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第106話

 西新宿の夜は、更けていく。

 神崎隼人 "JOKER" は、自室のギシリと軋む古びたゲーミングチェアに、その身を深く沈めていた。

 彼の目の前のモニターには、日本最大の探索者専用コミュニティサイト『SeekerNet』の、公式マーケットの画面が映し出されている。

 その検索窓には、彼が今この世界で最も渇望している、いくつかのキーワードが打ち込まれていた。


『胴装備 レア HP+100 MP+50 MP自動回復』


 だが、その検索結果は、無慈悲にも「該当するアイテムはありません」という、冷たい文字列を表示し続けていた。

 彼は、もう何時間もこの画面とにらめっこを続けている。

 時折、条件に近いアイテムが出品されることもあった。

 HPとMPは高いが、MP自動回復が付いていない。

 MP自動回復は付いているが、HPが低い。

 あるいは、その全てを満たしていても、価格が彼の全財産を遥かに超える、数千万円という天文学的な数字だったり。

 現実は、非情だ。

 SeekerNetの有識者たちが語っていた通り、このMODの組み合わせは、あまりにも需要が高く、そして供給が追いついていない。

 まさに、砂漠で一粒のダイヤを探すような、不毛な作業。


「…クソがっ」


 彼の口から、苛立ちの混じったため息が漏れた。

 このままマーケットに張り付き続けていても、埒が明かない。

 かといって、レベル上げのためにダンジョンに潜れば、この千載一遇のチャンスを逃すかもしれない。

 進むも地獄。

 退くも地獄。

 完全な、手詰まりだった。


 彼は、苛立ちを紛わすように、自らのスマートフォンを手に取った。

 そして、その画面に表示された一つのグループLINEのアイコンに、ふと目が止まる。

 グループ名は、『JOKERと愉快な仲間たち(仮)』。

 メンバーは、彼と、水瀬雫、そして鳴海詩織の三人。

 あの日、半ば強引に作られたこのグループ。

 彼は、これまで一度も自らメッセージを送ったことはなかった。

 だが、今のこの状況。

 藁にもすがる思い、というやつか。

 あるいは、ただ誰かにこの苛立ちを聞いてほしかっただけなのか。

 彼は無意識のうちにそのトーク画面を開いていた。

 そして、彼は気づけば、その悩みをそこに打ち込んでいた。


【LINE画面】


 JOKER:

「…なあ、ちょっと聞きたいんだが」


 その短いメッセージが投下された瞬間、既読の数字が、瞬時に「2」へと変わった。

 まるで、この瞬間を待ち構えていたかのように。


 雫:

「JOKERさん!?どうしたんですか、こんな夜中に!何かありましたか!?」


 詩織:

「あらあら、珍しいですわね。夜更かしは、お肌の大敵ですわよ?」


 二人の対照的な、しかしどちらも彼を気遣う温かいメッセージ。

 それに、隼人は少しだけ心が和むのを感じた。


 JOKER:

「いや、大したことじゃねえんだが…」

「今、サイレンス対策で少し手詰まりになっててな」

「MP自動回復(固定値)が付いた胴装備を探してるんだが、全くマーケットに出てこねえ」

「対策は、装備更新しかねえのか?他に、何かいい手はないかと思ってな」


 彼のそのあまりにもストレートな悩み。

 それに、雫が即座に反応した。


 雫:

「サイレンス対策、ですか…!確かに、あれは戦士の方にとっては、本当に厄介なデバフですよね…」

「装備で対策するのが一番確実ではありますが、JOKERさんのおっしゃる通り、需要が高すぎて市場価格も常に高騰していますし…」

「うーん…何か、別の方法…」


 雫が必死にその豊富な知識の中から答えを探そうとしている、その時だった。

 一つの優雅な、しかし核心を突いたメッセージが、トーク画面に表示された。


 詩織:

「あら、JOKERさん。それなら、とても簡単な解決方法がありますわよ?」


 そのあまりにもあっさりとした、物言い。

 隼人は、思わず聞き返した。


 JOKER:

「…なんだと?」


 雫:

「えっ!?詩織、何か知ってるの!?」


 詩織:

「ええ、もちろん。雫も知っているはずですわ。私達サポーターにとっては、常識ですもの」

「JOKERさん、あなたはまだ、オーラの世界のほんの入り口にしか立っていらっしゃらない」

「MPを回復させる手段は、マナフラスコやマナ・リーチだけでは、ありませんのよ?」


 彼女はそこで一度言葉を区切ると、まるで答えを焦らすかのように、可愛らしい花のスタンプを一つ送ってきた。

 そして、彼女は、その神の啓示とも言える回答を告げた。


 詩織:

「【明瞭のオーラ(クラリティ)】。それが、あなたの悩みを解決してくれる、もう一つの答えですわ」


 明瞭のオーラ。

 その聞き慣れない名前に、隼人は眉をひそめた。

 雫が、慌てたようにメッセージを打ち込む。


 雫:

「そっか!クラリティがあったんだ!ごめんなさい、JOKERさん!私、完全に失念していました…!」

「詩織さんがおっしゃる通りです!【明瞭のオーラ】は、術者と周囲の味方のMPを、実数で自動回復させてくれる、極めて強力な支援オーラなんです!」


 JOKER:

「…実数回復…?」


 詩織:

「ええ、そうですわ」

「例えば、レベル5の【明瞭のオーラ】。これを発動させれば、あなたはMP予約89と引き換えに、毎秒10.4ものMPを自動回復し続けることができるようになります」

「これだけで、サイレンスの呪いは完全に相殺できますわね」


 毎秒10.4回復。

 その数字は、確かに魅力的だった。

 だが、同時に提示されたMP予約89というコスト。

 それは、今の彼にとってはあまりにも重すぎた。


 JOKER:

「…予約89はキツイな。今の俺のMPじゃ、他のオーラが張れなくなる」


 詩織:

「あら、ですから言いましたでしょう?それは、あくまでレベル5の話ですわ」

「何も、最初から完璧を目指す必要はありませんのよ?」

「例えば、レベル3で妥協するという手もありますわ」

「レベル3の【明瞭のオーラ】なら、MP予約は61。そして、回復量は毎秒6.5」

「これなら、あなたのMPでも十分に運用可能でしょう?」


 MP予約61。

 回復量6.5。

 隼人は、脳内で高速の計算を始めた。


 詩織:

「サイレンスの効果が-10/sec。あなたの元々のMP回復が+1/sec。そして、このオーラの効果が+6.5/sec」

「差し引き、毎秒-2/sec。これなら、あなたのマナ・リーチ効果で、十分にお釣りが来ますわ」

「あるいは、戦闘中でなければ、あなたのMP自動回復レート増加のパッシブもありますから、実質的な減少量はもっと少なくなる」

「これなら、MPが枯渇することなく、十分に戦えるはずですわ。…面白いと、思いませんこと?」


 そのあまりにも的確で、そして緻密な計算。

 隼人は、ただ感嘆するしかなかった。

 そうだ、なぜ気づかなかった。

 完全に相殺する必要など、ないのだ。

 マナ・リーチで補える範囲まで、ダメージを軽減できればそれでいい。

 まさに、目から鱗が落ちる思いだった。


 JOKER:

「…なるほどな。面白い」

「B級ダンジョンへの道が、また一つ見えてきた」

「――感謝するよ、詩織さん」


 彼が、初めて彼女を名前で呼んだ。

 そのメッセージに、詩織は満足げな微笑みのスタンプを返してきた。


 詩織:

「どういたしまして。困った時は、いつでもお聞きなさいな。私達は、もう『仲間』なのですから」


 その言葉が、隼人の心に温かく響いた。

 彼はトーク画面を閉じると、すぐにSeekerNetのマーケットへとアクセスした。

 そして、検索窓に打ち込む。

『明瞭のオーラ スキルジェム』

 彼の新たな挑戦が、また始まろうとしていた。

 物語は、主人公が仲間との対話の中で新たな活路を見出し、そのビルドの可能性をさらに広げていく、その確かな成長の一歩を描き出して幕を閉じた。


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