第221話
ドキュメンタリー番組『ネクスト・フロンティア ~冒険者たちの肖像~』
【オープニング映像:ドローンが夜明け前の西新宿の摩天楼を縫うように飛翔する。やがて、ひときわ高いタワーマンションの一室の窓に、ズームインしていく】
ナレーター(落ち着いた、深みのある声):
「午前5時30分。東京、西新宿。世界の経済と、そして『ダンジョン』という新たな理の中心。この街が、まだ深い眠りについているその時間、人知れず一日を始める者たちがいる」
「探索者。またの名を、冒険者。ダンジョンという未知の領域に挑み、そこに眠る富と、名声と、そして自らの可能性を追い求める、新時代の開拓者たち。その数は、日本だけで100万人を超える。誰もが、一攫千金を夢見るこの世界で、今日、我々は一人の男の、一日に密着した」
【シーン転換:タワーマンションの一室。広々としたリビングのソファで、一人の青年が目を覚ます。彼は、まだ眠たげな目をこすりながら、テーブルの上に置かれたARグラスを装着する】
テロップ:【C級冒険者 田中 浩二(28)】
ナレーター:
「彼の名は、田中浩二。ランクはC級。勤めていたIT企業を退職し、この世界に飛び込んだ、いわゆる『脱サラ冒険者』だ。彼が朝起きて、まず最初に行うこと。それは、もはや彼にとって歯磨きや洗顔よりも重要な、朝の儀式だという」
【田中が、ARグラスの空間ウィンドウに表示されたおびただしい数の情報リストを、鋭い目で高速でスクロールしていく。その表情は、真剣そのものだ】
ディレクター(画面外から):
「田中さん、おはようございます。それは、毎朝の習慣なんですか?」
田中:
「…ええ、まあ」
彼は、画面から目を離さずに答える。
「そうですね。ダンジョンの情報は、常に流動的ですから。昨日まで安全だったルートが、今日には魔物の巣窟になっていることも、珍しくありません」
彼は、指先で空間ウィンドウをスワイプし、一つの掲示板のような画面を表示させた。そこには、『本日の高経験値モンスター出現予測』というタイトルと共に、関東近郊の各ダンジョンの名前と、パーセンテージが表示されている。
田中:
「特に、俺たちみたいな中堅層にとって一番重要なのが、この情報です。美味しい経験値を持つ、特殊なエリートモンスター。そいつらが、いつ、どこに現れるか。一度、どこかのダンジョンで大量に出現したら、そのダンジョンの魔素が安定するまで、次は数日間が空く。だから、そういうのをまめにチェックして、今日、一番『出そうな所』に行くんですよ」
彼は、一つのダンジョンの名前を指さした。D級ダンジョン【打ち捨てられた王家の地下墓地】。その横には、『ネクロマンサー・アコライト出現確率:78%』という、高い数値が表示されている。
田中:
「例えば、これ。このネクロマンサー・アコライトってのは、一体倒すだけで、普通の雑魚の数十倍の経験値が手に入る。もし、こいつらの群れに遭遇できれば、これだけでレベルが4は上がる」
「まあ、なかなかいませんが、それでも、これをするのとしないのでは、雲泥の差が出ますね。運が良ければ、一日で一週間分の稼ぎと経験値が手に入る。これも、ギャンブルみたいなもんですよ」
その彼の、冷静な分析。
それは、この過酷な世界を生き抜くための、彼なりの生存戦略だった。
【シーン転換:D級ダンジョン【打ち捨てられた王家の地下墓地】。ひんやりとした石の回廊を、田中が一人、慎重に進んでいく】
ナレーター:
「午前9時。彼は、その日の『テーブル』として、D級の地下墓地を選んだ。狙うは、高経験値モンスター、ネクロマンサー・アコライト。だが、その出現はあくまで確率論。必ず出会えるという保証はない。彼は、ただ自らの読みと運を信じ、黙々と、道中の骸骨兵たちを処理していく」
【田中が、長剣を振るい、次々と現れる骸骨兵を、効率的に、しかしどこか退屈そうに斬り伏せていく。その動きに、一切の無駄はない】
ナレーター:
「C級探索者ともなれば、D級の雑魚モンスターは、もはや彼の敵ではない。だが、この単調な作業の繰り返しこそが、彼の心を少しずつ蝕んでいく。彼は、本当に『当たり』を引くことができるのか。それとも、今日もまた、空振りに終わるのか。その焦りと期待が、彼の表情にわずかな影を落としていた」
その単調な時間が、どれほど続いただろうか。
彼が、一つの広大な墓室へと足を踏み入れた、その瞬間だった。
彼の目の前に、それはいた。
黒いローブを身にまとった、五体の骸骨の魔術師。
ネクロマンサー・アコライトの、小隊だった。
大量の経験値を持つモンスターが、現れたのだ。
田中:
「――来たか…!」
彼の、眠たげだった瞳が、瞬時に狩人のそれへと変わる。
彼は、慌てて攻撃を仕掛けた。
そのあまりの幸運に、彼の動きにはわずかな焦りが見て取れた。
彼は、セオリー通り、一体を確実に仕留めようと、その一体へと突進していく。
だが、ネクロマンサーたちはそれをあざ笑うかのように、一斉に後方へと下がり、その指先から、おびただしい数の呪いの弾丸を放ってきた。
「くそっ!」
彼は、舌打ちしながら、その弾幕を盾で防ぐ。
