第131話
西新宿の夜景が、いつものように彼の部屋の窓を淡く照らしていた。
神崎隼人 "JOKER" は、ギシリと軋む古びたゲーミングチェアにその身を深く沈め、目の前のモニターに映し出された一つの指輪の画像を、静かに、そしてどこか楽しそうに眺めていた。
【原初の調調和】。
HP+200、MP+50。
【元素の盾】のMP予約コストを100%減少させ、さらにダメージを10%増加させる。
その性能は、あまりにも完璧だった。
彼のビルドの最後の弱点を埋め、そしてさらなる高みへと導く、究極の逸品。
これさえ手に入れれば、A級中位、いや上位のテーブルにすら、手が届くかもしれない。
そのための入場料は、1500万から2000万。
彼のギャンブラーとしての魂が、そのあまりにも明確で、そして挑戦的な目標を前にして、これ以上ないほど燃え上がっていた。
「…さてと」
彼は、椅子からゆっくりと立ち上がった。
「仕事の時間だな」
彼の新たな、そして最も過酷な、金策という名のギャンブルが、今、始まろうとしていた。
A級下位ダンジョン、【星霜の書庫】。
あの忌々しい、しかし今となっては最高の稼ぎの場となった、図書館へ。
彼は、転移ゲートへと向かおうとした。
その時だった。
ピロンと。
彼のARコンタクトレンズの視界の隅に、一つの通知がポップアップした。
それは、彼が最も信頼するメッセージアプリからの、着信を告げていた。
差出人の名前を見て、彼の眉がわずかに動いた。
『鳴海 詩織』
【軍旗の聖女】。
オーラ特化の、プロフェッショナルサポーター。
そして、彼がこの孤独な戦いの中で、唯一心を許せる、数少ない理解者の一人。
彼女からの連絡は、いつも唐突で、そして彼の運命を大きく変える、きっかけとなる。
彼は、そのメッセージを開いた。
詩織から、LINEでそのメッセージは届いていた。
それは、彼女らしい丁寧で、そしてどこか悪戯っぽい響きを持っていた。
『JOKERさん、こんばんは。
A級下位入場、おめでとうございます!
配信、拝見させていただきました。
あの絶望的な状況からの、見事なリベンジマッチ。
本当に、素晴らしかったです。
あなたのその、決して諦めない魂の輝き。
やはり、私の目に狂いはなかったようです』
その素直な賞賛の言葉。
それに、隼人の口元がわずかに緩む。
だが、彼女の本題は、ここからだった。
『ところで、JOKERさん。
前に話をしたPTの件、お試ししてみませんか?
あなたがA級に到達した、その暁には、ぜひ一度、私のサポートを試していただきたいと、お話ししたこと、覚えていらっしゃいますか?
その絶好の機会が、訪れたようです。
もちろん、無料なので。
私のオーラが、あなたのその完成されたビルドと、どのような化学反応を起こすのか。
私自身、とても興味があるのです。
もしよろしければ、一緒にA級下位、周回しませんか?』
そのあまりにも魅力的で、そしてあまりにもタイミングの良すぎる誘い。
隼人の思考が、高速で回転を始めた。
鳴海詩織。
彼女のサポート能力は、疑いようもなく、トップクラスだ。
彼女がパーティに加われば、彼の戦闘能力は、飛躍的に向上するだろう。
火力も、耐久力も、何もかもが、今とは比較にならないレベルへと引き上げられる。
A級下位ダンジョンの周回速度は、間違いなく上がり、目標である【原初の調和】の購入までの時間も、大幅に短縮できるはずだ。
メリットは、計り知れない。
だが、彼はこれまで、ずっと一人で戦ってきた。
誰かとパーティを組むという経験が、ほとんどない。
他人に背中を預けるという感覚。
それが、彼にはまだよく分からなかった。
そして、何よりも。
彼女は、プロだ。
そのプロのサポートを、無料で受けるというのは、彼のギャンブラーとしてのプライドが、少し疼いた。
彼は、数秒間そのメッセージを見つめ、そして悩んだ。
だが、答えはすぐに出た。
彼の思考は、常に合理的だ。
そして、何よりも、彼は好奇心に抗えない生き物だった。
(…無料なら、一回試してみるか)
そうだ。
食わず嫌いは、三流のすることだ。
この提案を受けるメリットは、あまりにも大きい。
そして、何よりも。
この【軍旗の聖聖女】のオーラが、一体どれほどのものなのか。
それを、この目で確かめてみたいという、純粋な興味が彼の背中を押した。
彼は、メッセージアプリを立ち上げ、短い返信を打ち込んだ。
『ああ、分かった。
よろしく頼む』
その了承するという、たった一言。
それが、彼の孤独だった戦いのスタイルを、そして彼の運命そのものを、また新たなステージへと導いていくことになる。
そのことを、彼はまだ知らなかった。
彼の初めての、本格的なパーティプレイ。
その幕開けが、すぐそこまで迫っていた。