第258話
その日の午後。
彼の配信チャンネルに、一つの新たなショーの幕開けを告げるタイトルが表示された。
それは、彼の揺るぎない自信と、そしてこれから始まるショーへの絶対的な自信を、これ以上ないほど雄弁に物語っていた。
『【ネクロマンサーLv.20】B級ダンジョン【古竜の寝床】初見プレイ』
そのタイトルが公開された瞬間、彼のチャンネルには、通知を待ち構えていた数十万人の観客たちが、津波のように殺到した。
コメント欄は、期待と興奮と、そしてそれ以上に大きな不安が入り混じった、熱狂の坩堝と化していた。
『きたあああああああ!』
『B級!?マジかよ!ネクロで!?』
『レベル20でB級は、自殺行為だぞ!JOKERさん、正気か!?』
『いや、でもあの人なら…。何か、考えがあるはずだ…!』
『さて、ネクロマンサービルドがどこまでやれるか気になるな』
その熱狂を背中に感じながら、隼人は転移ゲートへと向かった。
彼が選んだ次なる戦場。
それは、かつて彼の戦士ビルドがその真価を証明し、そして自らの庭へと変えた、あの灼熱のテーブルだった。
彼がゲートをくぐった瞬間、彼の全身を、むわりとした熱気が包み込んだ。
硫黄の匂い。
そして、遠い雷鳴のような地響き。
この感覚は、よく覚えている。
そして彼は、その魂に直接冷たい枷がはめられたかのような、不快な感覚を、再び味わった。
【世界の呪いを受けました】
【効果: 全ての属性耐性 -30% (永続)】
「…よう。ひさびさだな、このクソみてえな呪いも」
彼は、ARカメラの向こうの観客たちに、不敵に笑いかけた。
彼のステータスウィンドウに表示された全属性耐性の数値が、一斉に引き下げられる。
だが、彼の表情は少しも曇らなかった。
111%から30%を引かれても、75%。
上限値で、B級の雑魚の攻撃を耐えるには、十分すぎるほどの数値だ。
彼は、その確かな手応えを噛みしめながら、その灼熱の大地へと、最初の一歩を踏み出した。
◇
ダンジョンの内部は、広大な溶岩地帯だった。
足元には、赤黒く熱を帯びた岩盤がどこまでも続き、その裂け目からは、灼熱の溶岩が川のように流れている。
空気は乾燥し、呼吸をするだけで喉が焼けるようだった。
彼は、その過酷な環境の中を、慎重に歩みを進めていく。
そして彼は、ついにその軍勢と遭遇した。
広大な、台地。
その中央に、完璧な陣形を組んで彼を待ち受けていたのは、10体の**【竜人族の精鋭部隊】**だった。
その圧倒的な威圧感と、統率の取れた佇まい。
それは、彼が戦士として対峙した、あの時と何も変わっていなかった。
前衛には、巨大な塔の盾と戦斧を構えた【竜鱗の守護者】が二体。
その両脇を、二本の曲刀を携えた【竜血の剣士】が四体固めている。
そしてその後方、高台の上には、竜の骨で作られた長弓を構える【竜眼の射手】が二体。
さらにその背後で杖を構え、静かにこちらを観察している【竜の巫女】が二体。
タンク、アタッカー、スナイパー、ヒーラー、デバッファー。
完璧な、役割分担。
「…なるほどな。相変わらず、いやらしい布陣だ」
隼人は、ゴクリと喉を鳴らした。
だが、彼の瞳には恐怖の色はない。
ただ、最高の獲物を前にした狩人の光だけが、爛々と輝いていた。
彼は、ARカメラの向こうの観客たちに、そして目の前の竜の軍勢に、まるで旧友に再会したかのように、気安く声をかけた。
「――よう、ひさびさだな、【竜人族の精鋭部隊】」
そのあまりにも不遜な、そしてどこまでも場違いな挨拶。
それに、竜人たちが応えることはなかった。
彼らの答えは、ただ一つ。
暴力だった。
「グルオオオオオオオオオオッ!!!」
開戦の合図は、前衛の【竜血の剣士】たちの咆哮だった。
四体の剣士が、同時に地面を蹴る。
その動きは、もはや人間の目には捉えきれない、神速の領域。
彼らは四方から隼人へと殺到し、その手に持つ二本の曲刀で、嵐のような斬撃を叩き込んできた。
シュン、シュン、シュン、シュンッ!
無数の銀色の閃光が交差し、隼人の脆弱なローブの体を、寸断せんと迫り来る。
だが、隼人は動じない。
彼の脳内で、一つの命令が下された。
(――壁になれ)
彼の足元の影から、ずるりと七体のゾンビミニオンが、そのおぞましい姿を現した。
そして彼らは、主を守るためだけの、完璧な「肉の壁」を形成した。
ガキン、ガキン、ガキンッ!
