第11話
神崎隼人の「狩り」は、もはや様式美の域に達していた。
洞窟の奥へ進むにつれてゴブリンの出現頻度は増し、時には四体、五体という集団に遭遇することもあったが、もはや彼の敵ではなかった。【戦士】のクラスと筋力に極振りしたステータス、そして【パワーアタック】という切り札。それらを最適化された手順で繰り出す彼の前では、ゴブリンたちはただの経験値と、確率の低いスロットマシンの絵柄に過ぎなかった。
視聴者A: もう何体目だよw
視聴者B: JOKERさん、完全にゴブリンの天敵になってる
視聴者C: もはや流れ作業。美しい…
コメント欄も、当初の熱狂から、どこか達観したような、彼の職人芸を眺めるような雰囲気へと変わっていた。隼人自身も、一体一体の戦闘に感情を揺さぶられることはない。ただ、淡々と、精密な機械のように、彼は「作業」をこなしていく。
どれほどの時間、進み続けただろうか。
不意に、彼が歩いていた狭い通路が、開けた空間へと繋がった。
その瞬間、隼人は、足を止めた。
空気が、違う。
これまでとは、明らかに異質。湿った土と黴の匂いに混じって、獣の体臭や、何かを焼いたような焦げ臭い匂い、そして、より一層濃密な魔素の気配が、彼の嗅覚を刺激した。
彼は、岩陰に身を潜め、慎重にその空間を観察する。
そこは、巨大なドーム状の、広大な地下空洞だった。天井からは、何本もの巨大な鍾乳石が牙のように垂れ下がり、壁際には、相変わらず青白い光苔が、ぼんやりと空間全体を照らしている。
そして、彼の目を釘付けにしたのは、その空間で繰り広げられている「日常」の光景だった。
そこは、ゴブリンたちの「巣」だったのだ。
数十体…いや、おそらくは五十体を超えるゴブリンが、そこにいた。これまで彼が相手にしてきた、棍棒や槍を手にした戦闘員のゴブリンだけではない。明らかに体の小さな子供のゴブリンが、キーキーと甲高い声を上げて走り回っている。その世話を焼いているのであろう、雌のゴブリンたちの姿も見える。洞窟の隅では、巨大な鍋で何か得体のしれないものを煮込んでいたり、キノコのようなものを栽培している畑があったり、壁に粗末な武具を立てかけていたり…。
それは、彼がこれまで蹂躙してきた「モンスター」の姿ではなく、一つの社会性を持った「集落」の光景だった。
視聴者D: うわ…なんだここ…
視聴者E: ゴブリンの巣か…!こんな風になってるんだな…
視聴者F: 子供までいるじゃん…なんか、倒すの気が引けるな…
視聴者たちも、その異様な光景に戸惑いを隠せない。隼人も、一瞬だけ、眉をひそめた。だが、彼の思考は、すぐに冷徹なギャンブラーのものへと戻る。
(…感傷に浸るな。奴らは、俺の目的を阻む障害であり、同時に、魔石をドロップする可能性のある配当だ。それ以上でも、それ以下でもない)
彼が非情なのではない。彼が生きる世界が、彼にそうさせたのだ。妹を救うためなら、彼は悪魔にだってなる覚悟はできていた。
彼の視線が、空洞の中央へと注がれる。
そこには、周囲のゴブリンたちよりも一段高い、岩を積み上げて作られた粗末な玉座のようなものがあった。
そして、そこに、一体の異質なゴブリンが鎮座していた。
これまでのゴブリンとは、明らかに違う。背筋を伸ばし、その体には、様々な動物の皮を継ぎ接ぎしたような、汚れたローブが纏われている。手には、何かの獣の頭蓋骨が先端についた、歪な骨の杖。そして、何よりも違うのは、その瞳だった。
雑兵たちの、欲望と暴力性しか感じられない濁った瞳ではない。そこには、狡猾で、残忍で、そして、確かな「知性」の光が宿っていた。
そのゴブリンは、周囲の者たちに、グルグルと喉を鳴らすような声で、何事かを指示している。明らかに、この巣の「ボス」だった。
ARシステムが、その新たな脅威の情報を、隼人の視界に表示する。
====================================
