第118話
西新宿の夜景が、いつものように彼の部屋の窓を淡く照らしている。
神崎隼人 "JOKER" は、ギシリと軋む古びたゲーミングチェアにその身を深く沈め、目の前のモニターに映し出された情報の海を、静かに漂っていた。
B級ダンジョン。
そのテーブルもまた、彼にとっては日常と化してしまった。
敵の動きも、ギミックも、全てを記憶し、最適化された動きで蹂躙するだけの「作業」。
彼のレベルは上がり、資産は増えていく。
だが、彼の魂は満たされていなかった。
ギャンブラーの血が、新たなスリルを、未知なるテーブルを渇望していた。
彼は自らのビルドを冷静に分析する。火力、耐久力、速度、どれもが高い水準でまとまっている。だが、それ故に「伸びしろ」が見えない。このままでは、いずれ訪れるであろうA級、S級という神々のテーブルで、その他大勢の中に埋もれてしまうだろう。
(今の俺は、強い)
彼は、思う。
(だが、この強さはまだ「線」でしかない。もっと、圧倒的な「面」としての強さがあるはずだ。戦場そのものを支配するような、根源的な力が)
彼の思考は、自然と一つのキーワードへとたどり着いた。
「オーラ」。
術者と、そして周囲の味方すらも強化する、常時発動の力。
彼はすでに、その恩恵を十二分に受けていた。【憎悪のオーラ】が火力を底上げし、【決意のオーラ】がその身を守る。
だが、それはあくまで装備がもたらした、借り物の力。
自らの意思で、この「オーラ」というシステムを、もっと深く、もっと戦略的に使いこなすことはできないものか。
彼のゲーマーとしての探求心が、彼を新たな知識の扉へと導いていく。
彼は日本最大の探索者専用コミュニティサイト『SeekerNet』の、さらに奥深く。トップランカーや理論家たちだけが棲息する、マニアックな掲示板へとその意識をダイブさせた。
検索窓に、彼が打ち込んだキーワードは、シンプルだった。
『戦士 オーラ』
エンターキーを押すと、彼の目の前に一つの巨大なスレッドが表示された。
そのタイトルは、まるで古の賢人たちの対話を思わせる、荘厳な響きを持っていた。
『【理論】戦士は、いくつのオーラを張れるのか? Part. 15』
そこは、もはや初心者が足を踏み入れることを許されない、神々の領域。
彼は、そのスレッドを食い入るように読み進めていく。
そして、そこに記されていたのは、彼が漠然と抱いていた課題を、あまりにも的確に言語化した、戦士たちの魂の叫びだった。
142: ハンドルネーム『脳筋からの脱却』
諸兄に問いたい。我々戦士は、なぜあれほどまでにMPに苦しめられるのか。
先日、D級ダンジョンで、サポーター専門の【軍旗の聖女】と名高い鳴海詩織殿とパーティを組む機会があったのだが、その光景はまさに圧巻だった。
彼女は、戦場に立つだけで、その身から五つ、六つと、神々しいオーラを常に放ち続け、我々前衛の能力を何倍にも引き上げてくれた。
それに比べて、我々はどうだ。
【決意のオーラ】と、あとはせいぜい【活力のオーラ】か【精度のオーラ】。その二つか三つを張っただけで、MPはカツカツ。メインスキルを数回振っただけで、息切れしてしまう。
この、絶対的な「差」は、一体どこから生まれるのだ?
その切実な問いかけに、スレッドの猛者たちが次々と回答していく。
148: ハンドルネーム『マナの探求者』
答えは簡単だ、同志よ。我々は、MPそのものと、その『使い方』が、根本的に違うのだ。
サポーターたちは、そのパッシブスキルポイントのほとんどを、MP最大値の増加と、そして何よりも**『予約効率』**の向上に注ぎ込んでいる。彼らにとって、オーラこそが武器であり、防具なのだからな。
予約効率。
そのキーワードに、隼人の目が鋭く光った。
155: ハンドルネーム『オーラ信者』
その通りだ。MPの最大値を上げるだけでは、限界がある。しょせん、器を大きくするだけだ。
真のオーラマスターは、その器の中身を、いかに効率よく使うかを追求する。
予約効率とは、オーラが消費するMP予約コストそのものを、割合で減少させる、極めて強力なステータスだ。
例えば、予約効率が100%あれば、本来MPを50%予約するオーラが、たった25%の予約で済むようになる。
つまり、同じMPの最大値でも、張れるオーラの数が、単純に倍になるということだ。
そのあまりにも、強力な概念。
隼人は、ゴクリと喉を鳴らした。
そうだ、これだ。
これこそが、俺が次に目指すべき道だ。
162: ハンドルネーム『脳筋からの脱却』
なるほど…!では、我々戦士が、その予約効率を上げるための、最も効率的な方法とは、一体何なのだ?
