第121話
西新宿の夜景が、いつものように彼の部屋の窓を淡く照らしている。
神崎隼人 "JOKER" は、ギシリと軋む古びたゲーミングチェアにその身を深く沈め、目の前のモニターに映し出された自らのステータスウィンドウを、静かに、そして満足げに眺めていた。
オーラマスタリーによるダメージ48%増加。
マナマスタリーによる必殺技の継戦能力倍増。
そして、堅牢化マスタリーによる鉄壁の防御メカニズム。
攻撃、継戦能力、防御。
ビルドの三本の柱が、今、完璧な形で組み上がった。
もはや、彼に死角はない。
少なくとも、B級というこのステージにおいては。
彼のギャンブラーとしての魂が、この完成された手札を、今すぐにでも試したいと、けたたましく叫んでいた。
B級中位というテーブルは、もはや彼にとってぬるすぎる。
レートを上げる時だ。
彼は、椅子から勢いよく立ち上がった。
その瞳には、もはや情報の海をさまよう探求者の光はない。
ただ、獲物を見つけた狩人の光だけが、爛々と輝いていた。
彼はARコンタクトレンズを装着し、配信のスイッチを入れた。
そのタイトルは、彼の揺るぎない自信と、そしてこれから始まるショーへの期待感を、これ以上ないほど雄弁に物語っていた。
『【ビルド完成記念】B級上位ダンジョンで試し斬り』
そのあまりにも不遜なタイトル。
それが公開された瞬間、彼のチャンネルには、通知を待ち構えていた数万人の観客たちが、津波のように殺到した。
コメント欄は、期待と興奮と、そしてそれ以上に大きな不安が入り混じった、熱狂の坩堝と化していた。
『きたあああああああ!』
『ビルド完成!?マジかよ!』
『試し斬りでいきなりB級上位かよ!正気かJOKER!』
『C級からB級の壁もヤバかったが、B級中位から上位の壁はそれ以上だぞ!』
『これは伝説の始まりか、あるいは無謀な自殺か…。いずれにせよ見逃せねえ!』
その熱狂を背中に感じながら、隼人は転移ゲートへと向かった。
彼が選んだ次なる戦場。
それは、SeekerNetのダンジョン情報でも、特にその過酷さと敵の物量で有名な、灼熱の地獄だった。
B級上位ダンジョン【灼熱の兵器廠】。
彼がゲートをくぐった瞬間、彼の全身を、むわりとした熱気が包み込んだ。
そこは、古代のドワーフ族が神々のための武具を鍛えたと伝えられる、巨大な地下の兵器廠。
空気は乾燥し、石炭と硫黄の匂いが彼の鼻腔を突き刺す。
見渡す限りの赤黒い岩盤。
その岩盤の裂け目からは、灼熱の溶岩が、まるで赤い血のように流れ、洞窟全体を不気味な赤い光で照らし出していた。
遠くからは、巨大なハンマーが金属を叩くような、リズミカルな、しかしどこか狂った轟音が、絶え間なく響いてくる。
B級中位までのダンジョンとは、明らかに違う。
空気そのものが、侵入者の生命を拒絶しているかのようだった。
「…面白い」
隼人は、その圧倒的なプレッシャーを前にして、しかし不敵に笑った。
「最高の舞台じゃねえか」
彼は、ゆっくりとその灼熱の大地へと、最初の一歩を踏み出した。
そして彼は、自らの新たな力を解放する。
彼の全身を、三つのオーラが陽炎のように包み込んだ。
【憎悪のオーラ】がもたらす青黒い冷気の闘気。
【決意のオーラ】が生み出す黄金色の揺るぎない守りの力。
そして、【自動呪言】が放つ禍々しい紫の波動。
三色のオーラが、複雑に絡み合い、彼の周囲の空間をわずかに歪ませていた。
彼が最初の巨大な広間へとたどり着いた、その瞬間。
地響きと共に、広間の四方八方から、おびただしい数の敵がその姿を現した。
その数、ざっと20体以上。
それは、もはやただのモンスターの群れではない。
明確な役割分担と殺意を持った、機械の軍勢だった。
最前線には、黒光りする鉄の装甲に身を包んだ巨大な【黒鉄のゴーレム】たちが、重い足音を立てて迫ってくる。
その中衛には、悪魔のような翼を持つ小型の【火炎術師のインプ】たちが、空中を飛び回りながら、その手に灼熱の火球を生み出している。
そして、その軍勢の最も後方。
一体の、ひときわ巨大で、そして威圧的なオーラを放つ機械兵が鎮座していた。
【オートマトン・センチュリオン】。
この部隊の指揮官だった。
その絶望的なまでの物量と、完璧な布陣。
C級のグラディエーター軍団とは比較にならない、絶対的な「格」の違い。
コメント欄が、悲鳴で埋め尽くされる。
『うわあああ!いきなりお出ましかよ!』
『数が多すぎる!しかも全部初見の敵だ!』
『ダメだ!囲まれる!JOKERさん一度引け!』
だが、隼人はその声援には応えない。
彼の口元には、獰猛な、そしてどこまでも楽しそうな笑みが浮かんでいた。
彼は、カメラの向こうの心配する観客たちに、そして目の前の鉄の軍勢に、高らかに宣言した。
「切れ味をB級上位ダンジョンで試すぜ?」
「――ウォーミングアップにはちょうどいい」
その言葉と同時に、彼は動いた。
彼は、あろうことか、その鉄の津波の中へと、自らその身を投じていったのだ。
一体の【黒鉄のゴーレム】が、その巨大な鉄の拳を力任せに振り下ろす。
隼人は、それを避けない。
彼は、その攻撃を真正面から、その身に受け止めた。
ゴッッッッ!!!
