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第151話

 A級下位ダンジョン【星霜の書庫】。

 その静寂と古い紙の匂いに満ちた回廊は、もはや神崎隼人 "JOKER" にとって、第二の書斎と化していた。

 彼の配信は、かつてのような息を呑む死闘の記録ではない。

 それは、一人のプロフェッショナルが自らの「職場」で黙々と作業をこなす様を、ただ淡々と映し出すドキュメンタリー。

 彼の耳に装着されたワイヤレスイヤホンからは、彼が最近「知的に戦うためのBGM」と称して好んで聴いているミニマル・ミュージックの、無機質な反復音が流れている。


「…この同じフレーズの、わずかな音色の変化。その差異にこそ、作曲家の魂が宿ってる。分かるか?お前らには、まだ早いか」


 彼のそのあまりにも高尚な音楽談義に、コメント欄がいつものように和やかなツッコミと笑いに包まれる。


『出たwwwww JOKERさんの現代音楽講座wwwww』

『もう何言ってるか、全然分かんねえよ!』

『でも、この無敵の王者が退屈そうに雑談しながら敵を蹂躙していくスタイル、最高にクールで好きだわ』


 彼がそう語りながら、ひょいと角を曲がったその瞬間。

 彼の目の前に、カタカタと音を立てる数体の【書庫の番人】が現れた。

 だが、隼人はその雑談を止めることはない。

 彼の右手は、もはや彼の意識とは別の生き物のように滑らかに動き、その腰に差されたユニーク長剣【憎悪の残響】を抜き放つ。

 そして、ただ音楽のミニマルなリズムに合わせるかのように、優雅に一閃。


 ザシュッ!


 彼の長剣が通り過ぎたその軌跡上の全ての骸骨が、その体を青黒い霜で覆われながら、一瞬で砕け散り、光の粒子となって消えていく。

【鋼鉄の炉心】を装備し、完璧な耐性を手に入れた彼の前では、A級の雑魚モンスターですら、もはや彼のHPバーを揺らすことすらできない。

 もはや、敵の姿を見るまでもない。

 ただ歩き、語り、そして時折剣を振るうだけ。

 それだけで、このA級下位ダンジョンは彼の独壇場と化していた。


 そんなあまりにも平和で、退屈な時間がどれほど続いただろうか。

 隼人が、最後の一体の番人をまるで埃を払うかのように斬り捨てた、その瞬間だった。

 彼の足元に、これまで見慣れた魔石の紫色の光やガラクタの鈍い輝きとは明らかに違う、一つの強烈な光が生まれた。

 それは、まるで夜空を切り取ったかのような、濃密で力強い橙色の光。

 ユニークの輝きだった。


 その光が生まれた瞬間。

 それまで彼の音楽談義に相槌を打っていたコメント欄の空気が、一変した。

 全ての雑談がぴたりと止み、代わりに画面を埋め尽くしたのは、驚愕と熱狂の絶叫だった。


『!?』

『うおおおおおおおおおおおおおおおお!』

『光った!光ったぞ!橙色だ!A級で初のユニークドロップ!』

『またかよ!この男のドロップ運、マジでどうなってんだ!』

『今日のテーブルは、大当たりだったな、JOKERさん!』


 コメント欄が、一瞬にして爆発的なお祭り騒ぎへと変わった。

 隼人もまた、その予期せぬ「当たり」に、その眠たげな瞳を大きく見開いた。

 彼は、思わず口元を緩ませる。


「ほう…」

「退屈なテーブルだと思ってたが、最後の最後で良いカードを配ってくれるじゃねえか」


 彼は、その神々しい橙色の光の元へと、ゆっくりと歩み寄っていく。

 そして、その光の中心に静かに横たわる一つのブーツを拾い上げた。

 それは、黒く鞣されたしなやかな革のブーツ。その表面には、風や音の流れを象徴するような、銀色の流麗な紋様が刻まれている。

 ARシステムが、その詳細な性能を表示する。


 ====================================

 残響の歩み Echoing Steps

 外見: 黒く鞣されたしなやかな革のブーツ。その表面には、風や音の流れを象徴するような、銀色の流麗な紋様が刻まれている。歩くたびに、その紋様から一瞬だけ光の残像が生まれる。


 基本性能:

