第171話
彼は、見つけた。
この混沌とした街の中心。
そこには、巨大な駅のプラットホームのような、広大な空間が広がっていた。
ポータルステーションが、大量に並べられている。
いくつもの青白い光を放つ転移装置。その前で、様々な国の探索者たちが、自らの【計画書】を手に、次なる獲物へとその身を投じようとしていた。
ここが、ハイストの出発点。
彼は、その光景にゴクリと喉を鳴らした。
彼は、その内の空いている一つを使い、インベントリから【計画書】を取り出した。
そして、それをステーションのコンソールにセットして使う。
彼の目の前に、新たな、そしてより小さな緑色のポータルが開く。
その向こう側には、古びた石造りの地下へと続く階段が見えた。
彼は、意を決してそこに入ると。
彼の後ろに、人影が現れた。
それは、無精髭を生やし、使い古された革鎧に身を包んだ、屈強な男だった。その目つきは鋭いが、どこか人の良さそうな光を宿している。
男は、隼人の姿を一瞥すると、ニッと笑った。
「おう。お前が、今回の冒険者か。よろしくな」
その、あまりにもフランクな挨拶。
「俺はギデオン。今回のミッションで、お前の相棒を務める錠前師だ」
ギデオンと名乗ったその男は、隼人が何も言わないのを見て、続けた。
「ん?なんだ、その顔は。ああ、そうか。初めてか。だから、説明してやる」
彼は、面倒くさそうに、しかしどこか楽しそうに、このゲームのルールを語り始めた。
「いいか、よく聞けよ、新人。この仕事は、時間との勝負だ。そして、お前の『欲』とのな」
彼は、親指で地下へと続く階段を指し示した。
「この先には、厳重な警備網が敷かれてる。敵が、うようよしてるってわけだ。俺たちの仕事は、そいつらの巡回を潜り抜け、一番奥にあるお宝をいただくこと。単純だろ?」
「だが、問題は道中にある宝箱だ。こいつが、厄介なんだよ」
ギデオンは、指を一本立てた。
「その宝箱には、メインのお宝とは別の、美味いブツが入ってる。だが、錠前破りでそれを破ると、レベル20、警戒レベルが上がる」
「警戒レベル?」
「ああ。画面の隅に表示されるゲージだ。そいつがレベル100になると、失敗だ。このダンジョンからは、強制的に追い出される。途中で拾ったアイテムも、全部没収だぜ?」
ギデオンは、ニヤリと笑った。
「宝箱は、全部で5つある。つまり、全部開ければ警戒レベルは100。即、ゲームオーバーってわけだ。だが、4つまでなら、理論上はセーフ。だが、その分、巡回に見つかるリスクも上がる。さあ、お前ならいくつ開ける?」
その、あまりにもギャンブラー心をくすぐる問いかけ。
「そして、一番奥の宝箱」
ギデオンは、続けた。
「そこには、大量の魔石とアイテムが眠ってる。150万は、堅いだろうな。だが、これを開けると強制的にロックダウンモードになり、敵が無限に湧くぜ?」
「しかも、そいつらは時間が経つにつれて加減無く強くなるから、戦いつつ逃げるのが重要だと、そういうわけだ」
ギデオンは、一通り説明を終えると、隼人の顔を覗き込んだ。
「どうだ。分からない事がないなら、早く行こうぜ?」
その問いかけに、隼人はただ静かに、そして深く頷いた。
彼の頭の中では、すでにこのテーブルの全てのルールと、勝ち筋が見えていた。
「…ああ」
彼は、短くそう答えた。
そして、二人はその薄暗い地下への階段を、下っていく。
彼の、全く新しい種類のギャンブルが、その重い沈黙の中で、静かに始まった。
そこは、ひんやりとした石と、乾いた土の匂いに満ちた、地下回廊だった。
