第215話
あの、広大な円形の礼拝堂。
このダンジョンの主が眠る、玉座の間。
彼は、その巨大な両開きの扉を、躊躇なく押し開けた。
そして彼は、その絶望的な光景を、目の当たりにした。
広間の中央。
そこに鎮座するのは、二体の巨大な石造りのガーゴイル。
その翼は折れ、体の所々が苔むしている。だが、その巨体から放たれるプレッシャーは、前回対峙した一体だけの時とは、比較にならない。
そして、その二体のガーゴイルの後ろ。
祭壇の影から、すうっと、音もなく、十の人影が、その姿を現したのだ。
顔をフードで隠し、ぼろぼろの聖歌隊の制服をその身にまとった、浮遊する霊体。
【嘆きの聖歌隊員】。
タンク二体、後衛十体。
その、あまりにも完璧で、そしてどこまでも悪意に満ちた布陣。
それは、挑戦者の心を折るためだけに、設計されたかのような、絶望の盤面だった。
「…はっ」
彼の口から、乾いた笑いが漏れた。
「なるほどな。こいつは、確かに無理ゲーだ」
彼のその、あまりにもあっさりとした敗北宣言。
それに、コメント欄が、一瞬静まり返った。
『え…?』
『無理、って…JOKERさんが、そんなこと言うなんて…』
『戦う前に、諦めるのかよ!?』
その困惑の声を、彼は意にも介さない。
彼のギャンブラーとしての思考は、すでにこのテーブルの「本質」を、見抜いていた。
これは、戦闘ではない。
ただの、「確認作業」だ。
今の自分の手札で、このテーブルで勝負ができるかどうか。
その答えは、火を見るより明らかだった。
ガーゴイル二体いるという事は、10体の幽霊。これは無理、降りだなと、彼は判断した。
「ああ、そうだ。降りる」
彼は、ARカメラの向こうの観客たちに、静かに告げた。
「だがな、ギャンブラーは、ただ黙ってテーブルを立つんじゃねえ。次の勝負に繋がる、確かな『情報』を、一つでも多く持ち帰るもんだ」
彼は、そう言うと、その骨のワンドを構え直した。
彼の瞳には、もはや恐怖の色はない。
ただ、冷徹な分析者の光だけが、宿っていた。
戦いの火蓋は、十体の聖歌隊員が、一斉に魔法の弾幕を放ったことで、切って落とされた。
数百という青白い魔力の矢が、嵐となって隼人へと殺到する。
「――1号、2号、盾になれ!」
彼は、即座に命令を下した。
二体のゾンビが、彼の前に立ちはだかる。
そして、その二つの壁は、わずか数秒で、光の粒子となって消滅した。
だが、その犠牲は、彼に貴重な数秒の時間を与えた。
彼は、その後方で冷静に、その弾幕の威力と、密度と、そしてパターンを、脳内に焼き付けていく。
(…なるほど。弾幕の密度は、前回の倍以上。だが、一体一体の威力は、変わらねえな)
(つまり、単純に数が増えただけ。だが、その単純な数の暴力が、一番厄介だ)
(ゾンビが、二体同時に、一瞬で溶かされた。つまり、このままじゃ、俺の軍団は10秒も持たねえ)
彼の脳内で、高速の計算が行われる。
そして、彼は結論に達した。
今のままでは、勝てない。
だが、もし。
もし、この軍団の「数」と「質」を、もう一段階、引き上げることができたなら。
「――今日のところは、これくらいで勘弁してやる」
彼は、そう言い放つと、インベントリから【ポータル・スクロール】を取り出し、その場で破り捨てた。
青白い光の渦が、彼を包み込む。
彼はその光の中で、最後に一度だけ振り返り、静かに佇むボスたちの姿を、その脳裏に焼き付けた。
(…必ず、戻ってくるぜ。その時は、お前らのその嘆きの歌を、俺の軍団の雄叫びで、上書きしてやるからな)
◇
自室へと帰還した、隼人。
彼の心は、屈辱ではなく、新たな目標を見つけたことによる、確かな闘志で、燃え盛っていた。
彼は、椅子に深くもたれかかり、天井を仰いだ。
そして、彼は自らの魂に、語りかけた。
「…どう思う?お前ら」
彼のその問いかけに、ARカメラの向こうの有識者たちが、待っていましたとばかりに反応した。
元ギルドマン@戦士一筋:
賢明な判断だ、JOKER。
