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第252話

 教壇に立ったのは、昨日と同じ、あの白髪の歴史学者、石川だった。

 彼は、その静かな、しかしどこまでもよく通る声で、その日の授業を始めた。


「――さて、昨日の続きだ」


 彼はARパネルを操作し、講義室の巨大なホログラムモニターに、二つの見慣れたユニークアイテムの画像を映し出した。【清純(せいじゅん)元素(げんそ)】と、【元素(げんそ)円環(えんかん)】。

 その画像に、教室のあちこちから「おっ」という声が漏れた。ほとんどの生徒が、昨日、あるいは今朝、雷帝ファンドの資金を元手に手に入れたばかりの「制服」だったからだ。


「昨日、E級ダンジョンの出現と、クラフトという概念の誕生について話した。そして、その混沌の中から、この世界のルールを決定づける、最初の『事件』が起こった」

 石川は、その二つのアイテムを指し示した。

「皆さんが今、当たり前のように装備しているこの二つのユニーク。これが、ダンジョン出現から約1ヶ月後。とあるE級ダンジョンで、名もなき一人の探索者によって、同時にドロップされた」

「そして、そのあまりにも強力なシナジー…MP予約コストの完全な踏み倒しという性能が判明した時、世界は震撼した。当時の政府と、まだ設立されたばかりだったアメリカのダンジョン管理委員会は、これを国家レベルの脅威、あるいは至宝と判断した。そして彼らは、その発見者に対し、一つの取引を持ちかけた」

 彼はそこで一度言葉を切ると、その衝撃の数字を告げた。


「――買い取り価格、それぞれ1000万円。二つ合わせて、2000万円だ」


 静寂。

 講義室が、水を打ったように静まり返った。

 そして次の瞬間、爆発した。


「に、にせんまん!?」

「嘘だろ!?俺たち、昨日15万で買ったぞ!」

「インフレ、ヤバすぎるだろ…!」


 そのあまりにも人間的な、そして切実な叫び。それに、石川は静かに頷いた。

「ああ、今の君たちからすれば、馬鹿げた金額に聞こえるだろうな。だが、当時は違った。ユニークアイテムの正確な産出率も、その価値も、まだ誰も分かっていなかった。そして何よりも、当時の冒険者の総数は、世界中でまだ千人にも満たなかった。その小さな世界において、この二つの装備がもたらす圧倒的な生存能力は、まさに『革命』だったのだ」


「そして、この一件が、世界のルールを大きく変えた」

 彼は、モニターの画像を切り替える。次に表示されたのは、一つの組織の荘厳な紋章だった。

「このあまりにも高額な取引を機に、日本とアメリカの両政府は、これまでの画一的な買い取り制度…つまり、ドロップ品を全て没収し、一律で一時金を支給するというやり方を、改めることを決断した。全てのドロップ品には、その価値に見合った『値段』を付けるべきだと。そして、そのあまりにも複雑で、そして巨大な市場を管理・運営するための、全く新しい専門機関が必要となった」

「それこそが、この組織の始まりだ」


 モニターに、その名が大きく映し出される。


【公式探索者ギルド】


「そうだ。君たちが今、当たり前のように所属しているこの巨大な組織は、たった二つの指輪と首輪を巡る、たった一件の取引から生まれたのだよ。まあ、後に政府機関から独立し、世界のダンジョンに関わる全てを仕切る巨大な怪物となるわけだが…その話は、また別の機会にしよう」

 石川は、そこで一度言葉を切ると、悪戯っぽく笑った。

 その顔は、もはやただの厳しい歴史学者ではない。未来を担う若者たちを、温かい目で見守る一人の先輩の顔だった。


「普通の学校だと、ここ、テストに出ますよ」

「…まあ、うちにはテストなんて野暮なものはありませんから、安心しなさい」


 そのあまりにも唐突な、そしてどこかズレたジョーク。

 それに、それまで緊張した面持ちで講義を聞いていた生徒たちの顔に、ふっと笑みがこぼれた。

 講義室は、この日一番の、温かい笑い声に包まれた。


 ◇


 講義が終わり、午後の自由時間。

 静と美咲は、二人並んで学食のテラス席に座り、遅めの昼食をとっていた。


「…すごかったね、今日の授業」

 美咲が、その大きな瞳をどこか遠い場所へと向けながら呟いた。

「私たちが昨日買ったあの指輪が、歴史を変えたんだね…」

「うん。なんだか、不思議な感じ」

 静もまた、深く頷いた。

 自らの指で輝くその小さな円環が、急にとても重く、そして尊いもののように感じられた。


 二人は、食事を終えると、その足で訓練用のダンジョンへと向かった。

 昨日よりも、確実に強くなった自分たち。

 昨日よりも、確かに広がったこの世界。

 その全てを、確かめるために。


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