凄まじい衝撃音。
だが、隼人の体はびくともしない。
彼の視界の隅に、システムメッセージが表示される。
『近接攻撃ヒット時、堅牢化を1獲得しました』
彼の体を、硬質な赤いオーラが薄く覆い始めた。
そして、彼のHPバー。
それは、確かにダメージを受けたはずなのに、ほとんど動いていない。
8割どころか、9割5分以上の輝きを保っていた。
「…なるほどな。21%カットは伊達じゃねえ」
彼は、その鉄壁の防御力に、満足げに頷いた。
そして彼は、反撃の狼煙を上げる。
その初手は、もはや彼の代名詞とも言える、あの技。
【スペクトラル・スロー】。
彼の右腕から放たれた三つの霊体の剣が、後方の火炎術師のインプたちへと襲いかかる。
だが、インプたちは、それを小さな炎のバリアで防ごうとする。
しかし、その貧弱なバリアは、隼人の新たな力の前に無力だった。
オーラマスタリーによるダメージ48%増加。
その圧倒的な火力を乗せた霊体の剣は、炎のバリアごと、インプたちの小さな体を貫き、引き裂いた。
悲鳴を上げる暇も与えられなかった。
後衛の火炎術師たちは、たった一撃で全滅した。
『うおおおおお!強えええええ!』
『なんだ今の火力は!?インプが一瞬で溶けたぞ!』
『これが…オーラマスタリーの力か…!』
コメント欄が、熱狂に包まれる。
だが、ショーはまだ始まったばかりだ。
隼人は、残された前衛のゴーレム軍団へと向き直る。
そして彼は、その暴力の化身と化した。
【無限斬撃】の嵐。
彼の長剣が、残像を描く。
これまで数回の攻撃を必要とした、重装甲の敵。
それが今や、たった二撃、三撃で、その分厚い装甲を紙のように引き裂かれていく。
ガキン、ザシュッ、キィン、ザシュッ!
鉄と骨が砕ける不協和音が、兵器廠に響き渡る。
彼は、殴られれば殴られるほど、その身を堅牢化させていく。
そして、殴れば殴るほど、そのMPは回復していく。
あまりにも理不尽な永久機関。
あまりにも美しい蹂躙劇。
やがて、残されたのは、指揮官である【オートマトン・センチュリオン】ただ一体となっていた。
センチュリオンは、その赤い単眼のレンズで、目の前の悪魔のような闖入者を捉えていた。
そのAIの奥底に刻み込まれた、初めての感情。
それは、「恐怖」だった。
だが、その恐怖こそが、彼の最後の、そして最強の攻撃の引き金となった。
センチュリオンの全身の装甲が展開し、その内部から無数のミサイルポッドがせり出してくる。
全弾発射。
それは、もはや回避不能な、全方位への飽和攻撃。
だが、隼人は笑っていた。
彼は、そのミサイルの雨の中心で、ただ静かに剣を構え直す。
そして彼は、そのありったけの魔力を解放した。
【必殺技】衝撃波の一撃。
ドッゴオオオオオオオオオオオオオオンッ!!!
