第112話
西新宿の夜景が、彼の苛立ちを映し出すかのように、不気味に揺らめいていた。
神崎隼人 "JOKER" は、自室のギシリと軋む古びたゲーミングチェアに、その身を深く沈めていた。
彼の頭の中では、先ほどの屈辱的な敗走の記憶が、何度も、何度もフラッシュバックしていた。
冷たく暗い深海の海溝。
音もなく忍び寄り、その鋭い爪で彼の肉体を切り裂いた【深海の追跡者】たち。
そして、その傷口から彼の生命を内側から蝕んでいった、あの忌々しいデバフ。
《裂傷(出血)》。
ただ、一歩動いただけ。
それだけで、彼のHPが蒸発するように消えていく、あの絶対的な絶望感。
彼はなんとか生き延び、撤退することはできた。
だが、それは勝利ではない。
明確な、「敗北」だった。
「…クソがっ」
彼の口から、心の底からの悪態が漏れた。
サイレンスの次は、出血か。
このB級というテーブルは、どこまで俺を楽しませてくれるんだ。
彼の心には、もはや恐怖はない。
ただ、この理不尽な世界をどう攻略してやろうかという、純粋な闘争心だけが燃え盛っていた。
彼は、怒りに震える指でキーボードを叩きつけ、再びあの情報の海…『SeekerNet』へと、その意識をダイブさせた。
彼の戦いは、もう始まっている。
彼が向かったのは、いつもの『戦士クラス総合スレ』。
彼は検索窓に、あの忌々しいデバフの名前を打ち込んだ。
『出血 対策』
エンターキーを押すと、彼の目の前に表示されたのは、やはり地獄の様相を呈したスレッドの山だった。
『【悲報】嘆きの海溝で、出血死しかけました…』
『【助けて】動くと死ぬんだが、どうすればいい?』
『このクソギミック考えた奴、出てこい!』
阿鼻叫喚。
彼と同じように、出血の地獄に苦しみ、絶望する探索者たちの悲痛な叫びが、そこにはあった。
彼は、その一つ一つの叫びに深く共感しながらも、冷静に情報の取捨選択を行っていく。
そして、彼はその絶望の海の中で、一筋の光となる、一つの巨大なまとめスレッドを見つけ出した。
それは、ギルドの公認アドバイザーと百戦錬磨のベテランたちが、総力を結集して作り上げた、出血対策の完全攻略ガイドだった。
『【永久保存版】「出血」地獄から生還するための、全ての方法』
彼は、そのスレッドを食い入るように読み進めていく。
そこには、彼が求める全ての答えが記されていた。
1 ギルド公認アドバイザー
B級の壁に挑む、全ての探索者たちへ。
おそらく君たちの多くが、今、「出血」という理不尽なギミックの前に、膝をついていることだろう。
だが、安心しろ。どんな凶悪なデバフにも、必ず「対策」は存在する。
このスレッドでは、その全ての方法を網羅的に解説していく。
自分に合った解法を見つけ出し、この地獄を乗り越えてほしい。
その力強い、書き出し。
隼人はゴクリと喉を鳴らし、その最初の項目へと目を移した。
【対策その①:プレイヤースキルでなんとかする(極論)】
ハクスラ廃人:
まず、一番簡単な方法から教えてやる。
「当たらなければ、どうということはない」。
以上だ。
そのあまりにもシンプルで乱暴な回答に、スレッドが少しだけ荒れた。
『それができれば、苦労しねえよ!』『脳筋の発想』
だが、ハクスラ廃人はそれを鼻で笑った。
ハクスラ廃人:
分かってねえな、お前ら。
ブロックするか、パリィするか、そもそも回避して当たらなければ、出血のデバフなんざ付与されねえんだよ。
全ての攻撃を完璧に捌き切れるだけのプレイヤースキルがあるなら、それが一番安上がりで、確実な対策だ。
まあ、そんな神みてえな芸当ができる奴は、この世界にほとんどいねえだろうがな。
これは、あくまで極論だ。笑って聞き流せ。
隼人は、その書き込みに苦笑した。
確かに、極論だ。
だが、本質でもある。
彼自身、あの死闘の中で何度かパリィに成功し、その危機を脱した。
だが、全ての攻撃を捌き切るのは不可能だ。
これは、現実的な解法ではない。
【対策その②:装備の特殊効果で無効化する(富豪の選択)】
元ギルドマン@戦士一筋:
次に、最も確実で、そして最も金のかかる方法だ。
それは、「出血を付与されることがない」という、特殊な暗黙MODが付いた指輪を使うことだ。
暗黙MOD。
その聞き慣れない言葉に、隼人は首を傾げた。
スレッドには、その丁寧な解説が添えられていた。
元ギルドマン@戦士一筋:
暗黙MODとは、通常のクラフトでは決して付与することができない、アイテムのベースそのものに宿った特殊な能力のことだ。
これは、「腐敗MOD」や「シンセサイズ」といった、神々の領域のクラフトでしか生み出すことができない。
まあ、今のお前たちは、「そういう特殊なMODがあるんだな」と、理解しておけばいい。
そして、この出血無効の指輪は、その中でも極めて希少で、価値が高い。
マーケットに出品されること自体が稀で、もし出たとしても、確実にトップランカー同士の争奪戦になる。
値段も、当然跳ね上がる。笑っちまうほどの、金額にな。
