第260話
西新宿の空を貫くかのようなタワーマンションの最上階。
その広大なリビングの、床から天井まで続く巨大な窓からは、宝石箱をひっくり返したかのような東京の夜景が一望できた。
神崎隼人――“JOKER”は、ギシリと軋む高級ゲーミングチェアにその身を深く沈め、目の前の漆黒のモニターに映し出された自らの魂の設計図…ネクロマンサービルドのステータスウィンドウを、静かに、そしてどこか満足げに眺めていた。
レベル25。
B級の主、【古竜マグマロス】との死闘を乗り越え、彼の二つ目の人生は、一つの大きな節目を迎えていた。
だが、彼の心は決して安住を許さなかった。
あの戦いは、あまりにもギリギリすぎた。
毒と、数の暴力。その二つのカードだけで、なんとか勝利をもぎ取ったに過ぎない。
この先に待ち受ける、B級中位、上位、そしてA級という神々のテーブル。
そこでは、今のこの中途半端な軍団では、一瞬で蹂躙されるだろう。
彼の魂は、渇いていた。
もっと、圧倒的な力を。
もっと、戦場そのものを支配する、絶対的な「理」を。
その彼の渇望を見透かしたかのような、あのS級ネクロマンサー『骸の女王』からの、謎めいたメッセージ。
『スペクター蘇生と、アニメイトガーディアンが、ついに解禁よ』
その言葉が、彼の脳内で甘美な呪詛のように反響していた。
「…スペクター蘇生?それに、アニメイトガーディアン?」
彼は、ARカメラの向こうに誰もいないことを知りながらも、つい、いつもの癖でそう呟いた。
聞いたことのない、単語。
だが、その響きには、彼のギャンブラーとしての魂を根底から揺さぶるような、未知なる可能性の匂いがした。
彼は、椅子を軋ませながら、古びたパソコンのキーボードへと、その指を伸ばす。
いや、違う。
彼の指は、キーボードではなく、配信アプリの起動ボタンへと伸びていた。
そうだ。
この謎は、俺一人で解き明かすよりも、あの最高の観客たちと共有した方が、よっぽど面白い。
それに、あの女王様も、きっとこのショーを、どこかで見ているはずだ。
彼は、配信のスイッチを入れた。
そのタイトルは、彼の現在の心境を、そのまま映し出していた。
『【雑談】レベル25になったし、次のビルド考える【女王様、見てるか?】』
そのあまりにも挑戦的で、そしてどこか甘えたようなタイトル。
それが公開された瞬間、彼のチャンネルには、通知を待ち構えていた数十万人の観客たちが、津波のように殺到した。
コメント欄は、期待と興奮の熱気で沸騰していた。
『きたあああああああ!』
『女王様、見てるか?www JOKERさん、完全に女王様のこと意識してるじゃんwww』
『スペクター?ガーディアン?なんだ、それ?新しいスキルか!?』
『B級ボスを倒したばかりなのに、もう次のビルド考えてるのかよ!この男の向上心、底が知れねえな!』
その熱狂をBGMに、彼はARカメラの向こうの観客たちに、気だるそうに語りかけた。
「よう、お前ら。見ての通り、今日は雑談だ」
彼の声は、どこまでも楽しそうだった。
「B級ボスは倒した。だが、正直、あれは運が良かっただけだ。もっと、安定して勝つための力が欲しい。それでだ」
彼はそこで一度言葉を切ると、最高のショーマンの笑顔で告げた。
「――俺のビルドの、新しい『先生』が、ヒントをくれたんだよ。スペクターと、ガーディアン。それが、俺の次なる一手らしい。だがな、俺はまだ、その意味を、何も知らねえ」
「だから、お前ら有識者に聞きたい。あれは、一体何なんだ?そして、どうやって使えば、俺のこの死者の軍団を、神の軍勢へと変えることができる?」
その、あまりにも素直な、そしてどこまでも挑発的な問いかけ。
それに、コメント欄の有識者たちが、待っていましたとばかりに、その豊富な知識を披露し始める。
元ギルドマン@戦士一筋:
…ほう。ついに、その領域に足を踏み入れるか、JOKER。
スペクターと、ガーディアン。
それは、ネクロマンサーというクラスが、ただの召喚士から、本当の「指揮官」へと変貌するための、最後の、そして最も重要な二つの鍵だ。
ハクスラ廃人:
ああ、その通りだぜ。
まず、スペクター蘇生。
こいつはな、お前が倒したモンスターの死体を、霊体として蘇らせ、自らの僕として使役するスキルだ。
ゾンビやスケルトンとは違う。
彼らは、生前の能力を、ほぼ完全に引き継いだまま、お前のために戦ってくれるんだ。
その、あまりにも強力な効果。
それに、コメント欄がどよめいた。
『マジかよ!』『じゃあ、ドラゴンを倒せば、ドラゴンを味方にできるってことか!?』
その、あまりにも無邪気な質問。
それに、ハクスラ廃人は呆れたように答えた。
ハクスラ廃人:
馬鹿野郎。そんな、単純な話じゃねえよ。
確かに、理論上は可能だ。だがな、スペクターとして蘇生できるモンスターのレベルには、お前のスキルレベルに応じた上限がある。
ベテランシーカ―:
ええ。ですから、スペクター運用の基本は、「数」ではなく「質」です。
戦場に応じて、最も有用な能力を持つモンスターを厳選し、その一体を、最高のサポーターとして活用する。
それこそが、一流の指揮官の戦い方なのです。
そのあまりにも的確で、そしてどこまでも深い解説。
隼人は、深く、そして静かに頷いていた。
