第212話
「…さてと。午後の部、始めっか」
彼は、ARカメラの向こう側にいる、彼と同じようにこの退屈な日常に刺激を求める数十万人の観客たちに、気だるそうに告げた。
彼の新たな人生、ネクロマンサーとしての物語。その続きを、世界が待っている。
彼は、配信のスイッチを入れた。
今日の配信タイトルは、彼の現在の心境をそのまま映し出すかのように、どこまでもゆるく、そして正直だった。
『【ネクロマンサーLv.9】D級墓地で骨拾い。あとレベル1上げたらC級ダンジョン突入なので、雑談しながらのんびり』
その、あまりにも力の抜けたタイトル。
それが公開された瞬間、彼のチャンネルには、通知を待ち構えていた数十万人の観客たちが、津波のように殺到した。
コメント欄は、もはやお馴染みとなった温かいツッコミと、期待の声で溢れかえっていた。
『骨拾いwww JOKERさん、今日の目標低すぎだろwww』
『のんびり雑談配信、待ってた!』
『A級の戦いもいいけど、このゼロから成り上がっていくネクロマンサービルドが、今一番面白い!』
『骸の女王様も、きっと見てるぞ!下手な指揮はできないな!』
「…うるせえよ。好きでやってる」
隼人は、コメント欄の熱狂にいつものようにぶっきらぼうに答えながら、転移ゲートをくぐった。
彼がたどり着いたのは、ひんやりとした石と、乾いた土の匂いに満ちた、あの場所。
D級ダンジョン【打ち捨てられた王家の地下墓地】。
前回、彼の戦士ビルドに初めての「撤退」を余儀なくさせた因縁の場所も、今の彼のネクロマンサービルドにとっては、最高の訓練場であり、そして格好の「狩場」だった。
彼は、その薄暗い石の回廊へと、最初の一歩を踏み出す。
そして、自らの魂に命令を下した。
「――起きろ、僕たちよ」
彼がそう念じると、彼の足元の影から、ずるりと四体のおぞましい姿が現れた。
彼の魂とリンクした、ゾンビミニオンたち。
アメ横の市場で買い揃えた、一体5000円の安物の装備。それらをその身にまとい、彼は静かに、そして確かな足取りで、墓地の奥深くへと進んでいった。
彼が最初の広大な墓室へと足を踏み入れた、その瞬間。
カタガタゴトと、おびただしい数の骸骨兵が、地面からその呪われた体を起こした。
その数、五十以上。
前回、彼の戦士ビルドをあれほどまでに苦しめた、無限に湧き出る死者の軍勢。
だが、今の彼の心に、もはや焦りの色はない。
彼の口元には、獰猛な笑みが浮かんでいた。
彼は、その後方に控える4体の忠実な僕たちに、ただ一言だけ命令を下した。
「――蹂躙しろ」
その短い、しかし絶対的な意志の力。
それに、彼のゾンビ軍団が呼応した。
ウオオオオオオオオオオッ!!!
4体のゾンビは、その腐った肉体をまるで鋼鉄のように硬質化させ、骸骨の軍勢の中へと、一直線に突撃していった。
そしてそこから始まったのは、もはや戦闘ではなかった。
ただ、一方的な「破壊」のショーだった。
一体のゾンビが振るう骨の剣の一閃。その攻撃が一体の骸骨兵を捉えた、その瞬間、**ボフンッ!**というくぐもった音と共に骸骨兵の体が破裂し、その衝撃波が隣の骸骨を、そしてさらにその隣の骸骨を巻き込み、まるでドミノ倒しのように死の連鎖が広がっていく。
【近接スプラッシュサポート】の効果は、絶対的だった。
4体のゾンビが、それぞれ別の敵を殴っているはずなのに、その全ての攻撃が、まるで一つの巨大な範囲攻撃のように骸骨の軍勢全体を同時に、そして効率的に削り取っていく。
もはや彼は、一体一体に指示を出す必要すらない。
ただ、進軍の方向を指し示すだけ。
彼の死者の軍団は、彼の意志を完璧に理解し、最も効率的なルートで敵を殲滅していく。
『うおお、やっぱりスプラッシュ強いな!』
『ゾンビ4体いるだけで、殲滅速度が全然違う!』
『これがJOKERの指揮能力か…。クレバーすぎる…』
コメント欄の賞賛の声をBGMに、彼はドロップした魔石を手早く回収し、次の部屋へと向かった。
その、あまりにも平和で、退屈な、しかし確実な「作業」の時間。
その退屈さを紛らわすかのように、彼はふと、ここ数日、世間を騒がせているあの話題について、口を開いた。
「…しかし、すげえよな。冒険者学校、か」
彼のその唐突な一言に、コメント欄がざわついた。
「正直、俺は素直に羨ましいぜ、あれ」
その、あまりにも素直な、そして彼らしくない言葉。
それに、コメント欄の視聴者たちが、驚きの声を上げる。
『え!?JOKERさんが、羨ましい!?』
『珍しいな、あんたがそんなこと言うなんて』
『でも、分かる。あれは、反則だよな…』
「ああ、反則だ」
隼人は、深く頷いた。
一体のネクロマンサーが、後方で復活の呪文を唱え始めている。彼は、ゾンビ2体をそちらへ向かわせ、その詠唱が終わる前に、その頭蓋を粉砕させた。
その完璧な指揮を、まるで呼吸をするかのようにこなしながら、彼は続ける。
その声には、どこか遠い目をするような、懐かしい響きがあった。