だが、その間に、他のアコライトたちが新たな死者を召喚し始めていた。
このままでは、ジリ貧になる。
彼は、一瞬の判断でその戦術を切り替えた。
彼は、一体を狙うことをやめ、温存していた必殺技を、その群れの中心へと叩き込んだのだ。
田中:
「――吹き飛べやッ!」
彼の大剣が、唸りを上げる。
その一撃は大地を割り、衝撃波となって、ネクロマンサーたちの陣形を完全に破壊した。
そして、生まれた一瞬の隙。
彼は、そこに嵐のような連撃を叩き込み、一体、また一体と、確実にその数を減らしていく。
そして、最後の一体を斬り捨てた、その瞬間。
彼の全身を、黄金の光が包み込んだ。
【LEVEL UP!】
【LEVEL UP!】
【LEVEL UP!】
【LEVEL UP!】
見事、経験値ゲット。4レベル、上がったのだ。
「…はぁ…、はぁ…」
彼は、その場に膝をつき、荒い息を繰り返す。
「いやー、運が良かったですね。本当に、紙一重だった…」
彼は、ARカメラの向こうの我々に、安堵の表情を見せた。
「今日は、これくらいにしときますか。これ以上、欲をかいても、ろくなことにならん」
その、あまりにもクレバーな引き際の判断。
それもまた、彼がこの世界で生き抜いてきた、証だった。
【シーン転換:新宿のギルド公認換金所。田中が、カウンターのトレイの上に、大量の魔石とドロップ品を置く】
ナレーター:
「その日の午後。彼は、その日の戦果を手に、換金所へと訪れた。D級ダンジョンでの、数時間の狩り。その対価は、果たしていくらになるのか」
【鑑定機のモニターに一つの数字が表示される。それを見た、ディレクターが、思わず声を上げる】
ディレクター:
「えっ!?なんと、25万円になった!いや、すごいですね!一日の稼ぎとは、思えないですね!」
その、あまりにも大きな金額。
それに、田中はどこか慣れた様子で、しかし誇らしげに頷いた。
田中:
「そうですね。まあ、今日は運が良かった方ですが。私も、脱サラして冒険者になった口ですが、一日の稼ぎは、今が圧倒的に良いですね」
ディレクター:
「ちなみに、差し支えなければ、月収はどれくらいに…?」
田中:
「うーん、波はありますけど。大体、月収500万円くらいかな」
ディレクター:
「500万円ですか!凄いですね!」
田中:
「まあ、住宅費や、食費や、交際費で、半分くらいは使っちゃいますね(笑)」
彼は、そう言って頭をかいた。
「このタワマンの家賃も、馬鹿になりませんし。それに、たまにはパーティの仲間と、美味い飯も食いに行きたいですから」
「残りは、装備の購入や貯金に使いますね。やっぱり、この仕事は身体が資本なんで。いつ、大きな怪我をして休む必要が出てくるか分からない。貯金は、多いほど良いですね」
【シーン転換:田中の自宅マンションのリビング。窓の外には、西新宿の夜景が広がる】
ディレクター:
「田中さんの、今の目標は?」
その問いかけに、彼は少しだけ遠い目をした。
田中:
「それはもちろん、B級への昇格ですね。パーティの仲間も、みんなそれを目指してますから」
「ただ、ご存知の通り、B級に昇格すると『B級の呪い』がある。全属性耐性が、永続的に下がってしまう、あの忌々しいデバフが」
「それに、B級に上がっても危険性が上がるだけで、日給は+10万円とかですからね。正直、今のC級で安定して稼いでる方が、楽なんじゃないかって思う時もあります。ちょっと、悩みますよね」
その、あまりにも人間的な悩み。
だが、彼はそこで一度言葉を切ると、最高の、そしてどこまでも真っ直ぐな笑顔で続けた。
田中:
「とはいえ、目標はA級です(笑)」
その、あまりにも眩しい少年のような笑顔。
それこそが、彼の原動力なのだと、我々は知った。
【シーン転換:夜の新宿。赤提灯が並ぶ小さな飲み屋。田中が、同じくらいの年代の探索者たちと、ジョッキを片手に笑い合っている】
ナレーター:
「夜は、行きつけの引退した探索者がやっている飲み屋に行く。ここは、彼にとってただの飲み屋ではない。同じような探索者達が集まり、情報交換しつつご飯を食べる、もう一つの『ギルド』のような場所なのだ。そこには、ランクもクラスも関係ない。ただ、同じ世界で戦う『仲間』としての、温かい繋がりがあった」
【仲間たちと、馬鹿話をして笑い合う田中の姿。その表情は、ダンジョンにいる時とは全く違う、ただの28歳の青年のものだった。それは、実に楽しそうな風景だった】
ナレーター:
「飲み会も終わり、彼は豪華なマンションに帰宅する。そして、一日の汗と戦いの匂いを洗い流すために風呂に入り、眠る。それが、C級冒険者、田中浩二の一日。一日、お疲れ様でしたと挨拶して、彼は家に帰る」
【シーン転換:再び西新宿の夜景をバックに、一人佇む田中の後ろ姿】
ナレーター:
「探索者という生き方をして、二ヶ月でここまで登りつめた、彼。社会というレールから一度は外れ、自らの力で、新たな道を切り拓いた。果たして、彼はB級、A級へと、その翼を広げることができるのか。彼の、そして、この国に生きる100万人の冒険者たちの物語は、まだ、始まったばかりだ」
【エンドロール】