第105話
西新宿の夜景が、やけに目に染みた。
神崎隼人 "JOKER" は、自室のギシリと軋む古びたゲーミングチェアに、その身を深く沈めていた。
彼の頭の中では、先ほどの屈辱的な敗走の記憶が、何度も、何度もフラッシュバックしていた。
ひんやりとした静寂の図書館。
本棚の影から現れた、一体の骸骨の魔術師。
そして、その指先から放たれた青白い弾幕に触れた瞬間、彼の魂を内側から蝕んでいった、あの忌々しいデバフ。
《静寂の呪詛》。
みるみるうちに枯渇していくMP。
沈黙していくスキル。
なすすべもなく、ただ通常攻撃を繰り返すことしかできなかった、あの無力感。
そして、最後に尻尾を巻いてポータルで逃げ帰ってきた、あの惨めな姿。
「…クソがっ」
彼の口から、心の底からの悪態が漏れた。
これまで、彼はどんな強敵を前にしても、決して絶望はしなかった。
【骸骨の百人隊長】の凍結ループも、【古竜マグマロス】の圧倒的な暴力も、彼にとっては解き明かすべき最高のパズルだった。
だが、今回の敗北は違う。
質の悪いイカサマにハメられたかのような、後味の悪さ。
戦う土俵にすら上がらせてもらえなかったという、絶対的な屈辱。
それが、彼のプライドをズタズタに引き裂いていた。
(面白いテーブルに着くには、イカサマを攻略しないといけないってことだ…!)
彼の瞳に、再び闘志の炎が灯る。
そうだ、このまま終わらせるわけにはいかない。
あの忌々しい骸骨魔術師に、最高のリベンジを果たしてやる。
そのためには、まず敵を知ることだ。
彼は、怒りに震える指でキーボードを叩きつけ、再びあの情報の海…『SeekerNet』へと、その意識をダイブさせた。
彼の戦いは、もう始まっている。
彼が向かったのは、いつもの『戦士クラス総合スレ』。
彼は検索窓に、あの忌々しいデバフの名前とクラス名を打ち込んだ。
『戦士 サイレンス 対策』
エンターキーを押すと、彼の目の前に表示されたのは、まさに地獄の様相を呈したスレッドの山だった。
『【助けて】静寂の図書館で、MPが蒸発しました…』
『【引退】サイレンスがクソすぎて、心が折れた』
『【愚痴】なんで、戦士だけこんな目に合わなきゃいけねえんだよ!』
阿鼻叫喚。
彼と同じように、サイレンスの呪いに苦しみ、絶望する戦士たちの悲痛な叫びが、そこにはあった。
彼は、その一つ一つの叫びに深く共感しながらも、冷静に情報の取捨選択を行っていく。
そして、彼はその絶望の海の中で、一筋の光となる一つのスレッドを見つけ出した。
それは、ギルドの公認アドバイザーが立てた、公式のQ&Aスレッドだった。
『【B級中位対策】「サイレンス」に苦しむ、全ての戦士たちへ』
彼は、そのスレッドを食い入るように読み進めていく。
そこには、彼が求める全ての答えが記されていた。
1 ギルド公認アドバイザー
B級中位ダンジョンに挑み始めた、勇敢なる戦士の諸君。
おそらく君たちの多くが、今、【静寂の図書館】などで遭遇する「サイレンス」のデバフに、頭を悩ませていることだろう。
無理もない。あれは、我々近接物理職にとって、まさに天敵とも言えるギミックだ。
だが、絶望するにはまだ早い。
どんな理不尽なルールにも、必ず「解法」は存在する。
このスレッドでは、その具体的な対策について解説していこう。
その力強い書き出しに、隼人はわずかに希望の光を見出す。
スレッドには、まずサイレンスというデバフの本質についての解説が書かれていた。
1 ギルド公認アドバイザー
まず、理解してほしい。
サイレンスとは、単なるMPドレインではない。
あれは、「リソース勝負」という名のギミックだ。
敵は君たちのMPを削り取ることで君たちの戦闘能力を奪い、そしてじわじわと嬲り殺しにしようとしてくる。
つまり、この勝負に勝つための方法はただ一つ。
「敵のMPドレインの速度を、君のMP回復速度が上回ればいい」。
ただ、それだけのことだ。
そのあまりにもシンプルで、本質的な回答。
隼人は、深く頷いた。
そうだ、その通りだ。
問題は、どうやってそのMP回復速度を上げるかだ。
スレッドは、その具体的な方法について、クラスごとの違いを交えながら解説を進めていく。
