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第161話

 その日、神崎隼人――“JOKER”は、珍しく世間で「人気」と呼ばれる狩場にいた。

 A級下位ダンジョン【古代遺跡アルテミス】。

 白亜の大理石で構成された、美しい神殿遺跡。天井は崩れ落ち、そこから差し込むのは太陽の光ではなく、常に夜空に浮かぶ満月のような幻想的な魔力の光が、静かに、そして厳かに堂内を照らしている。

 SeekerNetの情報によれば、ここは金策効率が非常に良く、常に多くのエリート探索者で賑わう共有エリアだという。

 普段の彼なら、絶対に近寄らない場所だ。

 モンスターの奪い合いなど、面倒なだけだ。他の探索者と馴れ合う趣味もない。彼は、誰にも干渉されず、自分のペースでテーブルと向き合うのが好きな、孤高のギャンブラーなのだから。


 だが、今の彼には、そんな悠長なことを言っている暇はなかった。

 彼の目の前のARウィンドウには、一つの、あまりにも無慈悲で、そして現実的な数字が表示されている。

 それは、先日契約したばかりの西新宿のA級探索者向けタワーマンションの、月々の家賃。

『400万円』。

 その数字は、これまでの彼の金銭感覚を根底から破壊していた。

 そうだ、彼の生活は、もう彼一人のものではない。

 病室から退院してくるたった一人の妹、神崎美咲。彼女に、最高の環境を用意する。そのために、彼はこの重すぎる契約書にサインしたのだ。

 感傷に浸っている暇などない。ただ、稼ぐ。

 そのためなら、これまで避けてきたこのハイレートな、しかし面倒なテーブルにだって着いてやる。


「…チッ、人が多いな」


 彼は、ARカメラに映らないように、小さく舌打ちした。

 配信画面の向こう側では、コメント欄がいつものように騒がしい。今日のタイトルは、シンプルに『【金策配信】A級タワマンの家賃を稼ぐ男』。その、あまりにも俗物的なタイトルが、逆に視聴者たちの興味を惹いたらしい。


『うおおおお!ついに、人気の狩場に乗り込んできたか!』

『家賃400万は、マジでヤバいもんな…。稼ぐしかない!』

『他のプレイヤーとの絡み、期待してるぜ!』


「絡むかよ、馬鹿」

 彼は、悪態をついた。

 通路の先で、別のパーティが派手なスキルをぶっ放しているのが見える。彼は、彼らとは逆のルートを選び、遺跡のより人のいない深部へと足を進めた。

 しばらく歩くと、巨大な円形の広間に出た。そこは、他の探索者の気配がなかった。どうやら、良い狩場を見つけられたらしい。

 彼はイヤホンを耳に装着し、いつものように最近ハマっている70年代のプログレッシブ・ロックを流し始めた。変拍子と、複雑な構成。それが、この単調な「作業」の最高のBGMだった。


「よう、お前ら。しばらく金策配信が続くと思うが、許せよ」

 彼は、カメラの向こうの十数万人の観客たちに語りかける。

「なんせ、引っ越したんだよ。タワマンにな」


 その一言。

 それに、コメント欄が爆発した。


『は!?タワマン!?』

『マジかよ、JOKERさん!あのボロアパートから、ついに卒業か!』

『えー、さすがA級冒険者!夢があるぜ!』


 その賞賛の声に混じって、古参の視聴者たちからの、辛辣な、しかし愛のあるツッコミが流れ始める。


『いや、お前ら騙されるな!あのアパートが異常だっただけだ!』

『分かる。C級でも、あんなアパートには住まないぞ。マジで』

『F級レベルだったぜ?あの家。よく、あそこから配信してたな…』


 その、あまりにも的確な指摘。

 彼は、苦笑いしながら答えた。


「ああ、だからさすがにまずいと思って、引っ越したさ」


 彼がそう言いつつ、手の動きは止めていない。

 広間の中央で、起動音と共に数体の【機械仕掛けのゴーレム】が、その石の体勢を起こした。

 彼は、その群れへと流れるような動きで肉薄する。

 そして、ただ剣を振るうだけ。


「キング・クリムゾンの『21世紀のスキッツォイド・マン』。この曲の中間部の、フリージャズみたいなセッションがたまんねえんだよな。計算され尽くした構築美と、その場の一回性の破壊衝動。その二つの矛盾が…」


