第140話
そろそろ、上位職になりたいと、考えた。
日本最大の探索者専用コミュニティサイト、『SeekerNet』。
そのトップランカーや、理論家たちだけが棲息する、マニアックな掲示板。
検索窓に、彼が打ち込んだキーワードは、シンプルだった。
『戦士 アセンダンシー ソロ』
エンターキーを押すと、彼の目の前に、これまでのどのスレッドとも違う、神々の領域の議論が表示された。
そのタイトルは、まるで古の賢人たちの対話を思わせる、荘厳な響きを持っていた。
『【ソロプレイヤー必見】戦士アセンダンシー徹底比較【2025年版】』
そこは、もはや初心者が足を踏み入れることを許されない、本当の最前線。
彼は、そのスレッドを、食い入るように読み進めていく。
そして、そこに記されていたのは、彼が漠然と抱いていた「停滞感」を打ち破るための、あまりにも鮮やかで、そして暴力的なまでの、「回答」だった。
スレッドの最初の投稿には、このスレッドの主であろう、伝説的なコテハン、『元ギルドマン@戦士一筋』による、力強い宣言が記されていた。
170: 元ギルドマン@戦士一筋
ようこそ、チャレンジャー。お前が、このスレにたどり着いたということは、B級という名の長いチュートリアルを終え、ついにこの世界の「本当の始まり」に、立とうとしているということだろう。
アセンダンシー。それは、ただの転職ではない。人の域を超え、神々の領域へと至るための、最初の試練だ。
戦士には、いくつかの道がある。仲間を守る【チャンピオン】、炎を操る【チーフテン】。だが、お前が孤独なソロプレイヤーであるならば、選ぶべき道は、そう多くはない。
いや、はっきり言おう。答えは、ただ一つだ。
そのあまりにも断定的な物言い。
それに、隼人の心が高鳴った。
171: 元ギルドマン@戦士一筋
その名は、【千変の剣匠】。
一見すると、器用貧乏。だが、その本質は、あらゆる状況に対応し、戦場の理そのものを支配する、究極の万能戦士。
ソロで、A級、S級の頂を目指すというのなら、これ以外の選択肢はない。
なぜなら、このアセンダンシーだけが持つ「目玉能力」が、あまりにも、あまりにも強力すぎるからだ。
その言葉と共に、スレッドには、【千変の剣匠】が持つ、7つの大ノードの詳細が掲示されていた。
隼人は、その一つ一つのテキストを、食い入るように見つめていく。
【千変の剣匠:7つの大ノード】
【オーラの調律】
効果: 選択した三つのオーラスキル、またはフィニッシュスキルのMP予約コストを、完全にゼロにする。
【聖域の守護者】
効果: あなたが展開しているオーラ、またはフィニッシュスキル1つにつき、あなたと範囲内の味方に、最大HPの1%のHP自動回復を付与する。あなたが展開しているオーラ、またはフィニッシュスキルが10以上ある場合、あなたと範囲内の味方は、全ての元素状態異常(発火、凍傷、感電)を無効化する。
【万象の剣】
効果: あなたが展開しているオーラ、またはフィニッシュスキルにつき、あなたのアタックに、10%のダメージ増加する。あなたが展開しているオーラが、10つ以上ある場合、あなたの攻撃は、敵の元素耐性を12%貫通する。
【孤高の王威】
効果: あなたのオーラスキルとフィニッシュスキルは、あなた以外の味方に、影響を及ぼさなくなる。あなたが展開するオーラの効果は、あなた自身に対して、50%増加する。
【不動の精神】
効果: あなたがオーラを展開している限り、常に「堅牢化(Fortify)」の効果を得る。あなたが展開するオーラの効果は、あなた自身に対して、15%増加する。
【闘争の賛歌】
効果: あなたが展開するオーラは、あなたと範囲内の味方に、「攻撃速度と詠唱速度が8%増加する」効果と、「クリティカルヒットのダメージ倍率+20%」の効果を付与する。
【天秤の逆転】
効果: あなたの最大ライフの15%を超えるダメージを受けた時、4秒間、あなたの与えるダメージが、倍(100% more)になる。あなたが展開しているオーラが10つ以上ある場合、あなたは、呪いを無効化する。
そのあまりにも強力で、そして魅力的な能力の数々。
隼人は、息を呑んだ。
そして、スレッドの議論は、ソロプレイヤーがどの道筋を選ぶべきかという、具体的な戦術論へと移っていった。
185: ハクスラ廃人
もう、議論の余地はねえだろ。ソロなら、まず取るべきは【オーラの調律】。これ、一択だ。見てみろよ、この性能。たった2ポイントで取れるくせに、オーラ3つが無料だぞ?馬鹿みてえに、強いじゃねえか。これがあるだけで、お前らが今まで悩んできたMP予約問題が、完全に解決する。これを取り得以外の、何物でもねえ。
192: 疾風のローグ
