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第232話

 

 日付:X月X日(木曜日)


 東京の空は、まるで世界のパワーバランスが一夜にして塗り替えられたことを象徴するかのように、重くそして静かな灰色の雲に覆われていた。

 だが、日本最大の探索者専用コミュニティサイト『SeekerNet』の内部は、その陰鬱な天候が嘘のように、昨日から続く異常なまでの熱狂と、そしてそれ以上に深いある種の「諦観」に支配されていた。

 全ての探索者の視線は、もはや一つの伝説となったスレッドに、その一点だけに注がれていたと言っても過言ではなかった。


【SeekerNet 掲示板 - 国際トップランカー専用フォーラム】


 スレッドタイトル: 【伝説誕生】オーディン所属ラグナル、ソロでA級神域を58秒でクリア【代理戦争終結】 Part.25


 昨夜、北欧のギルド【オーディン】が誇る最高の「処刑人」、ラグナル。

 彼がJOKERの出品した【背教者(はいきょうしゃ)】をその身にまとい、A級上位ダンジョン【天測(てんそく)神域(しんいき)】をソロで、しかも1分を切るという、常識では考えられないタイムで蹂躙した。

 その衝撃は、あまりにも大きかった。

 スレッドは、その神の御業を前にして、もはや賞賛の言葉すら失い、ただその絶対的な事実を呆然と受け入れるだけの、静かな空間と化していた。


『…終わったな』

『ああ、終わった。ライフスタッキングビルド、強すぎるだろ…』

『58秒て…。俺たちがパーティを組んで、10分を切るのがやっとだったあのダンジョンを…?』

『これが150億の力か…。金こそが、正義だったんだな…』


 そのどこまでも重く、そしてどこか虚しい諦観の空気。

 それを断ち切ったのは、一人の、常に最新の情報を追い続ける情報屋の絶叫だった。


 1812: 名無しの国際ウォッチャー

 おいお前ら!しんみりしてる場合じゃねえぞ!

 たった今、ギルドの最高幹部会から公式のプレスリリースが出た!

 これはマジでヤバい!歴史がまた動くぞ!


 そのあまりにも興奮しきった書き込み。

 それに、沈黙していたスレッドが再びざわめき始めた。

『は!?』『なんだ、今度は!?』

 その問いかけに答えるかのように。

 ウォッチャーは、震える指で一枚の公式文書のスクリーンショットをアップロードした。

 そこに表示されていたのは、この代理戦争の本当の「結末」を告げる、荘厳な、そして無慈悲なテキストだった。


【国際公式ギルド - 緊急プレスリリース】

 件名:A級探索者“ラグナル”のSS級への特例昇格に関する審議と、その採択について


 本日、ギルド最高幹部会は緊急の召集を行い、北欧ギルド【オーディン】に所属するA級探索者“ラグナル”氏のSS級への昇格に関する、特例審議を実施いたしました。

 同氏は先日、A級上位ダンジョン【天測(てんそく)神域(しんいき)】をソロで、かつ1分を切るという前代未聞の偉業を達成しました。これは、彼の卓越したプレイヤースキルと、そしてギルド【オーディン】の高度なビルド構築能力と戦略眼が完璧に融合した結果であり、その功績はSS級のそれに匹敵、あるいはそれ以上のものと評価されるべきです。

 以上の観点から、最高幹部会は全会一致で、ラグナル氏のSS級への昇格を正式に採択したことを、ここに発表いたします。

 新たなる英雄の誕生を、ギルド一同、心より祝福するものであります。


 国際公式ギルドは、ラグナルをSS級への昇格を検討し、それが採択されたのだ。

 そのあまりにも劇的な、そしてどこまでも政治的な決定。

 それに、スレッドは本当の意味で言葉を失った。


『…SS級…だと…?』

『特例昇格…?そんなの、ありかよ…』

『オーディンは、ただ最高の武器を手に入れただけじゃない。新たなSS級の英雄を、生み出したのか…』


 静寂。

 そして、その後に訪れたのは、絶対的な敗北の実感だった。


 ◇


【オーディン日本支部 - 作戦司令室】


 その頃、オーディンの作戦司令室は、静かな、しかしどこまでも深い勝利の祝賀ムードに包まれていた。

 ギルドマスターであるビョルンは、その氷河のように冷たい瞳で、巨大なホログラムモニターに映し出されたギルドの公式発表を、ただ静かに見つめていた。

 彼の口元には、満足げな、そして絶対的な王者の笑みが浮かんでいる。

 オーディンギルドは、ドヤ顔(どやがお)であった。


「…ふん。当然の結果だ」

 彼は、誰に言うでもなく呟いた。

「150億という投資は、確かに安くはなかった。だが、それによって我々は、新たなSS級の英雄と、そして何よりも、この世界のメタゲームにおける絶対的な『覇権』を手に入れたのだからな」

 彼のそのあまりにも傲慢な、しかし事実でしかない言葉。

 それに、副官であるイングリッドが静かに頷いた。


「ええ、ギルドマスター。これで当分、我々の優位は揺るがないでしょう」

「青龍もヴァルキリーも、完全に沈黙しています。彼らは完全に、『白旗』を上げたのです」

「ああ」

 ビョルンは頷いた。

「だが、油断はするな。奴らは決して諦めはしない。必ず、次なる一手を用意してくるはずだ。我々は常に、その先を行き続けなければならない」

 彼の瞳には、もはや目の前の勝利への陶酔はない。

 ただ、次なる、そしてより大きな戦いへの冷徹な計算だけが宿っていた。


 ◇


【青龍日本支部 - 本部】


 全く同じその瞬間。

 東京の別の場所にそびえ立つ黒い摩天楼の、その最上階。

 ギルド【青龍】の絶対的な支配者。

 その老獪な龍は、オーディンの勝利とラグナルのSS級昇格を告げるニュースを、ただ無言で、その玉座から見つめていた。

 彼の周りには、十数人の幹部たちが息を殺して、その言葉を待っている。

 部屋の空気は重く、そしてどこまでも冷え切っていた。

 他のギルドは、(くや)しさを(かく)せないでいた。


 やがて、その沈黙を破るかのように。

 一人の若い幹部が、恐る恐る口を開いた。

「…ギルドマスター。我々の敗北です。150億というあの最後の入札。我々の予算を、完全に超えていました。…申し訳ありません」

 そのあまりにも力ない謝罪の言葉。

 それに、ギルドマスターは、その目を閉じたまま、静かに、しかし力強く答えた。

 その声には、一切の感情がなかった。


「…謝罪は、不要だ」

「勝負は時の運。そして我々は、その運に見放された。ただ、それだけのこと」

 彼はゆっくりと、その瞼を開いた。

 その瞳には、敗北の悔しさではない。

 次なる戦いへの、静かな、そしてどこまでも深い闘志が燃え盛っていた。


「オーディンは勝った。そして彼らは今、勝利の美酒に酔いしれているだろう」

「だが、その勝利が彼らの最大の『油断』となることを、彼らはまだ知らない」

 彼はそこで一度言葉を切ると、その幹部たちへと、絶対的な命令を下した。


「――(つぎ)こそはこちらが、絶対(ぜったい)落札(らくさつ)する」

「そのための準備を始めろ。資産を集めろ。情報を集めろ。そして、オーディンの次の一手を常に予測しろ」

 彼のその静かな、しかし揺るぎない**決意(けつい)(いだ)く**。


「――我々の本当の戦いは、ここからだ」


 代理戦争は、まだまだ始まったばかりなのである。

 そのあまりにも不気味な宣戦布告。

 それに、幹部たちは深々と頭を下げた。

「御意」



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