その問いかけ。
それこそが、隼人が今、最も知りたいことだった。
そして、その問いに答えたのは、このスレッドの主であり、全ての戦士から尊敬を集めるあの伝説のコテハン。
『元ギルドマン@戦士一筋』だった。
170: 元ギルドマン@戦士一筋
よくぞ、聞いてくれた、新人。お前は、戦士としての新たな扉を開く、その資格を得たようだ。
予約効率を上げる方法は、いくつかある。高価なユニーク装備の効果、あるいは特定のサポートジェム。だが、最も手軽で、そして確実なのは、やはりパッシブスキルだ。
だが、下手に手を出すとビルドが歪む。取るべきノードは、決まっている。無駄なポイントを1ポイントたりとも使わず、最小限の投資で最大のリターンを得る。それこそが、我々ベテランのやり方だ。
その言葉に、スレッドの空気が張り詰める。
そして、彼は、全ての戦士たちへの福音となる、黄金の道筋を示した。
171: 元ギルドマン@戦士一筋
まず、パッシブスキルツリーを開け。
そして、オーラに関連する星団を探せ。
そこで、お前たちが取るべきノードは、三つだ。
彼は、パッシブツリーのスクリーンショットを添付し、その三つのノードを赤い丸で囲んでいた。
①【オーラの神髄】(1ポイント)
効果: 呪い以外のオーラスキルの効力が6%増加する。
②【影響範囲】(1ポイント)
効果: オーラの効果範囲が12%増加する。
③【指導者の威厳】(1ポイント)
効果: オーラの効果範囲が12%増加する。あなたのスキルのMP予約効率が8%増加する。呪い以外のオーラスキルの効力を6%増加する
この三つだ。たった3ポイントの投資で、オーラの効果そのものを底上げし、効果範囲を広げ、そして何よりも8%もの予約効率を手に入れることができる。これ以上にコストパフォーマンスに優れた道筋を、俺は知らない。
そのあまりにも、完成されたルート。
隼人の心は、高揚していた。
だが、元ギルドマンの講義は、まだ終わらない。
彼が次に投下した爆弾は、隼人の想像を遥かに超えるものだった。
172: 元ギルドマン@戦士一筋
だがな、本当のヤバさは、そこじゃねえ。
その三つのノードを全て取得した者だけが見ることができる、ご褒美があるんだよ。
その意味深な言葉に、ハクスラ廃人が食いついた。
173: ハクスラ廃人
おいおい、ギルドの旦那。まさか、あれの話をする気か?
**『オーラマスタリー』**のことかよ!
オーラマスタリー。
その、聞き慣れない単語。
175: ベテランシーカ―
ええ。オーラマスタリーとは、特定のオーラ関連のノード群を一つ制覇するごとに、その中から一つだけ選択することを許される、特殊なパッシブスキルです。まさに、ご褒美のようなものですね。そして重要なのは、パッシブツリーの別の場所にある、また別のオーラクラスターを制覇すれば、その都度、新たなマスタリーを選択できるということです。つまり、投資すればするだけ、強力な効果を積み重ねていけるのです。
その、あまりにも重要な補足。
隼人は、息を呑んだ。
つまり、一回きりの選択ではない、ということか。
そして、元ギルドマンは、その最初の「ご褒美」として、あまりにも狂った性能を持つ選択肢を提示した。
178: 元ギルドマン@戦士一筋
そうだ。その名は、【調和の目的】。
効果は、こうだ。
――あなたのオーラまたはフィニッシュスキルは、ダメージ増加8%を付与する。これは、使用されているオーラとフィニッシュスキルの分、重複する。
静寂。
スレッドのログが、一瞬だけ、完全に停止した。
隼人の、思考もまた、完全にフリーズする。
そして、彼はゆっくりと、その言葉の意味を、反芻した。
オーラ一つにつき、ダメージが8%増加する。
重複、する。
彼の脳内で、高速の計算が始まった。
彼が今、常に発動させているオーラ。
【決意のオーラ Lv.10】
【憎悪のオーラ Lv.15】
【元素の盾 Lv.10】
【精度のオーラ Lv.4】
【明瞭のオーラ Lv.3】
【活力のオーラ Lv.4】
合計、六つ。
8% × 6 = 48%
その数字が、彼の脳内に叩きつけられた、瞬間。
彼の全身に、鳥肌が立った。
「…強すぎる…」
彼の口から、本物の、心の底からの驚愕の声が漏れた。
ダメージ、48%増加。
それは、もはやただのパッシブスキルではない。
彼の火力を、全く別の次元へと引き上げる、神の恩寵。
あるいは、悪魔の契約。
B級上位、あるいはその先のA級ダンジョンという分厚い壁をこじ開けるための、最高の「鍵」になるかもしれない。
彼は、一秒たりとも、迷わなかった。
勝負のテーブルで、必勝のカードが見えた。
ここで張らないギャンブラーは、いない。
彼は、自らの魂の内側…パッシブスキルツリーの広大な星空を開いた。
そして、彼は迷いなくその光の道筋をなぞっていく。
彼が持つ、未割り振りのパッシブスキルポイント15ポイント。
そのうち、たった4ポイントを使い、彼は黄金の道筋を解放した。
三つの、オーラノード。
そして、その先にある、究極の選択…オーラマスタリー【調和の目的】。
彼が、その最後の星に触れた、その瞬間。
彼の全身を、これまでにないほどの圧倒的な力の奔流が、包み込んだ。
彼の魂に、新たな法則が刻み込まれる。
彼の右手に握られた長剣【憎悪の残響】が、共鳴するように激しく脈打ち、その刀身に宿る青黒い冷気のオーラが、これまでとは比較にならないほど、濃密で、禍々しい輝きを放ち始めた。