ああ、その通りだ。そして、次に取るべきは、その先にある**【孤高の王威】だな。【オーラの調律】で解放されたMPを使って、さらに別のオーラを張る。そして、その全ての効果を、このノードで1.5倍に増幅させるんだ。味方への支援を完全に切り捨てる、その潔さ。まさに、孤高のソロプレイヤーのための、最高の組み合わせだ。この二つを取るのに、合計で4ポイント。これが、俺たちソロ戦士にとっての、黄金ルートだ。
201: 元ギルドマン@戦士一筋
うむ。その通りだ。最初の4ポイントで、この二つの核となる能力を取得する。そして、残りの6ポイント目と8ポイント目で何を取るか。それは、お好みでどうぞ、という感じだな。防御を固めたいなら、【不動の精神】を取ればいいし、火力を伸ばしたいなら、【万象の剣】もいい。あるいは、特定の状況に対応するための、【天秤の逆転】も、面白い選択肢だろう。ビルドの自由度が、格段に上がる。
そのあまりにも完成された理論。
隼人の心は、完全に決まった。
これだ。
これこそが、俺が進むべき道だ。
彼は、もはや一秒たりとも、待つことはできなかった。
「…こりゃ、アセンダンシー、取るしかないな」
彼は、そう呟くと、アセンダンシーの開放条件について、検索を始めた。
そして彼は、そのあまりにも過酷で、そして挑戦的な試練の存在を、知ることになる。
『【公式ガイド】アセンダンシーへの道:【皇帝の迷宮】について』
ページに記されていたのは、古代の狂える皇帝が、自らの後継者を選ぶために作り出したとされる、巨大な死の迷宮。
そこは、モンスターとの戦闘ではない。
探索者の、純粋な技量と精神力だけが試される、トラップだらけの地獄のアスレチック。
一度、足を踏み入れれば、クリアするか、あるいは死ぬまで、出ることはできない。
そして、この試練は、生涯で四度、挑戦することが許される。
・第一の試練:レベル40以上
・第二の試練:レベル55以上
・第三の試練:レベル68以上
・第四の試練:レベル75以上
それぞれの試練をクリアするごとに、2ポイントのアセンダンシーポイントが、与えられる。
合計で、8ポイント。
それこそが、神々の領域へと至るための、全ての鍵。
「…レベル40か」
彼は、自らのレベルを確認する。
ちょうど、40。
挑戦権は、すでにある。
「だが…」
彼は、スレッドに書き込まれた、無数の挑戦者たちの、悲痛な叫びを見つけた。
『ラビリンス、無理ゲーすぎる…。初見殺しのトラップで、即死しかけた。慌ててポータルで帰ったわ。100万円、損した…』
『刃の歯車が、床からいきなり出てくるんだぞ!避けられるか、あんなもん!』
『溶岩の床で、じわじわ焼かれてポーション尽きて、ポータルで帰宅。100万円が、無駄に…』
そうだ、この迷宮は、ほぼ確実にダメージを食らう、トラップだらけなのだ。
彼の驚異的なリジェネも、この絶え間ないダメージの前では、いずれ尽きてしまうだろう。
そして、スレッドの先人たちが、口を揃えて語っていた、唯一の攻略法。
『いいか、新人。ラビリンスに挑むなら、他の全てのフラスコを捨てろ。そして、ライフフラスコを5個装備して行け。それだけが、お前が生きて帰るための、唯一の保険だ』
ライフフラスコ、5本。
そして、この迷宮に挑むためには、もう一つ必要なものがあった。
【迷宮への鍵】。
ダンジョンの深層で、ごく稀にドロップするという、特殊なアイテム。
当然、市場価格も高い。
隼人が、マーケットでその相場を検索すると、そこには、『100万円』という数字が表示されていた。
「…なるほどな」
彼は、全てを理解した。
アセンダンシーへの道は、金と、情報と、そして何よりも、純粋なプレイヤースキルが試される、究極のギャンブル。
これ以上に、彼を熱くさせるテーブルはなかった。
彼は、椅子から勢いよく立ち上がった。
その瞳には、もはや一切の迷いも、絶望もない。
ただ、目の前の最高のテーブルを前にした、勝負師の光だけが、爛々と輝いていた。
彼は、まずマーケットで100万円を支払い、【迷宮への鍵】を一つ、購入した。
次に彼は、自らのベルトに差されたユーティリティフラスコを、全てインベントリへと仕舞った。
そして、代わりに5本の巨大なライフフラスコを、そこに装着する。
準備は、整った。
彼は、自室の何もない空間で、【迷宮への鍵】を、静かに天へと掲げた。
そして彼は、念じた。
「――開け」
その言葉に、呼応するかのように。
鍵が、まばゆい光を放ち、彼の目の前の空間が、ぐにゃりと歪み始めた。
そして、そこに、一つの禍々しく、そしてどこか神々しい黄金のポータルが、その口を開けた。
その向こう側には、未知なる死の迷-宮が、広がっている。
彼は、一度だけ深く息を吸い込んだ。
そして彼は、その運命の扉の中へと、その一歩を踏み出した。
彼の新たな、そして最も孤独な挑戦が、今、始まろうとしていた。