第186話
その日の神崎隼人――“JOKER”の配信は、彼が新たな人生の舞台として選んだD級ダンジョン、【打ち捨てられた王家の地下墓地】のひんやりとした石の回廊から始まった。
彼の新たなビルド、ネクロマンサーとしての本格的なデビュー戦。その様子を、数十万という彼の信奉者たちが固唾を飲んで見守っていた。
配信タイトルは、彼の現在の心境をそのまま映し出すかのようにシンプルで、そしてどこか挑戦的だった。
『【ネクロマンサーLv.7】D級墓地で骨拾い』
そのあまりにもゆるいタイトル。それに彼のチャンネルに集った観客たちは、もはやお馴染みとなった温かいツッコミと期待のコメントで応える。
『骨拾いwww』
『今日のJOKERさんも通常運転だな!』
『D級の無限復活ギミック、あのゾンビ軍団でどうやって蹂躙するのか見せてくれ!』
『骸の女王様もきっと見てるぞ!下手な指揮はできないな!』
「…うるせえよ。好きでやってる」
隼人は、コメント欄の熱狂にいつものようにぶっきらぼうに答えながら、その手に握られた古びた骨のワンドを構え直した。その背後には、4体の忠実なる僕…彼の魂とリンクしたゾンビミニオンたちが、主の命令を静かに待っていた。
アメ横の市場で買い揃えた、一体5000円の安物の装備。それらをその身にまとう。
だが、その内側に宿る力はもはやF級のそれではない。【近接物理ダメージサポート】、【近接スプラッシュサポート】、そして【ミニオンダメージサポート】。三つの歯車が完璧に噛み合った、彼の死者の軍団。
彼が最初の広大な墓室へと足を踏み入れた、その瞬間。
カタガタゴトと、おびただしい数の骸骨兵が地面からその呪われた体を起こした。
その数、五十以上。
前回、彼の戦士ビルドをあれほどまでに苦しめた、無限に湧き出る死者の軍勢。
だが、コメント欄に悲鳴はない。
あるのは、ただこれから始まるショーへの期待だけ。
隼人もまた、その光景に何の感慨も抱かない。
彼の口元には、獰猛な笑みが浮かんでいた。
彼は、その後方に控える4体の忠実な僕たちに、ただ一言だけ命令を下した。
「――蹂躙しろ」
その短い、しかし絶対的な意志の力。
それに彼のゾンビ軍団が呼応した。
ウオオオオオオオオオオッ!!!
これまでとは比較にならない、力強い雄叫び。
4体のゾンビは、その腐った肉体をまるで鋼鉄のように硬質化させ、骸骨の軍勢の中へと一直線に突撃していった。
そしてそこから始まったのは、もはや戦闘ではなかった。
ただ、一方的な「破壊」のショーだった。
一体のゾンビが振るう骨の剣の一閃。
その攻撃が一体の骸骨兵を捉えた、その瞬間。
**ボフンッ!**というくぐもった音と共に、骸骨兵の体が破裂した。
そして、その衝撃波が隣の骸骨を、そしてさらにその隣の骸骨を巻き込み、まるでドミノ倒しのように死の連鎖が広がっていく。
【近接スプラッシュサポート】の効果は、絶対的だった。
4体のゾンビが、それぞれ別の敵を殴っているはずなのに、その全ての攻撃が、まるで一つの巨大な範囲攻撃のように骸骨の軍勢全体を同時に、そして効率的に削り取っていく。
ガシャガシャという骨の音よりも速く、ゾンビたちが振るう骨の剣が風を切る音、そして骸骨が砕け散る「ボキッ!」という乾いた破砕音だけが墓室に響き渡る。
もはや彼は、一体一体に指示を出す必要すらない。
ただ、進軍の方向を指し示すだけ。
彼の死者の軍団は、彼の意志を完璧に理解し、最も効率的なルートで敵を殲滅していく。
骸骨兵たちは、なすすべもなかった。
その錆びついた剣がゾンビの体に届く前に、その頭蓋はすでに砕け散っている。
だが、その蹂躙劇の最中、JOKERの予想通り、後方の祭壇の影から数体の黒いローブをまとった【ネクロマンサー】たちが、不気味な呪文を唱え始めた。
彼が倒したはずの骸骨兵たちが、その砕かれた骨を再構築し、次々と立ち上がってくる。
その光景に、コメント欄がわずかにざわついた。
『出たな、無限復活ギミック!』
『地味にうぜえんだよな、これ!』
だが、隼人はその光景を見ても眉一つ動かさない。
彼の口元には、むしろ獰猛な笑みが浮かんでいた。
この厄介なギミックこそ、彼の新たな戦術を披露するための最高の舞台装置だったからだ。
彼は、復活した骸骨たちには一瞥もくれず、その視線は後方の本体たちだけを捉えていた。
そして彼は、新たな命令を下す。
「――1号、2号はあの黒ローブを潰せ。最優先だ」
「3号、4号は俺の前に立て。復活してくる雑魚を片っ端からもう一度殺せ」
そのあまりにも的確で、そして冷徹な分隊戦術。
それに、彼のゾンビたちが即座に反応した。
2体のゾンビが、壁役のゾンビたちの横をすり抜け、一直線にネクロマンサーたちへと突撃していく。
残りの2体は、隼人の前に立ちはだかり、復活してくる骸骨兵たちをその場で迎撃し続ける。
完璧な役割分担。
