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第235話

 

 翌日の昼下がり。

 西新宿の空は、どこまでも青く澄み渡っていた。

 神崎隼人――“JOKER”は、その青空の下、彼の人生において最も経験したことのない、奇妙な、しかしどこまでも温かい緊張感に、その身を包まれていました。

 彼の隣には、退院したばかりの、しかしその足取りは驚くほどしっかりとした、一人の少女がいた。

 彼のたった一人の妹、神崎美咲。

 彼女は、昨日までの入院着とは打って変わって、隼人がこの日のために用意した白いワンピースに身を包んでいた。その姿は、まるで病室という名の長い冬を越え、ようやく春を迎えた一輪の花のようだった。


「わあ、すごい人だね、お兄ちゃん」


 美咲は、新宿駅の雑踏の中で、子供のように目をキラキラと輝かせながら言った。

 一年以上、彼女が見てきたのは、無機質な病院の白い壁と、限られた数の人間だけだった。

 この、あまりにも無秩序で、そして生命力に満ち溢れた人の波。

 その全てが、彼女にとっては新鮮で、そして刺激的だった。


「…ああ。人混みは疲れるだろ。さっさと行くぞ」


 隼人は、ぶっきらぼうにそう答えながら、その小さな手をしっかりと握りしめた。

 はぐれないようにという、兄としての不器用な優しさ。

 それに、美咲はくすくすと楽しそうに笑った。


 彼らが向かったのは、ダンジョンではない。

 ましてや、ギルドの換金所でもなかった。

 彼がその目的地として選んだのは、一つの、あまりにもありふれた、そしてどこか懐かしい匂いのする場所だった。

 昔、家族四人でよく行っていたファミリーチェーン店。

 大通りから一本入った路地裏に、ひっそりと佇むその店構え。

 カラン、というドアベルの音と共に、二人はその思い出の場所へと足を踏み入れた。


 店内は、昼時を過ぎているにもかかわらず、多くの家族連れや学生たちで賑わっていた。

 子供たちの甲高い笑い声。

 母親たちの井戸端会議。

 そのあまりにも平和で、そしてどこまでも平凡な日常の風景。

 それに、隼人は少しだけ居心地の悪さを感じていた。

 だが、隣の美咲は、その全てが楽しいとでも言うかのように、その大きな瞳を輝かせていた。

 二人は、窓際のテーブル席へと案内された。

 そして彼らは、まるであの頃に戻ったかのように、他愛のない会話を楽しんでいた。


「わーい、ドリンクバーだ!私、メロンソーダにしようっと!」

「お前、昔からそればっかだな」

「だって、美味しいんだもん!お兄ちゃんは?」

「…俺は、コーヒーでいい」

「えー、つまんないの」


 その二人で楽しく食事した、何気ない時間。

 美咲は、ハンバーグの上の目玉焼きを、嬉しそうにフォークで突きながら言った。

「ねえ、お兄ちゃん。本当に私、冒険者になれるのかな?」

「…ああ」

「でも私、運動とか全然してこなかったし…。力もないし…」

「関係ねえよ」

 隼人は、きっぱりと言い切った。

「この世界で一番重要なのは、力じゃねえ。頭と、そして運だ。それさえありゃ、誰だって成り上がれる」

 彼の、その揺るぎない言葉。

 それに、美咲は少しだけ安心したように微笑んだ。


「…うん。私、頑張るね」

「だから、見ててね、お兄ちゃん」


 そのあまりにも真っ直ぐな瞳。

 それに、隼人はただ黙って頷き返すことしかできなかった。


 ◇


 食事を終えた二人が、次に向かった場所。

 それは、彼にとって全ての始まりの場所だった。

 都庁のすぐそばにそびえ立つ、ガラス張りの近代的な高層ビル。

 関東探索者統括管理センター。

 人生の一発逆転を夢見る者たちが、等しく最初に訪れるフロンティアへの入り口。

 そのあまりにも見慣れた光景。

 だが、今日の彼には、その全てが全く違う景色に見えていた。


 ビルの内部は、相変わらず多くの若者たちの期待と不安の熱気で、満ち満ちていた。

 隼人は、その光景をどこか懐かしむように眺めていた。

 数ヶ月前。

 自分もまた彼らと同じように、この場所で、なけなしの希望を胸に、自分の番を待っていたのだと。

 彼は、受付でユニークスキル判定の申請を済ませる。

 そして、渡された番号札を手に、美咲と共に空いている席へと腰を下ろした。


 やがて、長い待ち時間の後。

 ついに、美咲の番号が呼ばれた。

『777番の方、7番カウンターへどうぞ』

 そのあまりにも縁起の良い数字。

 それに、隼人は思わず笑みを漏らした。

(…やはり、こいつは持ってるな)