壁には、等間隔に松明が掲げられ、その頼りない炎が、どこまでも続く通路の闇を、ぼんやりと照らし出している。空気は重く、淀み、彼の耳に届くのは、自らの心臓の鼓動と、隣を歩く男の革鎧が擦れる音だけだった。
「…さてと、新人」
彼の隣を歩く無精髭を生やした錠前師、ギデオンが、その低い声で言った。
「こっからが本番だ。耳の穴かっぽじって、よく聞いときな」
彼のそのプロフェッショナルな響きに、隼人は静かに頷いた。
「まず、この仕事で一番重要なのは、音を立てねえことだ。敵は、音に敏感でな。下手に走り回ったり、壁を蹴ったりすりゃ、どこからともなく、わらわらと湧いてきやがる」
「そして二つ目。常に、巡回のルートを読め。あいつらは、一見、無秩序に歩き回ってるように見える。だが、違う。そこには、必ず一定の法則性がある。その『癖』を見抜き、その裏をかく。それこそが、俺たち盗賊の仕事の基本だ」
その言葉。
それは、隼人がギャンブルのテーブルで、常に意識してきたことと、全く同じだった。
彼は、この「ハイスト」という名の新たなゲームが、自分の性に合っていることを、改めて確信していた。
彼らが、最初の角を曲がった、その時だった。
通路の先に、一つの木製の扉が見えた。
その扉の前には、二体の屈強な警備兵が、巨大な戦斧を手に、微動だにせず立っている。
「…どうする?」
隼人が、尋ねる。
「馬鹿正直に、正面から突っ込むか?それとも…」
「待て待て、新人」
ギデオンは、そのあまりにも脳筋な発想に、呆れたように首を横に振った。
「俺が、何のためにいると思ってやがる。こういう時のための、専門家だろうが」
彼は、そう言うと、壁のわずかな窪みを指し示した。
「見ろ。あそこに、通気口がある。あれを使えば、あの部屋を迂回できる」
「…なるほどな」
二人は、音を殺しながら、その通気口へと近づいていく。
ギデオンが、手慣れた様子でその鉄格子を外すと、中には一人がやっと通れるほどの、狭いダクトが続いていた。
彼らは、その暗く埃っぽいダクトの中を、這うようにして進んでいった。
数分後。
彼らが、別の通気口から顔を出すと、そこは警備兵がいた部屋のすぐ隣の、小さな倉庫だった。
そして、その倉庫の中央。
そこに、それは静かに置かれていた。
古びた、木製の宝箱。
その表面には、簡単な、しかし確実な罠が、仕掛けられているのが見て取れた。
「…おい、ギデオン」
隼人が、その宝箱を指し示す。
「あれは、どうだ?」
「…ああ、見えるぜ」
ギデオンは、その宝箱を一瞥すると、ニヤリと悪い笑みを浮かべた。
「お宝だ。間違いねえ。だがな、新人。お前、本当に開けるか?」
「まだ、警戒レベルは0だ。開けないのか?」
ギデオンは、試すように言った。
その瞳の奥が、この新人がどんな判断を下すのか、面白がって見ている。
隼人は、その宝箱とギデオンの顔を、交互に見比べた。
そして彼は、静かに首を横に振った。
「…いや、やめておく」
「最初は、様子見だな。一番奥の宝箱のみ、開ける」
「ほう?」
「敵の頻度も分からないうちに開けるのは、ダメだな。リスクとリターンが、釣り合わねえ。まずは、このダンジョンの全体の流れを把握するのが、先決だ」
その、あまりにも冷静で、そして的確な判断。
それに、ギデオンは感心したように、そしてどこか満足げに頷いた。
「…はっ。面白いな、あんた」
「クレバーな奴だぜ。良い強盗家に、成れるぜ、あんたなら」
彼は、そう言うと、再び歩き始めた。
そして彼は、ポツリと続けた。
その声には、どこか遠い目をするような響きがあった。
「それだけ慎重で、そして度胸があるなら…。あんたなら、グランドハイストもこなせるかもな」
その、聞き慣れない単語。
