第205話
その日の午後。
神崎隼人――“JOKER”は、彼の人生においてほとんど経験したことのない奇妙な高揚感と、そしてそれ以上に大きな居心地の悪さに、その身を包まれていました。
彼の目の前には、A級上位ダンジョン【ミノタウロスの洞窟】の巨大なポータルが、不気味な口を開けている。
だが、今日の彼は一人ではなかった。
彼の隣には、四つのあまりにも個性的で、そしてどこまでも強力なオーラを放つ影が、立っていた。
「――よし、全員揃ったわね」
その場の空気を支配する、凛とした、しかしどこか面倒くさそうな声。
声の主は、燃えるような赤い髪を無造作なポニーテールにまとめた、一人の女性だった。その身を包むのは、実用性を重視した、しかしどこか女性的なラインを残す、深紅のプレートアーマー。その腰には、指揮官の証である美しい装飾が施された、一本の長剣が差されている。
彼女こそが、このパーティ『ラスト・ベット』の絶対的なリーダー、赤城 茜。
「じゃあ、始めるわよ。今日の目標は、5周。JOKER、アンタは今日が初めてなんだから、私の指示には絶対に従いなさい。勝手な行動は、許さないわよ」
そのあまりにも上から目線な、しかしどこか仲間を気遣う優しさが滲む、姉御肌の命令。
それに隼人は、ただ黙って頷いた。
「まあまあ、茜さん。そんなに怖がらせないで、あげてくださいよ」
茜の隣で、くすくすと笑ったのはあの風間颯太だった。彼は、その両手に握られた二本のダガーを、まるで遊ぶかのようにくるくると回している。
「JOKERさん、うちの姉御は口は悪いですけど、根は優しいんで!気にしないでくださいね!」
「…颯太。アンタ、後で説教わよ」
茜のその冷たい一言に、颯太の顔がひきつった。
そのいつものような、微笑ましいやり取り。
それを二人の後ろで、静かに、そしてどこか慈愛に満ちた表情で見守っている、もう一人の女性がいた。
白鷺の羽のように清廉な、白を基調としたローブアーマー。その手には、巨大な塔の盾が、まるで体の一部のように構えられている。
白鷺 詩音。
このパーティの、沈黙の守護神。
そして、その詩音の隣。
全ての光を飲み込むかのような圧倒的な存在感を放つ一人の巨人が、ただ黙って佇んでいた。
身長は、2メートルを超えているだろうか。
その全身を分厚い黒鉄の鎧で固め、その背中には、巨大な両手斧が背負われている。
轟 鉄心。
このパーティの、最終兵器。
そのあまりにも個性的で、そしてどこまでも強力な四人のメンバー。
隼人は、その光景を冷静に、そしてどこか他人事のように分析していた。
(…なるほどな。面白いテーブルだ)
彼はそう思いながら、自らの配信のスイッチを入れた。
今日のタイトルは、シンプルだった。
『【緊急クエスト】A級上位PTに助っ人参戦』
そのあまりにも正直なタイトル。
それに、彼のチャンネルに待機していた数十万人の観客たちが、一斉に沸き立った。
『うおおおおお!パーティプレイ!』
『マジかよ!あのJOKERさんが!』
『相手は誰だ!?』
その興奮するコメント欄を、BGMに。
挨拶もそこそこに、早速ダンジョンに入る。
茜の、その一言を合図に。
五人の探索者たちは、その薄暗いミノタウロスの洞窟へと、その最初の一歩を踏み出した。
◇
洞窟の内部は、彼の想像通り狭く、そしてどこまでも入り組んだ、石造りの迷路だった。
湿った壁。
天井から、滴り落ちる水滴。
そして、ゴブリンの巣とはまた質の違う獣の血と鉄錆と、そして長年打ち捨てられていた建造物特有の埃っぽい匂い。
彼が、その五感から得られる全ての情報を脳内で統合し、危険を察知する。
その彼の、あまりにもプロフェッショナルな動き。
それに、リーダーである茜がわずかに目を見張った。
(…なるほどな。噂通りの男か)
彼らが最初の広大な円形の広間へとたどり着いた、その時だった。
「――来るわよ!」
茜の、鋭い声。
それと、同時に。
広間の四方八方から、おびただしい数のモンスターがその姿を現した。
身長は、3メートル近い。
牛の頭と人間の体を持つ、半人半獣。
