第129話
彼は、図書館のさらに奥深くへと、その歩みを進めていく。
そして彼は、ついにたどり着いた。
この静寂と叡智の迷宮の、最深部。
禁書庫の、さらに奥。
そこに、この場所の主が眠る、巨大な黒曜石の扉があった。
彼は、その扉を前にして、一度だけ深く息を吸い込んだ。
ベルトに差された5本のフラスコ。そのチャージは、満タンだ。
HPも、MPも万全。
そして、彼の魂には、これまでにないほどの、静かな、そして揺るぎない闘志が燃え盛っていた。
「…さてと」
彼は、ARカメラの向こうの数万人の観客たちに、静かに告げた。
「――ラスボスのお出ましと、いこうか」
彼は、その巨大な扉を、ゆっくりと、しかし力強く押し開けた。
ギィィィィ…という耳障りな音と共に、彼の目の前に、広大な空間がその全貌を現す。
そこは、ドーム状の巨大な講堂だった。
壁一面には、天井まで届く巨大な本棚が円形に並び、その中央には、説教壇のような石造りの祭壇が鎮座している。
床には、幾何学的な紋様が描かれた、巨大な魔法陣。
そして、その魔法陣の上から、一体の巨大な影が、ゆっくりと立ち上がった。
それは、これまでのどの敵とも比較にならない、圧倒的な威圧感を放っていた。
身長は、5メートルを超えているだろうか。
全身を、黒く磨き上げられた黒曜石の鎧で固めた、巨大な骸骨の騎士。
その手には、燃え盛る炎をその刀身に宿した、巨大な両手剣が握られている。
そして、その空虚な眼窩には、憎悪と、そして冷たい知性の光を宿した二つの赤い鬼火が、不気味に燃え盛っていた。
【禁書の番人アルベリヒ】。
この図書館の主。
その姿を目の当たりにした、隼人。
彼は、このボスが、これまで対峙してきたどの敵とも、根本的に違う種類の脅威であることを、直感的に理解した。
これは、ただの暴力の化身ではない。
戦術と知性、そして呪いをもって、挑戦者の心を折るタイプの、最悪の敵だ。
「――挑戦者よ」
アルベリヒが、初めてその重い口を開いた。
その声は、地獄の底から響いてくるかのような、冷たく、そして重い響きを持っていた。
「我が叡智の前に、ひれ伏すがいい」
その言葉と同時に、アルベリヒは、その巨大な炎の剣を天へと掲げた。
それに呼応するように、床に描かれた巨大な魔法陣が、禍々しい紫色の光を放ち始めた。
そして、その光が、波紋のように広間全体へと広がっていく。
ボスは、低速度化の呪い、全体耐性ダウンの呪い、被ダメージ増加の呪い、3種類の呪い使いだった。
隼人のARウィンドウに、三つの忌々しいデバフアイコンが、同時に点灯した。
《倦怠の呪詛》: 移動速度-30%
《脆弱の呪詛》: 全ての耐性-15%
《弱化の呪詛》: 受けるダメージ+20%
「…チッ、開幕からこれかよ」
隼人は、舌打ちした。
だが、本当の地獄は、ここからだった。
呪って遅くなった所を、巨大な魔法の攻撃で仕留めるのが、スタイル。
アルベリヒが、その空いている方の手を隼人へと突き出した。
その骨の指先に、巨大な、そして極めて高密度な混沌のエネルギーが、収束していく。
そして、それは一本の巨大な紫色の槍となって、放たれた。
あまりにも速く、そしてあまりにも巨大な質量。
呪いによって、動きが鈍くなっている隼人。
回避は、間に合わない。
彼は、咄嗟にその一撃を、盾で受け止めた。
ドッゴオオオオオオオオオオオオオオンッ!!!
