第17話
神崎隼人は、自らの「保険」となるパーツを、ガラクタの山から見事に組み上げた。
頭には、HPをわずかに補強する、傷だらけの鉄兜。胴には、火耐性を持つ、焼け焦げた革の胸当て。両手の指と首には、彼の弱点である属性耐性を、僅かながら塞いでくれる、三つの地味なアクセサリー。そして、足には、彼の命綱となる、移動速度を確保した、古びた革のブーツ。
彼の装備スロットから、「空き」という名の、致命的な穴は、完全に塞がれた。
残された軍資金は、数千円。
そして、埋めるべき、最後の、そして、最も重要なスロット。それは、彼の新たな「牙」となる、武器だった。
彼は、SeekerNetの聖書に記されていた【掟その5】を、改めて思い返す。
『武器は一つに絞れ。浮気はするな』
これまで使っていた、刃こぼれのナイフ。あれは、リーチも、威力も、あまりにも心もとなかった。ゴブリン一体を倒すのすら、苦労したのだ。あの武器で、ゴブリン・シャーマンと、その配下たちに挑むのは、無謀を通り越して、愚行でしかない。
彼が必要としていたのは、もっとリーチがあり、もっと信頼でき、そして、【戦士】というクラスの力を、最大限に引き出せる武器。
彼の選択は、自然と一つに定まっていた。
長剣。
攻守のバランスに優れ、あらゆる状況に対応できる、戦士の基本装備。派手さはないが、それ故に、奥が深い。今の彼にとって、これ以上ないほど、相応しい選択だった。
隼人は、マーケットの、さらに奥深くへと、足を踏み入れた。
これまで彼がいた、ジャンク品を扱うような、喧騒に満ちたエリアとは、空気が違う。人の数はまばらになり、代わりに、本物の「プロ」だけが放つ、張り詰めたような、静かな熱気が、その場を支配していた。
ここに店を構えているのは、もはや、素人相手の詐欺師や、ガラクタ売りの商人ではない。自らの腕一本で、探索者たちの命を預かる、本物の職人たちだ。
隼人は、その中でも、ひときわ静かで、そして、異質な空気を放つ、一軒の露店に、足を止めた。
そこは、マーケットの最も奥まった場所で、まるで、世界の喧騒から、自ら壁を作っているかのように、ひっそりと営まれていた。店というより、それは、ただの「作業場」だった。
地面に無造作に置かれた、巨大な金床。燃え盛る炉。そして、壁に立てかけられた、何本かの、無骨な武器。
店の奥の椅子に、一人の老人が座っていた。
片方の目は、古い傷跡と共に、固く閉じられている。残されたもう片方の目は、まるで鷹のように、鋭く、そして、深く、世界の全てを見透かしているかのようだった。筋骨隆々とした腕、煤で汚れた顔、そして、何十年もの間、鉄を打ち続けてきたであろう、その手に刻まれた深い皺。彼が、ただ者ではないことは、一目で分かった。
隼人は、その店の空気に、わずかに気圧されながらも、壁に立てかけられた剣を、静かに吟味し始めた。
店には、他の店でよく見かけるような、派手な装飾が施されたり、魔力を帯びてきらびやかに光ったりするような、魔法の剣は、一本もなかった。
そこにあるのは、ただ、実用性だけを、極限まで追求した、無骨で、飾り気のない、鋼の塊。だが、そのどれもが、確かな「仕事」をすることを、その存在感だけで、雄弁に物語っていた。
隼人は、一本、また一本と、剣を手に取っては、その重さ、重心、そして、握り心地を、確かめていく。
老人は、そんな隼人の様子を、黙って、その鋭い隻眼で、ただ、じっと見つめていた。彼の店を訪れる若者は珍しい。そして、そのほとんどは、見た目の派手さや、分かりやすい魔法の効果にしか、興味を示さない。だが、目の前の、このみすぼらしい格好の若者は、違った。彼は、剣の、もっと本質的な部分を、その手で感じ取ろうとしている。
