表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
138/491

第137話

 洞窟の内部は、彼の想像を遥かに超える、極寒の世界だった。

 壁も、床も、天井も、全てが青白い氷で形成されている。

 その氷の壁は、まるでダイヤモンドのように、内部から淡い光を放ち、この広大な空間を、ぼんやりと幻想的に照らし出していた。

 空気は、ひんやりと澄み渡り、呼吸をするだけで、肺が凍てつくような錯覚。

 そして、彼がその氷の回廊へと、最初の一歩を踏み出した、その瞬間だった。

 彼の全身を、これまで経験したことのない、鋭い痛みが襲った。

 まるで、無数の見えない氷の針が、彼の肌を内側から突き刺してくるかのような感覚。

 彼のARウィンドウに、システムメッセージが表示される。


【エリア効果: 絶対零度】

【効果: 内部にいる全てのプレイヤーは、秒間50のHP継続ダメージを受ける】


「…ほう」

 彼の口から、感嘆の声が漏れた。

「これが、A級の洗礼か。面白い」

 彼は、その痛みを楽しむかのように、自らのステータスウィンドウを確認する。

 彼の赤いHPバーが、確かにその輝きを失っていく。

 秒間、50。

 B級のボスが放つ、強力な呪詛に匹敵するダメージ。

 それが、ただこの場所にいるだけで、永続的に発生する。

 なるほどなと、彼は思った。

 これでは、確かにB級上位のパーティでも、心が折れる。

 ライフフラスコが、いくつあっても足りないだろう。


 だが、彼は慌てない。

 彼の表情には、焦りの色など、微塵もなかった。

 彼のHPバー。


 差し引き、秒間90以上のプラス。

 彼のHPは、減るどころか、むしろ増えていく。

 そのあまりにも理不尽な光景。

 それに、コメント欄が爆発した。


『うおおおおお!効いてねえ!』

『リジェネが、ダンジョンダメージを上回ってるぞ!』

『なんだ、このビルドは!A級のギミックを、完全に無効化してやがる!』

『これが…JOKERの答えか…!』


「悪いが」

 彼は、ARカメラの向こうの、熱狂する観客たちに、語りかける。

「このテーブルは、俺にとって、ただのボーナスステージだ」


 その絶対的な王者の宣言。

 その言葉を裏付けるかのように、彼はその氷の回廊を、まるで散歩でもするかのように、悠然と歩き始めた。

 そして、彼は、この洞窟の最初の住人と遭遇する。


 それは、氷で作られた、巨大な狼だった。

 その半透明の体の中では、青白い魔力の光が、心臓のように脈打っている。

【フロスト・ウルフ】。

 A級の雑魚モンスター。

 その群れが、彼を発見すると、一斉にその鋭い氷の牙を、剥き出しにして襲いかかってきた。

 その動きは、速い。

 C級のグラディエーターとは比較にならない、神速の踏み込み。

 だが、今の隼人の目には、その全てが、スローモーションのように見えていた。


(…なるほどな。A級は、回避力も高いか)


 彼は、その狼たちの動きの中に、わずかな、しかし確かな「隙」を、見出していた。

 彼の長剣が、唸りを上げる。

【通常技】無限斬撃インフィニット・スラッシュ

 だが、その神速の一撃は、空を切った。

 狼は、まるで未来を予知していたかのように、その体をひらりとかわし、彼の死角へと回り込もうとする。

『Miss』

 無慈悲なシステムメッセージ。

 A級の洗礼、その二。

 75%で、外れる。

 彼の高い精度をもってしても、攻撃が確実に当たるわけではない。

 これが、A級のテーブルの、もう一つのルールだった。


 だが、隼人は動じない。

(当たらねえなら、当たるまで斬ればいい)

 彼の思考は、どこまでもシンプルだった。

 彼は、その場で回転した。

 長剣を、まるで風車のように、振り回す。

 その全方位への、斬撃の嵐。

 それに、フロスト・ウルフたちは、なすすべもなかった。

 そのうちの数発が、確かに狼たちの氷の体を捉え、砕き、そして光の粒子へと変えていく。


「…チッ、面倒だな」

 彼は、舌打ちした。

 そして彼は、このA級という新たなテーブルの戦い方を、瞬時に最適化していく。

 彼は、もはや一体一体を狙わない。

 彼の必殺技が、炸裂した。

【衝撃波の一撃】。

 彼は、それを四連発、叩き込んだ。

 ドッゴオオオオオオオオオオオオオオンッ!!!

