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第209話

 土曜日の午後10時。

 東京、湾岸エリアにそびえ立つ、民放最大手テレビ局の巨大なスタジオ。その一角は、日本中の、いや世界中の探索者たちが、今この瞬間、最も注目する熱狂の中心と化していた。

『ライブ!ダンジョン24』。

 週に一度、ゴールデンタイムに放送されるこのワイドショー番組は、ダンジョンという新たな日常と、そこに生きる英雄たちの光と影を、どこよりも早く、そして深く伝えることで、驚異的な視聴率を誇っていた。


 スタジオは、本番特有の華やかで、しかしどこか張り詰めた空気に包まれている。無人のカメラが、油を流すように滑らかにスタジオ内を移動し、天井に設置された何百というLEDライトが、演者の顔に完璧な光を当てていた。

 メインキャスターを務める高島玲奈は、その美しい顔にプロフェッショナルな笑みを浮かべ、手元のタブレットに表示された台本に、最終的な目を通している。今日の特集は、「B級からA級へ――厚すぎる『格』の壁、その攻略法とは」。ゲストには、いつものように元ギルド幹部であり、ダンジョン経済評論家の第一人者である田中健介氏と、主婦層から絶大な人気を誇るタレントのミカが招かれていた。


「…それにしても、最近の若手は本当に大変ですよねぇ」

 CM中、ミカが心配そうに呟いた。

「私、この前JOKERさんの配信を見ていたんですけど、彼ほどの天才ですら、A級の壁の前であれだけ苦戦するなんて…。うちの息子も最近、冒険者になりたいなんて言い出してるんですけど、正直、心配で…」

「ははは。ミカさん、それは少し過保護というものですよ」

 田中氏が、人の良い笑みを浮かべて応える。

「確かに、A級の壁は高い。ですが、それを乗り越えた先には、我々旧世界の人間には想像もつかないほどの、富と名声が待っている。夢のある世界じゃありませんか」

「ですが、その夢を掴めるのは、ほんの一握りでしょう?」

「ええ、その通りです。だからこそ、面白い。だからこそ、我々は彼らの戦いに熱狂するのです」


 そんな、いつものような和やかな会話。

 それが、唐突に断ち切られた。

 玲奈の耳に装着されたインカムから、ディレクターの、これまで聞いたことのないほど切羽詰まった声が、直接脳内に響き渡ったのだ。


『――高島さん!緊急速報です!第一報、入ります!』


 その声に、玲奈の背筋が凍る。

 彼女のプロフェッショナルとしての経験が、これがただ事ではないことを告げていた。

 CM明けまで、あと10秒。

 彼女は、深く息を吸い込み、その表情を完璧なキャスターのそれに切り替えた。

 スタジオの照明が、通常の色から、赤色の警戒色へと変わる。

 メインモニターに、ギルドの公式紋章と共に『緊急速報』という物々しいテロップが、躍った。


「――おかえりなさいませ、『ライブ!ダンジョン24』です」

 CM明け、玲奈の声は、一切の動揺を感じさせなかった。

「番組の途中ですが、たった今、ギルド最高幹部会から、極めて重要度の高い情報が入りました。予定を変更して、こちらを最優先でお伝えします」

 彼女は、手元のタブレットにリアルタイムで表示された速報の第一報を、一字一句確かめるように、そして世界中の視聴者に届けるように、はっきりと読み上げた。

 その声は、歴史の転換点を告げる、預言者のそれだった。


「SS級のハイスト専門家集団として、その名を知られる**『名もなき収穫者たち』が、先ほど、ギルドを通じて『雷帝ファンド』に対し、10兆円の寄付を申し出た**とのことです!」