やがて、隼人の手が、一本の長剣の前で、ぴたりと止まった。
それは、そこに並べられた剣の中でも、ひときわ、地味な一振りだった。鞘はなく、鍔も、握りも、何の飾りもない、ただの鉄の棒。刀身には、まだ、鍛えた時の槌の跡すら、うっすらと残っている。
だが、隼人が、それを手に取った瞬間。
彼は、確信した。
(――これだ)
重さが、完璧だった。彼が振るいやすい、ギリギリの重さ。そして、何より、重心のバランス。剣を構えた時、その切っ先が、まるで、自分の意志を持っているかのように、すっと、あるべき場所へと収まる。それは、彼の【戦士】としての、新しい肉体と、完璧に調和していた。
これ以上の相棒は、ない。
その時だった。
それまで、石像のように黙っていた老人が、初めて、その重い口を開いた。
「…兄ちゃん、目利きだな」
その声は、錆びついた鉄を擦り合わせたかのように、しゃがれていたが、不思議なほどの、威厳があった。
老人は、ゆっくりと立ち上がると、隼人の元へと歩み寄る。そして、彼が手にしている長剣を、その鋭い隻眼で、一瞥した。
「客のほとんどは、光り物か、有名な職人の銘が入ったもんにしか、興味を示さねえ。そいつは、俺が、ただ、あり合わせの鉄で、暇つぶしに打っただけの、ただの『なまくら』だ。誰も、見向きもしなかった代物だぜ」
老人は、そう言って、ふっと、息を吐いた。
「だが、兄ちゃんは、分かってるらしいな。剣の本質が、見た目や、魔法の効果なんざに、あるんじゃねえってことを」
彼は、隼人の、真っ直ぐな瞳を見つめた。
「そいつは、見た目は悪いが、いい鉄を使ってる。俺が、昔、ある貴族の依頼で仕入れた、ミスリル銀の屑鉄が、ほんの少しだけ、混ぜ込んであるんだ。だから、そこらの鉄の剣より、ほんの少しだけ、粘り強く、そして、魔力とも馴染みやすい。お前の腕次第で、どんな名刀よりも、いい仕事をするぜ」
隼人は、老人の言葉に、静かに頷いた。
「…いくらだ?」
「…残りの金、全部だ」
老人は、隼人の、膨らみのない財布を、見透かしたように、そう言った。
「はっ…あんた、やっぱり、ただの頑固爺さんじゃねえな」
隼人は、思わず、笑みを漏らした。
彼は、ポケットから、残っていたなけなしの紙幣と、小銭の全てを、カウンターの上に置いた。
「――買った」
その取引は、まるで、古の物語の一幕のようだった。
若き勇者が、賢者から、伝説の剣を授かる。そんな、使い古された物語。
だが、隼人が手に入れたのは、伝説の剣ではない。
ただの、無銘の、しかし、信頼できる、鋼の「相棒」だった。
巨大なフリーマーケットの、喧騒から離れた、薄暗い路地の片隅。
神崎隼人は、そこで、静かに、自らの「デッキ」を、再構築していた。
彼は、まず、今日手に入れた、全ての防具とアクセサリーを、その身に装着していった。
頭に、HPを補強する、傷だらけの鉄兜。
胴に、火耐性を与えてくれる、焼け焦げた胸当て。
足には、彼の命綱となる、移動速度を確保した、古びた革のブーツ。
そして、二つの指と、首に、彼の弱点を塞ぐ、三つの地味な装飾品。
最後に、腰のベルトに、新しい相棒――無銘の長剣を、差し込んだ。
客観的に見れば、その姿は、あまりにも、みすぼらしかった。
色も、形も、素材も、バラバラ。統一感など、皆無。それは、英雄の姿ではない。ただ、生き残るためだけに、ガラクタを寄せ集めた、貧しい、駆け出しの冒険者。それが、彼の外見だった。