 彼が音楽談義を続ける、その裏側で。

 長剣【憎悪の残響】が、青黒い冷気のオーラを迸らせる。

【無限斬撃】。

 神速の、連撃。

 それは、ゴーレムたちの硬い装甲をまるでバターのように切り裂き、その動きを完全に停止させた。

 戦闘というより、ただの解体ショー。

 数秒後には、そこにはおびただしい数の魔石だけが残されていた。


『うわ、また一瞬で終わったw』

『この雑談しながら敵を瞬殺していくスタイル、マジで神がかってる』

『家賃400万、余裕で稼げそうだなw』


 彼は、ドロップしたアイテムを手早く回収すると、また次の獲物を求めて歩き出した。

 その、あまりにも平和で、退屈な、しかし確実な「作業」の時間。

 それが永遠に続くかと思われた、その時だった。


「――あのー!」


 背後から不意に、明るく、そしてどこか人懐っこい声がかけられた。

 彼は、驚いて振り返る。

 そこに立っていたのは、一人の青年だった。

 年の頃は、彼と同じくらいだろうか。

 軽装の、しかし機能的で洗練されたデザインの革鎧。

 その両手には、まるで踊るかのように、二本の美しいダガーが握られている。

 そして、何よりも印象的だったのは、その表情。

 人懐っこく、快活な笑顔。

 それは、この常に死と隣り合わせのダンジョンには、あまりにも不釣り合いなほど、明るい光を放っていた。

 彼もまた、配信者であることを示すARカメラを装着している。


「やっぱり!JOKERさんですよね!?」

 青年は、その大きな瞳を子供のようにキラキラと輝かせ、彼に駆け寄ってきた。

「握手して良いですか!?」


 その、あまりにもストレートな好意。

 彼は、そのあまりの勢いに少しだけ気圧されながらも、観念したようにため息をついた。

 だが、彼が返事をするその前に。

 青年は、自らのARカメラのアングルを素早く調整すると、彼の肩に馴れ馴れしく腕を回した。


「――いえーい、視聴者のみんな!見て見て、本物のJOKER君が僕の隣にいまーす!奇跡のコラボだぜ!」


 その、あまりにもハイテンションな第一声。

 それに、彼は思わず眉をひそめた。

(うわ、面倒くせえのに絡まれた…)


 青年は、そんな彼の内心などお構いなしに、今度は彼に向き直ると、人懐っこい笑顔で言った。

「いつも配信見てます!マジ、リスペクトっす!」


「…ああ」


 彼がようやく絞り出した、そのたった一言。

 その瞬間だった。


 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ…!


 広間全体が、地響きを立てて揺れ始めた。

 彼と青年が、同時に顔を見合わせる。

 広間の中央の床が、巨大な円形のパネルとなって、せり上がってきたのだ。

 そして、そのパネルの上から、一体のひときわ巨大なモンスターが、その威圧的な姿を現した。

 それは、これまでのゴーレムとは、明らかに「格」が違う。

 身長は、5メートルはあろうか。

 全身を黒光りする黒曜石のような装甲で固め、その両腕には巨大な回転ノコギリが装備されている。

 その頭部の巨大な赤いモノアイが、ギロリと彼ら二人を捉えた。

 ARシステムが、その脅威の名を表示する。


【警邏式オートマタ・キャプテン】

 エリア・ガーディアン。

 このダンジョンの特定エリアを守護する、中ボスだ。


「うわ、出た!キャプテンだ!」

 青年は、興奮したように叫んだ。

 そして彼は、その絶望的な状況を楽しむかのように、隼人へとにやりと笑いかけた。

 その顔は、もはやただのファンではない。

 一人の、プロの探索者の顔だった。


「JOKERさん。あそこのデカいの、一緒にやりません?」

 彼のその声は、ビジネスライクで、そしてどこまでもクリアだった。

「ドロップは、折半で!」


 その、あまりにも合理的で、そして魅力的な提案。

 彼は、その提案を断る理由が見つからなかった。

 一人で倒すよりも、二人で倒した方が、圧倒的に効率がいい。

 それは、誰の目にも明らかだった。


「…チッ」

 彼は、舌打ち一つでその提案を受け入れた。

「分かった。手伝え」


「っしゃあ!」

 青年は、嬉しそうにガッツポーズを決めると、その二本のダガーを構え直した。

 そして、二人は同時に地面を蹴った。

 即席のコンビとは思えないほどの、完璧な連携で。

 隼人と、彼の初めての「仲間」との共同作業が、今、始まった。


 オートマタ・キャプテンが、その巨体に似合わない俊敏な動きで突進してくる。

 その最初のターゲットは、より脅威度が高いと判断したのだろう、隼人だった。

 巨大な回転ノコギリが、唸りを上げて彼の頭上へと振り下ろされる。

 だが、彼はそれを避けない。

「――俺が引き受ける!」

 彼は、左手に構えた盾…【背水の防壁】で、その必殺の一撃を真正面から受け止めた。

 ゴッッッッ!!!