あの布陣は、B級ですら、ソロで挑むのは無謀だ。
お前の言う通り、追加のオーラで戦力アップするか、あるいはゾンビ召喚のレベルを上げて、召喚数を増やさないと、話にならない。
ハクスラ廃人:
ああ、その通りだぜ。
今の、お前の5体のゾンビじゃ、数が足りなすぎる。
あの弾幕を凌ぐには、最低でも7体、いや8体の壁が必要だ。
そして、その壁を維持しながら、後衛の聖歌隊員を確実に処理するための、圧倒的な火力もな。
ベテランシーカ―:
ええ。JOKERさん、あなたの次なる課題は、明確ですね。
「ミニオンの、数の暴力と、質の向上」。
その、二つです。
その、あまりにも的確で、そして彼の考えと完全に一致したアドバイス。
それに、隼人は深く頷いた。
「…だよな」
「じゃあ、決まりだ」
彼の瞳に、決意の光が灯る。
「**今日は、雑魚敵狩りで経験値稼ぎだなと、彼は割り切った。**そして、レベルを上げる」
彼は、そう宣言すると、再び転移ゲートへと向かった。
彼が選んだのは、D級ダンジョン【打ち捨てられた王家の地下墓地】。
そこは、今の彼にとって、最も安全に、そして最も効率的に経験値を稼げる、最高の「作業場」だった。
そこから、彼の地獄の、しかしどこか楽しげなレベリングが始まった。
彼は、ただ黙々と、骸骨たちを狩り続けた。
彼の配信は、再びあの退屈な「作業」の風景となった。
だが、その向こう側にある、確かな「成長」への期待。
それが、彼を、そして彼の観客たちを、支えていた。
そして、数時間の、単調な、しかし確実な労働の末。
その時は、訪れた。
彼が、一体の骸骨の騎士を斬り捨てた、その瞬間。
彼の全身を、黄金の光が包み込んだ。
レベルアップ。
彼のネクロマンサーは、ついにその節目となるレベルへと、到達していた。
【LEVEL UP! Lv.10 → Lv.11】
「…よしっ」
彼は、短く、そして力強く呟いた。
これで、11レベルになった。
彼は、その場でスキルジェムの管理画面を開いた。
そして、レベルアップで得た貴重な経験値と、これまで貯め込んできた大量の魔石を、躊躇なく消費していく。
【ゾンビ召喚】のスキルジェム。
そのレベルを、4から5へと引き上げた。
【スキルジェム『ゾンビ召喚』がLv.5にレベルアップしました】
そして、彼の目の前に、新たな情報が表示された。
ゾンビ召喚数が+1されて、ミニオンの最大ライフが8%上昇するになった。
彼の軍団は、これで6体となった。
だが、彼の強化はまだ終わらない。
彼は、インベントリの奥深くで眠っていた、ある希少なオーブを、取り出した。
ダンジョン周回で、ごく稀にドロップする、宝石細工師の魂の結晶。
【宝石細工師のプリズム】。
彼は、それをこれまで、来るべき時のためにと、大切にストックしていた。
そして、今こそが、その時だと、彼は確信した。
「クオリティも、上げとくか」
彼は、そう呟くと、その手元に余っていた宝石細工師のプリズムで、ゾンビ召喚をクオリティ20まで上げる。
プリズムが、砕け散る。
その魔力の光が、スキルジェムへと吸い込まれていく。
そして、ジェムのクオリティが、20%へと到達した、その瞬間。
奇跡は、起こった。
これでさらに、ゾンビ召喚数が+1された。
品質による、追加のボーナス。
それは、彼の軍団の数を、さらに一体、増やすという、神の恩寵だった。
レベルアップによる、+1。
クオリティによる、+1。
そして、パッシブスキルによる、+2。
彼が、最初に持っていたのは、たったの3体。
それが今や、全部で7体のゾンビ数になった。
彼は、その生まれ変わった軍団を、その場に召喚した。
彼の目の前に、七体の、これまでとは比較にならないほど強固で、そして力強い、死の尖兵たちが、整列する。
その光景。
それに、彼は満足げに、そして獰猛に、笑った。
その顔は、もはやただのネクロマンサーではない。
自らの手で、運命を、そして軍団を創造した、創造主の顔だった。