 静寂。

 数秒間の、絶対的な沈黙。

 スタジオの、全ての時間が止まったかのような錯覚。

 最初に我に返ったのは、ミカだった。彼女の口から、素っ頓狂な悲鳴が漏れた。

「じゅ、10兆円!?!?」

 そのあまりにも人間的な反応が、このニュースの異常性を、何よりも雄弁に物語っていた。

 田中氏もまた、その冷静な表情を崩し、信じられないというように目を見開いている。

「…正気か、彼らは…。雷帝ファンドの原資が、これで65兆円…?もはや、中小国家の国家予算を、遥かに超えている…」


 玲奈は、そのスタジオの動揺を、プロの技術で制しながら、さらに続報を読み上げていく。

「さらに、この寄付に際し、『名もなき収穫者たち』は、ギルドを通じて一つのメッセージを発表したとのことです。こちらが、その全文になります」

 モニターに、一つの短い、しかしあまりにも奇妙なテキストが表示された。


『レベル46になって、僕達と一緒にグランドハイストを周回しようよ。すごく『アットホーム』な職場だよ。S級から応募可能。みんなの応募を、お待ちしています』


 その、あまりにも場違いで、そしてどこかユーモラスなメッセージ。

 それに、スタジオ中が、そして日本中が、困惑に包まれた。


「…た、田中さん」

 玲奈が、助けを求めるように尋ねる。

「これは、一体…?ジョーク、なのでしょうか…?」

「…いや」

 田中氏は、ゆっくりと首を横に振った。その表情は、もはやただの評論家ではない。神々の戯れを、必死に理解しようとする、一人の人間のそれだった。

「ジョークか本気か、もはや我々には判断がつかない。ですが、10兆円という寄付は、紛れもない本物だ。であるならば、恐らくこれもまた、彼らにとっての『本気』なのでしょう」

 彼は、そこで一度言葉を切ると、どこか遠い目をした。

「我々が、資産を増やし、より良い生活を求めるのと同じように。彼らは、ただ、自らのスリルを共有できる『仲間』を求めているのかもしれない。スケールが、違いすぎるだけで。…まあ、神々のやる事だから、我々凡人に理解出来ないのは、しょうがないことですよ」


 その、あまりにも達観した、そしてどこか寂しげな解説。

 それにスタジオが、奇妙な納得の空気に包まれた、まさにその時だった。

 ピコン、ピコン、ピコン!

 スタジオに、再び、緊急速報のアラートが鳴り響いた。

 玲奈のインカムから、ディレクターの、もはや悲鳴に近い絶叫が聞こえてくる。


『高島さん!第二報!アメリカからです!スターリングが、動きました!』


「――え!?」

 玲奈は、息を呑んだ。

 メインモニターのテロップが、目まぐるしく切り替わる。

 そして、そこに表示されたのは、日本の熱狂を、一瞬で吹き飛ばすには十分すぎるほどの、衝撃的なニュースだった。


「――緊急速報、第二報です!アメリカのSSS級探索者、イーサン・スターリング氏が、先ほどの日本のニュースを受け、新たな基金の設立を、緊急声明として発表しました!」

「その名は、『スターリング・フューチャー・ファンド』!その内容は、あまりにも衝撃的です!」

 玲奈の声が、わずかに上ずる。

「日米両政府が共同で設立する、『冒険者高等学校』。その、日米合同の校内統一ランキングにおいて、上位100名にランクインした生徒に対し、月額100万円を、返済不要で給付するとのことです!」


 静寂。

 先ほどの、10兆円のニュースですら、霞んで見えるほどの、圧倒的な衝撃。

 月額100万。

 返済不要。

 対象は、トップ100名のみ。

 その、あまりにもアメリカ的で、そしてどこまでも過酷な競争のルール。

 それに、スタジオの誰もが、言葉を失っていた。


 最初に、その沈黙を破ったのは、やはり田中氏だった。

 彼の表情には、もはや驚きはない。

 ただ、新たな時代の幕開けを確信した、興奮の色だけが浮かんでいた。

「…なるほど。これは、面白いことになった」

 彼は、興奮を隠しきれない様子で、早口に語り始めた。

「雷帝と収穫者たちが敷いた、**『博愛』のレール。その上を、スターリングが用意した、『選別』**という名のF1マシンで駆け抜けろ、と。そういうわけですか。これは、アメリカらしい競争社会の発想ですね」

 彼は、そこで一度言葉を切ると、その瞳にわずかな、しかし確かな警戒の色を宿した。

「ですが、**少し危険な匂いもしますね。**これは、ただの若者支援ではない。探索者同士の競争心を、極限まで煽るための、劇薬だ。月100万円という、あまりにも甘美な報酬。それを巡って、若者たちが血で血を洗う、新たなコロッセオを作り出そうとしている」

「ですが、」と彼は続けた。

「それもまた、一つの『正義』なのでしょう。ぬるま湯に浸かり、成長を止めた者に、未来はない。**これくらいのハングリー精神は持って欲しいという、**彼の心の現れでしょうね」

 彼のその、あまりにも本質を突いた分析。

 それに、玲奈も、ミカも、そして日本中の視聴者も、ただ頷くことしかできなかった。

 一人の英雄がもたらした、静かな善意の波。

 それは、もう一人の英雄が投じた、巨大な波紋によって、全く新しい、そして予測不能な大渦へと、その姿を変えようとしていた。

 世界の、ゲームのルールが、今、この瞬間、完全に書き換えられたのだ。




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