名前: ゴブリン・シャーマン
レベル: 5
種別: 亜人/魔術師
脅威度: E+(要注意対象)
====================================
レベル5。そして、魔術師クラス。
隼人は、ゴクリと喉を鳴らした。これまでの相手とは、格が違う。
その時だった。
玉座に座っていたゴブリン・シャーマンが、ふと、動きを止めた。そして、その知性的な瞳が、一直線に、岩陰に隠れる隼人のことを捉えたのだ。
バレた。
空気が、凍り付く。
巣にいた全てのゴブリンたちが、一斉に動きを止め、彼らの王が見つめる先――隼人の潜む岩陰へと、その醜い顔を向けた。
五十を超える、敵意に満ちた視線。それが、一本の槍となって、隼人の全身を貫いた。
「ギシャアアアアアアアアアアッ!!」
ゴブリン・シャーマンが、甲高い、耳障りな叫び声を上げた。それは、侵入者に対する、警告と、そして、総攻撃の号令だった。
シャーマンが、骨の杖を天に掲げ、意味不明の呪文を唱え始める。
「グ…ル…ガ…、ジャ…ギ…!」
すると、杖の先端にある頭蓋骨の眼窩が、不気味な赤い光を放ち始めた。その光が、波紋のように周囲へと広がり、戦闘員のゴブリンたちを包み込む。
次の瞬間、ゴブリンたちの体が、一回り大きく膨れ上がった。筋肉が盛り上がり、その目は、憎悪と狂気に満ちた、血のような赤色に染まっていく。明らかに、強化魔法の類だ。
さらに、シャーマンは、その指先を、隼人へと向けた。
指先に、小さな、しかし、極めて高密度な炎の玉が生成される。
「――【火球】」
視聴者G: 魔法攻撃くるぞ!
視聴者H: 避けろJOKER!
小さな火の玉が、銃弾のような速度で、隼人へと放たれた。
だが、隼人は、それを避けることをしなかった。
彼は、この攻撃を、自らの切り札の性能を試すための、絶好の機会だと判断したのだ。
彼は、岩陰から身を乗り出し、左腕の【万象の守り】を、盾のように構えた。
火の玉が、ガントレットの甲に直撃する。
ジュッ、という、肉の焼けるような音がして、一瞬、焦げ臭い匂いが漂った。
だが、それだけだった。
隼人のHPバーは、1ミリたりとも動いていない。彼の左腕には、熱さすら感じなかった。
====================================
火属性ダメージを 12 受けました
属性耐性により、ダメージを 100% 軽減しました
最終ダメージ: 0
====================================
(…なるほどな。やはり、こいつは本物だ)
【万象の守り】の『全属性耐性+25%』は、この低レベルの魔法攻撃を、完全に無効化して見せた。隼人は、自らの最強のカードの性能に、改めて戦慄した。
だが、安堵したのも、束の間だった。
彼の目の前には、強化魔法によって凶暴化した、数十体のゴブリンたちが、殺到してきていたのだ。
一体一体は、もはや彼の敵ではない。だが、その数が、数十という単位になった時、話は別だ。しかも、後方には、次々と魔法を放ってくるであろう、厄介な司令塔がいる。
隼人の脳が、高速で、この戦いの損得勘定を弾き出す。
リスク:強化された数十体のゴブリンと、未知数の力を持つシャーマンとの総力戦。死ぬ確率は、極めて高い。
リターン:シャーマンを倒せば、おそらくは、魔石(小)よりも価値のある、レアなアイテムが手に入るだろう。だが、それは、あくまで可能性の話。
結論は、一瞬で出た。
(――このリスクに見合うリターンはない)
これは、ギャンブルですらない。ただの、無謀な自殺行為だ。
今の自分のレベルと装備で、このテーブルに参加するのは、あまりにも無謀すぎる。
隼人は、決断した。
彼は、殺到してくるゴブリンの群れに背を向け、今来た道を引き返すように、走り出した。
視聴者I: おお!逃げるか!
