第223話
日付:X月X日(木曜日)
夜が明けた。
だが、日本最大の探索者専用コミュニティサイト『SeekerNet』の熱狂は、夜が明けてもなお、その勢いを衰えさせることはなかった。
A級上位ダンジョン【天測の神域】。
その、誰もが不可能だと思われた超難関ダンジョンを、日本の中堅ギルド【月詠】が、世界で初めて踏破した。
その事実は、日本の探索者たちの心に、大きな誇りと、そして確かな希望の光を灯していた。
【SeekerNet 掲示板 - A級探索者専用フォーラム】
スレッドタイトル:【祝・世界初】ギルド月詠、天測の神域を制覇!【日本の誇り】 Part.3
512: 名無しのA級ヒーラー
まだ興奮が冷めない…。昨日の月詠のクリア配信、リアルタイムで見てたけど、マジで鳥肌立ったわ。
特に、最後のボス戦。リーダーの、あの神がかった指揮。絶対に勝つんだっていう、執念を感じた。
515: 名無しのA級タンク
512
分かる。
俺も、見てて涙が出た。
俺たちみたいな、トップギルドに所属してない名もなきA級でも、知恵と、勇気と、そして何よりも仲間との絆があれば、世界の頂点に立てるんだって証明してくれたよな。
521: 名無しのビルド考察家
515
ああ。彼らのビルドは、決して最先端のものではなかった。
装備も、おそらくはB級上位からC級でドロップするような、ありふれたレア装備が中心だったはずだ。
だが、その連携は、まさに芸術の域だった。
タンクが完璧なタイミングでヘイトを取り、ヒーラーがそれを支え、そしてDPSが、そのわずかな隙に全ての火力を叩き込む。
個々の力では、決して世界のトップには及ばない。
だが、それを補って余りある完璧なチームワーク。
これぞ、日本のパーティプレイの真骨頂と言えるだろう。
スレッドは、そんな温かい賞賛と、そして自らのことのように勝利を喜ぶ連帯感に、満ち溢れていた。
日本の、小さなギルドが成し遂げた、大きな奇跡。
誰もが、その甘い余韻に浸っていた。
その平和な空気が、永遠に続くかのように思われた。
だが、その幻想は、あまりにもあっけなく打ち砕かれることになる。
その書き込みが投下されたのは、正午を少し回ったその時だった。
投稿主は、ヨーロッパサーバーからの情報を常に追いかけている、情報通の探索者だった。
601: 名無しの国際ウォッチャー
…おい、お前ら。
悪いニュースだ。
いや、ある意味では、予想通りのニュースと言うべきか。
その意味深な書き出しに、スレッドの空気がわずかに変わった。
602: 名無しのA級ヒーラー
601
どうしたんだ?何か、あったのか?
603: 名無しの国際ウォッチャー
602
ああ。
北欧の、あの『神々の軍勢』が動いた。
ギルド【オーディン】。
その日本支部が、たった今、クリアタイムを更新した。
その書き込みと共に、一枚のスクリーンショットがアップロードされた。
そこに表示されていたのは、目を疑うような、そしてどこまでも冷徹な、一つの「事実」だった。
【【天測の神域】攻略完了】
【クリアタイム:10分15秒】
静寂。
数秒間の、絶対的な沈黙。
スレッドの全ての動きが、ぴたりと止まった。
誰もが、その数字の意味を、理解できなかった。
15分28秒。
月詠が、血の滲むような努力の果てに叩き出した、あの世界記録。
それを、5分以上も短縮している。
それは、もはや「更新」ではない。
「蹂躙」だ。
やがて、その沈黙を破るかのように、一人の探索者が、震える声で呟いた。
610: 名無しのA級タンク
…ご、ふん…?