彼の剣から放たれた力の奔流。
それは、殺到してくるミサイルの全てを飲み込み、そしてその勢いを殺すことなく、センチュリオンの本体へと到達した。
凄まじい轟音と閃光。
光が収まった時、そこには、もはや何も残ってはいなかった。
おびただしい数のドロップアイテムと、そしてその中心で、荒い息一つ乱すことなく、静かに佇む一人の王者の姿だけがあった。
「…B級上位か」
彼は、ARカメラの向こうの、言葉を失った観客たちに、静かに告げた。
「悪くない。悪くないテーブルだ」
B級上位ダンジョンという新たなステージ。
彼のビルドが、完全に通用することを証明した瞬間だった。
彼の進軍は、まだ始まったばかりだ。
この灼熱の兵器廠のさらに奥深く。
そこに眠るであろう、本当の「主」の首を取る、その時まで。
彼のショーは終わらない。
「…敵が弱すぎる」
彼は、ARカメラの向こうの、言葉を失った観客たちに、静かに告げた。
「いや…こっちが強くなりすぎたな」
そのあまりにも傲慢な、しかし事実でしかない一言。
それに、コメント欄が爆発的な熱狂に包まれた。
B級上位ダンジョンの道中の雑魚敵ですら、もはや彼の敵ではない。
その絶対的な事実。
それが、彼の伝説をまた新たなステージへと押し上げた瞬間だった。
彼は、そこから文字通り無双した。
兵器廠の長い通路。
灼熱の溶岩が流れる巨大な洞窟。
そこで彼を待ち受ける全ての敵が、彼のショーを盛り上げるためのエキストラと化した。
攻撃を受けても、彼のHPが8割まで減ることは、一度としてなかった。
堅牢化と、圧倒的なリジェネ。
その二重の保険が、彼を完全な無敵の存在へと変えていた。
彼は、ボス前まで全ての雑魚敵を殲滅しながら、進んでいく。
そのあまりにも圧倒的な蹂躙劇。
その道のりの果てに、彼は、ついにたどり着いた。
この灼熱の兵器廠の最深部。
巨大な溶鉱炉が鎮座する、円形の玉座の間。
そこに、このダンジョンの本当の「主」が、彼を待ち受けていた。
部屋の中央には、巨大な金床が一つ。
そして、その前に一体の巨人が立っていた。
身長は、5メートルを超えているだろうか。
その体は、人間ではない。
全身が、黒曜石と、そしてまだ熱を帯びた溶岩そのもので形成されている。
その巨大な手には、星の核でも埋め込まれているのか、まばゆい光を放つ巨大な戦槌が握られていた。
【古の鍛冶王】。
B級上位ダンジョンの主。
その神々しくも冒涜的な姿。
そのあまりにも圧倒的なプレッシャー。
隼人は、ゴクリと喉を鳴らした。
だが、その瞳には恐怖の色はない。
ただ、最高の獲物を前にした狩人の光だけが、爛々と輝いていた。
「…さてと」
彼は、長剣を構え直す。
「ようやくまともな相手に会えたな」
彼のその挑発的な一言。
それを合図にしたかのように、鍛冶王がその巨大な戦槌をゆっくりと持ち上げた。
そして、その口と思われる溶岩の裂け目から、地響きのような声が響き渡った。
「――挑戦者よ。その覚悟、見せてもらおう」
ボス戦の幕が、切って落とされた。
鍛冶王の初手は、シンプルだった。
ただ、その巨大な戦槌を力任せに振り下ろすだけ。
だが、その一撃は、大地を割り、空間そのものを歪ませるほどの、純粋な質量の暴力。
隼人は、それを避けない。
彼は、その攻撃を左腕に構えた盾、【背水の防壁】で、真正面から受け止めた。
ゴッッッッッッッッ!!!
これまで経験したことのない、凄まじい衝撃。
彼の体が、数十メートル後方へと吹き飛ばされる。
だが、彼は死んでいない。
彼のHPバーは、確かに大きく削られた。
だが、まだ5割以上残っている。
堅牢化と、【決意のオーラ】。
その二重の物理防御が、この必殺の一撃を耐えきったのだ。
「…なるほどな。確かに重い」
彼は、血の味のする口の中で笑った。
「だが、耐えられねえ重さじゃねえな」
彼は、体勢を立て直し、そして反撃の狼煙を上げる。
彼は、もはや小手先のスキルコンボなど使わない。
この絶対的な王の前では、それらは無意味だと、彼は瞬時に理解した。
やることは、ただ一つ。
必殺の一撃を、叩き込み続ける、それだけだ。
「――行くぜ、オラァッ!」
彼は、雄叫びを上げた。
そして彼は、そのありったけの魔力を解放した。
彼の右腕に、力が集中する。
長剣が、赤い闘気のオーラを、その身に激しく纏った。
【必殺技】衝撃波の一撃。
彼は、それを鍛冶王の巨大な足元へと叩き込んだ。
ドッゴオオオオオオオオオオオオオオンッ!!!
一発目。
鍛冶王の巨体が、わずかによろめく。
その黒曜石の足に、亀裂が入る。
そして彼は、間髪入れずに二発目を叩き込む。
彼のMPは、まだ半分以上残っている。
マナマスタリーがもたらした恩恵だ。
ドッゴオオオオオオオオオオオオオオンッ!!!
二発目。
鍛冶王が、初めて苦痛の呻き声を上げた。
その足が砕け散り、彼はその場に膝をついた。
そして隼人は、その無防備な頭部へと、三発目の必殺技を狙う。
ドッゴオオオオオオオオオオオオオオンッ!!!
三発目。
鍛冶王の頭部が、粉々に砕け散った。
そして彼は、そのがら空きになった胸の中心、赤く脈打つ核へと、最後の一撃を放った。
彼のMPは、もうほとんど残っていない。
これが、最後だ。
彼は、全ての魂を込めて叫んだ。
「――チェックメイトだ」
ドッゴオオオオオオオオオオオオオオンッ!!!
四発目。
鍛冶王の核が砕け散る音。
そして、その巨体は、内側から崩壊し、ただの黒い石の塊へと変わっていった。
速攻。
あまりにも圧倒的な勝利。
後に残されたのは、山のようなドロップアイテムと、そしてその中心で、静かに剣を納める一人の王者の姿だけだった。