第132話
『鳴海詩織』。
その名前が、彼の心を、わずかに、しかし確かにざわつかせていた。
彼は、約束の場所へと向かう。
彼の初めてのパーティプレイ。
その、幕開けのために。
◇
その日の夜。
彼の配信チャンネルに、一つの新たなショーの幕開けを告げるタイトルが表示された。
それは、彼のこれまでのどの配信とも違う、どこか素直で、そしてそれ故に、彼のファンたちの心を、これ以上ないほどざわつかせるものだった。
『人生、始めての初PT』
そのタイトルが公開された瞬間、彼のチャンネルには、通知を待ち構えていた数万人の観客たちが、津波のように殺到した。
コメント欄は、困惑と、興奮と、そして嫉妬が入り混じった、熱狂の坩堝と化していた。
『は!?PT!?』
『JOKERさんがパーティ組むのかよ!マジか!』
『相手は誰だ!?男か!?女か!?』
『あの孤高の一匹狼が…信じられん…』
『まさか、あの時の…ギルドの受付嬢か!?』
『いや、もっとヤバいのだろ…。あの、鳴海詩織とか…』
その熱狂をBGMに、配信画面にJOKERの姿が映し出された。
彼は、A級ダンジョン【星霜の書庫】へと繋がる転移ゲートの前に、静かに立っていた。
そして、その隣に、もう一つの人影があった。
視聴者たちが、息を呑む。
ウェーブのかかった、長い金髪。
青と白を基調とした、気品のあるローブアーマー。
そして、その手に荘厳な軍旗を掲げた、慈愛に満ちた微笑みを浮かべる、一人の聖女。
【軍旗の聖女】、鳴海詩織。
そのあまりにも神々しいツーショット。
それに、コメント欄が爆発した。
『うおおおおおお!本物だ!』
『鳴海詩織!SSS級の、トップサポーターじゃねえか!』
『なんで、この二人が!?』
『JOKER、お前、いつの間にそんな女を…!』
嫉妬と、羨望と、そしてこれから始まるであろう奇跡の化学反応への期待。
あらゆる感情が渦巻く中、JOKERは、ARカメラの向こうの観客たちに、静かに告げた。
「…まあ、見ての通りだ。今日は、初めて他人と組む。俺一人で十分だと思ってたが、面白い誘いがあったんでな。乗ってみることにした。A級ダンジョンで、パーティプレイがどれほどのものか。見せてやろうじゃねえか」
その言葉を合図に、二人は転移ゲートをくぐった。
彼らがたどり着いたのは、静寂と、そして死の匂いに満ちた、あの場所。
A級下位ダンジョン、【星霜の書庫】。
前回、彼に屈辱的な敗北を味わわせた、因縁の舞台。
彼が最初の巨大な閲覧室へと足を踏み入れる、その直前。
詩織が、彼の前にそっと立った。
そして、彼女は、その慈愛に満ちた瞳で、彼を真っ直ぐに見つめた。
「JOKERさん。準備は、よろしいですか?」
「…ああ」
隼人は、短く頷く。
「では、始めますね」
彼女が、その手に持つ軍旗を静かに地面に突き立てると、その先端から、純白の光が溢れ出した。
光は、一本の糸となり、彼女の胸元から隼人の胸元へと、まるで魂そのものを結びつけるかのように、真っ直ぐに伸びていく。
詩織は、リンクスキルを発動する。二人が、白い光のラインで繋がる。
彼のARウィンドウに、新たなバフアイコンが点灯した。
《ソウルリンク》。
そのあまりにも神聖で、美しい光景。
それに、詩織は悪戯っぽく微笑んだ。
「心配ないと、思いますが、一応言います」
「あなたが死ぬと、私も死ぬので、気を付けて下さい」
そのあまりにも重い言葉。
だが、彼女の声は、どこまでも軽やかだった。
「まあ、バフとリンクスキルのリンクの対象が受けるダメージが14%低下する、対象に対するヒットによるダメージの30%を、対象より前に術者自身のエナジーシールドで受ける効果で、ほぼ不死ですけどね」
その絶対的な自信。
そして、彼女の言葉を裏付けるかのように。
隼人の体を、これまでにないほどの、圧倒的な力の奔流が包み込んだ。
彼のARウィンドウに表示されるステータス。
その数字が、もはやバグを疑うレベルで、凄まじい勢いで跳ね上がっていく。