 広大な氷の回廊が、その衝撃に揺れ動く。

 狼たちの群れは、その圧倒的な範囲攻撃の前に、なすすべもなく吹き飛ばされ、そしてそのほとんどが、戦闘不能に陥っていた。

 残ったのは、わずか三割。

 そして、その生き残った狼たち。

 彼らが、最後の抵抗を試みようとした、その瞬間だった。

 彼らの口から吐き出されたのは、白い、凍てつく息。

 それが、隼人の体を捉えた。

 そして、彼の体に、これまで感じたことのない悪寒が走った。

 チリと、肌を刺すような冷気。

 そして、彼のステータスウィンドウに、一つの見慣れないデバフアイコンが、表示された。


 《凍傷フロストバイト


「…おっ」

 彼の口から、待ってましたとばかりに、声が漏れた。

「やっぱり、来たか」

 彼の体が、わずかに重くなる。

 そして、彼のHPバーが、ゆっくりと、しかし確実に、削られていく。

 だが、彼は慌てない。

 彼は、そのデバフを楽しむかのように、静かに自らのオーラを切り替えた。

【自動呪言】を、オフに。

 そして、【吹雪の鎧】を、オンに。

 彼の体を、ダイヤモンドダストのようなオーラが包み込む。

 その瞬間。

 彼の体を蝕んでいた凍傷の呪いが、その進行を、ぴたりと止めた。

 これ以上、スタックすることはない。

 そして、凍結へと至ることもない。


「なるほどな」

 彼は、このダンジョンの全てのギミックを、完全に理解した。

「常時HPダメージ、高い回避力、そして凍傷のスタックか」

「この三つの対策を、同時に用意しなきゃならねえ。…確かに、これは不人気になるわけだ」

 彼は、その理不尽なまでの難易度に感心しながらも、その口元には、絶対的な王者の笑みが浮かんでいた。

 なぜなら、その全ての「回答」を、彼はすでに手にしていたからだ。

 彼は、残った狼たちを、もはやただの作業として、処理していく。

 そして、彼は、この氷の迷宮の、さらに奥深くへと、その歩みを進めていった。


 そうして、彼がこの洞窟の最深部にたどり着いた、その時。

 そこに待ち受けていたのは、一体の巨大な影だった。

 それは、まるで山そのものが人の形を取ったかのような、巨大な氷の巨人。

 その両腕は、鋭利な氷の剣となっている。

 その顔のない、のっぺりとした頭部。

 その中心で、ただ一つの巨大な青い目が、不気味に輝いていた。

【氷の巨人アイス・ジャイアント】。

 この洞窟の主。


「――面白い。最高の、相手じゃねえか」

 隼人は、その圧倒的なプレッシャーを前にして、しかし不敵に笑った。

 そして、彼は動いた。

 その初手は、もはや彼の代名詞とも言える、あの技。

 必殺の、4連撃。

【衝撃波の一撃ショックウェーブ・ストライク】。

 彼は、そのありったけの魔力を解放し、氷の巨人へと叩き込んだ。

 ドッゴオオオオオオオオオオオオオオンッ!!!

 一発、二発、三発、四発。

 その質量の暴力は、確かに巨人の硬い氷の体を、削り取っていく。

 あっという間に、巨人のHPバーは、5割まで削られた。

 そのあまりにも一方的な展開。

 誰もが、彼の圧勝を確信した。

 だが、巨人はまだ倒れてはいなかった。

 そのHPが半分になった、その瞬間。

 巨人が、咆哮を上げた。

 そして、その咆哮に呼応するかのように、洞窟全体が激しく揺れ動いた。

 天井から、無数の巨大な氷柱が降り注ぐ。

 そして、地面が凍てつき、白い吹雪が視界を覆い尽くした。

 フィールド全体が、変化する。

 そして、その吹雪の中にいる全ての存在に、新たなデバフが、付与された。

 秒間HP、110ダメージ。

 それは、このダンジョンのエリアダメージと合わせて、秒間160。

 彼のリジェネを、わずかに上回るダメージ。


「なるほどね」

 彼は、その徹底的な嫌がらせに、感心したように言った。

「徹底的に、HP秒間ダメージに特化した、ダンジョンってわけだ」

 彼は、そこで一度言葉を切ると、最高の不敵な笑みで、締めくくった。

「だけど、残念ながら、対策済みだからな。――イージーテーブルってわけだ」


 そうだ。

 彼のリジェネは、確かに相殺された。

 だが、彼のベルトには、まだ最強の保険が残されている。

 ライフフラスコ。

 そして、パリィによる回復。

 彼は、死なない。

 その絶対的な自信が、彼を支えていた。


 彼は、吹雪の中を、突き進む。

 そして彼は、そのありったけの魂を込めて、最後の4連撃を、叩き込んだ。

 ドッゴオオオオオオオオオオオオオオンッ!!!

 氷の巨人は、断末魔の悲鳴を上げる暇も、与えられなかった。

 ただ、その巨体を一瞬で光の粒子へと変え、この世界から、完全に消滅した。


 静寂が戻る。

 後に残されたのは、山のようなドロップアイテムと、そしてその中心で、静かに剣を納める一人の王者の姿だけだった。

 そして彼は、見た。

 そのアイテムの山の中に、ひときわ強く、そして神々しい虹色の光を放つ、一つの指輪を。

 ユニーク指輪が、ドロップしたのだ。

 彼は、それを手に取った。

 ARシステムが、その詳細な性能を表示する。


 ====================================

 名前: 霜降りの指輪フロスト・フープ

 種別: ユニーク・指輪

 装備条件: レベル40


【ユニーク特性】


 最大ライフ +220


 最大マナ +50


 冷気耐性 +45%


 あなたは凍結しない


 あなたのスキルによるMP消費が25%減少する


【フレーバーテキスト】


 その冷たさは、絶望ではない。思考をクリアにし、次なる一手へと導く、静かなる意志。


「ほう」

 彼は、その性能を一瞥し、感嘆の声を漏らした。

「良い、ユニーク指輪を拾ったな」

 彼は、その指輪を吟味する。

 そして彼は、冷静にその価値を判断した。

「まあ、凍結対策は既にあるし、使わないし、売りだな」

 彼は、ARカメラの向こうの観客たちに、問いかけた。

 その声は、もはや日常の雑談の、それだった。

「いくらだ、これ?」


 その問いかけに、コメント欄の有識者たちが即座に反応した。


『HP、MP、耐性、凍結無効、そしてMPコスト削減…。なんだ、このてんこ盛りの性能は…!』

『欲しい!喉から、手が出るほど欲しい!』

『相場は、1500万円代ってところかな。いや、もっといくか…?』


 その熱狂的なコメント。

 それに、隼人は満足げに頷いた。

 そして彼は、その日のショーを締めくくった。

 その声は、絶対的な王者の、それだった。


「A級の、臨時報酬としては、美味しいな」

 彼のA級への挑戦は、最高の形で幕を開けた。

 彼の伝説は、まだ始まったばかりだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