第123話
彼は、SeekerNetの深淵でその存在を知った、最後の地獄の門を叩くことを決意した。
B級超位。
そこは、A級への昇格を夢見る全ての探索者たちをふるいにかける、最後の「門番」が待つ場所。
その日の夜。
彼の配信チャンネルに、新たなショーの幕開けを告げるタイトルが表示された。
それは、彼の揺るぎない自信と、そしてこれから始まるショーへの期待感を、これ以上ないほど雄弁に物語っていた。
『【B級卒業試験】超位ダンジョン初見ワンパンチャレンジ』
そのあまりにも不遜で、挑戦的なタイトル。
それが公開された瞬間、彼のチャンネルには、通知を待ち構えていた数万人の観客たちが、津波のように殺到した。
コメント欄は、期待と興奮と、そしてそれ以上に大きな不安が入り混じった、熱狂の坩堝と化していた。
『きたあああああああ!』
『卒業試験!マジかよ!』
『B級超位に初見で挑むのか!?正気かJOKER!』
『超位のギミックは上位までとは次元が違うぞ!死ぬなよ、絶対に!』
『これは伝説の始まりか、あるいは無謀な自殺か…。いずれにせよ、見逃せねえ!』
その熱狂を背中に感じながら、隼人は転移ゲートへと向かった。
彼が選んだ次なる戦場。
その名は、【忘れられた神々の実験場】。
古代、神々が生命創造の実験を繰り返したと伝えられる、禁断の領域。
彼がゲートをくぐった瞬間、彼の全身を、これまでのどのダンジョンとも違う、奇妙な空気が包み込んだ。
そこは、洞窟でも、砦でも、森でもなかった。
見渡す限り広がるのは、歪んだ金属と、脈打つ水晶、そして重力に逆らうように宙に浮かぶ無数の岩塊が織りなす、シュールレアリスティックな光景。
空は、常に薄紫色の黄昏に染まり、空気は、甘いエーテルの匂いと、金属の焦げ付くような匂いが混じり合っていた。
まさに、神々の悪夢の残骸。
「…なるほどな。こいつは確かに」
隼人は、その圧倒的な異世界観に、思わず息を呑んだ。
「最高のテーブルだ」
彼は、ゆっくりとその歪んだ大地へと、最初の一歩を踏み出した。
そして、彼が広大な中央の広間へとたどり着いた、その瞬間。
地響きと共に、広間の四方八方から空間そのものが引き裂かれ、おびただしい数の敵がその姿を現した。
その数、ざっと30体以上。
それは、もはやただのモンスターの群れではない。
神々の実験によって生み出された、悪夢の被造物の軍勢だった。
最前線には、黒曜石のような硬い甲殻を持つ、多足の昆虫型クリーチャー、【アビス・ウォッチャー】たちが、カサカサと音を立てて迫ってくる。
その後方には、体の半分が水晶に侵食された【クリスタル・ゴーレム】たちが、その巨体を揺らしながら、ゆっくりと、しかし確実に距離を詰めてくる。
そして、その軍勢の最も後方。
空中を浮遊する、ボロボロの司祭服をまとった五体の人影。
【サイレンス・プリースト】。
このダンジョンの本当の、「いやらしさ」を体現する存在だった。
「――来たか」
隼人は、長剣【憎悪の残響】を構え直す。
B級超位の洗礼。
受けて立つ。
戦いの幕は、プリーストたちが一斉に、その骨の指先を隼人へと向けたことで、切って落とされた。
一切の詠唱なく、その周囲の空間から数十発の青白い魔力の弾丸が生成され、弾幕となって隼人へと襲いかかる。
《静寂の呪詛》。
だが、隼人は、もはやその程度の脅威には動じない。
彼は、その弾幕を、あえて数発その身に受けた。
彼のARウィンドウに、忌々しいデバフアイコンが点灯する。
彼のMPバーが、減り始める。
毎秒10のMPドレイン。
だが、同時に、彼の魂に宿る【明瞭のオーラ】とパッシブスキルによるMP自動回復が、それを上回る勢いで彼の魔力を回復させていく。
MP: 138... 141.3... 144.6... 147.9...