彼の口から、驚愕の声が漏れた。
「…なんだ、これ…」
その彼の呟きに、詩織は満足げに、そして誇らしげに微笑んだ。
そして、彼女は、その力の内訳を、静かに解説し始めた。
「今のあなたには、私の全ての力が提供されています」
「まず、あなたの体を、おおよそ500のエナジーシールドが、第二の命として守ります」
「そして、あなたの生命力そのものを底上げする、500のHP自動回復と、72のMP自動回復」
「さらに、あなたの全ての行動を、神速の領域へと引き上げる、128%の攻撃速度と、詠唱速度と、移動速度」
「おまけに、この世界の理そのものを捻じ曲げる、**最大各耐性+13%**と、A級の呪いを完全に無力化する各耐性114%。そして、全ての元素状態異常を無効化し、さらに高い物理耐性と、回避力が提供されるんですよ」
そのあまりにも規格外のバフの羅列。
もはや、それは支援ではない。
一つの存在を、神へと作り変える、創造の御業。
隼人は、そのあまりにも暴力的なまでの力の奔流に、ただ唖然とするしかなかった。
そして、彼は心の底から呟いた。
その声は、畏怖と、そして歓喜に満ちていた。
「…神々の、領域だな」
その言葉と同時に、戦いの火蓋は切って落とされた。
ホールの四方八方から、あの忌々しい骸骨の魔術師たちが、その姿を現す。
その数、およそ20体。
彼らは、一斉にサイレンスの弾幕を放ってきた。
だが、その光景を目の前にして。
隼人の口元には、もはや笑みしか浮かんでいなかった。
彼は、その弾幕を避けない。
ただ、その中央へと、歩を進める。
そして、彼は、その右手に握られた長剣を、軽く一振りしただけだった。
128%の攻撃速度が乗った、超速の必殺技を繰り出す。
【衝撃波の一撃】。
その詠唱は、もはや存在しない。
ただ、彼がそう思った瞬間。
彼の剣は、すでにその一撃を放ち終えていた。
ドッゴオオオオオオオオオオオオオオンッ!!!
凄まじい轟音と、閃光。
光が収まった時、そこには、何も残ってはいなかった。
あれほど彼を苦しめた骸骨の軍勢は、即座に全滅する。
おびただしい数のドロップアイテムだけが、その圧倒的な力の証明として、床に散らばっていた。
静寂。
コメント欄もまた、そのあまりにも理不尽な光景に、完全にその言葉を失っていた。
その沈黙を破ったのは、やはりあの有識者たちの、冷静な、しかしどこか呆れたような声だった。
元ギルドマン@戦士一筋
…まあ、SSS級の特化したオーラ専門家なら、これくらい当然だ。
ハクスラ廃人
ソロプレイとパーティプレイの、天と地ほどの差が、よく分かっただろ、お前ら。
これが、本物のサポートってやつだ。
ベテランシーカ―
ええ。JOKERさんの、元々高い火力が、詩織さんのバフによって、指数関数的に増幅された結果ですね。
美しい、連携です。
彼は、そこから文字通り、神と化した。
彼は、もはや歩いてはいない。
神速の移動速度で、図書館の長い回廊を、ただ駆け抜けていく。
彼が通り過ぎた、その軌跡上の全ての敵が、彼が振るうでもなく、ただその身に纏うオーラの余波だけで、光の粒子となって消滅していく。
それは、もはや戦闘ではない。
ただ、神がその領域を浄化していく、儀式。
そして彼は、ついにたどり着いた。
この図書館の主が眠る、巨大な黒曜石の扉の前に。
彼は、その扉を、躊躇なく蹴破った。
中に鎮座していたのは、あの忌々しい【禁書の番人アルベリヒ】。
アルベリヒが、その赤い鬼火の瞳を見開く、そのコンマ数秒前。
隼人の剣は、すでにその懐にあった。
そして彼は、ただ軽く、その剣を振るう。
一撃。
アルベリヒは、断末魔の悲鳴を上げる暇すら、与えられなかった。
ただ、その巨体を一瞬で光の粒子へと変え、この世界から、完全に消滅した。
終始、この圧倒的な力の恩恵を受けて、無双する姿。
後に残されたのは、山のようなドロップアイテムと、そしてその中心で、どこかつまらなそうに欠伸を一つする、一人の神の姿だけだった。