そして、その議論の、まさにその中心へと。
一つの、ひときわ気品のある、しかしどこか見下したようなコメントが、投下された。
投稿主は、このショーの、もう一人の主役。
S級ネクロマンサー、『骸の女王』だった。
骸の女王:
…ふふっ。ようやく、始まったようね。私の、特別講義が。
いいでしょう、指揮官見習い。そして、そこにいる愚かな子羊たち。
この私が、直々に、その世界の理を教えてあげるわ。
その、あまりにも唐突な女王の降臨。
それに、コメント欄が、この日一番の熱狂に包まれた。
骸の女王:
ベテランたちの言う通り、スペクターは質が重要よ。
だが、今のあなたに必要なのは、火力ではない。
あなたの軍団に、欠けているもの。
それは、「安定性」と「継続性」。
だから、あなたはこれを使うの。
彼女は、そう言うと、二体のモンスターの画像を、コメント欄に貼り付けた。
一体は、猿のような姿をした、屈強な獣人。
もう一体は、同じく猿のようだが、より小柄で、その手にトーテムのような杖を握っている。
骸の女王:
左が、【カーネージ・チーフテン】。右が、【ホスト・チーフテン】。
どちらも、B級の森のダンジョンに生息する、ありふれた雑魚モンスターよ。
だが、彼らが持つ能力は、あなたの軍団を、神の領域へと引き上げる。
スペクター蘇生で、耐久力チャージ供給役一体と、狂乱チャージ供給役一体ずつ使うのよ。
カーネージ・チーフテンは、雄叫びを上げて、周囲の味方に【狂乱チャージ】を供給する。
ホスト・チーフテンは、そのトーテムで、味方に【持久力チャージ】を供給する。
これでチャージ供給されて、ゾンビ軍団はより強化されるわ。
分かるかしら?
あなたは、ただこの二体の猿を連れて歩くだけで、あなたのゾンビ軍団は、常に攻撃速度とダメージが上昇し、そして物理ダメージ軽減と全属性耐性が付与された、半神の軍勢へと変貌するのよ。
その、あまりにも鮮やかで、そしてどこまでも完成されたシナジー。
それに、隼人はただ感嘆するしかなかった。
骸の女王:
…そして、次が本題よ。
アニメイトガーディアン。
これは、もはやただのスキルではない。
あなたの「もう一体の、最高の装備スロット」よ。
彼女は、続けた。
その言葉は、もはやアドバイスではない。
絶対的な、女王からの命令だった。
骸の女王:
アニメイトガーディアンとは、装備品に命を与えて霊体を創造するスペルよ。
なんと、装備品の効果をもつ存在を作りだすの。
つまり、あなたがそのガーディアンにどんな装備を着せるかで、その性能は無限に変化する。
そして、今のあなたに必要なのは、火力ではない。
あなたの軍団を、さらなる高みへと導く、「支援」の力。
だから、あなたはこれを買いなさい。
彼女は、そう言うと、三つのユニーク装備の画像を、次々とスレッドに貼り付けていった。
骸の女王:
まず、頭装備のリアー・キャストを買いなさい。
なんと、この装備はプレイヤーおよび近くの味方のダメージが50%増加するという効果があるわ。
つまり、ゾンビ軍団のダメージ50%アップよ。
「は?インチキだろ、それ」
隼人が、思わず呟く。
それに、女王は楽しそうに答えた。
骸の女王:
そうね。インチキ装備よ。
100万円くらいで買えると思うわ。
次に、武器ね。断末魔というスタッフがあるの。
これは、近くの味方のダメージが18%増加するという効果を付与してくれるわ。
これは、50万円ね。
そして、手装備。アセナスの優しい接触。
これは、ヒット時に敵を時間連鎖の呪いで呪う。対象のアクションスピード…つまり攻撃速度や詠唱速度、移動速度ね、を15%減少させる。
また、対象の他のエフェクトの消失を40%遅くする。
プレイヤーが付与したオーラ以外の呪いは、倒した敵から取り除かれない。
プレイヤーの呪いの影響を受けている死体の近くの敵は、盲目になる。
プレイヤーの呪いの影響を受けている死体の近くで倒された敵は、爆発し、そのライフの3%を物理ダメージとして与える。
その、あまりにも複雑で、そしてどこまでも凶悪な性能の羅列。
それに、隼人はゴクリと喉を鳴らした。
「…強いな。で、いくらだ?これだけ性能てんこ盛りなら、さぞ高いだろ?」
骸の女王:
ええ。2000万円って所ね。
レベル25からドロップするけど、ドロップレートが低いユニーク装備なのよ。
さらに、腐敗のオーブで腐敗させて、呪いを追加で与えるようにするテクニックも存在するけど、とりあえず無視していいわ。
その、あまりにも完璧で、そしてどこまでも金のかかるビルドの設計図。
それに、隼人はもはや笑うしかなかった。
「…なるほどな。金さえあれば、神にでもなれるってわけか」
彼は、そう呟いた。
そして彼は、自らの資産を確認する。
数千万円。
確かに、大金だ。
だが、この神々の装備を全て揃えるには、まだ少しだけ足りない。
だが、彼の心に、迷いはなかった。
「やべーな、これ。レベル28まで上げるのが、楽しみになってきたぜ」
彼の、そのあまりにも前向きな、そしてどこまでも楽しそうな一言。
それに、コメント欄がこの日一番の熱狂に包まれた。
彼の、新たな人生。
その本当の「蹂躙」が、今、始まろうとしていた。
彼の魂は、その果てしない可能性の前に、これ以上ないほどの歓喜に、打ち震えていた。