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第183話

 その日の夕暮れ時、神崎隼人――“JOKER”は、異空間【黄昏の港町アジール】の馴染みの酒場にいた。

 石造りの壁、年季の入ったオーク材のカウンター、そして様々な言語の喧騒と香ばしいエールの匂い。

 彼の目の前には、先日初めて口にして以来、すっかり虜になってしまった「オーク肉の串焼き」の、まだ湯気が立つ皿が置かれている。


 これから彼は、ハイストに挑む。

 その緊張感に満ちたギャンブルの前に、この場所で美味い飯を食い、そしてこの街の空気を吸う。

 それが彼の新たなルーティンとなっていた。


 彼は串焼きに豪快にかぶりつきながら、ARカメラの向こうの数十万人の観客たちと、他愛のない雑談を交わしていた。

 今日の配信タイトルは、『【ハイスト前夜】A級冒険者のリアルな飯テロ』。

 そのあまりにもゆるいタイトルが、逆に視聴者たちの心を掴んでいた。


『うおおおお!オーク肉!マジで美味そう!』

『JOKERさん、最近食レポ配信多くて助かるw』

『この美味そうに飯食ってる姿と、この後の死線とのギャップがたまんねえんだよな』


 その和やかなコメント欄。

 それを楽しむように眺めていた彼の背後から、一つの聞き慣れた、しかしどこか気だるそうな声がかけられた。


「…よう、JOKER」


 彼が振り返ると、そこにはやはり彼がいた。

 色素の薄い銀髪。

 常に目の下に深い隈ができた、眠たげな瞳。

 黒を基調とした、機能的なロングコート。

 韓国人のA級ネクロマンサー、パク・ジフンだった。

 彼は隼人の向かいの席にどかりと音を立てて腰を下ろすと、深いため息をついた。

 その顔には、「面倒くさい」と書いてある。


「…どうした、ジフン。今日も世界の終わりのような顔をしてるな」

 隼人が軽口を叩く。

「はっ、笑い事じゃねえよ」

 ジフンはそう言うと、テーブルの上に突っ伏した。

 そして彼は、恨めしそうな目で隼人を睨みつけた。


「聞いたか、新人たちの話を?」

 そのあまりにも唐突な問いかけ。

 それに隼人は首を傾げた。

「いや?」

「…はぁ」

 ジフンはもう一度深いため息をつくと、その全ての元凶である目の前の男に、その理不尽な怒りをぶつけ始めた。


「実はな、アンタの配信を見て、新人F級冒険者がネクロマンサーやるのが流行ってるんだ」

「…ほう?」

「ほう?じゃねえんだよ!」

 ジフンはテーブルをドンと叩いた。

「おかげでどうなったと思う?俺が所属してる韓国のギルド。そこの育成スクールの連中が何を思ったか、『我がギルドにもA級の偉大なネクロマンサーの先輩がいるじゃないか!ぜひ若手への指導を!』とか言い出しやがったんだよ!」

「結果、俺はA級って事で、韓国ギルドのスクールに講師として面倒臭い事に呼ばれたりしてるんだぜ?」

 彼は心の底からうんざりしたという顔で続けた。

「まあ、金貰えるから行くがよ。だがな、あのキラキラした目で『先生、先生』って寄ってくるガキどもの相手をするのが、どれだけ精神を消耗するかお前に分かるか?面倒くさい事、極まりないぜ…」


 そのあまりにも切実な愚痴。

 それに隼人は、思わず吹き出してしまった。

「ははははっ!」

「それは申し訳ないな」

 彼は笑いながら謝った。

 だが、その顔には一切申し訳ないという色は浮かんでいなかった。

 むしろ、自らが意図せずして巻き起こした世界の小さな、しかし確かな変化を、心の底から楽しんでいるかのようだった。


 その二人の会話。

 それを横で聞いてた別のテーブルの男が、ニヤニヤしながら話に加わる。

 彼は黒い機能的な戦闘服に身を包んだ、精悍な顔つきの中国人の探索者だった。


「ああ、らしいな」

 彼は流暢な、しかしどこか訛りのある日本語で言った。

「その話、俺も聞いたぜ。うちの国でも、全く同じことが起きてる」

「JOKERのあのF級ダンジョンでのネクロマンサー配信。あれを見て、『これなら自分も安全に強くなれるかもしれない』って勘違いした若者が、急増してるらしい」

 彼はそこで一度言葉を切ると、面白そうに続けた。

「おかげでどうなったか。比較的に安全に戦う事が出来るって事で、中国政府も専門部隊を設立するぐらいの勢いらしいぜ」

「…マジかよ」

 今度はジフンが驚きの声を上げた。

「ああ、マジだ。そしてな、同じように今まで主流から外れたミニオン使いが、講師として借り出されてて。同じように愚痴ってたぜ」

「『今まで見向きもしなかったのに、今更過ぎる』ってな」

 彼はそう言って、豪快に笑う。

 そのあまりにもグローバルなJOKERの影響力。

 それに隼人自身もまた、苦笑いするしかなかった。


 そして、その盛り上がりにさらに別の声が加わった。

 それは、カウンターで一人テキーラを呷っていた、陽気なラテン系のアメリカ人だった。

 彼はその褐色の肌に、人の良い笑顔を浮かべて言った。


「ははっ! 何を暗い顔してるんだい、兄弟!」

「そりゃ、最高の話じゃないか!」

「ミニオン使いは、比較的安全に戦えるからな。それは事実だ。だがその分、これまでは地味だった。そうだろ?誰もが派手な剣技や魔法に憧れる。死体を操るなんて気味が悪いってな」

 彼はそこで一度テキーラをぐいっと飲み干すと、隼人を指差して言った。

 その瞳は、尊敬と感謝の光で輝いていた。

「だが、JOKERのおかげで花形として認知されたってわけだ!」

「指揮官として戦場を支配する、そのクレバーな戦い方。それが最高にクールだって、世界が気づいたんだよ!」

「JOKER様々じゃないか!」


 そのあまりにもポジティブな意見。

 それにジフンは、さらに顔を歪ませた。

「いや、面倒くさい事この上ないだろ」

 彼は再びテーブルに突っ伏した。

「講師やるくらいなら、ダンジョン回した方が利益が出るし。全く割に合わねえ仕事だぜ…」

 そのあまりにも切実な本音。

 それに中国人の男とアメリカ人の男は顔を見合わせ、そして腹を抱えて笑い出した。


「はっはっは!まあ、そう言うなよ兄弟!」

 アメリカ人の男が、ジフンの背中をバンバンと叩く。

「お前も有名税ってやつだ。諦めな」

「そうだぜ。それ言ったらおしまいだから、あまり周りに言うなよ」

 中国人の男もまた、笑いをこらえながら言った。

 そのあまりにも温かい、そしてどこまでも無責任な慰めの言葉。

 それに3人は笑う。


 その国籍も、人種も、ビルドも違う三人のA級探索者たち。

 彼らが一人の日本人プレイヤーを中心に、一つのテーブルで笑い合っている。

 そのあまりにも奇妙で、そしてどこまでも平和な光景。

 それを隼人はただ黙って、オーク肉を頬張りながら眺めていた。

 そして彼は思った。

(…まあ、たまには悪くねえか)

 彼の心の中に、これまで感じたことのない不思議な、温かい感情が静かに芽生えていた。

 彼の孤独だった戦いは、終わりを告げた。

 ここから始まるのは、世界の猛者たちと共に歩む新たな物語。

 その確かな予感が、彼の胸を熱くさせていた。



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