1 ギルド公認アドバイザー
まず、魔法使い。
彼らにとって、サイレンスはそれほど大きな脅威ではない。
なぜなら、彼らは元々膨大な最大MPと、高いMP自動回復レートを持っているからだ。
パッシブスキルツリーでも、知性とMP関連のノードを多く取得しているため、毎秒10というMPドレインなど、彼らの回復量の前では誤差程度の意味しか持たない。
次に、盗賊。
彼らにとっても、サイレンスは厄介な相手ではある。
彼らのMPは、決して多くはないからな。
だが、彼らには「回避」という最大の武器がある。
そもそも、サイレンスを付与してくる敵の魔法弾に当たらなければ、どうということはない。
もちろん、全ての攻撃を避けきれるわけではないから、彼らもまた最低限の対策は必要になるがな。
そして、問題は我々戦士だ。
我々は、敵の攻撃をその身に受け止め、耐えるという戦い方を信条とする。
回避は、得意ではない。
そして、MPも決して多くはない。
まさに、最悪の相性だ。
だからこそ、我々戦士には、戦士だけの「正解」が必要になる。
その言葉に、隼人はゴクリと喉を鳴らした。
そして、スレッドはついにその核心へと触れた。
1 ギルド公認アドバイザー
その対策は、驚くほど簡単だ。
「装備に、MP自動回復(実数回復)のMODが付いたものを探せ」。
ただ、それだけだ。
お前たちがこれまで見てきたMP回復は、おそらく「MP自動回復レート増加+〇%」という、割合での回復だったはずだ。
あれは確かに強力だが、元々の基礎回復量が少なければ、その恩恵も小さい。
だが、この世界にはもう一つ回復の形が存在する。
「毎秒MPを+〇〇回復する」という、固定値での回復。
これこそが、サイレンス地獄を抜け出すための、唯一の鍵だ。
例えば、お前の装備のどこか一箇所に、「毎秒MPを+10回復する」というMODが付いていたとしよう。
それだけで、どうだ。
サイレンスがもたらす毎秒10のMPドレインは、完全に相殺される。
これまで君を苦しめてきたあの絶望的なデバフは、ただの無意味なアイコンへと変わるのだ。
そのあまりにも鮮やかで、そして根本的な解決策。
隼人の脳内に、光が差し込んだ。
そうだ、なぜ気づかなかった。
割合ではなく、固定値。
発想の、転換。
それだけで、この難解なパズルは解けるのだ。
だが、スレッドは同時にその道のりの険しさも示していた。
1 ギルド公認アドバイザー
ただし、もちろんうまい話には裏がある。
この「MP自動回復(固定値)」のMOD。
これは、B級以上の高レベルな装備にしか付与されない、極めて希少な能力だ。
当然、その価値は高い。
そして、何よりも問題なのが、その供給量だ。
B級に挑む全ての戦士が、このMODを血眼になって探し求めている。
そのため、このMODが付いた装備は、マーケットに出品された瞬間、蒸発するように消えていく。
B級下位の冒険者同士で、常に激しい奪い合いが繰り広げられ、その価格は常に高騰し続けている。
だから、俺が君にできる最後のアドバイスはこれだ。
「まあ、しばらくは下位B級(古竜の寝床)で頑張るしかないぞ」と。
まずは、そこで地道に金を稼ぎ、レベルを上げろ。
そして、十分な軍資金を蓄え、マーケットに張り付き、いつか現れるであろうそのお宝を、全力で掴み取れ。
それが、君がB級中位の壁を越えるための、唯一の道だ。
そのあまりにも現実的で、そして厳しいアドバイス。
隼人は、深くため息をついた。
結局、やることは変わらないということか。
地道な、周回。
退屈な、作業。
だが、彼の心にはもはや絶望はなかった。
むしろ、その逆。
明確な「目標」ができたことで、彼の心には新たな炎が灯っていた。
MP自動回復(固定値)。
そのMODが付いた装備を、手に入れる。
それさえできれば、俺はあの忌々しい図書館を蹂躙できる。
その確信が、彼を再び立ち上がらせた。
物語は、主人公が新たな壁の正体と、それを乗り越えるための具体的な方法を知り、次なる金策とレベル上げへのモチベーションを新たにする、その力強い再起の瞬間を描き出して幕を閉じた。