「俺も、高校は卒業してる。それなりに、楽しかった。まあ、いわゆる『青春』ってやつだな。だが、卒業した後は、裏社会にどっぷりだったからな。毎日が、生きるか死ぬかのギャンブル。誰かを信じれば裏切られ、誰かを出し抜かなければ、自分が食われる。そんな世界だ」
彼は、ふっと息を吐き出した。
「もし、あの頃に、こんな学校があったなら。俺は、迷わずこっちの道を選んでたかもしれねえな。もっと、まともな青春を送りながら、強くなることができたのかもしれない」
彼の、そのあまりにも人間的な、そしてどこか寂しげな告白。
それに、コメント欄が、静まり返った。
「…まあ、今更言ってもしょうがねえことだがな」
彼は、自嘲気味に笑った。
「だが、マジで、若い奴が羨ましいなんて考えたのは、これが初めてだぜ。お前らも、そう思うよな?」
彼のその、あまりにも正直な問いかけ。
それに、コメント欄が、一斉に、そして温かい共感の声で、溢れかえった。
それは、彼に憧れ、そしてこの世界に足を踏み入れた、若者たちの魂の叫びだった。
『はい!俺、応募しました!JOKERさんに憧れて、戦士になる予定です!』
『私は、魔術師志望です!いつか、祈さんみたいに、全てを焼き尽くす魔法使いになりたい!』
『俺は、颯太さんみたいなトリッキーな盗賊を目指してます!』
『僕は…サポーターになりたいです。誰かを、支えられるような。…だから、無職かな?』
その、あまりにも無邪気で、そして希望に満ちた言葉の数々。
それに、隼人は思わず笑みを漏らした。
「…はっ。良いじゃねえか。最高の仲間が、できそうだな」
だが、その和やかな空気に、水を差す声もあった。
それは、対象年齢から外れてしまった、「大人」の探索者たちの、悲痛な叫びだった。
『…羨ましい。心底、羨ましいぜ、お前ら…』
『なんで、22歳までなんだよ…。俺、24なんだが…』
『俺なんか、もう30だぞ。完全に、対象外だ…』
『実際、今から脱サラして冒険者って、アリなんですかね…?JOKERさん、どう思います?』
その、あまりにも切実な、人生相談。
それに、隼人は少しだけ考え込んだ。
そして彼は、自らの経験を元に、その答えを告げた。
その言葉には、揺るぎない確信があった。
「…俺は、全然ありだと思うぜ?」
その、あまりにもきっぱりとした肯定。
それに、悩んでいた「大人」たちが、息を呑んだ。
「裏社会でもな、社会経験のあるギャンブラーってのは、結構いたんだよ。元サラリーマン、元公務員、中には元医者なんてのもいたな。そいつらは、若いだけの奴らとは、違う強さを持ってた。駆け引きのうまさ、精神的なタフさ、そして何よりも、負けを知ってる人間の、強かさだ」
「冒険者も、似たようなもんだろ。必要なのは、若さだけじゃねえ。経験と、覚悟だ。それさえありゃ、いくつになっても、このテーブルで勝負できるはずだ。俺は、そう思うがな」
その、あまりにも力強く、そしてどこまでも優しいエール。
それに、悩んでいた大人たちのコメント欄が、感謝と、そして新たな決意の言葉で、埋め-尽くされていった。
彼の言葉は、確かに、誰かの背中を押していた。
彼は、話題を変えるように、ここ数日、世界を騒がせているもう一つのニュースについて、口を開いた。
「それにしても、あのハイスト集団の寄付は、驚いたな。10兆円だろ?あれは、多分本気だと思うぜ」
彼は、いつか詩織から聞いた、あのS級の友人…冬月祈の言葉を思い出しながら、続けた。
「S級の知り合いの祈が言ってたが、グランドハイストってのは、周回回数がものを言う世界らしいからな。手が足りないってのは、ガチなんだろうよ。まあ、俺はまだそのテーブルには、座れそうにねえがな」
「だが、スターリング・フューチャー・ファンドの方は、燃える展開だよな」
彼の瞳が、再びあのギャンブラーの輝きを取り戻す。
「学生時代、学校の図書室で、少しだけラノベを読んだことがあるんだが、似たような設定はよくあったぜ。学園内で、ランキングを競い合うってやつだ。あれは、嫌いじゃなかったな」
彼は、そこで一度言葉を切ると、最高の、不敵な笑みを浮かべた。
「もし、俺がその学校の生徒だったら、か?」
「決まってんだろ」
「――絶対に、1位を取るために、努力するね」
その、あまりにもJOKERらしい、勝利への渇望。
それに、コメント欄がこの日一番の熱狂に包まれた。
彼の、新たな物語への期待感。
それが、最高潮に達した、その瞬間だった。
彼の全身を、黄金の光が包み込んだ。
レベルアップ。
D級墓地の経験値効率は、やはり異常だった。
雑談をしながら、ただ「作業」をしていただけで、彼のネクロマンサーは、ついにその節目となるレベルへと到達していた。
【LEVEL UP! Lv.9 → Lv.10】
「…おっと」
彼は、小さく声を漏らした。
「どうやら、のんびりできる時間も、終わりらしいな」
彼の瞳には、もはやこの退屈な墓地の風景は映っていない。
そのさらに先。
C級という、新たなテーブルが、彼を待っていた。
彼の新たな人生の、本当の「ショー」が、今、