第113話
西新宿の夜景が、彼の部屋の窓を静かに照らし出す。
神崎隼人 "JOKER" は、自室のギシリと軋む古びたゲーミングチェアに、その身を深く沈めていた。
彼の目の前のモニターには、SeekerNetのあの膨大な情報がまだ表示されている。
『「出血」地獄から生還するための、全ての方法』。
そのまとめスレッドを、彼はもう何度読み返したか分からない。
無数の、選択肢。
無数の、「解法」。
そのどれもが魅力的で、そしてどれもが一長一短だった。
(…パッシブで60%回避か。悪くない。だが、確実じゃねえ)
(出血無効の指輪は論外だ。億単位の資産がなけりゃ、話にならん)
(スティールスキンのコンボは面白い。だが、レベル38はまだ遠い)
彼の思考が、迷宮を彷徨う。
だが、彼のギャンブラーとしての魂は、すでにその答えを見つけ出していた。
最もリスクが低く、最もコストパフォーマンスに優れ、そして何よりも、今の彼がすぐに実行できる唯一の選択肢。
「…フラスコか」
彼は、呟いた。
最終手段として紹介されていた、あの方法。
ライフフラスコに、クラフトで「出血解除」のMODを付与する。
それは、あまりにも地味で、そしてあまりにも堅実な一手。
だが、それ故に美しいと、彼は思った。
派手なユニークやスキルに頼るのではない。
最も基本的なアイテムを、自らの手で最強の「保険」へと作り変える。
それこそが、彼らしいやり方だった。
「…よし、決めた」
彼の瞳に、決意の光が灯る。
彼は、その場で配信のスイッチを入れた。
そのタイトルは、彼の次なる挑戦を高らかに告げていた。
『【クラフト回】出血対策、始めます』
そのあまりにも地味な、タイトル。
だが、彼のチャンネルには、瞬く間に数万人の観客たちが殺到した。
彼らが待ち望んでいたのは、クラフトという名の、究極のギャンブルショーだったからだ。
「よう、お前ら」
隼人は、ARカメラの向こうの観客たちに語りかけた。
「見ての通り、今日はダンジョンじゃねえ。クラフトだ」
彼は、インベントリから、一本の赤い液体が満たされたフラスコを取り出した。
彼が愛用している、【ライフフラスコ(中)】。
「この何の変哲もないフラスコ。こいつを、今から俺だけの最強のお守りに変えてやる」
彼はそう宣言すると、テーブルの上にクラフト用のオーブを並べ始めた。
マジックアイテムへと変化させる【変質のオーブ】。
そして、マジックアイテムの特性をランダムに書き換える【変化のオーブ】。
彼の手元には、これまでの周回で貯め込んだ、数十個のオーブがあった。
「さてと」
彼はまず、【変質のオーブ】を手に取った。
「ライフフラスコで出血対策ができるなら、まずはそれをクラフトしてみるか」
彼は、オーブをフラスコに触れさせた。
フラスコが淡い青色の光を放ち、マジック等級へと変化する。
そして、ARシステムがその新たな性能を表示した。
『移動速度が20%増加する』
「…ほう、いきなり当たりじゃねえか」
彼は、感心したように言った。
だが、彼が求めるものではない。
彼は次に、【変化のオーブ】を手に取った。
「こっからが本番だ。狙うは、ただ一つ。『出血解除』」
彼は、オーブを使った。
リロールされた能力は、『使用時に周囲の敵を挑発する』。
「…ゴミだな」
彼は、次々と【変化のオーブ】を消費していく。
だが、何度繰り返しても、彼の理想とする組み合わせは現れない。
『気絶から回復する』
『呪いを一つ解除する』
『凍結状態で使用可能』
どれもが、有用ではある。
だが、彼が求めるものではない。
『うわ、沼ってる、沼ってるw』
『JOKERさん、運使い果たしたか?w』
『これぞ、リアルなクラフトだよな…』
コメント欄が、彼の苦戦を楽しむように盛り上がる。
やがて、彼の手元にあった【変化のオーブ】が、残りわずかとなった。
彼は20個目のオーブを手に取り、そして大きく息を吐いた。
「…しぶといな」
だが、彼の表情に焦りの色はなかった。
むしろ、その口元には、笑みすら浮かんでいた。
これだ。
この、ギリギリの感覚。
これこそが、ギャンブルだ。
彼は、その最後の一つのオーブを、フラスコに叩きつけた。
そして、その瞬間。
フラスコが、これまでとは違う、確かな手応えを返してきた。
ARシステムが表示した新たな性能。
それに、彼は思わず声を上げた。
「――おっ、やっと出た」
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アイテム名: 沸騰したライフフラスコ
等級: マジック(青)
効果:
出血状態で使用すると、出血を即座に解除する
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そのあまりにも完璧な、結果。
それに、コメント欄が爆発した。
『きたああああああ!』
『20回目で、出たのかよ!』
『運良すぎだろ!』
その熱狂の中で、いつもの有識者たちが、呆れたようなツッコミを入れた。
ハクスラ廃人:
おいおい、JOKER!お前、それが普通みてえに言うんじゃねえ!
そのMODはな、フラスコのMODの中でも、トップクラスに出にくいレアMODなんだぞ!
普通はな、100個は消費する!
それをたった20回で引き当てるとか、お前、その運はどうなってんだ!
その絶叫に、隼人はただ笑うだけだった。
「まあまあ、出たから良いだろ?」
彼は、完成したばかりの最強のお守りを、満足げに眺めた。
「とりあえず、これで出血に保険ができたわけだ」
「普段はライフフラスコは使わないから、チャージが枯渇する心配もない。いざという時のために、1個あればいい」
彼はそう言うと、そのフラスコをベルトのスロットへと装着した。
そして彼は、ARカメラの向こうの観客たちに宣言した。
その声は、絶対的な自信に満ち溢れていた。
「――じゃ、明日はB級中位ダンジョン【嘆きの海溝】の攻略だ」
物語は、主人公が自らの手で新たな保険を作り出し、次なるリベンジマッチへの準備を完璧に整えた、その最高の瞬間を描き出して幕を閉じた。




