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第143話

 西新宿の夜景が、いつものように彼の部屋の窓を淡く照らしている。

 神崎隼人 "JOKER" は、ギシリと軋む古びたゲーミングチェアにその身を深く沈め、目の前のモニターに映し出された自らのステータスウィンドウを、静かに、そして満足げに眺めていた。


 アセンダンシークラス、【千変の剣匠】。

 その最初の試練を乗り越え、彼は二つの、神の如き力を、その手に入れた。

 一つは、目玉能力である【オーラの調律】。

 これにより、彼のビルドの根幹をなす、【決意のオーラ】と、二つの主力オーラのMP予約コストが、完全にゼロになった。解放された膨大なMPは、彼のビルドの可能性を、無限に広げていた。

 そして、もう一つ。

 最初の試練をクリアしたことで得られた、2ポイントのアセンダンシーポイント。

 彼は、その全てを、この【オーラの調律】の取得に注ぎ込んだ。

 結果、彼の力は、昨日までとは比較にならない、別次元の領域へと到達していた。


「…面白い」


 彼の口元に、獰猛な笑みが浮かぶ。

 彼は、自らの魂の内側…パッシブスキルツリーの、広大な星空を開いた。

 そして、解放されたMPの使い道について、思考を巡らせる。

(これまで、コストの問題で諦めていた、高レベルの【活力のオーラ】を張るか…?)

(あるいは、全く新しい攻撃的なオーラ…例えば、【憤怒のオーラ】で、火力をさらに追求するのも、面白い…)

 彼のゲーマーとしての脳は、新たなパズルのピースを前にして、歓喜に打ち震えていた。

 勝利の高揚感。

 そして、無限に広がる未来への期待感。

 彼の心は、これ以上ないほどの達成感で、満たされていた。


 だが、一流のギャンブラーは、決して一つの勝ちに酔いしれない。

 勝利の女神は、常に冷静な者にのみ、微笑む。

 彼は、自らのその浮かれた思考を、一度リセットすると、次なるテーブルのルールを、確認することにした。

 そうだ、あの忌々しい、しかし最高の試練。

【皇帝の迷宮】。

 次の試練は、レベル55。

 まだ、先の話だ。

 だが、そのテーブルに、どんなイカサマが仕掛けられているのか。

 それを、事前に知っておくことは、決して無駄にはならない。


 彼の指が、再びキーボードの上を滑る。

 彼が、SeekerNetの検索窓に打ち込んだキーワード。

 それは、彼の次なる戦場への偵察だった。


『皇帝の迷宮 第二の試練 攻略』


 エンターキーを押すと、彼の目の前に、またしても一つの巨大なスレッドが、姿を現した。

 そのタイトルは、彼の心をざわつかせるには、十分すぎるほどの、不吉な響きを持っていた。


『【地獄再び】第二の試練の、絶望的な「追加要素」について語るスレ』


「…追加要素?」

 隼人は、眉をひそめた。

 そして彼は、そのスレッドをクリックした。

 そこに記されていたのは、彼の全ての高揚感を、一瞬で叩き潰すには十分すぎるほどの、悪意に満ちた現実だった。


 スレッドには、第一の試練を乗り越えた猛者たちの、阿鼻叫喚の叫びが溢れていた。


『嘘だろ…?ラビリンス、二回目の方がキツいじゃねえか…!』

『ボス部屋に、トラップ追加とか聞いてねえよ!』

『イザロのハンマー攻撃を避けながら、床のノコギリも避けろとか、無理ゲーだろ、これ!』


 その悲痛な叫びの数々。

 そして、その混乱を鎮めるかのように、あの伝説のコテハンが、その重い口を開いていた。

『元ギルドマン@戦士一筋』。


 412: 元ギルドマン@戦士一筋

 落ち着け、新人ども。お前たちが、パニックになる気持ちは、よく分かる。

 だが、驚くことじゃない。それが、この【皇帝の迷宮】という、クソゲーの本質だ。

 皇帝イザロはな、挑戦者の成長を、決して許さない。

 お前たちが強くなればなるほど、彼が仕掛けてくる罠もまた、より陰湿に、そして悪質になっていくのだ。


 第二の試練における、最大の変更点。

 それは、お前たちの言う通り、「ボス部屋へのトラップの追加」だ。


 第一の試練のボス…【孤高の皇帝】は、確かに強かった。

 その一撃は、必殺の威力を持っていた。

 だが、その攻撃は、どこまでも単調で、そして読みやすかったはずだ。

 なぜなら、あの場所は、純粋な一対一の、デュエルの場だったからだ。


 だが、第二の試練は違う。

 お前たちは、イザロと戦いながら、同時に、あの忌々しい迷宮のトラップとも、戦わなければならない。

 イザロのハンマー攻撃を、避けながら。

 床から突き出すノコギリの刃を、かわし。

 壁から放たれる毒の矢を、いなし。

 天井から降り注ぐ鉄球を、見切る。

 それは、もはや戦闘ではない。

 ただの、悪意の塊。

 ただの、理不尽な暴力。

 設計者の歪んだ精神を、そのまま形にしたかのような、本物の「クソゲー」だ。


 そのあまりにも絶望的な解説。

 隼人の背筋に、冷たい汗が流れた。

 彼の脳裏に、あのトラップ地獄の光景が、鮮明に蘇る。

 あの魂を削り合うような、死の舞踏。

 あれをこなしながら、さらにあの即死級のハンマー攻撃を、避けろというのか。

 正気の沙汰ではない。


「……………」


 彼は、言葉を失っていた。

 せっかく手に入れた、アセンダンシー。

 その、圧倒的な力。

 その全てが、色褪せて見えた。

 彼の心の中に、一つのあまりにも人間的で、そして純粋な感情が、芽生えていた。

 それは、これまでどんな強敵を前にしても、決して抱くことのなかった感情だった。


(…行きたくねぇ…)


 そうだ。

 彼は、心の底から、そう思っていた。

 行きたくねぇ。

 あんな場所に、二度と足を踏み入れたくなどない。

 あの設計者の、悪意に満ちたテーブルに、二度と座りたくなどない。

 彼のギャンブラーとしての誇りも、プライドも、そのあまりにもくだらない「クソゲー」の前では、何の意味も持たなかった。


 彼は、深く、そして重いため息をついた。

 そして彼は、ブラウザを乱暴に閉じた。

 もう、見たくもなかった。

 彼は、椅子から立ち上がると、そのままベッドへと倒れ込んだ。

 彼の体は、疲れてなどいない。

 だが、その心は、極限まで疲弊していた。

 次なる戦いへのモチベーションが、完全に消え失せていた。

 彼は、ただ天井を見つめながら、呟いた。

 その声は、どこまでも弱々しかった。


「…明日から、どうすっかな…」


 彼の新たな、そして最も困難な戦い。

 それは、ダンジョンの中ではない。

 自らの心の中に巣食う、「面倒くさい」という、あまりにも人間的な感情との戦いだった。

 その不毛な戦いの幕開けを、西新宿の夜景だけが、静かに見下ろしていた。



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