剣士たちの猛攻が、ゾンビたちの腐った肉体に、そしてその奥にある硬い骨に、次々と叩き込まれる。
ゾンビたちの体は、確かに傷つき、そのHPバーをわずかに削られていく。
だが、彼らは決して倒れない。
パッシブスキルによって強化された、その圧倒的な耐久力。
そして、彼らを内側から支える【活力のオーラ】の、生命の奔流。
それが、彼らを不死の軍団へと変えていた。
そして、その壁の後ろ。
絶対的な安全地帯で。
指揮官は、その最初の、そして最も重要な一手を打った。
「――面白い。面白いじゃねえか」
彼は、不敵に笑った。
「じゃあ、いくぞ」
彼は、素早くデセクレートを唱える。
彼の足元に、禍々しい紫色の魔法陣が広がり、そこから数体の死体が、その骨の手を天へと突き出した。
そして、彼はその死体を供物として、次なる詠唱を始めた。
「――喰らえ」
スキル**【フレッシュオファリング】**。
死体が、赤い光と共に爆ぜる。
そして、その生命の奔流が、彼の七体のミニオンたちへと注ぎ込まれた。
その瞬間、彼の軍団が変貌した。
ウオオオオオオオオオオッ!!!
これまでとは比較にならない、力強い雄叫び。
彼らの動きが、明らかに速くなる。
その腐った腕を振るう速度が、神速の領域へと達する。
ミニオンにアタックスピード20%増加が付与された。
ミニオンにキャストスピード20%増加が付与された。
ミニオンに移動スピード20%増加が付与された。
これらの効果が、ゾンビ達に付与される。
そして、その加速した軍団が、反撃の狼煙を上げた。
「――行け」
彼の、冷徹な命令。
ゾンビ達は、速度を上昇させ、【竜鱗の守護者】に殴りかかる。
一体のゾンビが振るう骨の剣の一閃。
それが、前衛の守護者が構える巨大な塔の盾を捉えた、その瞬間。
ボフンッ!というくぐもった音と共に、盾が爆ぜた。
そして、その衝撃波が、守護者の背後にいた剣士たちを、そしてさらにその後ろの高台にいた射手や巫女たちをも、巻き込んでいった。
スプラッシュダメージ!
そして、その衝撃波を浴びた【竜人族の精鋭部隊】達は、全員が緑色の毒々しいオーラに包まれた。
全員が、毒になったのだ。
「グル…!?」
「ギシャ…!?」
タンクが攻撃を受けてるのに、スプラッシュダメージで自分達にダメージが入る様子を、彼らは混乱している。
そのあまりにも理不尽な、そして理解不能な現象。
それに、竜人たちの完璧だったはずの陣形が、初めて明確な動揺を見せた。
その光景を、隼人はただ静かに、そしてどこまでも楽しそうに眺めていた。
そして彼は、その混乱の渦の中心へと、さらなる混沌を投下する。
「おいおい、このままだと、そのまま倒せるぜ?」
「もうちょい、なにかして来ないのか?」
その、あまりにも不遜な挑発。
それに、竜人たちの怒りが爆発した。
だが、その怒りこそが、彼らの敗北を決定づける、最後の引き金となった。
彼らは、その統率の取れた動きを捨て、ただ目の前の憎き指揮官を殺すためだけに、無秩序な突撃を開始した。
だが、その無秩序な群れ。
それこそが、彼の死者の軍団にとって、最高の餌食だった。
主人公は、デセクレートを唱える。そして死体が出現し、それを材料にフレッシュオファリングを唱える。これを繰り返し、常にバフを与え続ける。
彼の指揮の下、7体のゾンビは完璧なフォーメーションを組み、その数の暴力とスプラッシュダメージで、竜人たちの軍勢を、一人、また一人と、確実に削り取っていく。
それになすすべなく、倒される【竜人族の精鋭部隊】達。
「…はっ」
隼人の口から、乾いた笑いが漏れた。
「ゾンビ、つえーな」
彼は、ARカメラの向こうの観客たちに、語りかける。
「戦士の時は、めちゃくちゃ苦戦したけどな。まあ、あの時はパッシブポイント、かなり余らせてたけど」
その、あまりにもJOKERらしい、どこか自慢げな一言。
それに、コメント欄が爆笑の渦に包まれた。
『wwwwwwwwwww』
『出た!JOKERさんの、後出し解説!』
『でも、マジで強い!ネクロマンサービルド、ここまでとは…!』
彼は、その声援に満足げに頷くと、最後の一体の竜人を、自らの【火の矢】で仕留めた。
そして彼は、ドロップしたおびただしい数のB級の魔石を手早く回収すると、この灼熱の洞窟の、さらに奥深くを見据えた。
「じゃあ、じゃんじゃん行くか」
彼の瞳には、もはやこの雑魚の群れなど映っていない。
そのさらに先。
このダンジョンの本当の主。
あの、古竜マグマロス。
その、巨大な影だけを、捉えていた。
「ボスが、問題だよなー」
彼は、独り言のように呟いた。
「ゾンビ軍団って、あのデカブツに勝てるのか?」
その問いかけに、答えられる者は、誰もいない。
彼自身ですら。
だが、その未知なる挑戦こそが、彼の魂を最高に高揚させていた。
彼の、新たな人生の、本当の「ショー」が、今、始まろうとしていた。