まあ、運良く見つけられて、そしてそれを買えるだけの財力があるなら、それが一番楽な解決策ではあるだろうな。
運と、財力。
その二つがなければ、この道は選べない。
隼人は、静かにこの選択肢を保留した。
【対策その③:パッシブスキルで確率的に抵抗する(堅実な一手)】
ベテランシーカ―:
次に、より現実的な対策をご紹介します。
それは、パッシブスキルツリーで「出血に抵抗する」というノードを取得する方法です。
戦士と盗賊のクラスエリアの近くに、その星団は存在します。
「まとめて3ポイント消費することで、合計で60%の確率で出血を回避する」
という、ノード群があります。
60%の確率で、出血しない。
これは、決して100%の回答ではありません。
ですが、出血のリスクを半分以下に抑えることができると考えれば、十分に強力な選択肢と言えるでしょう。笑
安定性を求める多くのプレイヤーが、この道筋を選んでいますね。
60%の確率。
ギャンブラーとしては、少し物足りない数字だ。
だが、堅実な一手ではある。
隼人は、これも頭の片隅に置いておくことにした。
【対策その④:装備MODの組み合わせで100%を目指す(理論上の最強)】
ハクスラ廃人:
おいおい、60%で満足してんじゃねえよ。
俺たちハクスラプレイヤーはな、常に100%を目指すんだよ。
よく聞け。
装備にはな、ごく稀に、「41-50%の確率で出血を無効化する」っていうMODが付くことがあるんだ。
これを、例えば、ブーツと手袋、二つの部位で同時に引く。
そして、さっきベテランさんが言ってたパッシブの60%と、組み合わせる。
そうすりゃ、どうだ。
理論上、出血を100%無効化できるビルドが、完成するってわけよ。笑
まあ、そんな神みてえな装備を二つも揃えるのが、どれだけ大変かって話だがな。
これも、ロマンの一つとして覚えとけ。
理論上の、最強。
その響きに、隼人の心は少しだけ躍った。
だが、現実的ではない。
これも、保留だ。
【対策その⑤:ユニーク装備でなんとかする(ただしレベルが足りない)】
元ギルドマン@戦士一筋:
もちろん、ユニーク装備で対策するという手もある。
だが、出血を完全に無効化するような便利なユニークは、そのほとんどが要求レベルが高い代物ばかりだ。
ここでいちいち解説しても、今のお前たちには絵に描いた餅だろう。
自分で調べて、夢でも見てろ。笑
その突き放したような、しかし愛のある言葉。
隼人は、苦笑した。
確かに、その通りだ。
【対策その⑥:スキルで対策する(未来への投資)】
ベテランシーカ―:
そして、ここからが少し上級者向けの話になります。
もし、あなたのレベルが38以上であるならば、一つの強力な回答が生まれます。
それは、【スティールスキン】というスキルを使うことです。
このスキルは発動すると、数秒間、術者に特殊なガード値を付与します。
このガード値は、一定量のダメージを吸収すると消滅します。
そして、何よりも重要なのが、このバフがかかっている間、術者は「出血の完全耐性」を得るのです。
ですが、このスキルをいちいち手動で発動させるのは面倒でしょう。
そこで、我々はもう一つのサポートジェムを組み合わせます。
【被ダメージ時キャストサポート】。
その名の通り、一定量のダメージを受けた時に、リンクされたスキルを自動で発動させてくれる便利なサポートです。
この二つを組み合わせれば、どうなるか。
あなたが敵からダメージを受けたその瞬間、自動で【スティールスキン】が発動し、出血を無効化し、さらに特殊なガード値まで付与してくれる。
これもまた、非常に強力な対策の一つです。笑
ですが、問題はやはりレベル。38まで、遠いと感じる者も多いでしょう。
レベル38。
今の彼にとっては、まだ少し遠い数字だ。
だが、これは極めて魅力的で、そして現実的な選択肢だった。
【対策その⑦:フラスコでなんとかする(最終手段)】
ギルド公認アドバイザー:
そして、最後に。
これまで紹介したどの方法も取ることができないという君たちへ。
最終手段として、フラスコを使うという手が残されている。
実は、フラスコもまた、「クラフト」が可能なんだ。
ダンジョンで手に入るオーブを使うことで、フラスコに様々な追加効果を付与することができる。
そしてその中には、「出血状態で使用すると、出血の完全耐性を#秒間付与する」というMODが存在する。
つまり、出血を解除できるということだ。
レベル38まで待てないという君は、ライフフラスコかマナフラスコにこのMODをクラフトして、緊急時のお守りとして持っておくことだ。
これが、君たちが今すぐできる、最も手軽で確実な出血対策だぜ?笑
その最後のアドバイス。
それが、隼人の心に光を灯した。
これだ。
それこそが、俺が今取るべき最善の一手だ。
彼は全ての情報を整理し、そして自らの進むべき道を決定した。
物語は、主人公が新たな壁を乗り越えるための無数の選択肢とその具体的な方法を知り、自らの手でその未来を掴み取ろうと決意した、その最高の瞬間を描き出して幕を閉じた。