第196話
電話がかかってきた。
『冬月 祈』
その三文字を見た瞬間、彼の眠気は確かに少しだけ後退した。
断罪の聖女。
S級冒険者。
そして、彼がこの世界で出会った最も理解不能な「怪物」。
『――テレビ、見ましたわ』
開口一番にそう言う。
「…ああ?」
『あなたが出演されていたという、あのワイドショーですわね』
「…なんで、あんたがそんなもん見てるんだよ」
『**母親が良いこと言ってるというから、見ただけですわ。**ですが、少しだけがっかりしました』
「は?」
『**当たり前の事言ってるだけじゃありません?**あなた、あの番組でこうおっしゃっていたでしょう?「みんな、自分の人生の主人公なんだ」と』
彼女の声は、どこまでも平坦だった。
『**皆さん、自分が主人公だと思ってないのね。**不思議ですわ。この世界の全ての存在は、唯一無二の観測者であり、その物語の主役である。それは、世界の理そのものですのに』
そのあまりにも常人離れした、そしてどこまでも本質的な感想。
それに隼人は、思わず吹き出してしまった。
「ハハハ、アンタらしいな。そうだよな、アンタならそう言うと思ってたぜ」
「俺たちが必死に足掻いて、ようやくたどり着く答えを、あんたは生まれた時から知ってるってわけか」
そのどこか自嘲的な、しかし親しみのこもった言葉。
それに電話の向こうの彼女は、こてんと不思議そうに首を傾げたようだった。
『? よく分かりませんが、褒められているのなら光栄ですわ』
そのあまりにも噛み合わない、しかしどこか心地よい会話のキャッチボール。
隼人は、その奇妙な時間を楽しんでいた。
そして彼は、話題を変えるように尋ねた。
「で、あんたは**最近どうだ?**相変わらず、神々の遊びでもしてるのか?」
『**そうですわね。**特に、代わり映えのない日々ですわ』
彼女の声は、どこかつまらなそうだった。
『S級ダンジョンで、ただ周回する日々ですね。レベルもなかなか上がらなくて、マンネリ気味ですわ。ドロップも、渋いですし』
「ほう?」
『ええ。この一週間で、5000万円代のユニークがたった1個、出たくらいですわ』
そのあまりにもさらりと告げられた、衝撃の事実。
それに、隼人の思考が一瞬停止した。
5000万のユニークが、たった1個?
ドロップが、渋い…?
この女の金銭感覚は、一体どうなっているんだ。
「…おい」
彼の声が、わずかに震える。
「A級からしたら、それでもデカい当たりなんだがな、それは…」
「あんたほどの腕がありながら、そんな退屈な周回してるのか?ハイストは、行ってないのか?」
『ハイストは、行ってないわ』
彼女は、即答した。
『**隠密行動は、どうも致命的に向いてないみたいで。いつも、すぐに見つかってしまうんですの。**わたくし、面倒なことは嫌いですから』
そのあまりにも意外な弱点。
それに隼人は、思わず声を上げて笑ってしまった。
「ははははっ!マジかよ!あんたにも、苦手なことがあったのか!」
『…何か、おかしなことでも?』
「いや、最高に面白いぜ、あんた」
彼は、笑いをこらえながら言った。
「じゃあ、なんだ。金策は、どうしてるんだよ」
『グランドハイストの火力役として、時々呼ばれるくらいですわ』
そのさらりと告げられた、もう一つの衝撃の事実。
「…へえ、グランドハイストには行ってるのか。億の当たりが、ゴロゴロしてると聞いたが?」
『ええ。当たりの神のオーブや高貴のオーブは、結構出ますわね。ですが、本当の「大当たり」が、なかなか出ませんのよ。確率、渋すぎですわ』
彼女の声には、心底うんざりしたような色が滲んでいた。
『…ですが、昨日やっと一つ出まして。それが、近いうちにオークションに出品される予定ですね』
「ほう」
隼人のギャンブラーとしての魂が、その言葉に反応した。
「**大当たりって?**一体、どんな代物なんだ?」
その問いかけに、電話の向こうの彼女は数秒間沈黙した。
そして彼女は、悪戯っぽく、そしてどこか楽しそうにこう言った。
その声は、最高のショーの幕開けを告げる、魔女の囁きだった。
「――それは、ニュースを見て知ると良いですわ。お楽しみですわ」
その言葉を最後に、彼女は一方的に通話を切った。
後に残されたのは、ツーツーという無機質な音と、そして絶対的な静寂だけだった。
隼人は、ただ呆然とスマートフォンの画面を見つめていた。
そして彼は、ゆっくりと、しかし確実に、その口元に最高の笑みを浮かべた。
彼の退屈な日常は、終わりを告げた。
新たな、そして最高のギャンブルのテーブルが、今、彼の目の前に用意されたのだから。