その、あまりにも素直な魂の叫び。
それが、引き金となった。
スレッドは、爆発した。
『うそだろ!?』
『5分短縮!?人間じゃねえ!』
『なんだよ、これ…。月詠の、あの死闘は一体何だったんだよ…』
『これが…これが、世界の壁か…』
『レベルが、違いすぎる…』
掲示板視点。そこには、驚愕と、わずかな諦観の空気が漂い始めていた。
これまでスレッドを支配していた、温かい祝福と連帯感。
それが、たった一枚のスクリーンショットによって、木っ端みじんに砕け散る。
後に残されたのは、絶対的な「格」の違いを見せつけられたことによる、深い、深い絶望感だけだった。
だが、その絶望の淵で、なおも食らいつこうとする者たちがいた。
この世界の、本当のプレイヤーたちだ。
625: ハクスラ廃人
…落ち着け、お前ら。
泣き言を言ってる暇があるなら、頭を使え。
なぜ、オーディンがこれほどのタイムを叩き出せたのか。
その「理由」を、分析しろ。
ログは、もう出てるはずだ。
その、あまりにも冷静な一言。
それに、スレッドの空気が再び引き締まる。
そうだ。
ただ絶望しているだけでは、何も始まらない。
彼らは、オーディンの公開された戦闘ログを、必死に分析し始めた。
そして彼らは、気づいてしまった。
自分たちとは、根本的に違うその戦術思想に。
638: 名無しのビルド考察家
…分かったぞ。
こいつら、ヒーラーがいない。
タンク一人、そして、残りの五人は、全員が火力に特化したアタッカーだ。
それも、ただのアタッカーじゃない。
全員が、お互いの火力を極限まで高め合うための、完璧なシナジービルドを組んでやがる。
645: ベテランシーカ―
ええ、その通りです。
一人が、敵の元素耐性を下げる呪いをかけ、一人が、味方の攻撃速度を上げるオーラを張り、そして残りの三人が、その全てのバフとデバフが乗った状態で、一斉に最大火力のスキルを叩き込む。
あまりにも、攻撃的。
そして、あまりにも、合理的。
回復など、必要ない。
敵が攻撃する前に、その存在ごとこの世界から消し去ればいい。
それが、彼らの哲学なのです。
その、あまりにも暴力的なまでの、そしてどこまでも美しい戦術。
それに、日本の探索者たちはただ戦慄するしかなかった。
これが、世界の頂点。
自分たちが、まだたどり着けていない、遥かなる高み。
だが、その日の衝撃は、まだ終わらない。
オーディンの、その圧倒的な記録が公開されてから、わずか数時間後。
スレッドに、再びあの国際ウォッチャーからの速報が投下された。
その内容は、もはや驚きを通り越して、ある種の「喜劇」ですらあった。
751: 名無しの国際ウォッチャー
…おい、お前ら。
笑う準備は、いいか?
752: 名無しのA級ヒーラー
751
…もう、何も驚かねえよ。
753: 名無しの国際ウォッチャー
752
いや、驚くね。
中国の、あの龍が動いた。
ギルド【青龍】。
クリアタイム、更新だ。
【【天測の神域】攻略完了】
【クリアタイム:10分05秒】
オーディンの記録を、さらに10秒上回っている。
その、あまりにも無慈悲な事実。
それに、スレッドはもはや絶望を通り越して、乾いた笑いに包まれた。
『wwwwwwwww』
『もう、何でもありだな、このダンジョンはwww』
『10秒てwww絶対に、オーディンを意識してるだろ、これwww』
そうだ。
もはや誰もが、理解していた。
これは、ただのタイムアタックではない。
世界の覇権を巡る、巨大なギルドたちのプライドを賭けた「戦争」なのだと。
そして、その戦争の本当の恐ろしさ。
それを、日本の探索者たちは、この後、目の当たりにすることになる。
ハクスラ廃人が、その戦闘ログを分析し、そして戦慄と共に、その事実を書き込んだ。
788: ハクスラ廃人
…おい、これ、マジかよ…。
青龍の、戦闘ログ、見たぞ。
こいつら…
戦術が、オーディンと全く同じだ…!
その衝撃的な一言に、スレッドが再び凍りついた。
795: 元ギルドマン@戦士一筋
…なるほどな。
そういうことか。
青龍の、恐るべき「メタビルドコピー」能力。
彼らは、オーディンが数ヶ月、あるいは数年かけて築き上げたその完璧な戦術を、たった数時間で完全に解析し、そして模倣してみせた。
それだけではない。
その上で、彼らは自らの潤沢な資金力を使い、オーディンのメンバーが使っていた装備よりも、さらに一段階上の神がかったレア装備を、そのコピー部隊の全員に支給した。
その、わずかな装備の差。
それが、この「10秒」という、決定的な差を生み出したのだ。
その、あまりにも恐ろしく、そしてどこまでも合理的な中国の戦い方。
それに、日本の探索者たちは、もはや何も言えなかった。
ただ、自分たちが、神々の戯れの、その観客席にすら座ることを許されていないのだという、絶対的な事実を、思い知らされるだけだった。
◇
【オーディン日本支部 - 作戦司令室】
静寂。
北欧の、ミニマルで機能的なデザインで統一された、広大な作戦司令室。
その中央に設置された巨大なホログラムモニターに、青龍の、あの10分05秒の戦闘ログが、繰り返し再生されていた。
その光景を、一人の男が、ただ静かに見つめていた。
北欧の神話から抜け出してきたかのような、プラチナブロンドの髪。
氷河のように、冷たく、そしてどこまでも澄んだ青い瞳。
その身を包むのは、ギルドマスターだけが着用を許される、純白のコート。
彼の名は、ビョルン。
オーディン日本支部を、率いる絶対的な指揮官だった。
彼の周りには、十数人のアナリストたちが、息を殺してその言葉を待っている。
やがて、ビョルンは、ふっと息を吐き出した。
そして彼は、隣に立つ副官へと、その静かな、しかし揺るぎない声で告げた。
「…面白い」
彼の口元には、獰猛な、そしてどこまでも楽しそうな笑みが浮かんでいた。
「…なるほど。我々の戦術を、完全にコピーした上で最適化してきたか。面白い。次はこちらの番だ」
その一言。
それに、司令室の空気が再び張り詰める。
彼の、その一言こそが、この冷たい戦争の、次なるステージの幕開けを告げる、ゴングだったのだから。