 二人が、指定されたカウンターへと向かう。

 そして、そのカウンターの内側にいた女性の顔を見て、隼人は思わず声を上げた。

 どこか、覚えのある顔だった。

 艶やかな栗色の髪。

 大きな、知的な瞳。

 そして、マニュアル通りの、しかしどこか人の良さを感じさせる笑顔。


「あ、あの…」

 隼人は、思わず尋ねていた。

「もしかして、前に俺を判定した人ですか?」


 そのあまりにも唐突な問いかけ。

 それに、女性職員は一瞬きょとんとした顔をした。

 そして彼女は、隼人の顔をマジマジと見つめ、次の瞬間。

 その顔を、ぱっと輝かせた。

 その笑顔は、もはやマニュアル通りのものではない。

 純粋な驚きと、そして喜びの色に満ちていた。


「ハイ!そうです!あれ、私です!」

 彼女の声が、わずかに上ずる。

「覚えていてくださったんですね!」


 そのあまりにも嬉しそうな反応。

 それに、隼人は少しだけ照れくさそうに頷いた。

「**もちろん、覚えてますよ。**あんたが、俺のこの狂った人生の、最初の証人だからな」

 彼の、その不器用な、しかしどこか詩的な言葉。

 それに、女性職員は頬をわずかに赤らめた。

「…それで、今日は何しに?」

 彼女は、咳払いを一つすると、プロの顔に戻り尋ねた。

「今日は、妹のユニークスキル判定ですね」

 隼人はそう言って、隣に立つ、少しだけ緊張した面持ちの美咲を紹介した。

「お兄さん、この人誰?」

 美咲が、不思議そうに尋ねる。

「ああ。俺のユニークスキルを判定した人が、この人だったんだよ」

 隼人は、続けた。

「ある意味、全ての始まりは、この人なんだ」


 そのあまりにも重い言葉。

 それに、女性職員は恐縮したように首を横に振った。

「いいえ、そんな…!」

「ですが、光栄です!A級探索者のJOKERさんを鑑定したのは、もうギルド内でも伝説になってるんですよ!『あの時の幸運の女神』なんて、呼ばれてるくらいですから!」

 彼女はそう言って、てへへと笑った。

 そのあまりにも人間的な反応。

 それに、隼人も美咲も、思わず笑みを漏らした。

 場の空気が、少しだけ和んだ。


「さて、じゃあ鑑定するから、手を見せて」

 女性職員はそう言って、美咲を促した。

 美咲は、こくりと頷くと、その小さな手をカウンターの上に置かれたスキル測定器の黒いパネルへと、そっと置いた。

 ひんやりとした感触。

 その瞬間。

 これまで、隼人が見てきたどの鑑定とも、比較にならないほどの現象が起こった。


 測定器の中央に埋め込まれた水晶が。

 まばゆい、黄金の光を放ち始めたのだ。

 それは、淡い光ではない。

 まるで、太陽そのものをその小さな水晶の中に凝縮したかのような、圧倒的な、そしてどこまでも神々しい光の奔流。

 そのあまりにも異常な光景に、待合室にいた全ての探索者たちが、一斉に息を呑み、そのカウンターへと視線を集中させた。


 そして、女性職員の目の前のモニターに、その結果が表示された。

 彼女は、その文字を読み上げようとして、言葉を失った。

 その顔は、蒼白だった。

 その瞳は、信じられないものを見たかのように大きく見開かれ、そして小刻みに震えていた。

 彼女は、何度も、何度も、モニターと目の前の小さな少女の顔を見比べた。

 そして彼女は、震える声で、ようやくその神の御名を口にした。


「そして、これは…」

「データベースにはあるけど…、まさか…」

「SSS級スキル…雷神(ライジン)


「ユニークスキル【雷神(ライジン)

[画像:漆黒の空をただ一本の完璧な黄金の稲妻が寸分の狂いもなく垂直に引き裂いている神々しくも静謐なアイコンのイメージ。]


 名前:

 雷神(ライジン)

(Raijin)


 レアリティ:

 ユニークスキル (等級:SSS)


 種別:

 パッシブスキル / 法則支配


 効果テキスト:

 このスキルを持つ者は、自らが操る雷の法則を完全に支配する。

 全ての「雷」属性を持つスキルのダメージロールは、その振れ幅を失い、常にその「最大値」として結果が確定する。


 また、術者が与える「感電」の効果は、■■■■■■■決して揺らぐことはない。

 この力は、術者の魂そのものに由来するため、いかなる代償も必要としない。


 フレーバーテキスト:

 他の神々は、サイコロを振る。

 雷神は、ただ命じるだけだ。」


「――?」

 女性職員は、そのあまりにも常識を超えた性能に、もはや言葉を失っていた。

 そして彼女は、そのスキルの本当の恐ろしさを説明してくれた。

「…ダメージロールが、常に最大値…。つまり、彼女の攻撃は、常に理論上の最高火力を叩き出し続けるということです…。運や確率といった、不確定要素が一切存在しない。…まさに、神の御業…」

 その、震える声での解説。


 それに、隼人はただ静かに、そして深く頷いた。

 その表情に、驚きの色はない。

 ただ、どこまでも深い納得の色だけが浮かんでいた。

 それに、まあ俺の妹だしなと、彼は納得した。


「やったー!SSS級だー!」

 その静寂を破ったのは、美咲のあまりにも無邪気な歓声だった。

 彼女は、その場でぴょんぴょんと飛び跳ね、兄の腕に抱きついた。

 そのあまりにも天真爛漫な喜びの姿。

 それに、隼人はようやく我に返った。

 そして彼は、その小さな頭を、不器用な手つきで、しかしどこまでも優しく撫でた。

 彼の、ギャンブラーとしての長い、長い、孤独な戦い。

 その全ての苦しみが、報われた瞬間だった。

 彼の本当の「物語」が、ここから始まろうとしていた。

 愛する妹と共に歩む、新たな、そして輝かしい道が。



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