表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
194/491

第190話

 その日の夜、神崎隼人――“JOKER”の配信は、いつにも増して異様な熱気に包まれていた。

 画面に映し出されているのは、ダンジョンの殺伐とした風景ではない。

 彼が契約したばかりの西新宿のタワーマンションの一室。その広大なリビングの中央に鎮座する新たな相棒…漆黒の筐体を持つハイスペックPC、【静寂の王】のモニターに映し出された、ギルド公式オークションハウスのライブストリーミング映像だった。

 黄金の枠で囲まれ、特別な輝きを放つ一つの指輪の画像。そして、その横で刻一刻と減っていく運命の残り時間。

 彼のチャンネルには、すでに十数万人という異常な数の観客たちが殺到していた。彼らは皆、この歴史的なギャンブルの目撃者となるために集まってきたのだ。


 配信タイトルは、彼の心境をそのまま映し出すかのようにシンプルで、そしてどこまでも挑戦的だった。


『【世紀のオークション】40兆円の行方、お前らと見届ける』


『うおおおおおお!始まった!』

『歴史的瞬間を見に来たぜ!』

『一体、いくらまで行くんだよこれ…』

『JOKERさん、今日はダンジョンじゃないのか!最高の企画だ!』


 コメント欄が、期待と興奮の熱気で沸騰している。

 その熱狂の渦の中心で、JOKERはギシリと軋む高級なゲーミングチェアに深く身を沈め、ただ静かにタバコの紫煙をくゆらせていた。

 彼の表情は、いつもと変わらないポーカーフェイス。

 だが、その瞳の奥には、最高のテーブルを前にしたギャンブラーだけが宿すことのできる、静かな、しかし獰猛な光が宿っていた。


「よう、お前ら。見ての通り、今日は観戦モードだ」

 彼は、ARカメラの向こうの十数万人の観客たちに、気だるそうに語りかけた。

「俺たちのヒーロー、雷帝様がドロップしたあの神話級の腕輪。そいつが今、世界の富豪たちの醜い欲望のテーブルに晒されてる。その結末を、お前らと一緒に高みの見物を決め込もうじゃねえか」


 そのあまりにも不遜な物言い。

 それにコメント欄が、いつものように温かいツッコミと笑いに包まれる。


『言い方www』

『高みの見物決め込んでる場合かよ!あんたも、そのテーブルの参加者の一人だろうが!』

『JOKERさん、最近金持ちになったからって調子に乗ってんなw』


「はっ、うるせえよ」

 彼はそう悪態をつきながらも、その口元は確かに笑っていた。

 オークションの画面では、すでに熾烈な戦いの火蓋が切って落とされている。

 開始価格20兆円から、わずか数分でその価格は25兆、26兆と、億単位の金がまるで冗談のように飛び交っていた。


 そのあまりにも現実離れした光景。

 それに、一人の視聴者がしびれを切らしたように問いかけた。


『なあJOKER!あんた、プロのギャンブラーなんだろ!?このオークション、いくらになると思う?予想を聞かせてくれよ!』


 そのあまりにもストレートな問いかけ。

 それにコメント欄が、待っていましたとばかりに一斉にJOKERへと注目する。

 彼は、ゆっくりと灰皿にタバコを押し付けると、その質問に答える前に、自らの思考を整理するように語り始めた。


「…予想ね」

「まあ、このテーブルのプレイヤー(参加者)を見る限り、一筋縄じゃいかねえだろうな」

 彼の指が、モニターの入札者リストをなぞる。

 そこには、『オーディン』、『青龍』といった世界のトップギルドの名前や、個人資産で国家予算を上回ると噂される欧州の老富豪の名前が並んでいた。

「こいつらは、全員が本気だ。この腕輪が、ただの便利な移動ツールじゃないことを理解してる。これを手に入れたギルド、あるいは国家が、次の10年の世界の覇権を握る、その可能性に賭けてるんだ」

