第124話
「…少し下調べでもしておくか」
彼はブラウザを立ち上げ、慣れた手つきで日本最大の探索者専用コミュニティサイト、『SeekerNet』へとアクセスした。
B級超位の先に、何が待ち受けているのか。
どんなギミックが、待ち受けるんだ?
生半可な覚悟で、足を踏み入れていい場所ではない。
彼は、検索窓にいくつかのキーワードを打ち込んだ。
『B級超位 次』
『A級ダンジョン 挑戦条件』
エンターキーを押すと、彼の目の前に、おびただしい数のスレッドが表示された。
そのほとんどが、彼と同じようにB級の頂点を極め、A級への挑戦を夢見る若者たちの、希望と、そしてそれ以上に多くの絶望の記録だった。
彼は、その中から、ひときわ重い雰囲気を放つ一つのスレッドを選び出した。
『【地獄の門】A級ダンジョンという名の「壁」について語るスレ』
「…地獄の門か。大げさなこった」
彼は、ふんと鼻を鳴らし、そのスレッドをクリックした。
そして、そこに記されていた一つの、あまりにも理不尽で、そして残酷な「世界のルール」に、彼の表情が徐々に険しくなっていく。
1: ハンドルネーム『A級の墓守』
ようこそ、チャレンジャー。
お前が、このスレにたどり着いたということは、B級という名の長いチュートリアルを終え、ついにこの世界の「本当の始まり」に立とうとしている、ということだろう。
だが、忠告しておく。
ここから先は、これまでのお遊びとは次元が違う。
A級ダンジョンとは、そういう場所だ。
探索者の生半可な覚悟をふるいにかける、最初にして最大の「フィルター」。
そのあまりにも不遜な書き出し。
隼人は、その言葉に興味を惹かれ、スクロールを続ける。
2: ハンドルネーム『A級の墓守』
A級に足を踏み入れた全ての探索者は、まず、世界の理そのものから、一つの「呪い」を受けることになる。
B級で経験した、あの忌々しいデバフ。
あれが、さらに強化されるのだ。
A級下位に入ると、世界の呪いが強化されて、-50%になる。
「…マイナス50%?」
隼人の手が、止まった。
彼は、自らのステータスウィンドウを開き、計算を始める。
(俺の装備とパッシブスキルを全て合わせた、素の火と氷の耐性値は114%。B級の-30%の呪いを受けても、84%。だから、上限の75%に届いていたわけだ)
(だが、A級では、その114%から直接50%が引かれる…)
彼の脳内に、新たな計算式が浮かび上がる。
火と氷の耐性。素の値は、114%。
114 - 50 = 64%。
雷耐性。素の値は、130%。
130 - 50 = 80%。これは、上限の75%で止まる。
「…64%か」
彼は、その具体的な数字を反芻する。
(上限の75%から、11%の低下。決して、無視できる数字じゃない。だが…)
彼の口元に、不敵な笑みが浮かんだ。
(まあ、11%なら許容の範囲内だな。堅牢化で対応出来るだろ)
彼は、そう判断した。致命傷ではない。だが、確実にこれまで以上の被ダメージを覚悟しなければならない。
彼の動揺なき態度を、見透かすかのように、スレッドの議論は、さらに絶望的な方向へと進んでいく。
投稿主は、あの辛口の『ハクスラ廃人』だった。
21: ハクスラ廃人
耐性ごときで、ビビってんじゃねえよ。
そんなもんはな、A級のただの挨拶代わりだ。
本当の地獄は、そこからだぜ?
A級の敵はな、まず攻撃力がかなり上がる。
てめえらがB級でようやく倒した、あのボスの通常攻撃。
あれが、A級じゃ、道端の雑魚の通常攻撃だと思え。
お前らのHP自動回復なんざ、溶けたアイスみてえに、一瞬で蒸発するぜ。
そのあまりにも暴力的なインフレ。
それに、さらに別の有識者が追い打ちをかける。
投稿主は、『疾風のローグ』だった。
25: 疾風のローグ
火力だけじゃねえ。
速さも、硬さも、何もかもが別次元だ。
まず、物理耐性。B級のゴーレムなんざ、赤子同然だ。A級の敵は、生まれながらにして神鋼の鎧をその身に宿してる。お前らの物理攻撃の、半分は弾かれると思え。
そして、回避力もかなり上がる。これも、異常だ。C級のグラディエーターなんざ、目じゃねえ。てめえらみてえなドン亀戦士の攻撃なんざ、当たるわけがねえだろうが。
物理耐性と、回避力。
その二つの絶対的な壁。
それは、JOKERのビルドの根幹を揺るがす、致命的な宣告だった。
攻撃が当たらなければ、意味がない。
当たっても、ダメージが通らなければ、意味がない。
彼のこれまでの勝利の方程式が、完全に崩壊した。
彼は、ただ呆然とモニターを見つめていた。
そして彼は、そのスレッドの最後に、とどめとばかりに書き込まれた、一つの挑発的な一文を見つけた。
投稿主は、名もなき誰か。
だが、その言葉は、この地獄を乗り越えてきた、全ての者の総意のようだった。
502: 名無しさん
初めていくなら、死を覚悟していく事。
死にたくなければ、大人しくB級超位ダンジョンという砂場で、お遊びを続けた方がいいぜ?
そのあまりにも挑発的な物言い。
見下されたという、屈辱。
だが、それ以上に。
彼の心に火をつけたのは、別の感情だった。
歓喜。
そうだ、これだ。
これこそが、俺が求めていた本当のギャンブルだ。
あまりにも高く、分厚く、そして理不尽な壁。
それを、どう乗り越えるか。
それを、どう打ち破るか。
それを、どう蹂躙してやるか。
彼の全身の血が、沸騰するのを感じた。
彼の魂が、歓喜に打ち震えているのを感じた。
彼は、ブラウザを閉じた。
そして彼は、椅子からゆっくりと立ち上がった。
その瞳には、もはや一切の迷いも、絶望もない。
ただ、目の前の最高のテーブルを前にした、勝負師の光だけが、爛々と輝いていた。
彼は、ARカメラの向こうの数万人の観客たちに、そしてこの世界の全てのプレイヤーに、宣言した。
その声は、静かだったが、その奥には、揺るぎない決意が宿っていた。
「――上等じゃねぇか」
彼は、不敵に笑った。
「次は、A級下位ダンジョンだな」
彼の新たな、そして最も過酷な挑戦が、今、始まろうとしていた。