彼のMPは、減るどころか、むしろ秒間3.3という確かな速度で、回復していくのだ。
「…なるほどな。これがお前らの切り札か」
彼は、ARカメラの向こうの観客たちに、そして目の前の絶望的な軍勢に、宣言した。
「だが、俺のリジェネを上回るには、百年早い」
その言葉は、絶対的な王者の宣告。
彼は、もはや小手先のスキルコンボなど使わない。
この圧倒的な物量の前では、それらは無意味だと、彼は瞬時に理解した。
やることは、ただ一つ。
必殺技を連発して、この戦場を蹂躙する。
彼は、温存していた魔力を解放した。
彼の右腕に、力が集中する。
長剣が、赤い闘気のオーラを、その身に激しく纏った。
「――まずはお前らからだ、蝿ども!」
彼のターゲットは、後方の【サイレンス・プリースト】たち。
【必殺技】衝撃波の一撃。
彼は、それをプリーストたちの集団のど真ん中へと叩き込んだ。
ドッゴオオオオオオオオオオオオオオンッ!!!
一発目。
凄まじい轟音と共に、大地が砕け散る。
衝撃波を受け、プリーストたちの脆弱な体は、なすすべもなく吹き飛ばされ、光の粒子となって消滅した。
そして彼は、間髪入れずに二発目を叩き込む。
彼のMPは、まだ潤沢に残っている。
マナマスタリーがもたらした恩恵だ。
ドッゴオオオオオオオオオオオオオオンッ!!!
二発目。
前衛の【アビス・ウォッチャー】たちの硬い甲殻に、亀裂が入る。
そして、三発目。
四発目。
彼は、自らのMPが許す限り、その質量の暴力を戦場に叩きつけ続けた。
それは、もはや戦闘ではない。
ただ、一方的な爆撃。
広間全体が、彼の必殺技によって、何度も何度も揺れ動く。
やがて、衝撃波の嵐が収まった時、そこに立っていたのは、彼ただ一人だった。
おびただしい数のドロップアイテムの輝きだけが、その圧倒的な勝利を物語っていた。
「…さてと」
彼は、荒い息一つ乱すことなく、その光景を見下ろしていた。
そして、まばらになった敵の残党を、通常技で蹂躙していく。
【無限斬撃】。
その神速の剣閃が、生き残ったモンスターたちの命を、確実に、そして効率的に刈り取っていく。
火力は、充分だった。
敵がHP自動回復をする前に、対処できる。
そして、敵の攻撃が彼の体にヒットする。
だが、そのダメージは、彼のHPバーをわずかに削るだけ。
1割も減らない。
堅牢化による**ダメージカット21%**が、その威力を大幅に減衰させている。
そして、そのわずかなダメージも、彼の驚異的なHPリジェネが、即座に回復させていく。
彼のHPが、5割を切ることは絶対にない。
さらに、敵の攻撃には、リーチ効果が付与されているはずだった。
だが、彼が取得したキーストーン、【ヴァイタル・ヴォイド】。
その効果によって、リーチは完全に封じられている。
敵は、彼から生命力を一切吸収できない。
ただ、一方的に倒されていく、だけ。
完璧な勝利。
あまりにも圧倒的な蹂躙劇。
彼は、B級超位という新たなテーブルのルールを完全に理解し、そしてそれを、自らの力で完全に支配したのだ。
後に残されたのは、山のようなドロップアイテムと、そしてその中心で、静かに剣を納める一人の王者の姿だけだった。
彼のB級卒業試験。
それは、最高の形で幕を閉じた。
彼の次なる視線は、もはやこのB級ダンジョンにはない。
次は、A級だ。