視聴者J: それが賢明だ!あんなの相手にできるか!
視聴者K: よく判断したな!
視聴者たちも、彼の撤退を、当然の、そして、正しい判断だと受け止めていた。
隼人は、走りながら、カメラの向こうの観客たちに向かって、宣言した。その口元には、悔しさではなく、次なる勝負を約束する、ギャンブラーの笑みが浮かんでいた。
「最高のギャンブラーはな、熱くなったテーブルからは、チップを持って冷静に立ち去るもんだ。ディーラーがイカサマ(バフ魔法)を使い始めたら、一度流れがリセットされるのを待つのが定石。この勝負、今は俺の『降り(フォールド)』だ」
彼の言葉は、単なる逃げ口上ではなかった。それは、彼の哲学。彼の美学。勝つために、あえて負けを認める、高度な戦略だった。
彼は、巣から離れる直前、一度だけ振り返り、玉座の上から忌々しげにこちらを睨みつける【ゴブリン・シャーマン】の姿を、その脳裏に、強く、強く焼き付けた。
「――だが、覚えておけよ。必ず、また戻ってくるぜ。その時は、お前が持つ全てのチップを、根こそぎ奪い取ってやるからな」
その約束は、視聴者たちに対する、次回の配信への、最高の「引き」となった。
彼は、来た道を、着実に引き返していく。
道中、ゴブリンに遭遇することもあったが、もはや彼の関心を引くことはなかった。彼の頭の中は、先ほどのシャーマンと、巣の光景でいっぱいだった。
(あのボスを倒すには、何が必要だ?)
(今の俺に足りないものは、なんだ?)
(武器か?防具か?それとも、レベルか、プレイヤースキルか?)
次々と浮かんでくる課題。だが、それは、彼にとって絶望ではなく、攻略すべき、胸の躍るようなゲームの目標だった。
彼は、歩きながら、ポケットの中を探った。
指先に、ひんやりとした、硬い感触が三つ。
彼は、それをゆっくりと取り出し、手のひらの上で転がした。鈍い紫色の光を放つ、【ゴブリンの魔石(小)】が、三つ。
今日の、彼の「勝ち分」だ。
3万円。
その確かな重みが、彼の心を、不思議な達成感で満たしていく。
彼は、この三つの石を、まるで大切な宝物のように、再びポケットの奥深くへとしまい込んだ。
やがて、道の先に、外の光が見えてきた。
数時間ぶりに浴びる太陽の光に、隼人は、わずかに目を細める。洞窟の中の、湿った、魔素に満ちた空気とは違う、現実世界の、乾いた空気が、彼の肺を満たした。
彼は、ダンジョンの入り口に立ち、大きく一つ、深呼吸をした。
そして、不敵な笑みを浮かべる。
「さて、と」
彼の声は、ダンジョンにいた時よりも、ずっと明るく、弾んでいた。
「まずはこのお宝を、本物の『諭吉』に変えに行くとしようか」
彼の初めてのダンジョン探索は、こうして幕を閉じた。
手にしたものは、現金3万円に変わる、三つの魔石。そして、倒すべき明確なボスという「宿題」。そして何より、自らの力で未来を切り開けるという、揺るぎない自信。
結果としては、大成功と言っていいだろう。
だが、彼はまだ知らない。
彼がダンジョンの中で「奇跡」を起こしている間、外の世界では、彼の存在が、彼が思っている以上の速度と規模で、拡散されていたことを。
彼の配信のクリップ映像は、すでに数万回再生され、「JOKER」の名は、アンダーグラウンドな探索者たちの間で、瞬く間に注目の的となっていたことを。
そして、彼の過去を知る、裏社会のハイエナたちが、その新たな「金の匂い」を嗅ぎつけ、動き出そうとしていることを。
隼人が外の世界に戻った時、彼を待ち受けているのは、平穏な日常ではない。
それは、ダンジョンの中とはまた違う、新たな、そして、より複雑な「戦場」だった。