完璧なフォーメーション。
ネクロマンサーたちは、慌てて防御魔法を詠唱しようとする。
だが、もう遅い。
ゾンビたちの圧倒的な火力の前に、その脆弱な肉体はなすすべもなく引き裂かれ、光の粒子となって消滅した。
そして、指揮官を失った骸骨兵たちは、その動きをぴたりと止め、やがて砂のようにその場に崩れ落ちていった。
この完璧な戦術がピタリとハマり、彼はボスまで無双しながら進んでいく。
『すげええええ!』
『これがJOKERの指揮かよ!』
『ただの脳筋じゃねえ!クレバーすぎる!』
コメント欄が、賞賛の嵐に包まれる。
隼人は、その声援に満足げに頷くと、ドロップした魔石を手早く回収し、次の部屋へと向かった。
彼の新たな人生は、彼が想像していた以上に刺激的で、そして楽しいものになりそうだった。
◇
そして彼はついに、この地下墓地の最深部、巨大な円形のホール、その中央に鎮座する骨の玉座の前へとたどり着いた。
ボス、【骸骨の百人隊長】。
前回、彼の戦士ビルドに初めての「撤退」を余儀なくさせた、因縁の相手。
だが、今の彼の心に恐怖はなかった。
あるのは、ただこれから始まる一方的な復讐劇への冷たい期待だけ。
彼はその場で一度立ち止まると、静かに自らのオーラを切り替えた。
戦士ビルドの時に5万円で購入した、【吹雪の鎧】。
それを、ネクロマンサービルドでもセットする。
「後衛だから、ダメージを食らう事はないが、念の為だな」
彼はそう呟いた。
その慎重さこそが、一流のギャンブラーの証。
そして彼は、4体のゾンビたちに最後の命令を下した。
「――まず、雑魚を一掃しろ」
百人隊長がその巨体を起こすのと同時に、その周囲の床から数十体の骸骨兵が湧き出てくる。
だが、その雑魚たちはもはや彼のゾンビ軍団の敵ではなかった。
スプラッシュダメージの連鎖によって、骸骨兵たちは瞬く間に「溶けて」いった。
後に残されたのは、孤立無援の哀れな王、ただ一体。
「さてと」
隼人は不敵に笑った。
「一対四だ。卑怯だと思うか?」
彼は問いかける。
「だがな、これも戦術なんだよ」
4体のゾンビが、百人隊長へと一斉に襲いかかった。
その飽和攻撃。
それに、百人隊長はなすすべもなかった。
その巨大な両手剣が、一体のゾンビを捉える。
だが、その隙に残りの三体のゾンビが、その背後から、側面から、無慈悲な攻撃を叩き込んでいく。
ガキン、ゴキンと、王の黄金の鎧が悲鳴を上げる。
そのあまりにも一方的なリンチ。
それに百人隊長は、ついにその理性の箍を外した。
「グルオオオオオオオオオオッ!!」
渾身の咆哮。
そして彼は、その巨大な両手剣に全ての魔力を込めた。
その一撃は、確かに一体のゾンビの体を完全に粉砕した。
だが、その光景を見ても隼人は動じなかった。
彼の口元には、むしろ獰猛な笑みが浮かんでいた。
「――残念。材料なら、沢山あるぜ?」
彼はそう言うと、先ほど倒した骸骨兵の死体の一つを指さした。
そして彼は、ゾンビ召喚を唱える。
一体の新たなゾンビが、彼の軍団へと加わった。
そのあまりにも理不尽な光景。
それに、百人隊長の空虚な眼窩の鬼火が、絶望に揺らめいた。
そして、その絶望が彼の最後の抵抗の意志を完全に打ち砕いた。
数秒後、百人隊長は、4体のゾンビの尽きることのない猛攻の前にその巨体を支えきれず、ゆっくりとその場に崩れ落ち、ひときわ強い光を放ちながら霧散していった。
静寂が戻る。
その直後、彼の全身を黄金の光が二度包み込んだ。
レベルアップ、2回。
彼のネクロマンサーのレベルは、7から9へと一気に上昇した。
そのあまりにも圧倒的な勝利。
それに、コメント欄が爆発した。
『ネクロマンサービルド強すぎて草』
『相手、何も出来ないじゃん!』
『D級ボスが、赤子の手をひねるようだったな…』
その熱狂の中で、一人のひときわ気品のある、しかしどこか見下したようなコメントが投下された。
投稿主は、S級ネクロマンサー『骸の女王』だった。
骸の女王:
…ふふっ。まあ、当然の結果ね。
そうよ。最強とは言わないけれど、最もクレバーで、そして強いビルドはネクロマンサーだと、私は信じているわ。
あなたも、少しはその真理に近づけたようね。
その女王からの、最大級の賛辞(?)。
それに、他の有識者たちも次々と同意の声を上げた。
元ギルドマン@戦士一筋:
うむ。ネクロマンサービルドは、強いぞ。
今まで、その地味な見た目と複雑な操作性から人気がなかったがな。
JOKERのおかげで注目されてるし、今後も使用者は増えるだろうな。
ハクスラ廃人:
その分、今まで安めだったネクロマンサー用の装備も値上がるだろうがな。
まあ、それはしょうがない事だ。
彼の新たな挑戦は、最高の形で幕を開けた。
そして、その挑戦がこの世界の「メタゲーム」そのものを大きく動かしていくことになる。
そのことを、彼自身だけがまだ知らなかった。