それに、隼人は眉をひそめた。
「グランドハイスト?」
「ああ」
ギデオンは、振り返りもせず答えた。
「ハイストのさらに上位の、グランドハイストって物があるんだ。俺たちみてえな日雇いの専門家じゃ、なかなかお目にかかれねえ、でっけえヤマだ。他の冒険者に聞けば、分かるぜ?」
彼は、そこで一度言葉を切った。
そして、彼は呆れたようにため息をついた。
「ただ、最近値上がりしててな。成功報酬もデカいが、その分、失敗した時のリスクも尋常じゃねえ」
「確か、一番安い計画書でも…」
彼は、記憶をたどるように言った。
「68000ドル? だったか。冒険者達が、よく使う金額の単位らしいぜ?」
ドル。
その、国際的な通貨の単位。
隼人の脳内で、高速の計算が始まる。
現在の、為替レート。
そして、彼が弾き出したその数字。
それに、彼は思わず声を漏らした。
「…68000ドル。つまり、一発1000万円かよ。ヤバいな」
その、あまりにも巨大な賭け金。
A級の彼ですら、躊躇するほどの金額。
それこそが、この世界の本当のトップランカーたちが興じる、神々のギャンブル。
彼は、その世界の広さを、改めて思い知らされていた。
そうこうして、会話してるうちに。
彼らは、ついにこの施設の最深部へとたどり着いた。
そこは、広大な宝物庫だった。
金銀財宝が山のように積まれ、その中央には、ひときわ豪華な装飾が施された、巨大な一番奥の宝箱が鎮座していた。
「…着いたな、新人」
ギデオンが、言った。
「こいつが、本日のメインターゲットだ」
「じゃあ、開けるぜ?」
隼人が頷くのを、確認すると。
ギデオンは、その錠前師としての本領を発揮し始めた。
彼は、宝箱に仕掛けられたいくつもの複雑な罠を、まるで楽器でも奏でるかのように、滑らかな指使いで、次々と解除していく。
そして、数分後。
カチリという小さな音と共に、宝箱の重い蓋が開かれた。
その瞬間。
まばゆい黄金の光が溢れ出し、大量のドロップ品が落ちる。
おびただしい数のB級、A級の魔石。
そして、いくつかの高価なクラフト用オーブと、スキルジェム。
それは、まさに宝の山だった。
隼人が、それらを夢中でインベントリへと収納していく。
拾い終わると、彼はギデオンに頷き返した。
「――よし、終わった」
その彼の一言を、合図にしたかのように。
宝物庫全体に、けたたましい警報音が鳴り響いた。
ウウウウウウウウウウウウッ!
部屋の全ての扉が、ガシャンという重い音を立てて、閉ざされていく。
強制的な、ロックダウンモード。
そして、その閉ざされた扉の向こう側から。
おびただしい数の警備兵たちが、なだれ込むように出現し始めた。
敵が、どんどん湧いてくる。
「…はっ、派手なお出迎えじゃねえか」
隼人は、不敵に笑った。
「拾い終わったな。じゃあ、いくぜ」
ギデオンが、叫ぶ。
「おう!」
二人は、慌てて逃げ始めた。
来た道を、全力で引き返していく。
彼らの後ろから、無限に湧いてくる警備兵たち。
その数は、あまりにも多い。
敵が湧いてくるが、無視して突っ切る。
彼らは、ただひたすらに出口を目指して、駆け抜けていく。
そして、ついに彼らは、地上へと続く最後の階段の前に、たどり着いた。
だが、そこはすでに十数体の屈強な警備兵たちによって、封鎖されていた。
「…チッ、面倒くせえ」
隼人は、舌打ちした。
「ギデオン、下がってろ」
「おう!」
隼人は、その警備兵たちの壁へと、正面から突撃した。
そして、彼は叫んだ。
「――じゃまだ!」
彼の必殺技、4連撃が炸裂する。
【衝撃波の一撃】。
ドッゴオオオオオオオオオオオオオオンッ!!!