その筋骨隆々とした腕には、巨大な戦斧が握られている。
【ミノタウロス・バーサーカー】。
その数、三十以上。
「グルオオオオオオオッ!」
ミノタウロスたちが、一斉に雄叫びを上げ、その巨大な体を揺らしながら彼らへと殺到してくる。
そのあまりにも圧倒的な物量と圧力。
A級上位の洗礼。
普通のパーティであれば、その最初の一撃で陣形を崩され、壊滅していただろう。
だが、このパーティは違った。
茜の声が、響き渡る。
「詩音、バフを!鉄心、正面の5体を引き受けなさい!颯太、JOKER、あんたたちは左右の遊撃部隊を叩きなさい!」
そのあまりにも的確で、そして無駄のない指示。
それに、四人のメンバーが即座に反応した。
まず動いたのは、詩音だった。
彼女がその塔の盾を地面に突き立てると、その全身から五色の神々しいオーラが、奔流のように溢れ出した。
【決意のオーラ】、【優雅のオーラ】、【迅速のオーラ】、【活力のオーラ】、そして【憎悪のオーラ】。
五つのオーラが、パーティ全体を包み込む。
その瞬間。
隼人のステータスが、爆発的に跳ね上がった。
(…なんだ、これ…)
彼は、戦慄した。
詩織のそれとはまた質の違う、しかしどこまでも強力な支援能力。
これが、オーラ特化のサポーターの力か。
次に動いたのは、鉄心だった。
彼は、その巨大な両手斧を構えると、ただ無言で正面から殺到してくるミノタウロスの群れへと突撃していった。
そのあまりにも無謀な突撃。
だが、その彼の巨体を、詩音のオーラと、そして彼自身の異常なまでの耐久力が、確かに守っていた。
ミノタウロスの渾身の一撃が、彼の黒鉄の鎧に叩きつけられる。
だが、その鎧はびくともしない。
彼は、その全ての攻撃をその身に受け止めながらただ仁王立ちし、その全てのヘイトを自分一人に引きつけていた。
完璧な、タンク。
そして、その鉄心が作り出した一瞬の隙。
それを、隼人と颯太が見逃すはずもなかった。
風間颯太、轟 鉄心、主人公がオーラによる圧倒的防御力で敵を蹂躙していく。
颯太の二本のダガーが、まるで風のように舞う。
彼は、ミノタウロスたちの攻撃を華麗にいなしながら、その関節や腱といった急所へと、的確に、そして容赦なくその毒の刃を叩き込んでいく。
そして、隼人。
彼の長剣が、唸りを上げる。
オーラによって、さらに強化された彼の【無限斬撃】。
その神速の連撃は、もはやミノタウロスの分厚い筋肉ですら、紙のように引き裂いていった。
そして何よりも異常だったのは、彼の生存能力。
詩音のオーラ。
鉄心の、ヘイトコントロール。
そして彼自身の、圧倒的なリジェネ能力と堅牢化。
その三重、四重の防御の壁。
それに守られた彼は、もはや死ぬ気がしなかった。
彼は、初めて本当の意味での「パーティプレイ」の安心感と、そしてその楽しさを味わっていた。
コメント欄は、A級上位なのにほぼ敵が溶けていく様子に、「A級PTすげー!」と興奮する。
『なんだこれ…!強すぎる!』
『これが、A級上位のパーティかよ!』
『JOKERさん、めちゃくちゃ楽しそうじゃん!』
その熱狂を、背中に感じながら。
彼らはただひたすらに、その死の迷宮を突き進んでいった。
◇
1時間かけて、ボスまで到達する。
彼らがたどり着いたのは、洞窟の最深部。
ひときわ巨大な、円形の闘技場だった。
その中央に、それはいた。
【迷宮の主、ミノタウロス・キング】。
身長は、10メートルを優に超える。
その全身の筋肉は鋼鉄のように隆起し、その両の眼は、地獄の業火のように赤く燃え盛っていた。
そして、その両手に握られているのは、巨大な二本の戦斧。
そのあまりにも圧倒的な、プレッシャー。
「――来るわよ!」
茜の声が、響く。
ボス戦の火蓋が、切って落とされた。
ミノタウロス・キングの初手は、シンプルだった。
ただ、その巨体を揺らしながら一直線に突進してくるだけ。
だが、その突進は大地を割り、空間そのものを歪ませるほどの、純粋な質量の暴力。
その最初のターゲットは、鉄心だった。
だが、鉄心は動じない。
彼は、その突進をその巨体で、真正面から受け止めた。
ゴッッッッッッッッ!!!