 凄まじい、衝撃。

 彼の体が、数メートル後方へと吹き飛ばされる。

 そして、彼のHPバーが、一気に2割削り取られた。

 だが、彼は死なない。

 そして、何よりも、彼はボスのヘイトを完全に自分に固定した。


 その、彼が作り出した一瞬の隙。

 それを、青年が見逃すはずもなかった。

「――もらったぁっ!」

 彼は、獣のような俊敏さでキャプテンの死角へと回り込む。

 そして、その無防備な背中の装甲のわずかな隙間…動力パイプが集中する弱点へと、その二本のダガーを嵐のように叩き込んだ。

 ダダダダダダダッ!

 青年のダガー捌きは、もはや芸術の域だった。

 トリッキーで、華麗で、そしてどこまでも正確。

 彼の一撃一撃が、キャプテンの生命線を、確実に、そして効率的に破壊していく。

 キャプテンのHPバーが、みるみるうちにその輝きを失っていく。

「ギシャアアアアアッ!」

 キャプテンが、苦痛の絶叫を上げる。

 そして、その赤いモノアイが憎悪の光を放ちながら、青年へとそのターゲットを切り替えた。

 だが、もう遅い。


「――終わりだ」

 隼人が作り出した、第二の隙。

 体勢を立て直した彼の必殺の一撃が、キャプテンのがら空きになった頭部へと叩き込まれる。

【必殺技】衝撃波の一撃ショックウェーブ・ストライク

 ドッゴオオオオオオオオオオオオオオンッ!!!

 その一撃は、キャプテンの装甲を貫通し、その内部のコアを完全に破壊した。

 キャプテンの巨体は、その動きをぴたりと止めると、やがて轟音と共にその場に崩れ落ち、おびただしい光の粒子となって消滅した。

 瞬殺。

 あまりにも鮮やかな、そして完璧な連携だった。


「…ふぅ」

 静寂が戻る。

 後に残されたのは、山のようなドロップアイテムと、そしてその中心で互いの実力を認め合う、二人の探索者の姿だけだった。

 青年が、興奮したように隼人に駆け寄ってきた。

「さすが、JOKERさん!マジで強え!あのタフさ、半端ないっすね!」

「…お前もな」

 隼人は、素直に彼の力を賞賛した。

「あのダガー捌き。トリッキーで、華麗で。俺には真-似できねえ」

 その、彼からの思いがけない賞賛の言葉。

 それに、青年は少しだけ照れくさそうに頭をかいた。

「へへっ、あざっす!」


 彼らは、その後、短い雑談を交わした。

「今日のドロップ、渋くないすか?」

 青年が、そう尋ねる。

「まあ、こんなもんだろ」

 隼人は、肩をすくめて答えた。

 彼らは、ドロップしたアイテムを約束通りきっちりと折半すると、互いに顔を見合わせた。


「JOKERさん、もしよかったらLINE交換しません?」

 青年は、スマートフォンを取り出しながら言った。

「また、どっかで会ったら、一緒にボス狩りとかしたいんで!」

 その、あまりにも真っ直ぐな誘い。

 隼人は、一瞬だけ躊躇した。

 だが、彼はすぐに首を縦に振った。

「…ああ」

 彼は、短く頷いた。


 彼らは、互いの連絡先を交換すると、青年は悪戯っぽく笑った。

「じゃ、またどこかのダンジョンで!」

「…ああ」

 そして、彼らは何事もなかったかのように、それぞれの狩場へと戻っていく。

 その背中に、不思議な心地よさを感じながら。


(…まあ、たまには悪くねえか)


 彼は、そう呟いていた。

 彼の、孤独だった戦いのスタイル。

 それが、ほんの少しだけ変わり始めた、瞬間だった。



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