凄まじい轟音。
彼の体が、まるで紙切れのように後方へと吹き飛ばされる。
そして、彼の視界の隅で、赤い警告が激しく点滅した。
彼のHPバーが、一瞬にして8割も吹き飛んでいた。
見事に食らって、2割まで減るHP。
『うわああああ!』
『なんだ今の威力は!?』
『HPが一瞬で蒸発したぞ!』
『JOKERさん、死ぬな!』
コメント欄が、悲鳴で埋め尽くされる。
だが、隼人はまだ死んではいなかった。
彼のHPが3割を切った、その瞬間。
彼のクラススキル、【不屈の魂】と盾【背水の防壁】が、同時にその真の力を解放する。
彼の体を蝕んでいた三つの呪いが、黄金の光と共に、浄化される。
そして、彼の体を、これまでにないほどの力強い生命のオーラが、包み込んだ。
秒間100を超える、驚異的なHP自動回復。
彼の赤いHPバーは、みるみるうちにその輝きを取り戻し、5割までは、数秒で回復する。
だが、もう一回食らったら死ぬなと、判断する。
彼の額に、じわりと冷たい汗が浮かんだ。
(…なるほどな)
彼は、冷静に状況を分析する。
(呪いを受けて動きが鈍ったところに、あの大技を合わせる。それが、こいつの勝ちパターンか)
(だが、その呪いは、魔法陣を展開して3秒以内に範囲から出ることで、回避できるはずだ)
彼は、アルベリヒの足元で、再び輝き始めた魔法陣を見据えた。
これだ。
これこそが、この理不尽なテーブルをひっくり返す、唯一の鍵だ。
彼は、アルベリヒが次なる呪いを放つ、その瞬間を待った。
そして、魔法陣が輝いた、そのコンマ数秒後。
彼は、地面を蹴った。
【水銀のフラスコ】を起動し、加速したその体は、呪いの範囲から、いとも簡単に脱出する。
これを意識する事で、なんとかHP10割まで回復することができた。
彼の圧倒的なリジェネ能力が、彼のHPを瞬時に全快へと導いていく。
「…なるほどな。面白い。面白いじゃねえか」
彼の口元に、獰猛な笑みが浮かんだ。
「お前のイカサマは、見切ったぜ」
彼は、アルベリヒが呪いの詠唱を終え、その隙だらけの体に、一気に接近して、必殺技を4連撃する。
「――喰らいやがれッ!」
【必殺技】衝撃波の一撃。
ドッゴオオオオオオオオオオオオオオンッ!!!
一発目、二発目、三発目、四発目。
彼の長剣が、嵐のように吹き荒れ、アルベリヒの黒曜石の鎧を、容赦なく粉砕していく。
敵のエナジーシールドは一瞬で壊れ、HPは、4割まで削れた。
「ギシャアアアアアッ!」
アルベリヒが、初めて明確な苦痛の声を上げた。
その赤い鬼火に、焦りの色が浮かぶ。
彼は、再び距離を取り、**3つの呪いが来るが、**隼人は、それを冷静に避ける。
「一度だけ、喰らえば充分だぜ?」
彼は、嘲笑うかのように言い放った。
アルベリヒが、体勢を立て直す。
エナジーシールドが回復され、敵のHPも、5割まで回復する。
だが、その回復の硬直。
それこそが、隼人が待ち望んでいた、最後の隙だった。
彼は、**また隙を見つけ、必殺技4連撃で、**アルベリヒを仕留める。
アルベリヒは、断末魔の悲鳴を上げる間もなく、その巨体をゆっくりと傾かせ、やがて轟音と共に崩れ落ち、おびただしい光の粒子となって消滅した。
静寂が戻る。
後に残されたのは、山のようなドロップアイテムと、そしてその中心で、静かに剣を納める一人の王者の姿だけだった。
そして彼は、見た。
そのアイテムの山の中に、ひときわ強く、そして神々しい虹色の光を放つ、一つの首飾りを。
ユニーク首輪が、ドロップする。
彼は、それを手に取った。
ARシステムが、その詳細な性能を表示する。
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【神域の元素心核】
要求レベル:40
効果:
HP+220
MP+50
全耐性+18%
スキル【元素の盾 Lv.20】付与
HPが30%以下になった時、一度だけ全てのデバフを解除し、10秒間ダメージを60%軽減するバリアを張る。(戦闘ごとに1回リセット)
フレーバーテキスト:
「清純なる力は神域へと至り、持ち主の生命そのものと一体化した。もはやそれは単なる守護の道具ではなく、魂を守る最後の砦、不滅の心核である。」
そのあまりにも強力な性能。
それに、コメント欄は、「強い!」と驚く。
そして、有識者たちが、その真の価値を語り始める。
ベテランシーカ―: うむ。【清純の元素】の、上位ユニーク装備だな。
元ギルドマン@戦士一筋: 相場は、1200万円からスタートだが、これは自分で使う方が良いと思うぞ。
その言葉に、主人公は同意する。
「ああ、これは俺のためにドロップしたようなもんだ」
彼は、その首飾りを、自らの首にかけた。
新たな力が、彼の魂に流れ込んでくる。
「HPの強化と、MPの追加も嬉しい。元素の盾が、20レベルに上がるのもデカい。そして、HPが30%以下になった時、一度だけ全てのデバフを解除し、10秒間ダメージを60%軽減するバリアを張る。(戦闘ごとに1回リセット)保険が出来るのも、ありがたい」
彼は、その絶対的な安心感に、深く息を吐いた。
「これで、即死をする心配が、無くなった」
彼のA級攻略は、最高の形で幕を開けた。
彼の次なる視線は、もはやこの図書館にはない。
A級の、さらにその先へ。
神々の領域へと、確かに向けられていた。