凄まじい、衝撃。
だが、鉄心は一歩も引かなかった。
その足は、大地に根を張った大樹のように、その場から動かない。
そして彼は、その全てのヘイトを自分一人に引きつける。
その鉄心が作り出した、絶対的な好機。
風間颯太、主人公が引き付けるが、ダメージはほぼ入らない。
颯太と隼人が、同時にそのがら空きになったボスの側面と背後へと回り込んだ。
そして彼らは、そのありったけの火力を叩き込んでいく。
だが、硬い。
あまりにも、硬すぎる。
二人のA級アタッカーの猛攻を受けても、ボスのHPバーはほとんど動かない。
そのあまりにも絶望的な耐久力。
それに颯太が、楽しそうに叫んだ。
「JOKERさん、こいつすげー硬いでしょ?でも、ドロップが100万円相当の魔石を落とすから、倒せるなら美味しいんすよね!」
そのあまりにも場違いな、明るい声。
それに隼人は、思わず笑みを漏らした。
「…はっ。違えねえ」
そして10秒戦い、轟 鉄心の貯めが終わった。いつでもいける。合図を待つと言う。
鉄心の巨体を、これまでとは比較にならないほどの膨大な魔力のオーラが包み込んでいく。
赤と青の光が、その黒鉄の鎧の中で渦を巻き、一つの巨大な破壊のエネルギーへと収束していく。
その光景。
それに、茜が叫んだ。
その声は、絶対的な信頼に満ちていた。
「――今よ!」
赤城 茜が「今よ」と言うと、主人公と風間颯太は一瞬で退避する。
二人は、同時にボスから大きく距離を取った。
そして鉄心が、その溜め込んだ全ての力を解放した。
「――【ディスチャージ】」
その静かな、呟き。
それと、同時に。
世界から、音が消えた。
そして、次の瞬間。
巨大な太陽が生まれたかのような圧倒的な光と熱の奔流が、ミノタウロス・キングの巨体を完全に飲み込んだ。
そして、【ディスチャージ】が発動する。
巨大なミノタウロスは瞬時に蒸発して、大量の魔石がドロップする。
「うおー!これが、1発100万円分の魔石かよ!すげーな!」と、大興奮のコメント欄。
後に残されたのは、おびただしい数のドロップアイテムと、そしてその中心で静かに佇む、五人の勝利者の姿だけだった。
◇
「よし、1週目完了ね。あと、PT分4周するわよ」
茜が、こともなげにそう言った。
そのあまりにも当然のような、一言。
それに、颯太と詩音が元気よく答える。
「「ラジャー!」」
隼人もまた、そのあまりにも心地よい一体感に、思わず笑みを漏らしていた。
「…ああ、ラジャーだ」
無事4周して、彼らはその日の全ての仕事を終えた。
そして彼らは、アジールのあの馴染みの酒場へと向かった。
打ち上げだ。
ジョッキに、並々と注がれたエール。
その黄金色の液体を、一気に飲み干しながら。
隼人は、そのあまりにも人間的な感想を漏らした。
「…はぁ。美味い」
「しかし、PTだと楽だな。」
彼は、しみじみと言った。
「ソロだと、絶対に倒すのは無理な相手だった」
その素直な言葉。
それに颯太が、ニヤリと笑った。
「まあ、ボスがHP馬鹿みたいに大きいだけのA級上位ダンジョンですからね。ソロ向きじゃないから、仕方がないですよ」
「でも、JOKERさんがいてくれたおかげで、周回速度めちゃくちゃ上がりましたよ!マジで感謝です!」
彼はそう言うと、隼人の肩をバンバンと叩いた。
「良かったら、今後も時々ヘルプお願いできますか?DPSは、多ければ多いほど良いので!」
そのあまりにもストレートな誘い。
それに隼人は、少しだけ考え込んだ。
そして彼は、その新しい仲間たちの温かい笑顔に囲まれながら。
最高のギャンブラーの笑みで、答えた。
その声は、どこまでも楽しそうだった。
「――ああ。時々なら、全然良いぜ?」
こうして、仲間がまた増えた。
彼の孤独だった、戦いのスタイル。
それが、ほんの少しだけ変わり始めた瞬間だった。