 回避力 +400


 種別: ユニーク・ブーツ

 装備条件: レベル40, 敏捷びんしょう 120


【ユニーク特性】

 最大ライフ +150


 全ての元素耐性 +25%


 移動速度が25%増加する


 あなたが敵を倒した時、「残響」を1スタック得る(最大10)。5秒間敵を倒さなかった場合、全ての「残響」を失う。

 移動スキルを使用した時、全ての「残響」を消費し、消費したスタック数に応じて4秒間「エコー」バフを得る。

「エコー」は1スタックにつき、攻撃速度、詠唱速度、そして移動スピードを3%増加させる。


【フレーバーテキスト】


 立ち止まるな。

 振り返るな。


 戦いの合間の静寂こそが、英雄を殺すのだ。


 最後の一撃の咆哮を、次なる戦場へと持ち込め。 その残響を、お前のときの声とせよ。

 そのあまりにも強力で、そして完成された性能。

 それを目にした隼人は、思わず感嘆の声を漏らした。


「――これ、強くね?」


 その素直な感想に、コメント欄もまた同意の声で溢れかえった。


『強い!強いぞ、JOKERさん!』

『HP150に全耐性25%!?これだけでもう、A級装備として破格の性能じゃねえか!』

『移動速度も25%あって、おまけに「エコー」バフで攻撃速度と移動速度が、さらに30%も上がるのかよ!』


 そうだ。

 このブーツは、攻防速、その全てを高いレベルで満たしている。

 隼人は、その性能を吟味しながら、呟いた。

 その声には、確かな興奮の色が宿っていた。

「敏捷120の要求値は、俺には少し厳しいが…。盗賊系のビルドなら、垂涎の一品だろ。盗賊向け装備としては、S級にも通用しそうだが?」


 その彼の分析。

 それに、コメント欄のほとんどの視聴者が、深く頷いた。


『間違いない!これは、S級でも使えるレベルだ!』

『JOKERさん、またとんでもないお宝引き当てちまったな!』

『これ、いくらで売れるんだ…?』


 コメント欄が、その金銭的な価値の皮算用で盛り上がり始めた、その時だった。

 その熱狂の空気に、冷や水を浴びせるかのような、一つの冷静なコメントが投下された。

 投稿主は、いつものあの百戦錬磨の有識者たちだった。


 元ギルドマン@戦士一筋

 落ち着け、新人ども。確かに、そのブーツは強い。

 疑いようもなく、A級装備としては最高レベルの一品だ。

 マーケットに出せば、2000万円は堅いだろうな。


 その具体的な金額に、コメント欄がさらに沸き立つ。

 だが、元ギルドマンは冷徹に続けた。


 元ギルドマン@戦士一筋

 だが悪いが、S級では通用しない。

 所詮、これはA級下位のユニーク装備だ。

 なぜなら、このブーツにはS級以上の盗賊にとって、何よりも重要なある一つのMODが欠けているからだ。


 その意味深な言葉に、コメント欄がざわつく。

『え?』『何が足りないんだ?』

 その疑問に答えたのは、あの辛口のハクスラ廃人だった。


 ハクスラ廃人

 お前ら、分かってねえな。

 S級中位以上の世界で、盗賊が生き残るために必要なもの。

 それは**「スペルダメージ抑制確率」**だよ。


 スペルダメージ抑制。

 その聞き慣れない専門用語。


 ベテランシーカ―

 ええ。スペルダメージ抑制確率とは、その名の通り、敵が放つスペル(魔法)ダメージを、確率で「抑制」する特殊な防御メカニズムです。

 そして、我々トップランカーの間での常識は、この抑制確率をパッシブスキルや装備で100%まで積み上げること。

 そうすることで、全てのスペルダメージを、常にその威力を**「半減」**させて受け止めることができるのです。


 ハクスラ廃人

 そういうことだ!HPが低く、一撃が命取りになる盗賊にとって、この防御メカニズムはまさに生命線なんだよ!

 パッシブツリーにも、いくつかノードはある。だが、それだけじゃ足りねえ。

 だから、S級の盗賊は皆、血眼になってこの「スペルダメージ抑制確率」が付いたエンドゲーム級の装備を探し求めてるのさ。

 この【残響の歩み】には、それがない。

 だから、これは「中間装備」なんだよ。


 そのあまりにも専門的で、そして説得力のある解説。

 隼人は、深く、そして静かに頷いた。


「…なるほどね」

 彼の口から、感嘆の息が漏れる。

「A級、S級下位までは有効だが、それ以上だと厳しいってことか」

「…奥が深いぜ、この世界は」


 彼は、その新たな知識を脳内に刻み込む。

 そして彼は、手の中の美しいブーツを見つめた。

 その瞳には、もはや落胆の色はない。

 ただ、目の前の確かな「資産」を、どう活用するかというギャンブラーの光だけが宿っていた。


「しかし」

 彼は、ARカメラの向こうの観客たちに、不敵な笑みを向けた。

 その声は、高揚していた。

「これで、待望のあの指輪に手が届くぜ」


 そうだ。

 このブーツを2000万円で売却すれば。

 彼の悲願であった、あの【原初の調和】を、ついに手に入れることができる。

 彼のA級攻略が、ついに完成する。

 その確かな希望。

 それに、コメント欄もまた祝福の言葉で溢れかえった。


『おおおお!ついに原初の調和買うのか!』

『やったな、JOKERさん!』


 だが、その祝福ムードに水を差す、一つの残酷な情報がもたらされた。

 投稿主は、またしてもあの有識者だった。


 元ギルドマン@戦士一筋

 …悪いが、JOKER。

 その【原初の調和】、また値上がりしてたぞ。

 この前俺が見た時は、オークションで3000万円の大台に突入していたが。


「……………」


 固まる主人公。

 彼の完璧だったはずの計算。

 それが、無慈悲な市場経済の原理の前に、あっけなく崩れ去った。

 コメント欄もまた、そのあまりにも残酷な現実に、絶句していた。

 やがて、隼人の口から深いため息と共に、魂の叫びが漏れた。


「…まあ、買えるが出費が激しいな…」

「A級って奴は、本当に金がかかる…」

「少し、F級時代が羨ましく感じてきたぜ…」


 そのあまりにも人間的なぼやき。

 それに、コメント欄の有識者たちが一斉に同意した。


 元ギルドマン@戦士一筋

 …ああ、全くだ。


 ハクスラ廃人

 …分かるぜ、JOKER。その気持ち。


 ベテランシーカ―

 …ええ。確かに昔に比べて、装備品の値段は格段に上がりました。それだけ、冒険者が増えたということなのでしょうね…。


 彼らは皆、懐かしそうに、そしてどこか遠い目でそう語るのだった。



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