だが、その内実は、全く違っていた。
彼の装備は、一つ一つが、SeekerNetの聖書に記された、戦士のセオリーに、完璧に則っていた。全ての弱点が、的確に補強され、全てのパーツが、生存という、ただ一つの目的のために、機能的に組み合わさっている。
それは、極めて実践的な、「完成されたデッキ」だった。
彼は、新しく手に入れた長剣を、ゆっくりと鞘から抜き放った。
シュイン、という、心地よい金属音。
その重みを、確かめる。左手には、神の御業【万象の守り】。右手には、信頼できる、鋼の剣。
彼は、もはや、自分に死角はない、と感じていた。
いや、死角だらけであることには、変わりない。だが、その死角を、どうすれば、補えるのか。その方法を、彼は、もう、知っている。
彼は、路地の水たまりに映る、自らの姿を、見下ろした。
そこにいるのは、もはや、運任せのギャンブルに、その身を投じていた、昨日の彼ではなかった。
情報を集め、理論を学び、自らの手で、勝率を、たとえ1%でも高めようとする、知的なゲーマーとしての「JOKER」が、そこにいた。
ギャンブルの本質は、運否天賦ではない。それは、不確定要素に満ちた世界で、いかにして、自分の勝利の確率を高めていくか、という、極めて知的なゲームなのだ。
彼は、その本質に、ようやく、本当の意味で、たどり着いたのかもしれない。
装備を整え、彼の軍資金は、ほぼゼロになった。財布の中には、帰りの電車賃と、コンビニでパンを一つ買うのがやっと、というくらいの小銭しか残っていない。
だが、彼の心は、これ以上ないほどの、自信と、高揚感に、満ち溢れていた。
全ては、計画通り。
完璧な、布石。
彼は、空を見上げた。
太陽は、とっくに沈み、夜の帳が、街を覆い尽くそうとしている。
彼が、次に向かう場所は、決まっている。
「――待ってろよ、シャーマン」
彼の口から、静かな、しかし、確かな闘志に満ちた、宣戦布告が、漏れた。
「第二ラウンドの、始まりだ」
彼は、踵を返し、上野の駅へと、歩き出した。
向かう先は、再び、あの「ゴブリンの洞窟」。
今度は、ただのゴブリン狩りではない。
あの日の雪辱を晴らし、巣のボスを討伐するという、明確な目的を持って。
そして、その戦いの全てを、世界に配信するために。
神崎隼人(JOKER) ステータス・装備品一覧 (17話時点)
◆ ステータス
項目
値
名前
神崎 隼人(JOKER)
レベル
2
クラス
戦士 Lv1
HP
120/120 (装備品による補強前)
MP
30/30
筋力
20 (基礎5 + クラスボーナス10 + ポイント割り振り5)
体力
20 (10 + クラスボーナス10)
敏捷
12
知性
8
精神
7
幸運
??
残りステータスポイント
0
◆ スキル
ユニークスキル
【複数人の人生】
【運命の天秤】
クラススキル
【パワーアタック Lv1】
◆ 装備品一覧
スロット
装備品名
効果・備考
出典
武器
無銘の長剣
隻眼の老人から購入した、ミスリル銀の屑鉄が混ざるバランスの良い長剣。
盾
-
(空きスロット)
頭
【傷だらけの鉄兜】
HP+20
胴
【焼け焦げた胸当て】
火耐性+5%
手
【万象の守り(パンデモニウム・ガード)】
・攻撃速度 +15%
・全属性耐性 +25%
足
【使い古された革のブーツ】
移動速度 +8%
ベルト
-
(空きスロット)
首輪
【獣の牙の首輪】
HP+30
指輪(左)
【氷結した指輪(劣化版)】
氷耐性+4%
指輪(右)
【帯電した指輪(劣化版)】
雷耐性+3%