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第228話

 

 西新宿の空は、まるでこれから始まる世界の激動を予感しているかのように、静かで、しかし、どこか不気味なほどの深い藍色に染まっていた。

 神崎隼人――“JOKER”は、自室の漆黒のハイスペックPC、【静寂(せいじゃく)(おう)】の前に座り、その滑らかなキーボードに指を置いていた。彼の心は、これ以上ないほどの、静かな、そして確かな闘志に満ち溢れていた。

 昨夜、彼は情報の海の中から、一つの「答え」を導き出した。

 ユニーク胴装備【背教者(はいきょうしゃ)】。

 その本来の市場価値は、およそ10億円。

 それは、彼のこれまでの人生では、想像すらできなかったほどの天文学的な数字。

 だが、今の彼にとって、それはもはやただの数字ではない。

 次なる、そして最高のギャンブルのための、最高の「賭け金」だった。


 彼は、ギャンブラーとして、そしてショーマンとして、この最高の素材をどう料理すべきか、その答えをすでに導き出していた。

 ただ、マーケットに流すだけでは、つまらない。

 この、神々のテーブルを、俺が、俺のやり方で、最高に面白く、かき乱してやる。

 彼の口元に、獰猛な笑みが浮かんだ。


 彼は、配信のスイッチを入れた。

 そのタイトルは、彼のその歪んだ、しかしどこまでも魅力的なエンターテイナーとしての精神を、完璧に映し出していた。


『【雑談】いらないユニーク、オークションに出してみる』


 その、あまりにも力の抜けた、そしてどこか不遜なタイトル。

 それが公開された瞬間、彼のチャンネルには、通知を待ち構えていた数十万人の観客たちが、津波のように殺到した。

 コメント欄は、期待と興奮と、そしてわずかな困惑が入り混じった、熱狂の坩堝と化していた。


『きたあああああああ!』

『いらないユニーク!?またかよ!』

『JOKERさんの「いらない」は、信用できねえからなwww』

『今日の生贄は、一体どんなお宝なんだ…?』


 その熱狂をBGMに、彼はARカメラの向こうの観客たちに、気だるそうに語りかけた。


「よう、お前ら。見ての通り、今日は金策配信だ」

 彼は、そう言うと、インベントリから、あの禍々しいオーラを放つ黒いローブアーマーを取り出した。

背教者(はいきょうしゃ)】。

 その、あまりにも異質で、そして美しい装備が画面に映し出された瞬間、コメント欄がどよめいた。

「昨日、クロノポリスで拾ったこいつ。俺のビルドとは、全く合わねえ。だから、売る」

 彼は、あまりにもシンプルに、そう告げた。

「まあ、そこそこ珍しいもんだとは思うがな。過去の履歴を見る限り、10億くらいで売れたこともあるらしい」


 彼の、そのあまりにもさらりとした、しかしとんでもない一言。

 それに、コメント欄が爆発した。


『は!?』

『じゅ、10億!?!?』

『嘘だろ…。そのガラクタみたいなローブが、10億の価値があるのかよ…!』

『JOKERさん、金銭感覚、完全にバグってるだろ…!』


 その熱狂を、彼は楽しむように眺めていた。

 そして彼は、このショーの本当の「見せ場」を、演出し始める。

 彼は、公式オークションハウスの出品画面を開いた。

 そして、彼はその開始価格の入力欄に、指を置いた。


「だがな、お前ら。10億で出品しても、面白くねえだろ?」

 彼の、その挑発的な一言。

 それに、視聴者たちが息を呑んだ。

「どうせなら、もっと、このテーブルを熱くさせねえとな」

 彼は、ニヤリと笑った。

 その顔は、最高のイカサマを仕掛ける、ギャンブラーのそれだった。


「――俺は、10億円という価値を確信しながらも、あえてその開始価格を、その10分の1の1億円に設定する」

「その方が、入札が白熱し、最終的に、より高い値が付く可能性に、俺は賭けたのだ」


 彼は、入力欄に、一桁少ない、しかしその意図を理解した者にとっては、あまりにも挑発的な数字を打ち込んだ。

『100,000,000 JPY』

 そして彼は、躊躇なく、出品ボタンをクリックした。


 出品された、その瞬間。

 その、あまりにも愚かで、そしてどこまでも計算され尽くした、道化師の一手。

 それが、世界の水面下で繰り広げられていた神々の戦争の、その様相を、完全に変質させることになる。


 ◇


【オーディン日本支部 - 作戦司令室】


 静寂。

 北欧の、ミニマルで機能的なデザインで統一された、広大な作戦司令室。

