先ほどの四つの剣の画像を、再び表示させた。


「ノーマルは、MODなし。ただの、まっさらなキャンバスだ」

「マジックは、プレフィックスとサフィックスが、一つずつ。合計で、最大二つのMODが付く」

「そして、レア。これこそが、我々クラフターにとって、最高の素材であり、そして最高のギャンブルのテーブルだ。レア等級には、プレフィックスとサフィックスが、最大で3つずつ。合計で、六つのMODが付与される可能性があるのだ」


 その、あまりにもゲーム的な、そしてどこまでも奥深いルール。

 それに、生徒たちの目が、キラキラと輝き始めた。

 美咲が、隣の静に、ひそひそうと囁く。

「…すごい。私たちが昨日買った装備も、マジック等級だから、MODが二つ付いてたんだね…」

「うん。でも、レアになれば、その三倍の可能性があるってことだね…。奥が、深い…」

 静もまた、その無限の可能性に、心を躍らせていた。


「そして、ここからが本番だ」

 金定の声が、講義室の静寂を切り裂く。

「このMODを、いかにして自らの手で、生み出していくか。それこそが、クラフトの醍醐味だ」

 彼は、教壇の上に、一本の何の変哲もないノーマル等級の鉄の剣を、置いた。

 そして、その横に、いくつかの異なる色のオーブを並べていく。


「まず、これだ」

 彼が、最初に手に取ったのは、青白い輝きを放つ【変質(へんしつ)のオーブ】だった。

 彼は、そのオーブを鉄の剣に、そっと触れさせた。

 パリンという軽やかな音と共にオーブが砕け散り、その魔力が剣へと吸い込まれていく。

 そして、ただの鉄の塊だった剣が、淡い青色の光を放ち始めた。


「これが、全ての始まり。ノーマルを、マジックへと変える、変質のオーブだ。見ての通り、剣には二つのMODが付与された。『命中精度+20』と、『要求レベル-5%』。…まあ、ゴミだな」

 その、あまりにもあっさりとした評価。

 それに、教室から笑いが漏れた。


「じゃあ、このゴミをどうするか。ここで、次のオーブの出番だ」

 彼が次に手に取ったのは、常にその内部で液体が揺らめいているかのような【変化(へんか)のオーブ】だった。

 彼は、それを青く輝く剣へと、叩きつけるように使用した。

 剣の青い光が一度消え、そして再び、新たな輝きと共に灯る。

 付与されていたMODが、書き換えられたのだ。


「『最大MP+8』と、『敵を倒した時のマナ回復+2』。…また、ゴミだな」

 彼は、そう言って舌打ちした。

「だが、分かるか?この**【変化のオーブ】**こそ、我々クラフターにとって、最も身近で、そして最も多くの夢と絶望を生み出してきた、相棒であり、そして悪魔だ。このオーブを何百、何千と使い、ひたすらにMODを再抽選し続ける。そして、奇跡的な組み合わせ…いわゆる『神MOD』が生まれる、その一瞬を夢見る。それが、クラフトの基本だ」


「だが、お前たちのようなせっかちな若者には、もっと手っ取り早い方法もある」

 彼が次に手に取ったのは、黄金色の輝きを放つ【錬金術(れんきんじゅつ)のオーブ】だった。

 彼は、新たなノーマルの鉄の剣を取り出すと、そのオーブを、使用した。

 剣が、一瞬にして黄金の輝きを放ち、マジックを飛び越えて、レア等級へと昇格した。

 その剣には、四つのMODが付与されていた。


「これが、【錬金術のオーブ】。ノーマルを、一気にレアへと引き上げる、ハイリスク・ハイリターンなギャンブルだ。運が良ければ、これで一瞬にして、数百万の価値を持つお宝が生まれることもある。まあ、大抵は、このように中途半端なゴミが生まれるだけだがな」

 彼は、そう言ってその黄金の剣を、まるでガラクタでも見るかのように、テーブルの隅へと放り投げた。


「そして、最後がこれだ」

 彼が、最後に手に取ったオーブ。

 それは、どす黒い、しかしその奥に混沌とした宇宙を宿しているかのような、禍々しいオーブだった。

混沌(こんとん)のオーブ】。

 彼は、先ほど錬金術のオーブで生み出した、レア等級の剣を手に取ると、その混沌のオーブを、使用した。

 剣が、一度その輝きを失い、そして再び、全く新しいMODの組み合わせと共に、黄金の輝きを取り戻した。


「【混沌のオーブ】。レアアイテムのMODを、完全にランダムで書き換える、究極のギャンブル。まさに、神々のサイコロだ。これに、自らの全財産と運命を賭け、そして全てを失っていった愚かな英雄たちの物語は、数え切れないほどある」

 その、あまりにも重い言葉。

 それに、生徒たちはゴクリと喉を鳴らした。


「…とまあ、ここまでが、教科書通りのクラフトだ」

 金定は、そう言うと、そのモノクルのARレンズを、キラリと光らせた。

「だがな、この世界には、常に『例外』が存在する」

 彼の声のトーンが、変わる。

「君たちの中にも、いるかもしれないな。あるいは、これから出会うことになるのかもしれない。神々に愛された、あるいは、悪魔に魂を売った、特別な『才能』を持つ者たちが」

「彼らは、我々凡人とは違う。彼らは、このクラフトという不確定なギャンブルのテーブルで、常に『当たり』を引き続けることができる」

「**クラフトが良い結果が付くという、ユニークスキル。**その存在が、確認されている。もちろん、その力は万能ではない。**大抵、1日100回限定とか、そういう制約はあるらしいがな。**だが、その100回の試行の中で、彼らは我々が一生かかってもお目にかかれないような、奇跡の産物を、いともたやすく生み出していく」


 その、あまりにも衝撃的な真実。

 それに、美咲の心臓が、ドクンと大きく音を立てた。

 彼女の脳裏に、浮かぶのはただ一人。

 あの、不器用で、しかし誰よりも優しい、兄の姿だった。

(…お兄ちゃん)


「だから、覚えておけ」

 金定は、その静かな、しかし力強い声で、その日の授業を締めくくった。

「この世界は、不平等だ。才能ある者が、全てを手にし、そうでない者は、ただそのおこぼれに預かるしかない。だが、嘆くことはない。我々凡人には、凡人の戦い方がある。知恵を絞り、情報を集め、そして、自らの持てる全てのカードで、最高の勝負を挑む。それこそが、このクソッタレで、そしてどこまでも面白い世界の、本当の楽しみ方だと、ワシは思うがな」

「今日の授業は、ここまでだ。午後は、好きにしろ。だが、一つだけ言っておく」

 彼の瞳が、厳しい、しかしどこまでも温かい光を宿した。

「――クラフトは、用法・用量を守って、計画的にな」



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