その、圧倒的な質量の暴力。
それに、警備兵たちの壁は、まるで紙切れのように一掃され、吹き飛ばされた。
そして、開かれた一本の道。
彼らは、その道を一気に駆け抜けていく。
入口まで戻り、階段を駆け上がる。
そして、ついに彼らは、地上へとその身を躍り出た。
地上に、出る。
「…これで、安全だ」
ギデオンが、安堵の息を吐いた。
「はっ、楽しい強盗だったな。腕のいい相棒がいると、仕事も楽でいいぜ」
「…お前もな」
「じゃあ、またな」
ギデオンは、そう言うと、その場に緑色のポータルを開いた。
そして彼は、そのキラキラ光る消えるポータルをくぐり、アジールに戻る。
後に残されたのは、隼人ただ一人だった。
◇
数分後。
彼もまた、ポータルを使い、アジールのあの混沌とした港町へと、帰還していた。
彼は、その足で屋台が立ち並ぶ一角へと、向かった。
彼の鼻腔を、香ばしい肉の焼ける匂いがくすぐる。
彼は、その匂いに誘われるように、一つの屋台の前で足を止めた。
「…オヤジ、これ一本くれ」
彼が注文したのは、串に刺さった巨大な肉塊。
香辛料が、よく効いている。
店主のドワーフが、無愛想に答える。
「へい、お待ち。オークの肉だ。うめえぞ」
隼人は、その巨大な串焼きを受け取ると、近くのベンチに腰掛けた。
そして、その肉にかぶりついた、その瞬間。
彼の瞳が、見開かれた。
硬いと思っていたその肉は、驚くほど柔らかく、そしてジューシーだった。
スパイスの刺激的な風味と、肉本来の濃厚な旨味。
それが、口の中で渾然一体となり、彼の味覚中枢を激しく揺さぶった。
「…うめえな、これ」
彼は、そのかなり美味い串焼きを頬張りながら、インベントリを確認する。
そこには、先ほどのハイストで手に入れた戦利品が、キラキラと輝いていた。
大量の魔石と、オーブ、ジェム。
彼は、その場でARシステムを使い、それらの市場価格を計算する。
表示された、金額。
『推定合計価格: 1,520,000円』
「…これだけあれば、150万円は硬いな」
彼は、満足げに頷いた。
元手60万円。
純利益、92万円。
最高の、ギャンブルだった。
そして、彼の思考は自然と次なる一手へと移行していた。
「今回の感触だと、もっと宝箱は開けて良いな」
「3個、いや、2個は開けて平気そうだ」
彼の、ギャンブラーとしての血が騒ぐ。
だが、同時に彼のもう一つの側面…冷徹なゲーマーとしての思考が、それを制止した。
「いや、だが、敵に見つかったら?」
そうだ。
今回は、一度も敵に見つからなかった。
だから、警戒レベルはゼロのままだった。
だが、もし一度でも見つかっていれば?
警戒レベルは、一気に跳ね上がっていただろう。
その、リスク。
「うーん、悩ましいな。確定している150万円か、もっと欲張るべきか…」
彼の心が、揺れ動く。
その彼の葛藤を、見透かしたかのように。
隣の席の外国人たちが、大きな声で雑談を始めた。
「いやー、今週はついてねえな!」
「ハイスト、今週は3回も失敗してるぜ…」
「あと宝箱一つだけって欲張った、その瞬間に警備に見つかってな…」
「分かる、分かるぜ…。あの欲望に抗うのは、難しいよな…」
その、あまりにもリアルな失敗談。
それを、聞きながら。
隼人の心は、静かに、そして確かに固まっていった。
(…なるほどな)
彼は、思う。
(やはり、このテーブルは、欲をかいたその瞬間から、負けが始まるようにできてるらしい)
彼は、串焼きの最後の一口を飲み込むと、静かに立ち上がった。
そして彼は、自らの次なる戦術を、決定した。
「――とりあえず、1個で我慢するか。慣れてから、2個開けよう」
その、あまりにもクレバーで、そして堅実な判断。
それこそが、神崎隼人 "JOKER" というギャンブラーの、本当の強さの源泉だった。
彼のハイストという新たな冒険は、まだ始まったばかりだ。
その最初の一歩は、最高の形で幕を開けた。