 彼はそこで一度言葉を切ると、その結論を告げた。

 その声は、ディーラーがカードを配るかのように静かで、そしてどこまでも重かった。


「うーん…この前のワイドショーで、評論家が40兆は硬いって話だからな。俺は、こう見るね」

「50兆は、いくんじゃないか?」


 そのあまりにも大胆な、しかし確信に満ちた予想。

 それに、コメント欄が爆発した。


『ご、50兆!?!?』

『国家予算じゃねえか!もはや!』

『JOKERの予想、当たりそうで怖いんだが…!』


 その熱狂の、まさにその最中だった。

 一人の真面目そうな視聴者が、このオークションのもう一つの側面について問いかけた。


『JOKERさん、このオークションの売却益が俺たちF~C級の冒険者の支援に使われるって話、どう思いますか?』


 そのあまりにも真摯な質問。

 それに、それまでギャンブルの行方で盛り上がっていたコメント欄の空気が、わずかに変わった。

 そしてその質問は、JOKERの心の最も柔らかな部分を、静かに、しかし確かに突いた。

 彼は、数秒間沈黙した。

 そして彼は、ゆっくりと口を開いた。

 その声は、いつもよりも少しだけ低く、そしてどこまでも真剣だった。


「――すげー、良いことだと思う」


 そのあまりにも素直な肯定の言葉。

 それに、コメント欄がざわついた。

 JOKOKERが、これほどまでにストレートに誰かの行動を称賛するのは、珍しいことだったからだ。

 そして彼は、続けた。

 その言葉は、彼がこれまで誰にも語ったことのない、彼の「始まり」の物語だった。


「俺も、街頭ニュースの雷帝・神宮寺猛の活躍に憧れて、探索者になったからな」


 静寂。

 数秒間の、絶対的な沈黙。

 配信画面のコメント欄の動きが、完全に止まった。

 数十万人の視聴者たちが、一斉に自分の耳を疑った。

 今、この男はなんと言った?

 あのJOKERが?

 あの常に斜に構え、全てを嘲笑うかのように振る舞い、世界の理不尽さそのものを楽しむ、あの天邪鬼なギャンブラーが。

「憧れて」?

 誰に?

 あの光の道を歩む、正義の象徴。

 雷帝・神宮寺猛に?


 そのあまりにも衝撃的な告白。

 それにコメント欄が、これまでのどの熱狂とも比較にならない、本当の「爆発」を起こした。

 もはやそれは、驚愕ではない。

 一つの歴史的瞬間に立ち会えたことへの、感動の嵐だった。


『え…?』

『マジで言ってるのか…?』

『嘘だろ…。知らなかった…。そんな経緯で、探索者になったのか…?』

『JOKERも、雷帝・神宮寺猛のファンだったのか…!?』

『なんだよそれ…。泣けるじゃねえか…!』

『俺たちのJOKERにも、そんな青臭い時代があったのか…!』


 そのあまりにも温かく、そしてどこかからかうようなコメントの嵐。

 それに、JOKERの完璧だったはずのポーカーフェイスが、初めて明確に崩れ落ちた。

 彼の顔が、みるみるうちに真っ赤に染まっていく。


「ち、ちげえよ!ファンとか、そういうんじゃねえ!」


 彼は、慌ててそう叫んだ。

 その声は、明らかに動揺していた。

 彼は、ARカメラから顔を背け、頭をガシガシとかきながら、しどろもどろに言葉を続けた。

 その姿は、もはや絶対的な強者ではない。

 ただの、図星を突かれて照れている不器用な青年だった。


「…いや、その…ファンじゃねーけど…。ただ…」

「今の俺がいるのが、あの人の活躍のおかげだってのは、事実だからな…」

「だから…もし一度会う機会があったら、礼くらいは言いたいなって…」


 そのあまりにもツンデレな、しかしどこまでも素直な本音。

 それにコメント欄は、もはや腹を抱えての大爆笑と、そして温かい祝福の言葉で埋め尽くされた。


『ツンデレキターーーーー!』

『JOKERさん、可愛すぎるだろwwwww』

『最高のカミングアウトだったぜ!』

『雷帝に、この配信見せてやりてえwww』


 その熱狂の、まさにその最中だった。

 オークションの残り時間が、1分を切った。

 そして価格は、JOKERの予想をさらに上回る、とんでもない領域へと突入していた。


【現在価格: 52兆円】


 その、もはや現実感を失った数字の暴力。

 それに、JOKERも視聴者たちも我に返った。

 そして彼らは、固唾を飲んでその世紀のギャンブルの結末を見守った。

 最終的にその腕輪は、55兆円という世界の歴史を塗り替える圧倒的な価格で落札された。

 落札したのは、北米の巨大IT企業の連合体だった。


 その歴史的な瞬間の余韻に、浸りながら。

 JOKERは、ただ静かに呟いた。

 その声には、自らの過去への、そして自らがこれから進むべき未来への、確かな思いが込められていた。


「…まあ、俺もあそこまではできねえが」

「あの人が、下の奴らのために道を作ってくれたみてえに」

「俺も、俺にできる何かを、見つけねえとな」


 その静かな決意。

 それを聞いていたのは、数十万人の彼の共犯者たちだけだった。

 彼の新たな物語が、今、確かに始まろうとしていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