 その空気は、昨日までの敗北の屈辱と、次なる一手への焦燥感で、重く、そして冷え切っていた。

 ギルドマスターであるビョルンは、その氷河のように冷たい瞳で、巨大なホログラムモニターに表示された世界のマーケットの動向を、ただ静かに見つめていた。

 彼らが求める、最後のピース。

背教者(はいきょうしゃ)】。

 その出品を、彼らは24時間体制で待ち続けていた。

 だが、その気配は、一向にない。

 司令室には、諦観と疲労の色が、漂い始めていた。


 その重苦しい沈黙を、切り裂いたのは、一人の若いアナリストの絶叫だった。


「――ギルドマスターッ!!!!!」


 その、あまりにも切羽詰まった声。

 それに、司令室の全ての人間が、一斉に彼の方を振り返った。

 若いアナリストは、その顔を蒼白にさせ、そして、その瞳は信じられないものを見たかのように、大きく見開かれていた。

 彼は、震える指で自らの手元のモニターを、指し示した。


「出品、されました…!【背教者(はいきょうしゃ)】が、マーケットに…!」


 その報告に、司令室が凍りついた。

 そして、次の瞬間、熱狂の渦に包まれる。

「本当か!」「やったぞ!」「これで、青龍に勝てる!」

 だが、ビョルンは動じない。

 彼は、その氷の瞳で、出品の詳細を確認する。

 出品者、"JOKER"。

 開始価格、1億円。


「…面白い」

 彼の口元に、初めて笑みが浮かんだ。

 それは、獲物を見つけた北欧の狼の、獰猛な笑みだった。

「あの道化師…。我々の、足元を見ているのか。あるいは、ただの気まぐれか。…どちらでも、いい」

 彼は、静かに、しかし力強く、その唇を開いた。

 その声は、司令室の全ての空気を、震わせた。

「――戦争だ。全資産を、この一枚のカードに、注ぎ込め」


 ◇


【青龍日本支部 - 本部】


 全く同じ、その瞬間。

 東京の、別の場所にそびえ立つ黒い摩天楼の、その最上階。

 ギルド【青龍】の、絶対的な支配者。

 その老獪な龍の元にもまた、同じ報告が届けられていた。

 彼は、その報告を、目を閉じたまま、ただ静かに聞いていた。

 そして、彼は一言だけ、告げた。

 その声は、まるで地を這うような、低い、しかし絶対的な響きを持っていた。


「――始めろ」


 ◇


【公式オークションハウス - 入札履歴】


 JOKERが、出品ボタンを押した、そのコンマ数秒後。

 オークションハウスの入札履歴が、凄まじい勢いで更新され始めた。

 それは、もはや入札ではない。

 ただの、数字の洪水だった。


【入札者:Guild_Odin_Asset】

【入札額:5億円】


【入札者:Guild_Seiryu_Fund】

【入札額:7億円】


【入札者:Valkyrie_Capital_LLC】

【入札額:8億円】


【入札者:Guild_IronEagle_Corp】

【入札額:9億円】


 世界のトップギルドたちが、一斉に、そのテーブルへと、なだれ込んできた。

 そして、開始からわずか1分で、その入札額は、彼が本来の価値だと信じていた10億円を、あっさりと突破した。


『うおおおおおお!もう、10億超えたぞ!』

『なんだ、これ!なんだ、これ!』

『JOKERさん!あんた、とんでもないモンを、出品しちまったぞ!』


 コメント欄の、その絶叫。

 それを、JOKERは、ただ自室で、退屈そうに眺めていた。

 彼の耳には、イヤホンから流れるミニマル・テクノの、無機質なビートだけが響いている。

 彼は、その画面に表示された10億円という数字に、何の感慨も抱いてはいなかった。

 ただ、自らのギャンブルが思った以上の「熱狂」を生み出しているその事実に、わずかな満足感を覚えているだけ。

 彼の口元に、不敵な笑みが浮かんだ。

 彼は、ARカメラの向こうの狂乱する観客たちに、そしてこの世界の全てのプレイヤーに、告げた。

 その声は、この狂ったゲームを心の底から楽しむ、道化師のそれだった。


「…ほう。思ったより、早いな」

「だが、お前ら。ショーは、まだ始まったばかりだぜ?」


 彼の、その一言。

 それが、これから始まる本当の地獄の、そして最高のショーの幕開けを告げる、ファンファーレとなった。

 彼の、意図しないところで。

 世界の運命が、動き始めていた。




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